第1話 停滞せし転生者
逃げてばかりの人生だった。
その行き着いた先で、俺は死んだ。
トラックにはねられた、とか、通り魔に刺された、とか、そういう劇的な最期ですらない。
残業続きの帰り道、誰もいない駅のホームで、ただ心臓が止まった。
二十九歳。過労死という名の、逃げ場のなくなった人間の、ありふれた終わり方だ。
やりたいことから逃げ、向いてない仕事に押し込められ、それでも逃げ出す勇気だけはなくて。
気づけば、何ひとつ成し遂げないまま、俺という人間は世界から消えていた。
――だから、次に目を開けたとき、俺は本気で神を疑った。
《魂の再定着を確認しました。》
《この世界へようこそ。あなたに新たな生を授けます。》
「…………は?」
としか言えなかった、赤ん坊の俺。
それから、十五年が過ぎた。
結論から言うと、俺は異世界に「転生」したらしい。
剣と魔法。魔物とダンジョン。獣人やエルフ。
前世でさんざんラノベやゲームで見た、あのお約束の異世界だ。
辺境の宿場町サルドに生まれ落ちた俺は、宿屋の一人息子として育った。
両親は俺を本当の子として愛してくれたし、飯にも寝床にも困らなかった。
前世の記憶――とりわけ、逃げ続けた人生の記憶は、物心つく頃には既に頭の隅にこびりついていた。
だから、今度こそはと思っていた。
与えられた二度目の生では、逃げない人間になろうと。
……そう、思ってはいたんだ。
「――今日は『神授の儀』だからね。しっかりしなさいよ、クロウ」
母さんに背中を叩かれ、俺は町の中央にある女神教会へと向かう。
この世界の人間は、十五になると教会で『神授の儀』を受ける。
女神ミリアが、その者に「ステータス」と、生涯にひとつだけの「固有スキル」を授ける儀式だ。
ステータスというのは、前世のRPGそのままの、能力値の一覧だ。
HP、MP、攻撃力に魔力。そういうやつが、女神の力で数値として可視化される。
この世界の住人にとっては、それが息をするのと同じくらい当たり前の常識だった。
そして――固有スキル。
これを授かるのは十人に一人。
持たざる者は、生涯を農夫や職人として終える。
持つ者だけが、ダンジョンに挑む「冒険者」への道を許される。
ダンジョンに潜り、魔物を倒し、レベルを上げ、スキルを磨く。
この世界で成り上がるには、それしかない。
冒険者のレベルは、そのまま社会的な地位ステータスだ。
高レベルの冒険者は、貴族に劣らぬ富と名声を手にする。
だから、みんな必死にレベルを上げる。
魔物を倒し、経験値を稼ぎ、一段でも高みへ。
「……頼むぞ、女神様」
俺は柄にもなく祈った。
神なんて、俺を過労死させた前世の神も含めて信じちゃいない。
それでも、今日ばかりは祈らずにいられなかった。
いいスキルさえ授かれば。
今度こそ、逃げてばかりだった前世を、上書きできるかもしれない。
教会の祭壇の前で、俺は神官の指示通りに手を女神像にかざす。
冷たい石像が、じわりと温かくなった。
脳内に、性別も年齢も判然としない、不思議な声が直接響く。
《神授を開始します。》
《ステータスを付与しました。》
《固有スキルを選定中……選定完了。》
《「ステータスオープン」と口にすることで、いつでも己の状態を確認できます。》
「ステータス、オープン」
おそるおそる唱えると、目の前に半透明の板が浮かび上がった。
周囲の人間には見えず、本人にしか見えない、女神の板だ。
ステータス───────────────
クロウ
LV 1
HP 8/8
MP 15/15
ATK 4
DEF 3
MAG 16
MND 15
AGI 22
LUK 18
・固有スキル
停滞 LV1
SP 1▽
────────────────────
「……う、む」
前世のゲーム知識に照らして、真っ先に思ったのは、
「HPと防御力、低すぎだろ……!?」
だった。
この世界の能力値は、10が標準とされている。
12を超えれば優秀、8以下なら劣悪。
俺のHPは8、防御力に至っては3。
攻撃力も4しかない。
完全な紙装甲、いや紙以下だ。
救いは、魔力16に敏捷22、幸運18。
ここだけ見れば、魔法型としてはそこそこ恵まれている。
だが、魔法使いだろうと、HP8で防御3では、矢の一本、拳の一発で死ぬ。
まあ、ステータスはその者の個性を色濃く映すという。
前世で身体を動かすことから逃げ続けた俺が、脳筋タイプに生まれなかったのは、いっそ自然か。
問題は、そこじゃない。
問題は――固有スキル『停滞』だ。
聞いたことのない名前だ。
嫌な予感を押し殺しながら、俺は板の上の「停滞」の文字を指で押し込む。
スキルの詳細が、板の上に展開された。
スキル────────────────
停滞
LV1 経験値を一切獲得できない。
効果:
所有者は、いかなる方法によっても経験値を得られない。
このため、所有者のレベルは生涯1に固定される。
特記事項:
本来獲得するはずだった経験値は、その全てがSPへ変換され、撃破時に加算される。
────────────────────
「…………おい」
俺は板を二度、三度と読み返す。
読み返すたびに、血の気が引いていく。
――レベルが、上がらない。
この世界で、レベルが上がらないというのは、どういうことか。
レベルアップ時の能力値の伸びは、レベル1のときの基本値に等しい。
HPが10のやつはレベルごとに10ずつ、20のやつは20ずつHPが増えていく。
つまり、レベルが上がらない俺は――HP8、防御3、攻撃4のまま。
一生、この紙装甲のまま。
周りの冒険者がレベル10、20、30と積み上げていくあいだ、俺だけが、生涯レベル1の最弱として取り残される。
それは、この世界における、静かで確実な「詰み」を意味していた。
「――クロウ様の固有スキルは……『停滞』……?」
俺の背後で、板を覗き込んだ神官が、痛ましげに顔を歪めた。
本来、他人のステータスは本人の同意なしには見えない。
が、神授の儀のあいだだけは、立ち会いの神官に開示される決まりだった。
その神官の声を、堂内の人々が聞きつけてしまう。
「停滞……って、あの?」
「レベルが上がらないってやつだろ。呪いスキルじゃねえか」
「かわいそうに。あの子、宿屋のとこの……」
ざわめきが、さざなみのように広がっていく。
この世界には、ごく稀に「呪いスキル」と呼ばれるものが存在する。
持ち主を一方的に不幸にするだけの、忘れることもできない、ただの地雷。
『停滞』は、その典型だと、誰もが顔に書いていた。
「……はっ」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
女神様も、粋なはからいをしてくれる。
逃げ続けた前世をやり直そうと、二度目の生に賭けた男に。
「おまえはそこから一歩も進めない」と、名前からして宣告してくるスキルを寄越すとは。
停滞。
その場に留まり、朽ちていくだけ。
まるで、あの薄暗い残業続きの日々そのものじゃないか。
「――クロウ!」
凍りついた俺の腕を、横から誰かがぐいと掴んだ。
顔を上げると、見知った相手が俺を睨むように見ていた。
「リゼ……」
幼馴染で、俺より三つ年上。
銀の胸当てに紺の外套、腰には短剣。
町の宿屋育ちの俺とは違い、こいつは三年前――十五で神授を受け、それからは、冒険者として身を立てている。
……もっとも、どのくらいの腕前なのかは、俺もよく知らない。こいつは、自分の手柄を、ほとんど語らないやつだからだ。
――と言っても、恋仲だのなんだのという話じゃない。
物心つく前からの腐れ縁で、俺にとっては、気の置けない相棒みたいなものだ。
「なにが『停滞』よ。……そんな顔しないでよ」
リゼが、こちらが情けなくなるくらい真剣な顔で言う。
「べつに、いつも通りだよ」
「嘘。今の顔、ぜんぶ諦めたときの顔だよ」
物心つく前からの、腐れ縁。
俺がどれだけ情けなく落ち込んでいても、こいつだけは、呆れながらも隣にいてくれた。
この世界で、俺を見捨てなかった、たった一人だ。
――もっとも、俺が“転生者”だということも、逃げ続けた前世のことも、こいつは知らない。
それは、俺だけが墓場まで抱えていく、たった一つの秘密だった。
「固有スキルには、絶対に意味がある。私はそう思ってる」
「……気休めはよせ。レベルが上がらないんだぞ。この世界で、それがどういう意味か、おまえがいちばんわかってるだろ」
「わかってるよ! だからこそ言ってるの!」
リゼが、堂内の視線も構わず声を張った。
「女神様が、クロウに何の意味もないスキルを授けると思う? 私は思わない。……クロウだって、ほんとは、そう思ってるんじゃないの」
図星を突かれて、俺は言葉に詰まる。
――たしかに。
俺の頭の隅では、さっきから前世のゲーマーとしての勘が、しきりに何かを叫んでいた。
「デメリットしかないスキルなんて、あるのか……?」
前世のゲームでも、デメリットだけのスキルというのは、たいてい存在しない。
尖ったデメリットのあるスキルは、その分、メリットも尖っている。
そういうふうに、ゲームバランスは取られているものだ。
もし『停滞』が、本当にただの呪いなら――
この世界には、他にいくらでも「呪いスキル注意」の噂が立っていていいはずだ。
だが、そんな話は、宿屋で聞く冒険者たちの与太話にも、ほとんど上らない。
それに。
俺は、板の上の一文に、もう一度だけ目を落とす。
『本来獲得するはずだった経験値は、その全てがSPへ変換され、撃破時に加算される。』
「……SP? なんだ、これ」
聞いたことのない言葉だった。
この世界の人間は、経験値を積んでレベルを上げ、そのレベルに従って能力値を伸ばす。強くなる道は、それだけだ。
神官も、冒険者も、幼馴染のリゼでさえ、“SP”などという言葉を口にしたことは一度もない。
ステータスにそんな欄がある人間を、俺は見たことも、聞いたこともなかった。
――つまり、これは。
『停滞』を授かった、俺だけに刻まれた欄。
前世のゲーム知識が、その正体をすぐに囁いた。
スキルポイント。スキルを覚え、鍛えるための資源。
この世界の誰ひとり知らない、俺だけの成長資源だ。
でも――もし。
誰も知らないこの資源を、俺だけが、大量に稼げるとしたら?
「…………待てよ」
背筋が、ぞくりと震えた。
俺のスキルは、経験値を得られない。
だから、レベルは上がらない。
だが、その経験値は、丸ごとSPに化ける。
つまり俺は――魔物を倒せば倒すほど、レベルは1のまま、SPだけが異常な速さで積み上がっていく。
「レベルが上がるのが『縦』の成長なら、SPでスキルを増やすのは『横』の成長だ……」
高さではなく、広さ。
紙装甲のまま、無数のスキルで武装した、規格外の何か。
それは、この世界の誰も歩いたことのない道だった。
「……クロウ? なんか、顔つき変わったよ」
「リゼ」
「な、なに」
「ちょっと、ダンジョンに潜ってくる」
俺の言葉に、リゼがぽかんと口を開けた。
「は――!? い、今!? 神授受けたばっかりで!?」
「ああ。試したいことができた」
「だ、駄目に決まってるでしょ! クロウはまだレベル1で、しかも――」
しかも、一生レベル1のまま。
言いかけて、リゼが唇を噛む。
「……わかった。じゃあ、私も行く」
「いや、一人でいい」
「よくない! HP8で防御3のくせに、何言ってるの!」
ステータスまで正確に覚えてやがるのか、こいつは。
「大丈夫だ。……たぶん、な」
「たぶんで死なれたら困るんだって!」
結局、押し切られる形で、俺はリゼを連れてサルドの外れにあるダンジョンへ向かうことになった。
――もっとも、この選択が、俺の「二度目の生」を丸ごとひっくり返すことになるとは、このときの俺は、まだ半分も気づいていなかったのだけれど。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
逃げ続けて死んだ男が授かったのは、レベルが一生上がらない“呪いスキル”。
けれどその本当の価値に、まだ誰も気づいていません。
次回、クロウは初めてのダンジョンへ。“停滞”が静かに牙を剥きます。
「続きが気になる」と思っていただけたら、
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