第11話索敵に映る赤
赤い光点が、六つ。
青い光点が、ひとつ。
六つの赤が、たった一つの青を、逃げ場を塞ぐようにして、じりじりと取り囲んでいる。
脳裏に浮かんだ「索敵」の地図は、どう見ても、穏やかなものではなかった。
赤は、敵意。青は、そこで怯えて縮こまっている、無防備な誰か。その配置が語る意味を、読み違えようがない。
――関わるな。
冒険者の鉄則が、頭の中で、けたたましく警鐘を鳴らす。
ダンジョンの中は、無法地帯だ。
ここで何が起ころうと、地上の法は、指一本届かない。自衛できなかった者を、わざわざ危険を冒してまで助ける義理なんて、誰にもありはしない。それが、この世界で長く生き延びるための、当たり前の知恵だった。
……そう、わかっている。
わかっているのに。
俺の足は、「隠密」で気配を殺しながら、その赤い光点のほうへと、勝手に向かっていた。
じめついた横穴を、足音ひとつ立てずに進む。
どこかで、天井から染み出した水滴が、ぴちゃり、と冷たい音を落とす。錆びた鉄と、湿った土の匂いが、鼻の奥に、じっとりと絡みついた。
やがて、少し開けた、採掘場の跡のような空間の――その手前の岩陰に、俺はたどり着く。
息を殺し、そっと、顔の半分だけを覗かせた。
「――そんな。じゃあ、エリクサーが手に入るっていうのは、嘘だったんですか!?」
高い、悲鳴のような声が、がらんとした空洞に、わんわんと反響した。
その中央で、今にも崩れ落ちそうになりながら立っていたのは――やはり、あの少年だった。
ギルドで見かけた、蒼い瞳の子。
目深に被っていたはずの帽子は、いつのまにか脱げ落ちている。絹糸のような金の髪が、坑道のわずかな光を弾いて、暗がりの中で、そこだけ切り取ったように輝いていた。
その、作り物めいた美しさを取り囲んでいるのは、六人の男たち。
薄汚れた革鎧に、下卑た笑い。腰には、使い込まれた剣。どこにでもいる――けれど、確かに人を害することに慣れた、荒くれ者の冒険者だ。
「嘘じゃねえよ。このダンジョンのボスが、ごくたまーにエリクサーを落とすって“噂”は、な」
リーダー格らしい、頬に古傷のある男が、少年を見下ろして、にたりと嗤う。
「おまえの依頼、確かに“受けて”やったろ? ……ま、俺たちは“手伝ってやる”とは言ったが、“手に入れてやる”とは、一言も言ってねえよなぁ?」
「で、でも……っ」
「わかんねえガキだな。ぜんぶ、餌だったんだよ。おまえを、こんな奥まで、のこのこ連れてくるための、な」
ぎゃはは、と男たちが、腹を抱えて笑い合う。その声が、湿った岩壁に、いくえにも反響した。
「そ、そんな……! あなたたちは、冒険者でしょう!? 困っている人を、助けるのが、冒険者じゃないんですか……!」
声を震わせながら、それでも真っ直ぐに睨みつける少年に、
「はぁ? 誰がそんな綺麗事、言った? 冒険者ってのはな、坊や。儲かりゃ、なんだってやるのさ」
リーダー格の男が、その必死の訴えを、鼻先で笑い飛ばした。
「しっかし、こいつぁ上玉だな。半エルフだろ、おまえ? その辺の好き者の貴族に売りゃ、いったい、いくらになると思う?」
「顔も、髪も、肌も、極上だ。買い手なんざ、いくらでもつくぜ」
「な……っ」
少年の顔から、みるみる血の気が引いて、蒼白に染まっていく。
「う、売る、って……そんなこと、できるわけ……!」
「できるさ。なにせ、ここはダンジョンの中だ。人ひとり、煙みてえに消えたって、誰も気にしやしねえ」
「く、訴えます! 絶対に、こんなこと、泣き寝入りなんて――」
「訴える? 誰に? どうやって?」
男が、心底おかしそうに、肩を揺らした。
「言っとくが、俺たちは、おまえを殺しゃしねえよ。……殺しちまったら、一銭にもならねえからな」
「そうそう。生きたまま、無傷で売るからこそ、金になるってもんだ」
「万が一、傷モノになって売り物にならなきゃ……そうさな。素っ裸で、魔物の巣にでも放り込んでやりゃいい。魔物に食われて死ぬのは、そいつの“自衛”不足って、やつさ」
「ぎゃはは、ちげえねえ!」
男たちの、悪意でぬらぬらと光る哄笑が、坑道の闇に、べったりと反響した。
――なるほど。
俺は、岩陰で、ゆっくりと息を吐く。
これは、どう転んでも、他人事だ。
一度、ギルドで見かけただけの、名前も知らない子ども。
そのために、暴力に慣れきった六人の冒険者を相手に、この俺が、危険を冒す――常識で考えれば、そんなもの、ありえない選択だった。
少年は、酷い目に遭うだろう。心も、身体も、めちゃくちゃに踏み躙られて。
だが、それに、俺までが付き合ってやる義理は、どこにもない。
このまま、見なかったことにして、そっと引き返せばいい。
偽装のおかげで、俺の顔も、名前も、本当のレベルも、誰にも知られちゃいない。
誰にも咎められることなく、俺は、何食わぬ顔で、明日もまた、稼ぎを続けられる。
――そう。前世の俺なら、きっと、迷いもせずに、そうしていた。
嫌なことからは、目を逸らして。
面倒なことからは、逃げて。
誰かが泣いていても、見て見ぬふりをして。
それを、繰り返して、繰り返して。
結局、何ひとつ守れないまま、誰の記憶にも残らないまま、俺は擦り切れて、死んだ。
「……ああ、くそ」
俺は、岩陰で、誰にも聞こえないくらいの声で、静かに毒づいた。
もし、ここで、見て見ぬふりをしたら。
俺はきっと、この先ずっと。夜、目を閉じるたびに、ふとこの光景を思い出すたびに、自分を責め続けるはめになる。
あのとき、確かに力があったのに、俺はまた、逃げた――と。
そうやって、俺はまた、“停滞”する。
崩れずに、横へ横へと積み上げていく、あのいいほうの停滞じゃない。
その場から一歩も動けず、ただ後悔に腐っていくだけの、あの薄暗い日々の停滞に、逆戻りだ。
――冗談じゃ、ない。
二度目の生でくらい。逃げない自分で、いさせてくれ。
俺は、ぐっと、拳を握りしめる。
それに――こういう、他人を平気で踏み躙って、それでいて何とも思わない手合いが。
俺は、前世の頃から、心の底から、反吐が出るほど、大嫌いなんだ。
「さあ、お楽しみの時間だ。おい、まずはこのガキを縛れ。喚かれちゃかなわねえ、口も塞いどけ」
「い、いやだ……! 離して、離してくださいっ……!」
男の一人が、少年の細い腕を無造作に掴んで、ぎりり、と、ねじり上げる。
骨まで軋みそうな、その力に。
少年が、堪えきれずに、悲鳴を上げた。
――もう、十分だ。
見るべきものも、聞くべきことも、全部、見て、聞いた。
俺は「隠密」を解く。
殺していた気配を、あえて、真正面から解き放つ。
そして、岩陰から、ゆっくりと、一歩、踏み出した。
「――そこで、何をしてる」
しん、と静まりかえった坑道に、低く響いた俺の声に。
六人の男たちが、そして、少年が、弾かれたように、いっせいに振り返った。
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次回は【12時】に更新します。
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