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第3話 始祖様

 炎が渦を巻いた。


 俊彰は反射的に固く目を閉じる。


 熱い。


 だが、肌を焼くような不快な熱さではなかった。


 手の中には、ずっしりとした重みと、確かな柄の感触がある。


「……?」


 恐る恐る目を開いた。


 右手に、一振りの剣があった。


 漆黒の刀身。


 鍔から切っ先にかけて、眩い赤い炎がまるで生き物のように這い、揺らめいている。


「…………」


 俊彰は息を呑み、言葉を失った。


 知っている。


 知っているどころではない。


 三十年前。


 中学校の退屈な授業中、ノートの隅に何度も何度も描いた。


 家に帰ってからは、定規と黒インクを使ってわざわざ清書までした。


 刃の長さ。


 無駄に凝った鍔の形。


 柄に刻まれた空想の紋様。


 全部、自分で考えたデザインだ。


 《魔装剣・焔》


「…………」


 炎をまとった黒剣を、俊彰は食い入るように見つめた。


「……いや」


 一呼吸置いて、ぽつりと呟く。


 ……悪くはないな。


 四十四歳になった今でも、正直ちょっと格好いいと思ってしまった。


「じゃなくって!」


 我に返った瞬間、魔獣が牙を剥いて飛びかかってきた。


「うおっ!」


 俊彰はヤケクソで右手の剣を振った。


 剣の技術も、身のこなしも何もない。


 ぎゅっと目を瞑り、ただ横薙ぎに全力を込めて振り回しただけだった。


 黒い刀身から、炎が奔流となって走る。


 耳をつんざく爆発的な轟音。


「――っ!?」


 迫っていた魔獣が、空中であり得ない体勢に身を捻った。


 炎の軌跡が、その鼻先をかすめる。


 そのまま森の奥へ突き抜けた火炎が、背後の大木を飲み込んだ。


「…………」


 俊彰は固まった。


 空中から着地した魔獣も、毛を逆立てたまま微動だにしない。


 数メートル離れた場所に立つ大木が、真ん中から斜めにずれた。


 ゆっくりと。


 赤く焼けた切断面から炎を上げながら、巨木の上半分が地面へ滑り落ちていく。


 ズズン――。


 重い響きが周囲の空気を揺らした。


「…………」


 俊彰は、自分の右手にある剣を見た。


「危なっ」


 今の一撃が、もし直接当たっていたらどうなっていたか。


 想像するだけでも恐ろしくて、考えたくもなかった。


 魔獣が喉の奥でグルルと唸る。


 俊彰は慌てて剣を構え直した。


 構え方なんて知るはずもない。


 完全に腰が引けているのは、自分でも痛いほど分かっていた。


「来んなよ……」


 魔獣が一歩、慎重に前へ出る。


「俺だって、こんなの使いたくないんだからな」


 さらにもう一歩。


「だから――」


 耐えかねた魔獣が、猛然と地面を駆ける。


「来んなって言ってんだろ!」


 限界を迎えた俊彰は、半狂乱で炎の剣を地面へ力任せに叩きつけた。


 激しい炎が爆ぜる。


 地表を這うように巨大な火柱が奔流となって走り、俊彰と魔獣の間を完全に分断する。


 押し寄せた熱気に、魔獣は悲鳴のような声を上げて急停止した。


「…………」


 目の前で立ち昇る巨大な炎。


 俊彰は剣を握ったまま、その光景を呆然と見つめていた。


 魔獣は火柱の向こうで低く唸りながら、恐怖に圧されるように数歩後ずさる。


 やがて完全に戦意を失ったのか、踵を返した。


 そのまま跳ぶようにして、森の奥深くへ消えていく。


「…………」


 俊彰は追わなかった。


 追う理由も体力も、微塵もない。


「……助かった」


 緊張の糸が切れ、全身から一気に力が抜けた。


 そのまま土の上に派手に尻もちをつく。


「痛ってぇ……」


 右手には、未だ暗く不気味な黒赤い炎を揺らめかせた剣が、重々と握られている。


 俊彰は脱力したまま、それを見つめた。


俊彰は困惑しながら右手の剣を見た。


 それにしても、この剣はいつまで燃えているつもりなのだろうか。


「これ、どうやって消すんだ……?」


 呟いた瞬間。


 刃を覆っていた黒赤い炎が、嘘のように消え去った。


 続いて漆黒の刀身が眩い光の粒となり、さらさらと空気へ溶けるように消滅していく。


 消えてしまったのは、剣だけじゃない。


 嵐のように暴れ回っていた、あの巨大な魔獣だけでもない。


 三十年前。


 十四歳の自分が「最強」と信じてノートに書き殴った戯言まで、この世界では現実になってしまうのだ。


「……勘弁してくれよ」


 頭を抱えかけた、そのときだった。


「――何者だ!」


「え?」


 背後。


 森を抜けた先の街道から、地鳴りのような馬の蹄の音が響いてくる。


 俊彰は濡れた土の上に座り込んだまま、振り返った。


 陽光を反射して輝く銀色の甲冑。


 馬に跨った五騎の騎士。


 その先頭を駆ける一人が、俊彰へ鋭い視線を注いでいた。


「……嘘だろ」


 これ、結構ヤバい状況じゃないのか?


 さっきの剣、もう一度、出せないか?


 そう思った瞬間、俊彰の右手に光が集まった。


 漆黒の刀身が形を成す。


(出た……!)


 だが、炎はない。


(もう一度だけ……頼む)


 俊彰は震える息をそっと吐き出し、刀身の根元へ左手を静かに添えた。


 そのまま、切っ先へ向けて吸い付くようにゆっくりと指を滑らせていく。


 冷や汗の滲む指先が通り過ぎた、その場所から――


 静寂を破るように、禍々しくも美しい黒赤い炎が、刀身の刻印を這うように脈打って燃え上がった。


 (よし! できた!!)


 ノートに書かれていた――《原初の剣・紅蓮星砕き》


 三十年前、自分が思い描いたその姿が、今まさに右手の中にある。


 俊彰は息を呑み、顔を上げた。


「…………え?」


 騎士の顔から、一瞬で血の気が引いた。


 駆けていた馬から転げるように飛び降りる。


 俊彰が怯えて身構えるよりも早く、甲冑を鳴らしたその騎士は――。


 地面へ勢いよく膝をついた。


「…………は?」


 続いて、後方の四人も馬から降りる。


 一人。


 また一人。


 寸分の狂いもなく、全員が俊彰の前で深々と頭を垂れた。


 俊彰は炎の剣を握りしめたまま、間抜けな格好で固まった。


 先頭の騎士が目に涙を浮かべ、震える声で告げる。


「三千年……」


「え?」


「三千年、お待ちしておりました」


 俊彰の頬が、ひくりと痙攣した。


「…………誰を?」


 騎士は歓喜と畏怖に満ちた表情で顔を上げた。


「――始祖様」


「人違いですね」


「人違い……?」


「はい。人違いです」


「しかし、その御剣は……」


「拾いました」


「今、御身の手より顕現するところを拝見しましたが」


「…………」


 見られていた。


 バッチリ見られてしまった。


 俊彰は気まずそうに視線を泳がせた。


「じゃあ、似た人です」


「始祖様」


「違います」


「始祖様」


「違うって」


 まるで話が通じない。


 ふいに、右手が軽くなった。


「あ」


 いつの間にか、剣は跡形もなく消えていた。


 五人の騎士が、言葉を失って一斉に息を呑んだ。


「…………」


 あー嫌な予感がする。


 本日三度目の、強烈な嫌な予感だ。


 先頭の騎士が、先ほどよりもさらに深く地面へ頭を下げた。


「魔装剣の顕現、ならびに無詠唱による解除……間違いございません」


「何が?」


「聖典に記された通りです」


「…………聖典?」


 聞き捨てならない、不穏すぎる単語が耳に引っかかった。


「はい」


 騎士は甲冑の鳴る胸に深く拳を当てた。


「始祖より授けられし《始原の聖典》。その第三章――魔装の理」


「ちょっと待って」


 俊彰は小脇に抱えたノートを猛然と開いた。


 冷や汗の滲む指でページをめくる。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 ……あった。


 自分で書いた角ばった痛々しい文字で、はっきりと刻まれている。


 《第三章 魔装の理》


「…………」


 俊彰は無言でノートを閉じた。


「どこでそれを知った?」


 初めて、俊彰の声から軽さが消え、硬い調子に変わった。


 異変を感じ取った騎士が顔を上げる。


「どこ、と申されましても……」


「その聖典。今どこにある?」


「王立大図書館の最深部にございます」


「見せてくれ」


「は?」


「今すぐ」


 俊彰は手にした黒い大学ノートを、騎士に見せるように持ち上げた。


「俺は今、これを持ってる」


 騎士たちの視線がノートへ集中し、その表情が一瞬で凍りついた。


「……その書は?」


「だから、それを確かめたいんだよ」


 俊彰自身にも、さっぱり分からない。


 三十年間、実家の押し入れの奥底で眠っていた自分の黒歴史ノートが、なぜ遥か異世界で知られているのか。


 しかも、よりによって三千年前から。


 先頭の騎士は、しばらく探るように俊彰を見つめていた。


 やがて意を決したように静かに立ち上がる。


「承知いたしました。王都までご案内いたします」


「助かる」


「ただ――」


「まだ何か?」


 騎士は俊彰の全身に視線を送り、言いにくそうに口を開いた。


「その御姿のままでは、少々……」


「姿?」


 俊彰は己の身なりを見下ろした。


 ヨレヨレのTシャツ。


 履き古したジャージ。


 泥のついたスニーカー。


「…………」


 確かに。


 伝説の始祖以前に、ただの不審者だった。


     ◇


 聖王都アルディオン。


「……マジかよ」


 巨大な石造りの城門を抜けた俊彰は、圧倒されて思わず足を止めた。


 どこまでも続く重厚な石造りの街並み。


 路面を叩く馬車の蹄の音。


 立ち並ぶ露店から漂う、焼きたてのパンの香ばしい匂い。


 腰に剣を下げて歩く冒険者風の男たち。


 籠いっぱいの見たこともない果物を抱え、笑いながら走っていく子どもたち。


 そこには、生きた人間たちがいた。


 普通に笑い、怒り、働き、懸命に暮らしている。


 十四歳の自分がノートの上にペンで描いた、単なる無機質な「設定」などでは決してなかった。


 俊彰は何も言えず、息を呑んでしばらくその街並みを見つめていた。


「始祖様?」


「だから、それやめて」


 頭を振って我に返り、促されるまま歩き出す。


 やがて街の中心に、一際巨大で荘厳な建造物が姿を現した。


 王立大図書館。


 重厚な地下へ続く階段を下りる。


 何重もの厳重な鉄扉と、淡い光を放つ魔法陣を抜けていく。


 そして最深部。


 最後の封印扉が、腹の底に響くような重々しい音を立てて開いた。


「こちらです」


 俊彰は、静まり返った部屋の中へ足を踏み入れる。


 部屋の中央。


 分厚い透明なガラスに覆われた、荘厳な台座。


 その上に、一冊の古びた黒い本が安置されていた。


「…………」


 俊彰は自分の右手を見た。


 そこには、実家から持ってきた黒い大学ノートがある。


 そして。


 美しいガラスケースの中。


 台座に安置された古びた黒い本の表紙には、見紛うことなき銀色の文字が残されていた。


 《漆黒零式改MarkⅡ》


「…………嘘だろ」


 俊彰は、手元とガラスケースの中にある二冊のノートを交互に見比べた。


 表紙の傷み方こそ違う。


 だが、大きさも形も、銀色の文字も。


 何より、自分が定規を当てて書いた、あの妙に角張った文字の癖まで同じだった。


 騎士が静寂を破り、恭しく膝をついて告げる。


「我らが三千年守り続けてきた――」


「…………返せ」


 俊彰の口から、怒りと戦慄の入り混じった低い声が漏れた。


End_is_Zéro_Project

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