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4. あなたは、どう思います?

 昼の客間に、祖母の小さな杯を並べる。昼の光が厚い縁に溜まり、底まで明るい。明日は、最初に予約をくださった方の来る日だ。触れてもいない隣の杯まで直していると、下見に来たエルワンが、母と私へ客の様子を話してくれた。


「南の国の商人です。ご夫婦でこちらへ来るのは久しぶりだそうです。娘さんは、王都の茶を飲むのも初めてです。宿でも、大人の杯を両手で抱えようとします。持ちたい気持ちは分かるのですが、見ている私の手まで浮いてしまって。小さな杯があると助かります」


 母が茶の缶の蓋を持ち上げる。けれど、茶の染みた指先は中へ入らず、別の缶の縁に止まった。


「二年前の秋、伯爵家の茶会で、あの香りの焼き菓子を三つ召し上がった南の方ね。蜂蜜を入れても、茶は濃いほうがお好きよ。甘くても、茶の香りは残しておきたい方よ」


 あの香りは肉桂(にっけい)だ。棚の奥から筒を見つけた。蓋を開けると、甘さのあとから、鼻をくすぐる辛い匂いがする。エルワンの目が、母の指先と私の持つ筒の間を行き来している。


「覚えているんですか? 召し上がった菓子の数まで? 私の宿でも、前に泊まった方の好みを、そこまでは覚えられません」


「二十年ぶん、ね。杯が空くまで待つのですもの。どの菓子に手が伸びたかも、よく見えるわ。お話が止まっても、杯は空くのよ。茶を足しに行けば、またお顔を見られるもの」


 小さな杯を光のほうへ向ける。厚い縁をなぞると、親指の腹になめらかな丸みが触れた。大きな杯では、六つの子の両手から余る。私は低い台を卓の端へ寄せ、手を挙げる。


「では、私が、お嬢様の杯と花の高さを決めますわ。この小さな杯なら両手で持てますし、花はこの台に置けば、目の高さに届きます」


 母が並んだ杯の前へ来る。私が低い台に花を載せると、野の花の先が杯の縁まで下がった。ふっくらした肩が卓へ寄る。けれど母の手は、杯を通り越して焼き菓子の皿へ向かう。


「子どものお客様なんて、私も初めてですもの。小さな杯を使うと、お茶会の卓まで可愛くなるわね」


 試しに焼いた菓子が、言い終わる前に母の口へ消えた。粉のついた指を見て、私は口を開く。


「お母様、それはお客様の! 明日出す前に、お皿が空になってしまうわ。残す分も、見てちょうだい!」


「味見よ。今ここで酸っぱかったら、明日の小さなお客様がお困りでしょう? これは、お客様のためよ」


 エルワンまで、皿へ身をかがめた。


「では、私も味見を。宿からご案内する前に、私も味を知っておきたいです。初めての所へお連れするのですから」


 菓子を取るエルワンへ、母が皿を向ける。二人の手が行き交っても、低く活けた花は揺れない。菓子だけが減ってゆく。私は皿の空いた所を指で示す。


「エルワンさんまで! 味見の方が増えるたびに、焼く分も増えてしまいますわ」


 母は菓子を飲み込んでから、私へ皿を向けた。


「悪くないわね。ちゃんと甘いわ。ほら、ガランスも食べれば、焼く分がまた増えるわよ」


 皿をこちらへ引く。焼き菓子の端を割ると、杏の匂いがふわりと立った。割れ目はまだやわらかく、指で押すのがもったいない。笑う母へ、半分を持ったまま言う。


「私は、割った所を見ているだけよ。……お母様、その手は何ですの?!」


「ふふ、見ているだけなら、もう片方は私が見てあげるわ」


「お母様、見るのに口を開けないで!」


「あはは。あなたの前では、味見をするのも難しいわね」


 エルワンの広い肩が、わずかに揺れている。口元を押さえても、右の頬のえくぼまでは隠せない。


「困りました。私も半分欲しくなりました。でも我慢します」


 母は口の端についた粉を拭き、皿をこちらへ押す。受け取って布巾を掛けると、ようやく菓子が見えなくなった。私は布の端を皿の下へ挟み込む。


「味見は、ここまでです。明日の分は、別のお皿に伏せておきますわ。味を知らないお客様に、まず召し上がっていただきましょう」


「私たちが先に減らさないように、ね。あら、茶のほうはまだ試していなかったわ。菓子ばかりでは、お茶会にならないもの」


 母が茶の缶を開ける。その向こうでエルワンが袖をまくり、卓に手を掛けた。私は杯と花を盆へ移して、裏庭への戸を開ける。卓を持ち上げたエルワンが、置き場所を確かめるようにこちらを見る。


「卓は運びます。明日の席に置いて、娘さんの椅子から花を確かめましょう。台が低いと、顔を上げずに見られますね」


「林檎の木の下へお願いしますわ。椅子は少しこちらに。枝の影が杯に落ちても、花のお顔は見える所へ」


 運ばれた卓に杯を置き、椅子に腰を下ろしてみる。花の茎が、目の前にまっすぐ伸びていた。林檎の枝の影が卓の上で揺れ、杯の縁を出たり入ったりする。低い台を寄せ直し、空いた所へ自分の手をそっと置いた。明日の小さな手のために、その場所は空けておく。


       ◇


 門から父の声が来る。エルワンが振り向き、母も菓子の皿を置いた。私も門へ行く。まだ笑いの残っていた口の端を、私は噛んだ。格子の向こうで、厚い胸に金の鎖を下げた父が、開いた懐中時計へ目を落とす。


「渡し場亭で客の名を聞いた。商人なら、伯爵家で迎えるほうがよい。取引の縁も広がるからな」


 エルワンは門の内側に立つ。父はその人へ顔を向けた。


「我が家の庭なら、半値でいい」


「半値、ですか?」


「茶も花も、伯爵家の茶会と同じものを出す」


 エルワンの目が、家の奥へ一度流れる。小さな杯と低い台の花を置いた裏庭は、門からは見えない。その目が、私の所で止まった。


「あなたは、どう思います?」


 母の顔を見てしまう。見積書に名を書いた、あの日の筆の重さが指に戻る。それでもまだ待っている私の前で、母は手に残った焼き菓子の端をもう一つ食べた。


「知らないわ」


 振り返って家の奥の裏庭を指し、父へ向き直る。言葉が出るまで、指を下ろせずにいた。


「お父様。伯爵家の茶会と同じもの、とおっしゃいましたわね。あの茶会の茶は母が淹れて、卓の花は私が活けておりました。その二人は、ここにおります」


 父の目が私から逸れる。私の花を一度でも見たかとは、訊けない。茎を揃えた手を下ろすと、指がまだ花を支える形に曲がっていた。ゆっくり伸ばす。その間に父は、金の鎖の先で時計の蓋を閉じる。


「ガランス。伯爵家の庭と、こんな小さな庭を、同じにするのか?」


 隣でエルワンが待っている。母の手も、茶の染みた指先まで空だ。私は伸ばした指をそのままにして、父の顔を見る。


「小さな庭ですわ。でも、お嬢様のお顔は花に隠れません。明日あの卓で、お迎えする支度をしております。お客様の背が低くても、花を見ていただけますし、杯にもご自分で手が届きます」


 裏庭に置いた杯は、まだ空だ。私の答えを聞き終えたエルワンが、父へ向き直った。


「私の客が来たいのは、伯爵家の名前の庭ではありません。この窓の花の家です」

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