7.中毒の原因解明
事件当日、警察では雄峰から詳しく話を訊いた後、鑑識で中毒の原因解明が超特急で行われた。白鷺結子に何らかの持病があって、それによる発症ということも考えられたが、本人が会話できる状況にはなかったので、原因は食中毒だと仮定して、残っていたケーキの各部分の分析が行われた。スポンジケーキ、生クリーム、トッピングされた果実について、微量の毒物も見逃さないとの意気込みで分析されたが、毒物の特定には至らなかった。
翌日、鹿子木は病院に出向き、担当医師から結子の容体がかなり回復してきているとの話を聞くと、許可を得て病室に入り結子に面会した。
「白鷺結子さん、大変な目に遭いましたね。もう大丈夫ですか?」
「はい、有難うございます。本当に苦しくて死ぬかもしれないと思いましたが、今はずいぶん楽になりました」
「私はつくば東警察署で刑事をしています鹿子木康雄と申します。最初にお訊きしておきたいのは、白鷺さんにはあのような症状が出る持病があったのでしょうか?」
「いいえ、あんな酷いことになったのは生まれて初めてのことです。持病なんてありません」
「そうですか。持病ではないとなると、今回の酷い状況をもたらしたのは何らかによる中毒だと仮定して、白鷺さんにいくつかお訊きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「私はもう十分に回復しましたからそんなに大袈裟にされなくて結構です。担当の先生に言って退院させていただこうと思っているくらいなんですから」
「しかし、今回の件は普通の病気で少々具合が悪くなったのとは違い、運が悪ければ白鷺さんは命を落とされていたかもしれないのです。是非ご協力ください」
結子は困ったような顔をしていたが、鹿子木の迫力に自分の主張を引っ込めざるを得ないと思ったのか、静かに頷いた。
「ホテルの従業員の話では、白鷺さんはケーキを食べた後、気分が悪くなり、嘔吐や痙攣などの酷い症状を呈したそうですが、ケーキの他に食べたものはありませんか?」
「そうですねー……。朝はホテルのレストランで食事を摂りました。ビュッフェスタイルだったので、私が食べたものは他のお客さんたちも食べたと思いますから、他の人たちが何ともなかったのであれば、ホテルの食べ物は大丈夫だったのではないでしょうか。その後はケーキが届くまでずっと論文執筆に集中しておりましたので、部屋に備えてあったコーヒーと緑茶を飲んだ以外は口にしておりません」
「なるほど、論文を書かれていたのですか。それで、コーヒーやお茶を飲まれたのは何時頃だったのですか?」
「えーと、ケーキを食べる二時間くらい前だったと思います。最初にコーヒーを飲んだのですが、ちょっと濃すぎたので、お茶を薄く淹れて飲んだのです」
「そうですか。それでは、ケーキはどんな経緯で白鷺さんの所にやってきたのでしょうか?」
鹿子木は雄峰から既に聞いていたことであったが、しらばっくれて結子にも質問した。結子は自分が『歌垣』の研究をしていること、筑波山での調査の過程で雄峰と知り合ったこと、雄峰がケーキを作って届けてくれたことについて簡単に説明した。
「それから、私なんかはケーキやお菓子を食べる時には飲み物があった方がいいんですが、白鷺さんがケーキを食べた時には飲み物は用意されていなかったんですか?」
「届いたケーキを早く食べたくなってしまったので、取り敢えずケーキを食べて、その後、ホテルのコーヒーでも淹れて飲もうと思っていたんです」
「そうだったんですか、大体のことは分かりました。白鷺さんの状態が良くなって退院できるようになったら、警察の方に来ていただき、もっと詳しくお訊きしたいと思います。その頃には鑑識での分析結果も出ているでしょうから、よろしくお願い致します」
「いえ、本当に私は大したことはありませんから、そこまで捜査していただかなくて結構なんですけど」
「いや、事件かもしれませんからこのまま終了という訳にはいきません。申し訳ありませんが、白鷺さんの連絡先を教えていただけないでしょうか?」
結子は仕方なく、雄峰に教えたのと同じスマホの電話番号を口に出して告げた。鹿子木がメモし終わったところに結子の担当医師がやってきた。
「刑事さん、患者さんはまだ完全に回復したわけではありません。そろそろお話は終わりにしていただけないでしょうか」
「はい、分かりました。これで終わります。有難うございました」
鹿子木は結子と担当医師に頭を下げてから病室を後にした。
つくば東警察署に戻ると、いつも世話になっている鑑識の係官が鹿子木の机の傍で待っていた。
「お帰りなさい。そろそろお帰りになるって聞いたものだからここで待っていました」
「それは有難い。何か良い結果でも出たのかな?」
「はい、その通りです。中毒の原因が分かったのです」
「おっ、そりゃ凄い! 早く教えてくれよ」
鑑識の係官は順を追って説明し始めた。
「白鷺さんが食べたと思われるケーキに関しては、スポンジケーキ、生クリーム、トッピングされた果実について分析しましたが、毒物の特定には至らなかったことは昨日ご報告しましたよね」
鹿子木は頷いて感謝の意を表した。
「そこで、救急隊員が採取しておいてくれた白鷺さんの嘔吐物の分析を行なったんです。そうしたら、まだ消化されていなかった果実片から毒物が発見されました」
「一体どんな毒物だったんだい?」
「コリアミルチンとツチンというセスキテルペン骨格を有するラクトン化合物が検出されたことから、残っていた果実片は『ドクウツギ』という植物の果実だと判明しました」
「その化合物の毒性って、どのくらい強いんだい?」
「難しいことは省略しますが、要するに、中枢神経への興奮作用を発現して、嘔吐、痙攣、硬直、呼吸麻痺が引き起こされ、重篤の場合は死に至ります。『ドクウツギ』の果実を食べてから三十分くらいで吐き気や嘔吐の症状が出て、一時間経たないうちに全身に強直性痙攣が出始めるとのことですから、白鷺さんの発症経過とほぼ一致するんじゃないかと思います。『ドクウツギ』は日本固有の植物で、日本三大毒草の一つだそうですから猛毒です。ちなみに、他の二つは『トリカブト』と『ドクゼリ』だそうです。『ドクウツギ』の毒成分の致死量はきちんとしたデータは見つけていないんですが、体重1キログラム当たり0.1ミリグラムから0.5ミリグラムくらいと考えられるようですから、かなり毒性が強いですよ。『ドクウツギ』の果実は甘みがあって、背の低い木なので、ままごと遊びに使われ、子供が食べてしまって中毒する事故がたびたび起きてきたそうです。これまで何回も駆除が行われてきましたので、野生の『ドクウツギ』の数はずいぶん減ってきていると思われていたんですが、今回は中毒事故が発生してしまいました」
「なるほど、怖い果実なんだね。ところで、白鷺結子の命が助かった理由は分かるのかな?」
「主に二つのことが幸いしたのではないかと考えています。先ず一つ目は、迅速な処置ができたことです。ケーキを届けた人は被害者が倒れた直後に気が付き、直ぐに救急車の手配をしてくれ、その後の病院での医師による迅速な処置に繋がったことが大きな要因だったと思います。もう一つは、摂取した果実の量が致死量には達していなかったのではないかということです。」
「ふーん、そういうことか。病院での医師たちは迅速な処置を行なったと言ったけど、具体的にはどんな対応だったのかな?」
「救急車で病院に運ばれた患者の容体はかなり酷い状況にあったそうです。痙攣と意識消失の発作を何回か繰り返していたのですが、救急隊からもたらされた情報だけでは中毒の原因は特定することができなかったため、救急医は取り敢えず気道の確保を行なった上で痙攣を止めるための対症療法を行なったのです。先ずジアゼパムを静注したそうですが、直ぐには痙攣が止まらなかったため、ペントバルビタールを投与しました。しばらくすると薬の効果が現れてきたのか患者の痙攣や嘔吐などの症状も次第に治まってきたということです。
結果的には、救急医は最適な処置をされたんだと思います。ちょっと難しくなりますけどごく簡単に説明しますと、中枢神経の中にGABA受容体というのがあって神経系を鎮静させる作用があります。この毒物はここにくっついてその働きを抑えてしまいます。そうなると神経を興奮させる作用の方が強くなってしまい、全身が痙攣を起こすようになるわけです。治療にとって最も重要なことは、気道を確保して誤嚥を防ぐことだそうです。それができたらとにかく痙攣対策を行なうことだそうなので、病院での対処法は大正解だったということになるようです。この毒物の場合は、対症療法がそのまま特異的治療法になる良い例だそうです」
「ふーん、そうだったんだ。それから、『ドクウツギ』の果実中毒の場合、後遺症は出ないのかね?」
「この系統の毒物による中毒は、一般的には後遺症は出てこなくて完全に回復するとされているそうです」
「そうなんだ。それは被害者にとっては朗報だね」




