第1話 追放されたので、貸した魔剣を返してもらいます
帰還したばかりの冒険者ギルドは、昼間から酒場のように賑わっていた。依頼を終えた冒険者が報酬を数え、壁際では次の仕事を探す者たちが掲示板に群がっている。レイン・アルヴェスは人混みを避け、窓際の長机に荷物を広げていた。
革袋から包帯を取り出し、残りの長さを測る。薬草は十二束。保存食は五人が三日過ごせる量。予備の剣帯は二本とも修理が必要だった。
「また数えてるのかよ。よく飽きないな」
向かいの椅子に腰を下ろしたセドが、あきれたように笑った。大柄な戦士で、剣の腕は確かだが、自分の装備がいくつあるのかすら覚えていない。
「数えておかないと、いざという時に困るだろ」
「その『いざ』ってのが来たことないじゃないか」
「来てからじゃ遅いからね」
レインが答えると、セドは肩をすくめた。悪気がないことは分かっている。そもそも彼らが何も気にせず戦えるように整えるのが、レインの仕事だった。
数年前、冒険者を始めたばかりのレインは、腕の立つ仲間たちと一緒に世界を見て回りたいと思っていた。剣の才能は平凡、魔法の適性も低い。十八歳の時に授かったスキルは《返却》。持ち主が分かっている品を、その持ち主へ戻すだけという、ギルドの鑑定士にまで笑われた能力だ。
それでも道具の扱いと地図を読むことには自信があった。いつの間にか荷物持ちだけでなく、経路の確認、補給、野営場所の選定も任されるようになった。仲間が手柄を立てるのを見るのは嫌いではなかったし、役に立てることがあればそれでよかった。
「レイン。荷物は後にして、こっちへ来い」
声をかけてきたのは、カイル・ヴァルディスだった。淡い金髪に上等な青い上着をまとった彼は、ギルドでも注目を集める勇者候補で、レインが所属する冒険者パーティ『暁の剣』のリーダーだ。そばには魔術師と治癒術師も立っていたが、普段なら依頼の成功を真っ先に喜ぶ二人が、今日は目を合わせようとしなかった。
レインは帳面を閉じて近寄った。
「どうした? 報酬の分配なら、今日の分はもう計算してあるよ」
「報酬の話じゃない。お前には今日限りでパーティを抜けてもらう」
周囲の音が急に遠くなった気がした。
カイルは真剣な顔をしていた。冗談なら目元が少し緩む男だが、今はそういう様子ではない。レインは言葉の意味を確かめるように、一度だけ問い返した。
「俺が、抜ける?」
「ああ。王都から正式に昇格の打診が来た。次はもっと危険な依頼になる。荷物持ちに人数を割く余裕はないんだ」
「補給や道案内はどうするつもりだ?」
「ギルドで雇えばいい。必要な時だけな。お前の取り分を使えば、腕のいい斥候だって雇える」
それを聞いて、レインは黙った。以前からカイルが自分の働きに不満を抱いていることには気づいていた。討伐後の宴席で話題に上るのは、たいてい前衛の活躍や派手な魔法だった。補給が滞らなかった理由まで気にする者は少ない。ただ、だからといって何の相談もなく外されるとは思っていなかった。
「相談してくれれば、別の役割だって考えられた」
「もう決めた。お前だって自分のスキルが戦闘で使えないことは分かってるだろう」
その通りだった。レインは剣でカイルに勝てないし、魔術師のように大火球も放てない。だからこそ別の場所で支えようとしてきたのだが、本人に伝わらなかったのなら仕方がない。
「分かった。今まで世話になった」
あまりにあっさりした返事だったのか、カイルは眉を寄せた。魔術師のほうは安堵したように息をついた。治癒術師は視線を落としたままだった。
レインは机へ戻り、革袋を持ち上げた。替えの靴、洗い替えの服、道具の帳面。自分の物だけを取り出し、残りを中央に並べる。野営鍋を見た時、ふと亡くなった師匠のことを思い出した。
道具屋を営んでいた師匠エルダは、品物を売る時に妙な口癖を使った。
『道具は使う人の手に渡ってこそ役に立つ。飾っておくだけじゃ、刃物も鍋もかわいそうだ』
その言葉を真似して、レインは自分の持ち物に小さな印をつけていた。剣の鞘には銀の鋲を一つ。杖の柄には細い糸。鎧の裏には短い文字を刻んである。師匠の遺した店を畳んだ時に引き取った装備と、レインが買い足した品々だ。
以前、カイルたちが良い武具を揃えられずにいた頃、レインが「しばらく貸すよ」と申し出た。報酬が十分に入るようになれば、皆で新しい物を買えばいいと思っていた。その約束は、結局一度も話題に上がらなかった。
「ひとつ確認していいか」
レインが戻ると、カイルはまだ仲間たちと今後の依頼について話していた。
「何だ。餞別でも欲しいのか?」
「いや。貸していた装備を返してもらいたい」
「装備?」
「カイルの剣、セドの鎧、魔術師の杖と治癒術師の護符。それから共有の野営道具だ。俺の持ち物だから」
カイルは呆れたように笑った。
「今さらそんな細かいことを言うなよ。お前だって俺たちと一緒に稼いできただろ」
「分配された報酬と、持ち物の話は別だ。貸す時にそう伝えたはずだよ」
「だったら持っていけ。どうせお前には使えないんだろうが」
セドが慌てて二人の間に入った。
「待て、カイル。この鎧もか? こいつは俺がずっと使って……」
「使っていただけだろ。買い取りの話はしていないよ」
レインは帳面を開き、装備を貸した日と購入した店、代金を一つずつ示した。カイルに預けた魔剣は師匠の遺品で、セドの鎧と魔術師の杖はレインが自分の金で買ったものだ。治癒術師の護符にも、購入時の控えが残っている。どれも売ったり譲ったりはしていない。「新しい装備を揃えるまで貸す」という約束のままだった。
カイルの顔が強張った。
「いちいち外すのは面倒だろう。後でまとめて運べばいい」
「そうだね。でも今返せる物なら、今でいい」
実は、レインもこの能力を使うのは好きではなかった。物が突然動く光景は目立つし、事情を知らない人には盗んでいるように見える。師匠の店で初めて力を試した時には、客の前で貸し出し用の鍋を飛ばしてしまい、師匠にこっぴどく叱られた。
『持ち主が分かるからって、何でも勝手に動かしていいわけじゃない。借りた人の手にあるうちは、借りた人にも事情がある』
あの時は恥ずかしくて、何度も謝った。それからは先に声をかけ、返してもらえるか確かめるようにした。今日は既にカイルが「持っていけ」と言った。長く借りてくれた礼も、言ったつもりだった。
それでも胸が軽いわけではない。カイルたちの冒険を支えた年月も、本当だったからだ。
レインは掌を開いて、カイルの剣へ目を向けた。使い慣れたスキルは、持ち主と品物がはっきりしていれば難しくない。
「《返却》」
青い外套の胸元から、鞘ごと剣がふわりと浮き上がった。カイルが反射的につかもうとした時には、剣は薄い金色の光を引いてレインの手元に収まっていた。
剣の重さは昔のままだった。師匠の店で何度も磨いた刃には、今も薄い傷が残っている。鞘からわずかに抜くと、青白い光が刃の表面を流れた。魔力を通すと切れ味が増す魔剣で、駆け出しの頃のカイルには過ぎた品だった。だからこそレインは、いつか自前の剣を手に入れるまで、と預けたのだ。
「な……何をした?」
「返してもらった。俺のスキルだよ」
カイルは空になった剣帯を押さえたまま動かなかった。魔術師と治癒術師には、杖と護符を外してもらうよう頼んだ。二人は渋々ながら長机へ置いたので、そちらにはスキルを使わずに済んだ。セドも鎧を脱ぎ、金具が壊れないよう丁寧に畳んで返してくれた。
「急に返せと言って悪いとは思う。でも、これからは自分たちで装備を揃えてほしい。必要なら、扱っている店は紹介するよ」
「ふざけるな! 俺がその剣でどれだけ戦ってきたと思ってる!」
「それは知ってる。大切に使ってくれたのは、ありがたかった」
レインは剣を布で包みながら答えた。カイルはその言葉に余計腹を立てたようだったが、言い返す前にギルド職員が近づいてきた。
「騒ぎはそこまでです。所有権に争いがあるなら、帳面を確認します」
「争ってはいません」とレインは言った。「貸した物を返してもらっただけです」
職員は帳面の記録と装備に刻まれた印を見比べ、貸し出しの経緯をセドにも確認した。カイルが反論しようと口を開いたが、セドが軽く腕を押さえた。
「俺が借りてたのは本当だ。レインがちゃんと説明してくれた」
カイルは口を閉じた。ギルド内の何人かがこちらを見ている。噂が広まるのは早いだろう。それでも、レインには今さら隠しておく理由がなかった。
装備をまとめ終えると、革袋が二つ増えた。とても一人では楽に運べそうにない重量だった。レインは荷運びの手押し車を借りようとしたが、セドが先に片方を持ち上げた。
「ギルドの裏口までなら運ぶぞ。最後くらい手伝わせろ」
「助かる」
「……悪かったな」
何に対する謝罪なのか、セド自身も言葉にできていない様子だった。レインはそれ以上問い詰めず、礼だけを伝えた。
外へ出ると、午後の陽射しが石畳を暖めていた。向かいの商店では親子がパンを買い、角の修理屋からは金槌の音が聞こえてくる。いつも依頼の前後に通る道なのに、今日は少し違って見えた。
セドと別れた後、レインは手押し車を押して街を歩いた。荷物の重さは腕にこたえたが、誰かの予定を気にして急ぐ必要はなかった。明日から何をするかも、自分で決めていい。
「店、か」
口にしてみると、急に現実味が湧いた。師匠の店のように、修理して、貸して、必要な人の手に道具を届ける。冒険者としては大きな功績がなくても、自分にはできる仕事がある。
手押し車の車輪が石畳の継ぎ目に引っかかった。苦笑しながら持ち上げた時、通りの向こうから子どもの泣き声が聞こえてきた。
「返してよ! それ、お父さんのなんだから!」
少年が革の鞄を抱えた男を追いかけている。男は人混みを押し分け、素早く路地へ曲がった。
レインは手押し車を建物の壁に寄せ、鞄を指さして少年に尋ねた。
「その鞄、本当に君の家の物?」
「うん! 持ち手に、お父さんが直した赤い糸がある!」
男の背中が角を曲がる。走ればまだ追いつける距離だった。
レインは荷物を置き、少年に向かって短く頷いた。
「分かった。君は人を呼んで。俺は追ってみる」




