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海峡の旗 ―潮と暗礁で帝国艦隊を破る―  作者: 八夜巡


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18/28

18_偽りの海賊旗

 穀物船が岸壁へ着く前に、イスカラでは報復の声が上がった。


「ドレカ船を港から出すな!」


「乗員を拘束しろ!」


 負傷した水夫を運ぶ担架の周りへ、市民と港湾労働者が集まっている。ドレカの高速船にはイスカラ衛兵が並び、乗員へ下船しないよう命じていた。


 テッサは命令を無視して渡し板へ足をかけた。


「襲った船を見つけてくる」


「港を出れば、逃げたと見なされる」


 ダリオが前へ立つ。


「私の旗で人を襲ったやつがいる。座って待てるか」


「単独で出れば、今度は本当に契約違反だ」


「イスカラの裁定を待てば、ドレカがやったことにされる!」


 テッサの背後で、若い船員たちが武器へ手をかけた。衛兵も槍を構える。


 ここで一人が血を流せば、四都市共同防衛は敵の攻撃を待たず崩れる。


「俺は、テッサの命令じゃないと考えている」


 ダリオは、周囲へ聞こえる声で言った。


 イスカラ市民の怒号が強くなる。


「身内をかばうのか!」


「証拠を調べると言ってる。ドレカ船なら、契約どおり捕らえる。違うなら、真犯人を捕らえる」


「なぜ違うと思う!」


 負傷した穀物船長が担架から叫んだ。


「襲撃の時刻、テッサの四隻はイスカラ港内にいた。残る氏族船も、塩船を護送していた記録がある。旗だけなら、倉庫で買った布にも描ける」


「ほかのドレカ船かもしれない!」


「だから調べる。俺がテッサを信じることと、イスカラが証拠を求めることは別だ」


 ダリオはテッサへ向いた。


「君の船と乗員の記録も全部出してもらう」


「疑ってないと言いながら?」


「疑ってないから、隠す必要もないだろ」


 テッサは歯を食いしばったが、反論しなかった。


 ニコラ・ゼーノが人垣を分けてきた。


「調査をダリオ一人に任せれば、結論を先に決めたと疑われる」


「だから、あなたとリヴィアに帳簿を任せる。俺とテッサは船を見る」


「テッサ本人を調査へ加えるのか」


「ドレカ船の違いを一番知ってる。物証を隠したら、リヴィアの記録とあなたの帳簿で分かる」


 ニコラはテッサを見た。


「調査中、ドレカ船は港を出ない。乗員も武器を預ける。それを受けるなら始めよう」


 テッサはしばらく黙り、腰の短剣を鞘ごとダリオへ投げた。


「一日だ。それで見つからなければ、自分で探す」


     *


 襲われた穀物船は、左舷の帆と舵索を切られていた。


 船腹に刺さった矢は多いが、喫水線より下の穴はない。沈める気はなく、逃げられない程度に傷つけた攻撃だった。


 ダリオは甲板の傷を測り、襲撃船の位置を推定した。


「三隻。左右から挟んで、船尾へ一隻回ってる」


「ドレカのやり方に似せてる」


 テッサが折れた矢を拾う。


「だが、間が広すぎる。うちの高速船なら、もっと船腹へ寄って帆綱を取る」


 生き残った水夫は、襲撃船の櫂が一斉に上がった場面を覚えていた。


「太鼓で漕いでいた」


 水夫は言った。


「ドレカの船なら笛じゃないのか」


「氏族ごとに違う。でも、太鼓を使う高速船はない」


 テッサが答える。


「太鼓の間隔は?」


 ダリオが木槌を渡すと、水夫は覚えている拍子を打った。重く、一定。高速小型船の短い櫂ではなく、幅広い商船を動かす長い拍子だった。


 リヴィアが証言どおり櫂の間隔を板へ印す。


「ドレカの小型ガレーより、櫂座の間が広い」


「商船をあとから武装した船だ」


 ダリオは言った。


 船腹に残った黒い付着物も、ドレカの浅い塩水港でつくものとは違った。深い港の杭や石壁へ長く係留した船につく貝殻と油汚れだ。


 リヴィアは付着物を布へ取り、採取位置と時刻を書いた。テッサの船からも比較用を採る。ドレカ船の底には白い塩の固まりと、浅瀬の砂で削れた跡がある。


「違いを説明するだけでは足りない。あとで別の船の物だと言わせないために、船主とイスカラ衛兵にも立ち会ってもらう」


 怒る群衆の前で結論を急がず、物一つごとに証人を増やす。その遅さが、いまはテッサの船を守っていた。


 切られた舵索の上には、襲撃船から投げられた鉤縄が一本残っていた。


 テッサが縄を撫でる。


「撚りが逆だ。ドレカでは、この太さの縄を作らない」


「イスカラの倉庫印がある」


 縄の端へ、小さな荷印が焼きつけられていた。


 何より不自然なのは、積荷だった。


 襲撃船は穀物袋を数袋だけ海へ捨て、船倉の大半を残していた。船長の銀貨も、保険証書も、交換価値の高い染料も奪っていない。


「ドレカ船なら?」


 ダリオが尋ねる。


「襲うと決めたなら、軽くて高いものから取る。穀物を海へ捨てて、染料を残す馬鹿はいない」


 ドレカ旗で襲ったという事実を、生存者に持ち帰らせることだった。


 船倉には、襲撃直前に積み替えた形跡もあった。高価な染料箱だけが床へ固定され、穀物袋は崩れやすいまま積まれている。襲撃者は、捨てても損の少ない袋を最初から選べるようにしていた。


「船の中にも協力者がいた」


 ダリオが言う。


 船長の顔が青ざめた。自分の乗員か荷主の誰かが、襲撃計画へ加わっている。


 偽旗だけでなく、船の積み方から仕組まれていた。


     *


 リヴィアは保険組合の閲覧室で、襲われた穀物船の保険証書を開いた。


 ニコラが向かいで帳簿をめくる。


 襲われた穀物船は、出航直前に保険に掛け直されていた。船体も積荷も、市場相場を上回る額で査定されている。


 保険証書には、船が戻らなかった場合、荷主へ支払われる額と、組合が代わりに取得する権利が並んでいる。普通なら損失を埋めるための仕組みだ。今回は、失った以上の銀貨が戻るよう価値が書き換えられていた。


「査定したのは、組合の人間ね」


「私と同じ会議へ出る者だ」


 ニコラの声は変わらない。だが頁をめくる指が速くなった。


「組合全体が関与している?」


「まだ言えない。査定署名は二人。承認印は通常の手続きで押されている。危険海域なら保険料が高いこと自体は不自然ではない。だが、ここで市場相場を上回っているのは、船体と積荷の査定額だ」


 リヴィアは、ニコラが仲間をかばっているとは思わなかった。自分が帝国報告の意図を断定しなかったのと同じように、証書から言える範囲を分けている。


「損をするどころか、沈めば利益が出る」


 リヴィアが言う。


「保険だけではない」


 ニコラは別の欄を示した。


「積荷を保管する倉庫の使用権が、襲撃前日に移っている。船が戻らなければ、違約条項でこの商人たちが倉庫を取得する」


「保険金と倉庫の両方を得る?」


「それだけなら詐欺だ。だが、ドレカへの報復と帝国保護を求める署名にも、同じ名が並んでいる」


 倉庫権の移動には、襲撃の二日前に作られた別契約がついていた。穀物船が期日までに戻らなければ、保管場所を失った荷主の債務を肩代わりする代わり、港奥の倉庫二棟を取得する。


「船が沈めば、保険金。戻らなければ、倉庫。戻って襲撃を証言すれば、ドレカへの開戦理由」


 リヴィアは三つを指で追った。


「どの結果でも利益が出る」


「完全に沈めなかった理由も、それだ。生存者がドレカ旗を見たと言わなければ、政治的な利益は出ない」


 ニコラは一度だけ表情を固くした。それでも怒りで帳簿を閉じず、署名、印、権利移転の時刻を一つずつ写した。


 帳簿からは、帝国派商人たちが自分たちの貨物を襲わせ、ドレカを敵にし、四都市の契約を壊し、イスカラを帝国保護下へ入れようとした筋書きが見える。


「証書だけでは、襲撃船を雇った証明にならない」


 リヴィアは言った。


「分かっている。だから船を探す」


 ニコラは倉庫使用権の記録を追った。


 新しい権利者が、港奥の修理船溜まりを借りている。そこに係留されている一隻は、登録上、外海商船だ。船体改装の申請はない。


「ダリオへ知らせる」


 二人が閲覧室を出たとき、港奥から警鐘が鳴った。


     *


 ダリオたちが駆けつけた修理船溜まりで、一隻の商船が沈み始めていた。


 係留索は切られ、船底の栓が抜かれている。甲板では男たちが帆を上げ、沈む前に深い港口へ出そうとしていた。


 船倉の隙間から、ドレカ旗が見える。


「証拠船だ!」


 テッサが叫んだ。


 ダリオとテッサは、近くの小舟へ飛び乗った。港衛兵が別の船で追う。


 証拠船は水を入れながらも、追い風を帆に受けて進んだ。外海へ逃げるのではない。港の最も深い場所で沈め、船体を引き上げられなくするつもりだ。


 船尾はすでに目に見えて沈み込んでいる。船倉へ入った水を汲み出す動きもない。栓を抜いたまま、帆が利く間だけ走らせている。


 深みへ着いたら帆を落とし、乗員だけ小舟で逃げる。沈んだ船体と一緒に、偽旗、改造した櫂座、残った縄も消える。


「帆を射ろ!」


 衛兵が弓を構える。


「火矢は使うな!」


 ダリオが止めた。


「燃えたら証拠が消える!」


 テッサが櫂を取り、小舟の速力を上げる。


「右から回れ。港鎖の手前で挟む!」


「私へ命令するな!」


「いまは短剣を預かってる!」


「返したら覚えてろ!」


 小舟は証拠船の船尾へ近づいた。だが高い船腹から石が落とされ、櫂の一本が折れる。


 テッサは折れた柄を捨て、予備の櫂へ持ち替えた。


「船尾へつける。私が上がる!」


「船底の栓を先に塞がなきゃ、取っても沈む!」


「中へ入れば両方できる!」


「水を入れた船倉へ飛び込む気か!」


「ほかに案があるなら、漕ぎながら言え!」


 ダリオは証拠船の傾きを見た。水は船尾側から入り、左へ溜まっている。右舷へ人と荷を寄せれば、栓の位置を水面より上へ近づけられる。


「乗ったら全員を右へ寄せろ! 帆は落とすな、港鎖まで走らせる!」


「捕まえるんじゃなく、鎖へぶつけるのか?」


「鎖の内側なら、沈んでも引き上げられる!」


 テッサが笑った。


「やっと海賊らしい案になったな!」


「君が言うな!」


 証拠船の甲板から矢が飛んだ。


 小舟の舷側へ突き立つ。


 前方では、イスカラ衛兵が港鎖の巻き上げ機へ走っていた。


 逃げ道が閉じる前に、証拠船は自ら沈もうとしていた。


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