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海峡の旗 ―潮と暗礁で帝国艦隊を破る―  作者: 八夜巡


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21/28

21_アマルタの夜

 月が港壁へ沈むころ、五都市の船が動いた。


 イスカラ三隻は沖へ広がり、帝国の見張り船から数を隠さない。タヴェラ二隻は救助用の平底船を曳き、レウカ巡回船は白い救難旗を上げた。


 ダリオの案内船と、兵を分乗させたドレカの小舟二隻だけが、灯を消して海蝕洞へ入る。テッサは小舟へ乗り移り、彼女の高速船を含むドレカ主力五隻は、ほかの六隻と港外に残った。


 ダリオの案内船が先頭だった。


「遅い」


 後ろからテッサの声がする。


「岩へぶつけたいなら先に行け」


「私ならもう港内だ」


「出口で帝国兵に挨拶してるだろうな」


 裏水路へ入ると、言葉を止めた。


 長竿が泥底を押す音だけが続く。引き潮は予定どおりだが、二隻の小舟には乗り込む兵を詰めてある。岩へ寄るたび、船底が低く擦れた。


 荷揚げ場から、小石が二度落ちる。


 進め。


 ダリオは手を上げ、三隻を一隻ずつ港内へ入れた。


 造船所は暗い。巻き上げ機の上にもアマルタ旗はない。


 まだ蜂起は始まっていなかった。


「時刻は過ぎてる」


 テッサが囁く。


「鐘か旗が出るまで待つ」


「見つかるぞ」


「中が動かないまま出れば、見つかるだけじゃ済まない」


 三隻を船台の影へ寄せる。


 帝国兵の灯が近づいた。


 灯は一度止まり、船台の間を照らした。引き上げ途中の船殻が影を落とし、ドレカ船の低い船腹を隠している。


 誰かが小舟の中でくしゃみをこらえた。三百人を逃がした夜と違い、今度は武装した船員が何十人もいる。一人が動けば、船列全部が見つかる。


 予定時刻を過ぎても鐘が鳴らないのは、西塔の交代が遅れたのか、ルシオ側が発見されたのか。外の十一隻も、合図なしでは動けない。


 ダリオは待った。


 危険を感じて動くことより、味方が動く時刻まで動かないことのほうが難しかった。


     *


 見回りは三人だった。


 荷揚げ場に人影を見つけ、一人が角笛に手をかける。


 ドレカ船員が背後から飛びつき、口を塞いだ。残る二人も短い争いで押さえる。


「殺すな。縛って船へ」


 ダリオが命じる。


 そのとき、造船所の奥から鐘が一度鳴った。


 仕事を止める合図。


 槌音が消え、港中が一瞬静かになる。


 二度目の鐘。


 見張り塔の上で叫び声が起きた。ルシオ配下の警備兵が帝国兵へ襲いかかり、西塔の窓からアマルタ旗が出る。


「上陸!」


 ダリオが腕を振った。


 ドレカ船員たちが船台へ走る。造船所の職人は巻き上げ機に砂と鉄片を噛ませ、帝国兵が鎖を上げ直せないよう歯車を止めた。


 港の漁船が一斉に岸を離れる。帝国兵が火壺を投げようとすると、濡れた網をかぶせ、松明を海へ叩き落とした。


 三度目の鐘が鳴る。


 鎖を下ろす合図だ。


 だが鎖は動かなかった。


 帝国兵が巻き上げ機へ駆けつけ、職人を殴って歯車から引き離そうとする。職人たちは武器を持たず、長い梃子棒で歯車を押さえ続けた。


 ドレカ船員が帝国兵の横へ入り、盾で壁へ押しつける。狭い作業場では剣を振るえず、槌と梃子と盾の争いになった。


 一人の職人が腕を斬られて倒れた。それでも、隣の者が同じ梃子を受け取る。


「東塔だ!」


 巻き上げ機の職人が叫ぶ。


「向こうが鎖を固定してる!」


 西側だけを緩めても、鎖が東塔側で固定されたままなら、水面に残る。


 テッサが部下を集める。


「東塔へ行く!」


「正面階段は帝国兵が固めてる。水側から回れ!」


 ドレカの小舟二隻が、港壁の影を伝って東塔へ向かった。


 ダリオは移送船へ走る。


     *


 新たな移送名簿へ加えられた家族は、船倉へ閉じ込められていた。


 帝国兵が二人、扉の前で剣を抜く。ダリオとアマルタの警備兵が盾で押し込み、狭い甲板で武器を落とさせた。


「鍵は!」


「指揮官が持っていった!」


 扉の向こうから、子供の泣き声がする。


 船大工が斧を持ってきた。


「蝶番を壊せ!」


 港の反対側で、帝国指揮官の一団が軍用埠頭へ走っている。小型艇へ乗れば、港外の船へ逃げられる。


「ダリオ、追えば捕らえられる!」


 警備兵が言った。


 指揮官を取れば、港内の帝国兵へ降伏を命じさせられるかもしれない。


 扉の内側で、何かが倒れる音がした。


「追うな。船倉を開けろ!」


 斧が蝶番へ振り下ろされる。


 一度、二度。厚い扉が外れた。


 暗い船倉から、家族が順に出てくる。拘束された職人と、アマルタ側の捕虜もいる。水も十分に与えられず、立てない者が何人もいた。


「タヴェラの平底船へ運べ! 歩ける者は子供を一人ずつ抱け!」


 船倉の奥には、帝国側に拘束されたアマルタ警備兵もいた。家族を先に出すと聞き、不満を言う者はいない。自力で立てる捕虜は担架を持ち、動けない老人を運んだ。


 甲板へ出た子供が、戦闘の音に驚いて母親から離れた。ダリオは抱き上げ、救助列の先頭へ渡す。


「家族の名を確認しろ! 船へ乗せた人数を、リヴィアの名簿にある人数と照らし合わせろ!」


 救出の混乱で一人でも取り残せば、港を取っても意味がない。レウカの書記と救難員が、船倉から出る者を一人ずつ記録した。


 救助の列を作る間に、帝国指揮官の艇は港外へ逃げた。


 代わりに、船倉の全員が生きて岸へ上がった。


     *


 造船所倉庫の錠も破られた。


 中から出てきたサビーナの手首には、縄の跡が残っていた。


「遅い!」


 ダリオの顔を見るなり怒鳴る。


「親方なら、自分で出ると思ってた」


「扉の外に帝国兵が六人いたんだよ。五人までなら出た」


「けがは」


「腹が減った」


 サビーナはそれだけ言い、港を見た。


 東塔ではまだ戦いが続き、鎖は上がったまま。接収されたアマルタ艦五隻のうち一隻へ、帝国兵が乗り込んで出航準備をしている。


「あたしの元の乗員はどこだい」


「自宅待機を破って、船台に集まってる」


「なら、あの船へ乗せな」


「救出されたばかりだぞ」


「だから腹が立ってる。櫂を漕ぐにはちょうどいい」


 サビーナは係留索を渡り、アマルタの中型ガレー船へ乗り込んだ。


「帝国兵に、水へ飛び込む時間をやれ! 残ったら縛れ! 船底と舵を確認しろ!」


 命令が飛ぶと、集まった乗員が迷わず動いた。


 ダリオが七年かけて学んだ声だった。


     *


 ダリオが港口を振り返ると、東塔の窓からドレカの船員が姿を見せた。


 固定具が外される。


 港鎖が水面へ落ちた。


 外で待っていた十一隻が、一斉に帆と櫂を動かす。先頭はイスカラ船、その左右をタヴェラとドレカが守り、レウカ巡回船は救難用の間隔を空けて続いた。


 三つの共通布が、港口から後方へ順に上がる。先日の初陣では届かなかった停船と集合の合図が、今度は各都市の信号役によって同じ時刻に繰り返された。


 イスカラ船は港外の帝国船へ船首を向け、突入を遅らせる。タヴェラ船は移送船の横へ平底船をつけ、救出された家族を受け入れる。ドレカ船は狭い船間を抜け、接収艦の舵と係留索を取り戻した。


 帝国が港内で徴用した武装荷船が進路を塞ぐ。方面遠征四十隻の一隻ではなく、アマルタの荷船へ帝国兵を乗せたものだった。


 サビーナのアマルタ艦が正面へ出た。


「衝角を向けるな! 櫂を折って動きを止めろ!」


 アマルタ艦は徴用荷船の横へ寄り、鉤縄で船首を引いた。港内では速力を出せず、荷船は向きを変えられない。


 外から入ったドレカ船が船尾へ回り、舵索を切る。


 帝国兵は港壁へ逃げるか、武器を捨てた。


 徴用荷船から帝国兵が火壺を造船所へ投げた。待機していた漁船が火の落ちた場所へ集まり、水桶と濡れ帆布をかぶせる。追撃へ加わらず火を消す役を残したことで、乾いた材木へ燃え広がる前に抑えられた。


 港外では、帝国の軽ガレー二隻が鎖の切れ目へ入ろうとした。イスカラ船が衝角を正面へ向け、タヴェラ船が横から矢を射る。沈めはしなかったが、夜明けまで港内へ入れなかった。


 味方も無傷ではない。東塔の戦いでドレカ船員とアマルタ警備兵が倒れ、巻き上げ機の職人にも負傷者が出た。レウカ巡回船は敵味方を分けず、水へ落ちた者を拾い続けた。


 一隻目に続き、残る四隻のアマルタ艦でも市側の乗員が帝国兵を下ろす。造船所の職人は接収印の上へ布を張り、自分たちの旗を戻した。


 夜明け前、アマルタの中型ガレー船五隻はすべて奪還された。


 港鎖は開き、移送船の家族も救出された。


 市民の蜂起と五都市船団は、同じ時刻に一つの港を取り戻した。


 歓声より先に、負傷者の名前と損傷した船の一覧が作られた。今夜の勝利を、朝の決戦へ持ち越せる形にしなければならない。


     *


 ルシオは、港の石段で五都市の代表を迎えた。


「アマルタ艦五隻を、暫定評議会の共同作戦へ差し出す」


 艦の所有権まで渡すのではない。共同防衛の間、五都市の作戦に従わせるという宣言だった。


 サビーナは奪還した一隻の甲板から降りず、腕を組んで話を聞いている。捕虜だった数刻前より、艦長の位置のほうが自然に見えた。


「親方も共同命令に従うのか」


「命令がまともならね」


「まともじゃなければ?」


「海の上で怒鳴る」


「それが困るから権限を決めるんだ」


「少しは学んだじゃないか」


「現場指揮を、ダリオへ頼みたい」


 ルシオが言う。


「また一人へ預けるのか」


 ダリオは尋ねた。


「正式な権限は評議会で決める。いまは次の敵へ備える時間がない」


 命令権と、命令を拒める条件を揃えた文書は、まだない。


「それでも、作戦ごとの指揮は引き受ける」


 港外の見張り塔から、警鐘が鳴った。


 逃げた帝国指揮官の艇が、東から戻るカシアンの旗艦を含む本隊と合流している。


「帝国艦隊の残り、東から接近! 封鎖隊と合流すれば、夜明けには四十隻がアマルタ沖へ揃う!」


 五都市の戦闘艦は、ついに十六隻揃った。


 共通の指揮権を決める前に、封鎖隊と東から戻る本隊が、四十隻の艦隊として再集結する。


 ダリオは、開いたばかりの港口を見た。


 取り戻した母港が、次の朝には決戦場になる。


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