20_鎖された母港
アマルタ港の鎖は、外から切れない。
港口の両側に石造りの塔があり、海底へ沈めた太い鎖を巻き上げる。上がった鎖へ船首をぶつければ、衝角より先に竜骨が折れる。
塔には帝国兵。鎖の内側には、接収されたアマルタの中型ガレー船五隻。港外には、カシアンがアマルタ封鎖へ分派した主力艦。
正面から攻めれば、港へ入る前に沈む。
ダリオはイスカラの会議室で、アマルタ港の略図を睨んでいた。
「ドレカ船なら、鎖を飛び越せないか」
エンリオが言う。
「船は魚じゃない」
テッサが返す。
「夜に近づいて、塔へ乗り込む」
「港外の帝国船に背を向けることになる」
ニコラが損失を書き出した。
「塔を一つ取るまでに、こちらの小型船を何隻失う」
「やる前から値段をつけるな」
「値段をつけずに失えば、次の決戦で船が足りなくなる」
五都市が揃っても、アマルタの五隻を失ったままでは戦闘艦が足りない。
外にいる戦闘艦は十一隻。タヴェラ二、ドレカ五、レウカ一、イスカラ三。正面の帝国艦はその倍以上で、さらに港内のアマルタ艦を盾にできる。
ドレカの五隻目は、塩船を奪還した際に拿捕し、島で櫂と舵を直した帝国沿岸警備船だった。
「イスカラ船は港外で帝国主力を牽制する」
ニコラが言う。
「牽制だけで交戦は避けたい。参加直後に三隻すべてを失うわけにはいかない」
「ドレカ五隻は裏水路へ入る」
テッサが続ける。
「五隻全部は通れない」
「人を入れて戻る。鎖が開いたら正面へ回る」
エンリオはタヴェラ船を救助と輸送へ置くと主張した。港内の家族を乗せる船が必要で、負傷者を戦闘艦へ積めば動きが鈍る。
レウカ巡回船は、戦闘線の外で双方の漂流者を救う。共同防衛へ参加しても、救難の条件は変えない。
五都市は、同じ作戦へ出ても役割まで同じではなかった。
机の端には、アマルタから届いた通告の写しがある。
逃亡後に新たな名簿へ加えられた補助職人と、逃亡を手伝った者の家族を三日後に出航させる。造船所の資材と工具は帝国軍の管理下。都市艦の乗員は武装解除され、自宅待機。
「三日後を待てない」
ダリオが言う。
「今夜は早すぎる。港内と連絡が取れていない」
リヴィアが答える。
「明日の夜までに、中から鎖を動かす者を作る。外から塔を取るんじゃない」
「どうやって入る」
ダリオは港の正面ではなく、造船所裏へ指を置いた。
「職人家族を逃がした海蝕洞と、荷揚げ用の裏水路だ。引き潮なら小舟が通れる。帝国艦は入れない」
「内側の見張りは」
「港湾労働者が、まだ荷揚げに使っている。完全に塞げば造船所の物資も動かせない」
テッサが略図を引き寄せた。
「五隻で入れるか」
「一度には無理だ。小舟で人を入れ、鎖を下ろす。開いたら外の船団が入る」
「内側が協力しなければ、入った者だけ捕まる」
「だから連絡を取る」
*
その夕方、アマルタの漁船がもう一隻イスカラへ着いた。
魚籠の底に、ルシオの封印が押された薄い板が隠されている。
表には、帝国総督へ従い、市民へ抵抗しないよう命じる布告の写し。
裏には、小さく時刻と場所が刻まれていた。
造船所の職人が巻き上げ機を止める。港の漁師が帝国兵の火壺と松明を水へ落とす。ルシオ配下の警備兵が、港口西塔の見張りを交代時に制圧する。
決行は翌日の深夜。
「表では帝国に従うふりをしてる」
漁船長が言った。
「総督は、ルシオが市民を抑えていると思ってる。港の者へは、同じ時刻に仕事を止めろと伝えてある」
「サビーナは」
ダリオは尋ねた。
「まだ造船所の倉庫へ拘束されてる。帝国は南航路の水路を聞き出そうとしてる」
「拷問されたのか」
「カシアン提督が禁じた。兵が脅そうとしたら、提督の命令書を見せて追い出したそうだ」
「なぜそこまで知ってる」
「親方が、見張りの前で大声で話すからだ。『南に安全な航路なんてない。ドレカ人は船を担いで岩を歩く』ってな」
テッサが鼻を鳴らした。
「今度会ったら、本当に担がせる」
サビーナは知らないふりを続けている。カシアンは拷問を禁じる一方、釈放期限を示していない。彼女を壊さず、戦争が終わるまで利用できないようにする拘束だった。
「親方から、ほかに何か聞いたか」
「『弟子へ、船底の栓を二度見ろと言え』だと」
「それだけ?」
「見張りへは意味が分からなかった」
ダリオには分かった。サビーナは出航前、危険な計画ほど船そのものの確認を忘れるなと繰り返していた。助けに来るなとも、急げとも言わず、船乗りとしてやるべきことだけを伝えたのだ。
「親方も救出対象に入れる」
ダリオは決めた。
「移送船の家族が先だ」
リヴィアが確認する。
「分かってる」
*
ダリオはその夜、案内船一隻で海蝕洞へ向かった。
帝国の哨戒線を避け、崖の影へ入る。洞窟の奥から、引き潮でだけ開く細い流れへ船首を向けた。
水面すれすれの岩へ帆柱が触れそうになる。帆を畳み、長竿で船を押した。
途中の岩棚には、帝国兵の手持ち灯が動いていた。裏水路まで見張りを広げたらしい。
ダリオは長竿を止め、案内船を岩陰へ寄せた。潮が船底を擦り、少しずつ見張りの下へ流していく。帆を上げれば見つかる。櫂を使えば音が響く。
案内船がわずかに岩から離れた。水路の奥から海へ抜ける細い流れ。正確な幅は見えないが、船を岩から離す力がある。
測鉛を手で静かに落とす。船底の余裕を確かめ、綱を短く取った。
見張りの灯が背を向けた瞬間、船員二人が長竿で一度だけ底を押す。案内船は流れへ乗り、音を立てず暗がりを抜けた。
港内へ出る直前、荷揚げ場の影から小石が二度落ちた。味方の合図だ。三度なら危険。二度なら進め。職人家族を逃がした夜に決めた簡単な合図が、まだ生きていた。
造船所裏の荷揚げ場へ出ると、灯は消えていた。
待っていた港湾労働者が、ダリオを古い帆布倉へ案内する。
中にルシオがいた。
「監視下じゃなかったのか」
「総督は、私が夜まで帳簿を確認していると思っている」
「嘘がうまくなったな」
「七年前から変わらない」
互いに笑わなかった。
机には港内の兵配置、鎖塔の交代、移送船の場所が描かれている。
「市民へ蜂起を命じたのか」
「命じてはいない。帝国へ従うか、港を取り戻すかを、職人、漁師、警備兵の集まりごとに選ばせた」
「断った者は」
「家へ戻した。帝国へ知らせる危険はあるが、戦わせるため家族を人質にはできない」
父を差し出した男の言葉だった。
「どれだけ残った」
「巻き上げ機の職人はほぼ全員。漁船も動く。警備兵は半分だ」
「十分じゃない」
「十分なときは来ない」
ルシオは七年前と同じ現実を見ている。違うのは、不完全な戦力を一人の指揮官へ押しつけず、自分も中で危険を負うことだった。
「西塔は私の警備兵が取る。東塔は帝国兵が多い。西の巻き上げ機を解放し、造船所側から鎖を緩める」
「鎖が半分下がれば、小型船は入れる。ドレカ船で東塔の裏へ回る」
「帝国側は、港で火を使う」
「漁船に水桶と濡れ帆布を積ませる。戦う者より、火を消す者を多く置け」
「移送船を先に開ければ、帝国指揮官が逃げる」
「逃がせ。家族が先だ」
ルシオは一瞬だけ黙り、地図の順番を書き換えた。
「帝国指揮官を逃がせば、港外の艦へ戻って反撃を命じる」
「家族を閉じ込めたまま指揮官を追えば、帝国兵が船へ火をつけるかもしれない」
「両方は取れない」
「だから救出を取る。戦うために港を取り戻すんじゃない。人を守るために戦う」
ルシオは、移送船、鎖塔、造船所、都市艦の順に印をつけた。
「市民側の合図は鐘一度で作業停止、二度で見張り塔制圧、三度で港鎖を下ろす。外の船団と同じ信号灯も用意する」
「帝国兵が鐘を鳴らしたら?」
「巻き上げ機の上へ、アマルタ旗を出す。それが見えなければ、外から入るな」
突入と中止の条件まで決めた。勢いだけで市民を蜂起させれば、外の船団が遅れたとき全員が処刑される。
「七年前、私は一人を差し出して都市を残した」
「知ってる」
「今度は都市を戦場にして、捕らわれた者を先に救う。失敗すれば、今度こそアマルタが焼ける」
「決めたのはあんただけじゃない」
ダリオは外から入る船の線を地図へ重ねた。
「五都市が船を出す。俺が入れる。失敗した責任を、一人に押しつけるな」
「お前の父にも、その言葉を言える者がいればよかった」
「父の話で決めるんじゃない。明日の船と人の話だ」
ルシオはうなずいた。
二人は同じ作戦書へ署名した。
ルシオが市内、ダリオが海上。どちらかの遅れで損害が出ても、相手だけの責任にはしない。作戦書の末尾へ、二人の判断として記録する一文を加えた。
父を差し出した男と、父を救えなかった息子が、初めて同じ危険へ自分の名を置いた。
*
夜明け前、ダリオは裏水路から海へ戻った。
港内では、帝国兵が何も知らず見張りを交代している。鎖は高く上がり、五隻のアマルタ艦が帝国旗の影に並んでいた。
次の夜、その鎖を内側から下ろす。
五都市が初めて、同じ時刻に動く作戦だった。




