18_偽りの海賊旗
穀物船が岸壁へ着く前に、イスカラでは報復の声が上がった。
「ドレカ船を港から出すな!」
「乗員を拘束しろ!」
負傷した水夫を運ぶ担架の周りへ、市民と港湾労働者が集まっている。ドレカの高速船にはイスカラ衛兵が並び、乗員へ下船しないよう命じていた。
テッサは命令を無視して渡し板へ足をかけた。
「襲った船を見つけてくる」
「港を出れば、逃げたと見なされる」
ダリオが前へ立つ。
「私の旗で人を襲ったやつがいる。座って待てるか」
「単独で出れば、今度は本当に契約違反だ」
「イスカラの裁定を待てば、ドレカがやったことにされる!」
テッサの背後で、若い船員たちが武器へ手をかけた。衛兵も槍を構える。
ここで一人が血を流せば、四都市共同防衛は敵の攻撃を待たず崩れる。
「俺は、テッサの命令じゃないと考えている」
ダリオは、周囲へ聞こえる声で言った。
イスカラ市民の怒号が強くなる。
「身内をかばうのか!」
「証拠を調べると言ってる。ドレカ船なら、契約どおり捕らえる。違うなら、真犯人を捕らえる」
「なぜ違うと思う!」
負傷した穀物船長が担架から叫んだ。
「襲撃の時刻、テッサの四隻はイスカラ港内にいた。残る氏族船も、塩船を護送していた記録がある。旗だけなら、倉庫で買った布にも描ける」
「ほかのドレカ船かもしれない!」
「だから調べる。俺がテッサを信じることと、イスカラが証拠を求めることは別だ」
ダリオはテッサへ向いた。
「君の船と乗員の記録も全部出してもらう」
「疑ってないと言いながら?」
「疑ってないから、隠す必要もないだろ」
テッサは歯を食いしばったが、反論しなかった。
ニコラ・ゼーノが人垣を分けてきた。
「調査をダリオ一人に任せれば、結論を先に決めたと疑われる」
「だから、あなたとリヴィアに帳簿を任せる。俺とテッサは船を見る」
「テッサ本人を調査へ加えるのか」
「ドレカ船の違いを一番知ってる。物証を隠したら、リヴィアの記録とあなたの帳簿で分かる」
ニコラはテッサを見た。
「調査中、ドレカ船は港を出ない。乗員も武器を預ける。それを受けるなら始めよう」
テッサはしばらく黙り、腰の短剣を鞘ごとダリオへ投げた。
「一日だ。それで見つからなければ、自分で探す」
*
襲われた穀物船は、左舷の帆と舵索を切られていた。
船腹に刺さった矢は多いが、喫水線より下の穴はない。沈める気はなく、逃げられない程度に傷つけた攻撃だった。
ダリオは甲板の傷を測り、襲撃船の位置を推定した。
「三隻。左右から挟んで、船尾へ一隻回ってる」
「ドレカのやり方に似せてる」
テッサが折れた矢を拾う。
「だが、間が広すぎる。うちの高速船なら、もっと船腹へ寄って帆綱を取る」
生き残った水夫は、襲撃船の櫂が一斉に上がった場面を覚えていた。
「太鼓で漕いでいた」
水夫は言った。
「ドレカの船なら笛じゃないのか」
「氏族ごとに違う。でも、太鼓を使う高速船はない」
テッサが答える。
「太鼓の間隔は?」
ダリオが木槌を渡すと、水夫は覚えている拍子を打った。重く、一定。高速小型船の短い櫂ではなく、幅広い商船を動かす長い拍子だった。
リヴィアが証言どおり櫂の間隔を板へ印す。
「ドレカの小型ガレーより、櫂座の間が広い」
「商船をあとから武装した船だ」
ダリオは言った。
船腹に残った黒い付着物も、ドレカの浅い塩水港でつくものとは違った。深い港の杭や石壁へ長く係留した船につく貝殻と油汚れだ。
リヴィアは付着物を布へ取り、採取位置と時刻を書いた。テッサの船からも比較用を採る。ドレカ船の底には白い塩の固まりと、浅瀬の砂で削れた跡がある。
「違いを説明するだけでは足りない。あとで別の船の物だと言わせないために、船主とイスカラ衛兵にも立ち会ってもらう」
怒る群衆の前で結論を急がず、物一つごとに証人を増やす。その遅さが、いまはテッサの船を守っていた。
切られた舵索の上には、襲撃船から投げられた鉤縄が一本残っていた。
テッサが縄を撫でる。
「撚りが逆だ。ドレカでは、この太さの縄を作らない」
「イスカラの倉庫印がある」
縄の端へ、小さな荷印が焼きつけられていた。
何より不自然なのは、積荷だった。
襲撃船は穀物袋を数袋だけ海へ捨て、船倉の大半を残していた。船長の銀貨も、保険証書も、交換価値の高い染料も奪っていない。
「ドレカ船なら?」
ダリオが尋ねる。
「襲うと決めたなら、軽くて高いものから取る。穀物を海へ捨てて、染料を残す馬鹿はいない」
ドレカ旗で襲ったという事実を、生存者に持ち帰らせることだった。
船倉には、襲撃直前に積み替えた形跡もあった。高価な染料箱だけが床へ固定され、穀物袋は崩れやすいまま積まれている。襲撃者は、捨てても損の少ない袋を最初から選べるようにしていた。
「船の中にも協力者がいた」
ダリオが言う。
船長の顔が青ざめた。自分の乗員か荷主の誰かが、襲撃計画へ加わっている。
偽旗だけでなく、船の積み方から仕組まれていた。
*
リヴィアは保険組合の閲覧室で、襲われた穀物船の保険証書を開いた。
ニコラが向かいで帳簿をめくる。
襲われた穀物船は、出航直前に保険に掛け直されていた。船体も積荷も、市場相場を上回る額で査定されている。
保険証書には、船が戻らなかった場合、荷主へ支払われる額と、組合が代わりに取得する権利が並んでいる。普通なら損失を埋めるための仕組みだ。今回は、失った以上の銀貨が戻るよう価値が書き換えられていた。
「査定したのは、組合の人間ね」
「私と同じ会議へ出る者だ」
ニコラの声は変わらない。だが頁をめくる指が速くなった。
「組合全体が関与している?」
「まだ言えない。査定署名は二人。承認印は通常の手続きで押されている。危険海域なら保険料が高いこと自体は不自然ではない。だが、ここで市場相場を上回っているのは、船体と積荷の査定額だ」
リヴィアは、ニコラが仲間をかばっているとは思わなかった。自分が帝国報告の意図を断定しなかったのと同じように、証書から言える範囲を分けている。
「損をするどころか、沈めば利益が出る」
リヴィアが言う。
「保険だけではない」
ニコラは別の欄を示した。
「積荷を保管する倉庫の使用権が、襲撃前日に移っている。船が戻らなければ、違約条項でこの商人たちが倉庫を取得する」
「保険金と倉庫の両方を得る?」
「それだけなら詐欺だ。だが、ドレカへの報復と帝国保護を求める署名にも、同じ名が並んでいる」
倉庫権の移動には、襲撃の二日前に作られた別契約がついていた。穀物船が期日までに戻らなければ、保管場所を失った荷主の債務を肩代わりする代わり、港奥の倉庫二棟を取得する。
「船が沈めば、保険金。戻らなければ、倉庫。戻って襲撃を証言すれば、ドレカへの開戦理由」
リヴィアは三つを指で追った。
「どの結果でも利益が出る」
「完全に沈めなかった理由も、それだ。生存者がドレカ旗を見たと言わなければ、政治的な利益は出ない」
ニコラは一度だけ表情を固くした。それでも怒りで帳簿を閉じず、署名、印、権利移転の時刻を一つずつ写した。
帳簿からは、帝国派商人たちが自分たちの貨物を襲わせ、ドレカを敵にし、四都市の契約を壊し、イスカラを帝国保護下へ入れようとした筋書きが見える。
「証書だけでは、襲撃船を雇った証明にならない」
リヴィアは言った。
「分かっている。だから船を探す」
ニコラは倉庫使用権の記録を追った。
新しい権利者が、港奥の修理船溜まりを借りている。そこに係留されている一隻は、登録上、外海商船だ。船体改装の申請はない。
「ダリオへ知らせる」
二人が閲覧室を出たとき、港奥から警鐘が鳴った。
*
ダリオたちが駆けつけた修理船溜まりで、一隻の商船が沈み始めていた。
係留索は切られ、船底の栓が抜かれている。甲板では男たちが帆を上げ、沈む前に深い港口へ出そうとしていた。
船倉の隙間から、ドレカ旗が見える。
「証拠船だ!」
テッサが叫んだ。
ダリオとテッサは、近くの小舟へ飛び乗った。港衛兵が別の船で追う。
証拠船は水を入れながらも、追い風を帆に受けて進んだ。外海へ逃げるのではない。港の最も深い場所で沈め、船体を引き上げられなくするつもりだ。
船尾はすでに目に見えて沈み込んでいる。船倉へ入った水を汲み出す動きもない。栓を抜いたまま、帆が利く間だけ走らせている。
深みへ着いたら帆を落とし、乗員だけ小舟で逃げる。沈んだ船体と一緒に、偽旗、改造した櫂座、残った縄も消える。
「帆を射ろ!」
衛兵が弓を構える。
「火矢は使うな!」
ダリオが止めた。
「燃えたら証拠が消える!」
テッサが櫂を取り、小舟の速力を上げる。
「右から回れ。港鎖の手前で挟む!」
「私へ命令するな!」
「いまは短剣を預かってる!」
「返したら覚えてろ!」
小舟は証拠船の船尾へ近づいた。だが高い船腹から石が落とされ、櫂の一本が折れる。
テッサは折れた柄を捨て、予備の櫂へ持ち替えた。
「船尾へつける。私が上がる!」
「船底の栓を先に塞がなきゃ、取っても沈む!」
「中へ入れば両方できる!」
「水を入れた船倉へ飛び込む気か!」
「ほかに案があるなら、漕ぎながら言え!」
ダリオは証拠船の傾きを見た。水は船尾側から入り、左へ溜まっている。右舷へ人と荷を寄せれば、栓の位置を水面より上へ近づけられる。
「乗ったら全員を右へ寄せろ! 帆は落とすな、港鎖まで走らせる!」
「捕まえるんじゃなく、鎖へぶつけるのか?」
「鎖の内側なら、沈んでも引き上げられる!」
テッサが笑った。
「やっと海賊らしい案になったな!」
「君が言うな!」
証拠船の甲板から矢が飛んだ。
小舟の舷側へ突き立つ。
前方では、イスカラ衛兵が港鎖の巻き上げ機へ走っていた。
逃げ道が閉じる前に、証拠船は自ら沈もうとしていた。




