5.歌姫明神
それから数日後の月曜日の朝、いつものように雄峰がハンバーガーショップでバンズを頬張っていると結子が店の中に入って来た。注文をスルーしてそのまま雄峰の所に来て立ったまま話しかけてきた。
「明日は出勤日じゃないわよね。時間、空けられる?」
「大丈夫ですよ、特別な用事もありませんから。結子さんが調査したい所があるんなら一日中でもお付き合いしますよ」
「あら、ほんと。嬉しいわ。昨夜インターネットで検索していたら、もう一ヶ所『かがい』開催地の候補が見つかったのよ」
「そうでしたか。まあ、腰掛けてください」
結子は雄峰の向かい合わせの席に座って一息ついた。
「それじゃ、明日はそこに行きましょう。それで、何という場所なんですか、そこは?」
「歌と姫と書いて『うたづめ』って読むらしいんだけど、『歌姫明神』という所が、桜川市の羽鳥地区にあるんだって。知ってる?」
「いいえ、初めて聞きました」
「そうなんだ。羽鳥地区には、真壁地区から筑波山の男体山山頂までの『羽鳥道』が通っていて、古くから利用されていたらしいの。羽鳥道沿いには男女川が流れていて、その道沿いに『歌姫明神』があって、その辺りが『かがい』の伝承地とされているようなの」
「分かりました。それじゃ、とりあえず羽鳥地区を目指して行ってみましょうか」
そう言うと、雄峰はバッグからパソコンを取り出し、インターネットで検索を始めた。
「結子さん、『歌姫明神』の場所が分かりました。この間調査した場所からみると筑波山の山頂を挟んで反対側になります。地図のこの辺に真壁地区があるのですが、中心街の少し手前に『羽鳥地区』があります。北側は平らで農地みたいになっていて、その南側に小さな山があります。たぶん、筑波山の裾野の一部になるんでしょうね。その山の上に『歌姫明神』があるみたいです」
雄峰は地図の『歌姫明神』付近を拡大して結子に見せた。
「それじゃ、何とか行けそうなのね。明日はよろしく」
翌朝、結子とハンバーガーショップで落ち合い、真壁方面を目指して車を発進させた。
「『歌姫明神』には簡単に行けるの?」
「はい。私は真壁が好きで、以前はよく遊びに行っていたんです。その真壁に通じている道が県道四一号線なんですが、この道は『歌姫明神』からあまり離れていない所を通っています。目的地の近くで右折すれば直ぐに着きそうですね」
真壁の歴史は古く、戦国時代に真壁氏が本拠として真壁城を築いたことに始まったとされる。当時の陣屋があったところを中心として、市街地には古い町並みが広がり、国の登録有形文化財建造物が数多く残っている。この町並みも、戦国時代末期に整備された城下町に起源を持ち、江戸時代初期に町割りが完成されたと言われている。その時からおよそ四百年間、道路などに大きな変化はなく、歴史的建造物が街並みに溶け込んでいる。
いわゆる昭和の大合併により旧真壁町が周辺の村と合併して真壁町が誕生した。さらに、平成の大合併時の対等合併によって桜川市が発足した。この辺一帯は真壁石と呼ばれる花崗岩の産地で、日本有数の石材業の町となっている。
二〇〇三年に始まった町おこしを目的とした雛祭では、百五十軒を超える民家や商店が各家に代々伝わる雛人形を飾り、訪れる人たちに披露するイベントが行なわれていて、多くの観光客で賑わっている。
雄峰は雛祭りの時期は勿論のこと、ここの街並みを散策するためにも時折真壁に来ていたので、その手前にある羽鳥地区であれば、簡単に辿り着けると思った。
「そうだ。結子さんに報告しておくことがあったんだ。昨日裕子さんは『羽鳥道沿いに男女川が流れている』って言われていましたよね。それを聞いて私は『あれっ』と思ったんです。流れる場所が気になったのでインターネットで検索したら、筑波山から流れ下る『男女川』って、二つあったんです」
「えっ、どういうこと?」
「筑波山の南側の中腹に『男女川源流地点』という場所があって、筑波山神社の傍を通って臼井を経て桜川に流れ込む川があります。筑波山の南麓に住んでいる多くの人たちが知っているのがこちらの男女川なんです。結子さんが昨日言われた『男女川』がある羽鳥地区は筑波山の北側にありますから、ちょっと引っ掛かったんです。それで検索を掛けてみたんですよ」
「そしたら実は男女川は二つ存在していた、って訳なのね」
「はい、その通りなんです。結子さんが言われていた男女川は筑波山の北側にある男女川で、私たちがよく知っている筑波山の南側にある川とは別の川でした。羽鳥道の上の方に男川という川があるのですが、それが下流になると男女川になるのだそうです。どちらも最後は桜川に流入しているのですが」
「なるほどね。男の山と女の山から構成されている筑波山から流れ落ちる川らしく、どこまでも男と女に拘りがあったのかもしれないわね」
「ほんとにそんな気がしますね」
二人が乗った車は県道四一号線を北上し、目指していた地点で右折した。細くなった道を直ぐに左折してしばらく走ると民家の庭に大きな石があり、その横に木製の小さな案内板が立っていた。近づいて確認すると、どうやら『歌姫明神入口』と表示してあるようであった。
「この辺りに駐車して歩いて行ってみましょうか?」
「そうね」
雄峰は先ず結子を車から降ろし、道路わきの草むらに左側の車輪を乗り入れるようにして駐車させた。
結子は先ほどの案内板の前で、読み難くなってしまっていた文字を再確認していた。雄峰が近づいてきたのを感じた結子が振り返って言った。
「何だか民家の軒先を通るような感じだけど、ここで間違いなさそうね」
二人は民家の脇から続いている道を歩いていった。少し坂道を上がった所にこんもりとした森があり、その前に石造りの鳥居が森を守るように建っていた。鳥居の上部中央には石でできた『歌姫明神』の神額が掲げてあった。
鳥居の先には、木々の間に草が生えているのを踏みつけただけの参道らしき道が登り勾配で続いていた。奥には石でできた五、六段の階段があり、その上に小さな木製の社殿が静かに佇んでいた。トタン葺きの屋根で雨からは守られているものの、お世辞にも立派な建物とは言えない神社であった。ただ、扉や壁には彫り物が施されていたり、新しそうな注連縄が飾られていたりしていて、地元の人たちからここが大切にされている様子が感じられた。
結子は鳥居に着いてからずっと無言でじっくりと現場の雰囲気を噛みしめるようにしていたが、境内を一通り見回した後、口を開いた。
「関東一円から大勢の人たちが集まって『かがい』を行なうにはここもかなり狭いわね」
「確かにそうですね。やはり、『かがい』開催地としては、『夫女之原』が最有力候補ということになりそうですね」
「確かに現在の現場の状況から見るとそんな感じがするけど、もっと確かな情報がないと断定はできないわ」
「そうですね。それで、裕子さんはこれからどんなふうに調査をやっていかれるのですか?」
「そうねー……、地元の資料館で地道に資料を探すこと、丹念に文献調査を行なうこと、ちょっと怪しいかもしれないけど、インターネット検索で巷の情報を収集することの三つをやっていくしかないわね」
「うわー、聞いているだけでも大変そうですね」
「でも、やるしかないわ。とにかく、今日は有難う。助かったわ」
「いいえ、あまりお役に立てなくて申し訳ありませんでした」
雄峰は結子をつくば駅まで送ってからアパートに戻った。
翌日も雄峰はハンバーガーショップで朝食を食べながら、新たな客が店に入ってくる度に視線を送ったが結子の姿を視界に入れることはなかった。
結子に会えなくなって三日目の夜、雄峰は疲労感を覚え、いつもより早めにベッドに入った。
ざわめきに気付いた雄峰の周りには、大勢の男女が上気したような表情をして楽しそうに会話を弾ませていた。男たちの中には気に入った女に声を掛け、求愛の歌を披露し始める者もいた。そんな雰囲気に影響された雄峰も何となく浮き浮きした気分になって、手始めに近くにいた女に声を掛けてみた。その女は優しく微笑んでくれはしたが、他の男たちのようには雄峰がうまく掛け合いを始めることができなかったためか、雄峰とは別の男の誘いに応え、二人の掛け合いが始まってしまった。雄峰は少しがっかりしたが、気を取り直して次のターゲットを探し始めた。何気なく送った視線の先に、薄手の衣装を纏ってこちらに反応してきた美しい女がいた。雄峰はその顔を見てひどく驚いた。その女が結子に間違いなかったからだ。
「結子さん、ですよね?」
雄峰は勇んで訊いた。
「いいえ、私の名前は歌姫よ」
そう答えると、艶めかしい表情をしながら雄峰の方に手を差し伸べてきた。その手や腕はこれまで見たこともないような透き通った色白の肌をしていた。思わずその手を取った雄峰は、歌の掛け合いを始めた。雄峰にとってこんな歌の掛け合いなど全くの初体験であったが、今度は自分でも信じられないくらい上手に詠むことができた。結子にそっくりな顔をした女もそれに応えて見事に歌を返してくれた。自然の流れとして雄峰はその女を人気のない木々の中に連れていこうとした。女はさらに艶めかしさを増した表情に変わっていったので、雄峰は相手に嫌がられてはいないと確信できた。
「あっ、俺は今、平安時代の筑波山の『かがい』の現場にいるんだ。そして、なんと憧れの結子さんと林の中で一緒にいるんだ。いよいよ待ち望んでいた瞬間がやってくるぞ」
目を凝らすと木立の陰に何組かの男女の姿が動いている気配が感じられた。
「あのカップルはきっと意気投合し、今日の目的を遂げようとしているのだろう。いよいよ俺の望みが叶う時が来たんだ」
雄峰は結子の体を引き寄せた。目の前にはこれまで見せてくれたことがないほど妖艶で男をとろけさせてしまうような表情の結子がいた。
「いよいよ、俺と結子さんとは結ばれるんだ」
そう思った途端、雄峰は目を覚ました。
洋介に事件の事を話している最中に雄峰はこの夢のことを思い出したが、勿論洋介には恥ずかしくて言うことはできなかった。
『歌姫明神』に行ってから一週間が過ぎた水曜日の朝、ようやく結子がいつものハンバーガーショップに顔を出した。
「忙しかったんですか?」
雄峰が嬉しそうに声をかけた。
「そうだったのよ。あれからいくつかの資料館を訪ねて、新たな事実を裏付ける文書を見つけ出そうとしたんだけど、残念ながら、これだっていう資料は発見できなかったわ」
「残念でしたね、頑張って調査されたのに」
「そうでもないのよ。これだけ調査しても新たな事実が発見できないことが確認できたわけなので、筑波山での『かがい』開催場所は、現段階では『夫女之原』が最も可能性が高いと結論付けようと思うの。それで、これまで蓄積してきた他の地域の開催場所と比較検討を開始したところなの」
「そうだったんですか。それじゃ、私も少しはお役に立てたのかな?」
「勿論よ。本当に有難う。それでね、この状況について教授に話してみたの。そしたら、そろそろ論文として纏めてみたら、って言われたの」
「それは良かったじゃないですか。私には学術研究の世界のことはよく分かりませんけど、論文に纏めるって、凄いことなんでしょう?」
「まあ、そういうことになるんじゃない。他の研究者が書いた論文に自分の論文が参考資料として使われることを『引用される』って言うのよ。一説によると、研究者の価値は自分の論文が引用された回数に比例するそうなの。だから、論文は出すだけじゃダメで、同じ分野の研究者にその価値が認められなくちゃいけないのね」
「そうなんですか。研究者って聞くと、穏やかでゆとりのある人たちばかりのように思っていましたけれど、厳しい世界なんですね」
「そうなの。それにね、論文はただ書いて提出すれば学術雑誌に掲載されるわけじゃないの。偉い先生たちによる審査があるの。それにパスしなければ、雑誌への掲載は拒絶されちゃうのよ」
「うわー、すごく大変なんですね」
「私の教授はどうやら審査を担当する偉い先生方を知っているらしいの。それでね、『その先生方への私の印象を良くしておいた方がいい』ってアドバイスしてくれたのよ」
「ずいぶん親切な方なんですね、結子さんを指導されている教授の先生は。でも、どうやれば審査を担当する偉い先生方の裕子さんへの印象が良くなるんですか?」
「ぶっちゃけて言っちゃうと、要するにお金が要るっていうことなのよ」
「お金ですか……」
「教授はね、私に『五十万円ほど用意して教授に渡してくれれば、教授が何とかする』って言うんだけど……。私は今、お金に関してはピンチなわけなのよ。桜井さん、用立ててくれないかしら」
「ええっ、五十万円ですか……。今の私には直ぐにそれだけの金額を用意するのはちょっと……」
「そうよね。いきなりこんなことをお願いしちゃって、ごめんなさい」
「結子さん、ちょっと時間をいただけますか? 親に借りられるかもしれませんから」
「そう。無理しなくてもいいからね。三日後にこっちに来る予定になっているので、朝、ここに寄るわ。その時に結果を教えてちょうだい。それじゃ、また」




