第2話 最弱に殺されかける
サルドの町外れ、崩れかけた石切り場の奥に、その“入口”はあった。
地面にぽっかりと浮かぶ、黒い水鏡のようなもの。
ダンジョンのポータルだ。
「ここが……サルド地下洞」
リゼの説明によれば、ここはFランク――この世界でもっとも危険度の低い、初心者用のダンジョンらしい。
「Fランクは、神授を受けたばかりの子が、最初の一歩を踏み出すための場所なんだよ。罠もないし、出てくるのも弱い魔物だけ」
「そのわりに、おまえの顔は死ぬほど心配そうだけどな」
「当たり前でしょ!」
リゼが眉を吊り上げる。
「Fランクが安全なのは、“ちゃんとレベルが上がる子”にとっての話。クロウは……その、なんていうか……」
「レベルが上がらない紙装甲、だろ。わかってるよ」
HP8、DEF3。
この世界で最弱と名高いモンスターにすら、二発も殴られれば死ぬ身体だ。
普通なら、こんな身体でダンジョンに入るのは自殺行為でしかない。
だが、俺には確かめたいことがある。
――『停滞』は、本当に俺だけの“当たりスキル”なのか。
とはいえ、その前に。
俺は、丸腰も同然の、自分の手のひらを見下ろした。
武器はない。買う金も、なかった。
攻撃の手段ひとつ持たずに潜ったら、最弱の魔物にすら、なぶり殺しにされて終わりだ。
――せめて、身を守る手段くらいは。潜る前に、用意しておかないとな。
俺は、入口の前で、ステータスを開いた。
神授のときから、ずっと気になっていたものがある。
SPの数字の、すぐ横。
そこに、小さな逆三角――▽が、ぽつんと灯っていた。
その▽に、意識を集中すると、
取得可能スキル(SP 1)──────
・風魔法 取得1
・魔力強化 取得1
・HP強化 取得1
……
────────────────────
半透明の一覧が、目の前に浮かび上がった。
「……やっぱりな」
この▽は、今の手持ちSPで取得できるスキルを、教えてくれるらしい。
前世のゲームでいう、スキル習得画面ってやつだ。
俺のSPは、たったの1。
だが、たった1でも、最初の武器を手に入れるには十分だ。
迷いはなかった。
「スキル取得――『風魔法』!」
《スキル「風魔法」を取得しました。》
スキル────────────────
風魔法 LV1
風属性の魔法を操る。
────────────────────
使い方は、覚えるまでもなく“知っていた”。
最初からそれを知っていたような、奇妙な感覚だ。
試しに、風の刃を、一度だけ宙に生み出してみる。
……よし。ちゃんと、出る。
これで、丸腰よりは、ずっとマシだ。
「……え。クロウ、今の……風魔法?」
リゼが、目を丸くしていた。
そりゃ、驚くよな。
こいつは知っている。俺が神授で授かった固有スキルが、『停滞』ただひとつだったことを。
攻撃手段なんて、何ひとつ持っていなかったはずの俺が、いきなり魔法を使ったんだ。
「これも、試したいことのひとつなんだ。……悪い。詳しいことは、あとで、ちゃんと話す」
「あ、あとでって……」
「頼む。今は、な」
俺が真剣に言うと、リゼは、腑に落ちない顔をしながらも、それ以上は問わず、ぐっと言葉を呑み込んでくれた。
「よし。……行くぞ」
「ま、待って、心の準備が」
「準備してるのは俺のほうだっての」
俺は覚悟を決めて、黒い水鏡に手を突っ込んだ。
表面に波紋が広がり、身体がずぶずぶと飲み込まれていく。
一瞬の暗転。
次の瞬間、俺はダンジョンの中に立っていた。
石積みの、薄暗い通路。
光源はないのに、自分の周りだけがぼんやりと明るい。
「ほんとに来ちゃったんだ……」
遅れて現れたリゼが、呆れ半分、感心半分といった顔でつぶやく。
その手はもう、腰の短剣に添えられていた。
いつでも俺を守れるように、だろう。
「言っておくけどな、リゼ」
「なに?」
「これから何が出ても、手を出すな」
「はぁ!? なに言ってるの!?」
「試したいことがあるって言っただろ。おまえが倒しちまったら、意味がないんだ」
「意味とか、そんなの命より大事なわけ!?」
「大事だよ」
即答した俺に、リゼが言葉を詰まらせる。
「……本気で死にそうになったら、そのときは頼む。でも、それ以外は、絶対に手を出すな」
「…………」
リゼは、しばらく俺を睨んでいたが、
「……わかった。約束する。でも、ほんとにヤバかったら、勝手に助けるからね」
「ああ。それでいい」
交渉成立だ。
我ながら、ずいぶん強気になったものだと思う。
前世の俺なら、こんなふうに誰かに“任せろ”なんて言えなかった。
通路を進むと、ほどなくして、暗がりの奥に何かが蠢いた。
ぴょこ、ぴょこ、と跳ねるふたつの影。
薄明かりの中に現れたのは、汚れた泥色の毛玉――いや、兎だ。
だが、その口からは不釣り合いに鋭い牙が覗いている。
「マッドラビットだね。Fランクの定番。二匹……」
リゼが緊張した声で言う。
最弱の魔物。
のはずなのに、俺の背中には嫌な汗が滲んでいた。
そりゃそうだ。
こっちはレベル1、HP8の紙装甲。頼れる攻撃は、さっき覚えたての、貧弱な風魔法ひとつ。
最弱だろうがなんだろうが、二発食らえば俺は死ぬ。
「さて……来るなら、来い」
俺は、震える手を、跳ねてくるマッドラビットへとかざす。
数秒、意識を集中すると、手のひらの先に、渦を巻く風の刃が生まれた。
「くらえ、ウィンドボルト!」
放たれた風の刃が、先頭のラビットに命中する。
きゅいっ、という悲鳴。
泥色の毛が舞い、薄く血が滲む。
が――倒れない。
「マジかよ、一発じゃ無理か!」
MAG16に、風魔法LV1。
我ながら、ひどい火力だ。
攻撃されたことで、ラビットの目が赤く濁った。
さっきよりも速く、まっすぐに、俺めがけて跳んでくる。
「ウィンドボルト! ウィンドボルト!」
二発、三発と撃ち込む。
そのたびにラビットの毛が削れ、動きが鈍る。
だが、決定打には至らない。
しかも――一発撃つごとに、頭の奥がすっと冷えて、MPが削れていくのがわかる。
MP15。
ウィンドボルト一発で、3。
あと、二発が限界だ。
「クロウ、後ろ!」
「わかってる!」
いつのまにか、二匹目が横に回り込んでいた。
挟まれた。
前世でさんざんやったRPGなら、ここで「囲まれた!」の表示が出るところだ。
冷静に実況してる場合か、俺。
「ウィンドボルト!」
四発目。
先頭のラビットに突き刺さる。
あと、一発。
だが、その一発を撃つ前に、横のラビットが牙を剥いて跳んだ。
――避けろ。
考えるより先に、身体が動いていた。
かくん、と膝が抜けるように、俺の身体が横に流れる。
ラビットの牙が、俺の頬をかすめて空を切った。
「うおっ……!?」
なんだ、今のは。
狙って避けたわけじゃない。
勝手に、身体が滑るように動いた。
――そうか。AGIとLUKだ。
この、無駄に高い敏捷と幸運。
紙装甲の俺に女神が残した、数少ない良心。
それが、たった今、俺の命を拾った。
「なら……いける!」
体勢を崩しながら、俺は最後のMPを振り絞る。
「ウィンドボルト!」
五発目の風刃が、先頭のラビットの眉間を撃ち抜いた。
きゅう、と力なく鳴いて、泥色の毛玉がぐしゃりと潰れる。
その身体が、砂のように崩れて消えていく。
あとには、淡く光る小さな石が残された。
それが光の粒になって、俺の手のひらに吸い込まれる。
そして――
《魔物を撃破しました。》
《経験値を得られませんでした。》
《SPを3獲得。》
「――よし!」
撃破。
紙装甲の身で、最弱とはいえ魔物を、自分の手で。
……いや、感慨にふけってる場合じゃない。
まだ、もう一匹いる。
「ウィンド……くそ、MP切れか」
最後の一匹が、俺の脇腹めがけて跳んでくる。
「――そこまで!」
だが、その牙が俺に届くことはなかった。
銀光がひらめき、二匹目のラビットが両断されて消える。
リゼの短剣だ。
「本気でヤバかったでしょ、今の。約束通り、助けたからね」
「……ああ。助かった。ありがとう」
素直に礼を言うと、リゼは一瞬きょとんとして、それから、ふっと表情を緩めた。
「素直じゃん。どうしたの、気持ち悪い」
「うるさいな」
軽口を返しながら、俺の意識は、さっきの“声”に釘付けになっていた。
《SPを3獲得。》
「……3、だと?」
俺は、頭の中でその数字を何度も転がす。
風魔法の取得に必要だったSPは、1。
なのに、マッドラビット一匹を倒しただけで、3。
この世界で最弱の魔物一匹で、取得三回分。
「経験値が……まるごとSPに、化けてる」
『停滞』の効果は、はっきりしていた。
経験値は、一切入らない。
レベルは、1のまま。
だが、その代わりに――本来得るはずだった経験値が、そっくりそのままSPに変わって、俺の懐に転がり込んでくる。
「……なあ、リゼ」
「ん?」
「なんでもない」
まだ、言うわけにはいかない。
確信が、ほしい。
でも――もし、この数字が、格上の魔物ほど膨れ上がるとしたら。
もし、レベルが上がらない俺こそが、この世界の誰よりも速くSPを積み上げられるのだとしたら。
「……とんでもない当たりを、引いたのかもな」
呪いと嗤われた俺のスキルは。
その正体を、ようやく、ほんの少しだけ、俺に見せはじめていた。
お読みいただき、ありがとうございます!
次回は【本日12時】に更新します。
面白いと思っていただけたら、ブックマーク・評価(☆☆☆☆☆)で応援いただけると嬉しいです。




