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8.結子と雄峰の事情聴取

 鹿子木は鑑識の係官からの説明をメモを取りながら聞いていた。その晩は家に帰ってからもずっと事件のことが頭から離れず、ベッドに入ってみたものの僅かにまどろんだだけであった。


 翌朝、出署した鹿子木は朝九時半くらいまでは必至に堪えていたが、とうとう我慢できなくなって受話器を取った。

「あっ、白鷺結子さん担当の先生でいらっしゃいますか? つくば東警察署の鹿子木です。大変お世話になっております」

「ああ、刑事さんですか。何のご用でしょうか?」

「白鷺さんの容態はいかがでしょうか?」

「ずいぶん元気になられましたよ。この分なら直ぐに退院できると思います」

「それは良かった。それで、退院はいつを予定されているんでしょうか?」

「そうですねー、この状態なら、明日午後には退院することができるものと思います」

「そのことはもう白鷺さんにお伝えになったのでしょうか?」

「いや、まだですが……」

「それでは、大変申し訳ありませんが、退院の日時が決まったら、白鷺さんにお伝えになる前に私にお知らせいただけないでしょうか?」

「はい、そうしようと思えば可能ですが、何故ですか?」

「中毒の原因も判明していますので、警察としましても被害者である白鷺さんに詳しく事情をお訊きしておかなければなりませんので。それでは是非ご連絡をお願い致します」

「分かりました」


 その日の夕方、結子の担当医師から鹿子木の所に電話があった。結子は予定通り翌日の午後退院になるとのことであった。


 翌朝八時には鹿子木は病院に姿を現した。

「先生、今から白鷺さんにお話しを伺ってもよろしいでしょうか?」

「ずいぶんと朝早くに来られましたね」

「済みません、ちょっと気になることがあるものですから。お忙しい時間帯であることは重々承知しておりますが、よろしくお願いします」

「分かりました。昨夜刑事さんにご連絡した後、白鷺さんにも退院予定についてお話しました。ええと、この時間だと患者さんたちは朝食を摂っているところです。八時半には食事も終わるでしょうから、その後だったら病室に入られても大丈夫でしょう」

「有難うございます。もう一つお願いがあるのですが。白鷺さんに退院手続きを行なってもらった後、そのまま警察の方に来ていただいてもよろしいでしょうか?」

「退院予定は午後にしていますが、患者さんも状態が良さそうですので、まあ、いいでしょう。退院に必要な事務手続きは私の方では終了しています。なので、白鷺さんが一階の会計に行って支払の手続きをしていただけば大丈夫だと思います」

「有難うございます。では、そのようにさせていただきます」


 鹿子木は担当医師に頭を下げると八時半きっかりに結子の病室に入っていった。結子は既に身支度を整えていて今にも病院から出ていきそうな気配が鹿子木には感じられた。

「お早うございます、白鷺さん。こんな朝早くから申し訳ありません。退院される前にきちんとお訊きしておきたいことがありますので、ご迷惑を顧みずやってきました」

 結子は鹿子木が来たことにかなり驚いた様子であったが、対応はしっかりとしていた。

「あら、そうだったんですか。先日も申し上げましたように、私の状態はもう全く何ともありませんので、そんなに大袈裟にしていただく必要はありませんけれど」

「まあまあ、そうおっしゃらずに是非ご協力ください」

 結子は仕方なさそうな顔をしてベッドの上に座り直した。

 鹿子木は語気をやや強めて言葉を付け加えた。

「ここでは細かい話をし難いので、白鷺さんが退院手続きを済ませてから警察署の方に一緒に来ていただき、お話を訊かせてください。担当の先生にも許可を取ってありますので」

 結子は鹿子木の手回しの良さに呆れ顔で従うしかなかった。仕方なく荷物をまとめて鹿子木と一緒に病室を出て、一階にある会計窓口で支払いを始めた。鹿子木は少し離れた所にあった長椅子に座って、結子と会計係員との会話をそれとなく聞いていたが、突然表情が変わった。

「私、健康保険証を持ってこなかったので、自費で支払います」

 結子はそう言った。

「あれっ、あの女は健康保険証を持ち歩かないんだ。何だかおかしな行動をとる女だな」

 鹿子木は思わず小声で口に出してしまった。


 つくば東警察署に着いた結子は小さな会議室に案内され、そこで待つように言われた。しばらくすると、鹿子木が冷たい麦茶が入ったグラスを二つお盆の上に載せて現れた。

「お待たせしました。警察ではこんなものしか出せませんけど、良かったらどうぞ」

「有難うございます。どうかもうお気を使わないでください。お話が終わりましたら直ぐ東京に帰るつもりでおりますので」

「そうですか。お忙しいところ申し訳ありませんねー。それでは早速お話を伺いましょうか」

「それで、何をお話すればよいのでしょうか?」

「先日病室でお話を伺った時は、白鷺さんの体調はまだ十分には回復されていませんでしたし、途中で担当の先生にも止められてしまいましたので、今日はもっと詳しくお訊きしたいと思っています」

「でも、あの時お話した以上のことは私にはもう何もありませんけれど」

「いや、なに、話し始めれば忘れていたことを思い出すことがよくありますから。それでは、先ず、ホテルの部屋で苦しくなった時のことからお願いします。桜井さんから届けてもらったケーキはいくつあったんですか?」

「箱の中にはカットされたケーキが二切れ入っていたんです」

「大きさはどれくらいだったのですか?」

「ケーキ屋さんで普通に売っている三角形にカットされたショートケーキと同じくらいだったと思います」

「なるほど。それで白鷺さんは一度に二切れを食べられたんですか?」

「いいえ、それほど食いしん坊ではありません。先ず、一切れを食べたのです。凄く美味しかったので残りのケーキも食べ始めたところで、桜井さんに電話したんです」

「どんなことを話されたんですか?」

「一切れ食べたらすごく美味しかったことと残りも食べ始めていることを伝えました」

「桜井さんの反応はいかがだったんですか?」

「とっても喜んでいました」


「その後は何を話されたんですか?」

「『論文執筆は順調に進んでいますか?』って訊いてきたから、『もう少し頑張るつもりよ』って答えたら、『明日、別のケーキを届けましょうか』って言ってくれたんです。それで私はチョコレートが入っているケーキがいいって言ったら、『今晩特別美味しいチョコレートケーキを作って、明日適当な時間に会社を抜け出してTPホテルのフロントにお届けします』って嬉しいことを申し出てくれたんです」

「そんな話をしていた時の白鷺さんの状態はまだ普通だったんですか?」

「その時はまだいつものような状態だったと思います。それで、ケーキの話をしていたら残りのケーキも食べたくなってしまって、電話している最中にもう一口食べたんです。私が『やっぱり美味しかった』って言ったら、桜井さんが『今晩も頑張ってチョコレートケーキを作ります』なんて言ってくれて、私も相槌を打ったりしているうちにだんだん気持ちが悪くなってきたんです」

「それで?」

「もう話ができる状態ではなくなってきて、その後は吐いたりしたような気がするんですけど、記憶がはっきりとはありません。それから後のことはよく覚えていないんです。気が付いたら病院のベッドの上でした」

「分かりました。ところで、白鷺さんが食べ残されたケーキを鑑識でしっかりと調べました。トッピングされていたイチゴとブルーベリーを含めてケーキからは毒のあるものは見出せませんでした。でもですね、白鷺さんの嘔吐物から検出されたものは『ドクウツギ』の果実だったのです。この果実は非常に毒性が強くて、日本三大毒草の一つに挙げられている猛毒果実だそうですよ」

「ええっ、本当ですか。だからあんなに苦しくなってしまったんだ……」

 結子は最初のうちは視点が虚ろになっていたが、しばらくすると合点がいったという顔つきに変わって何度も頷いていた。その後、鹿子木は言い回しをいろいろ変えて、結子が食べたトッピングされた果実に関して質問したが、結子の答えは最初に答えた内容と同じであった。根負けした鹿子木はそれ以上の質問を諦め、結子はようやく警察署から解放された。



 結子が事情聴取を受けた日の午後遅く、雄峰に警察から電話があり、話を訊きたいとの要請を受けた。雄峰は、知り合いが中毒事件に遭い、自分も関係者として警察の事情聴取に応じなければならないかもしれないことを予め上司に告げていたため、驚くほどすんなり休暇の許可が出た。つくば東警察署に着いて自分の氏名を名乗ると、しばらく待たされてから通されたのは取調室であった。

「あれっ、おかしいな。俺から話を訊きたいっていうことでここにやって来たのに、何で取調室に入らなければならないんだ? もしかしたら俺は疑われているっていうことなのかな」

 雄峰は首を傾げながら、案内してくれた警察官に勧められた椅子に腰かけた。数分してから鹿子木が取調室に入ってきた。短い間だけだったにも拘わらず雄峰にはかなり長時間待たされたように感じられた。

「お待たせしました。今日はお忙しいところこちらに来ていただき、有難うございます」

「はい、よろしくお願い致します。あのー……、ここは取り調べを行なう部屋じゃないでしょうか?」

「確かにここは取調室なんですが、今日は会議室が予約で一杯となっていて取れなかったものですから、ここにしました。気にしないでください」

「そんなことを言われても、初めてこんな場所に来た人間にとっては結構気になる話なんだけど……。まあ、仕方ないか」

 雄峰は口には出さずに自分自身に言い聞かせた。


「さて、早速ですが、お話を伺うことにしましょう。先日、白鷺結子さんが救急搬送された後で簡単にお話をお訊きしましたが、今日はできるだけ詳細にお話を伺おうと思って来ていただきました。質問内容が前回と重複する場合もあるかと思いますが、順を追って伺いたいので、よろしくお願い致します」

「はい、分かりました」

「先ず、事件の始まりに関してお訊きします。あなたは何故白鷺結子さんのことでホテルに救急車の手配を依頼したんですか?」

 雄峰は結子から電話が掛かってきてからの経緯をできるだけ詳しく説明した。鹿子木は頷きながらじっと聞いていたが、雄峰の話が終わると、次の質問に移った。

「問題のケーキは桜井さんが白鷺さんのために自分で作ってホテルのフロントに届けたものだそうですね?」

「はい、そうです。結子さんが『ホテルに缶詰めになって論文を書く』って言われたものですから、元気付けようと思って提案したら、結子さんが喜んでくれたので」

「ケーキは全部桜井さんが一人で作ったのですか?」

「はい、勿論そうです。私は近い将来ケーキ屋を開くことを目標にしているんです。なので、ケーキに関する全てのことは自分一人でできないとどうしようもないと思いますので」

「なるほど。それで、使った材料はどんなものだったんですか?」

「私が作ったケーキは、スポンジケーキを生クリームで包み、上にイチゴとブルーベリーをトッピングしたものです」

 雄峰は使った材料についても一つずつ詳しく説明した。

「材料の入手はどうされたのですか?」

「全て市販されている商品を前の日に買ったものです。それから、作ったケーキの残りの部分は私も試食していますが、全く異常はありませんでした。だから、ケーキが原因で結子さんの状態が悪くなったとはどうしても思えないのです」

「そうですか、よく分かりました。ところで桜井さんは『ドクウツギ』という植物の果実のことをご存じですか?」

「ええっ、毒……何ですって?」

「『ドクウツギ』ですよ」

「そんな果実のことは聞いたことがありません。その『ドクウツギ』がどうしたんですか?」


「実は、白鷺さんの嘔吐物の分析を行なったら、まだ消化されていなかった果実片が見つかりましてね。それを分析したら、強い毒性を持った化合物が検出されたことから、それが『ドクウツギ』という植物の果実だと分かったんです。聞くところによると、『ドクウツギ』は日本三大毒草の一つだそうですから猛毒です」

「警察では私がその猛毒がある果実をケーキにトッピングしたのではないかって、疑っているんですね?」

「いやいや、まだ桜井さんがやったとは思っていませんが、何せ、ケーキを食べた直ぐ後に白鷺さんが発症していますからね。ちなみに、『ドクウツギ』の果実を食べると三十分くらいで吐き気や嘔吐の症状が出て、一時間経たないうちに全身に強直性痙攣が出始めるそうですから、白鷺さんの発症までの経過とほぼ一致するんです」

「結子さんの役に立ちたいと思っている私が、何でそんな猛毒果実を使わなければならないんですか? 冗談じゃありませんよ。それに、さっき刑事さんは、『結子さんの嘔吐物の分析を行なったら、まだ消化されていなかった果実片が見つかり、それがドクウツギの果実だった』と言われましたよね。ホテルの部屋には結子さんが食べ残したケーキはなかったんですか? 結子さんとの電話では、彼女はまだ二切れ目のケーキを食べている途中だったと思うんで、まだ残りの部分があったはずですけど」

「いや、確かに食べ残しのケーキは残っていました。トッピングされた果実もまだ少し残っていたそうです。今のところそれらから毒物は検出されてはいませんがね」

「それじゃ、私の作ったケーキには毒性のある果実は使われていなかったということじゃないんですか?」

「しかし、白鷺さんの嘔吐物から毒物が検出されたことは事実です。その上、症状が発症した時間経過から見ても、ケーキを食べた後で毒物の作用が現れたとしか考えられませんのでね」

 雄峰は反論しようと思ったが、相手を論破できるほどの証拠を持っていたわけではなかったので黙るしかなかった。


 その後、結子と知り合った経緯、結子がつくばに来た理由、結子の調査への雄峰の協力の仕方、一緒に訪れた調査場所等々、雄峰が知っているであろうことを根掘り葉掘り訊かれた後、ようやく開放されたのは夜遅くになってからであった。


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