18.家宅捜索
翌朝、まだ薄暗いうちから準備し始めた洋介は、ホビークラブの駐車場に若い刑事を乗せた鹿子木の車が現れるとすっ飛んでいった。
上津屋のアパートは筑後何十年も経っていると思われる古めかしいものであった。大家に立ち会ってもらって部屋の鍵を開け、家宅捜索が始まった。狭い部屋な上、家具もろくなものは置いてないので、ものの十分も経たないうちに目に付くような所の捜索は終わってしまった。しかし、証拠になりそうな物は何一つ見つからなかった。
「引き出しの中などしっかりと調べましたが、手掛かりになりそうなものは全く発見できませんでした。どうしますかね?」
困ったような表情の鹿子木が、じっと見ていただけの洋介に言った。
「いや、上津屋さんはきっと何かを隠しているに違いありません。彼が『ドクウツギ』をブルーベリーとすり替えた人だとすれば、盗聴マイクを一番先に何とかしようと思ったのではないでしょうか。それが済んだら自分のコントロール下にある証拠物を処理するつもりだったのでしょう。ですから、この部屋の中か別の場所にまだ隠してあるに違いないと私は思うんです」
「でも、先に自分の部屋に隠しておいた証拠物を廃棄したとは考えられませんか?」
「確かに可能性としてはあり得ます。でも、もし鹿子木さんが犯人だとしたら、衆人環視の中に放置してある証拠物と自分で密かに管理している証拠物のどちらを先に始末したいと思いますかね?」
「うーん。そりゃ、外に放置してあった方が気になりますから、そっちを先に片づけたいと思うでしょうね」
「でしょう。だから、ここか別の場所にはまだ上津屋さんが隠していた証拠物が廃棄されずに残っていると思うんです」
「でも、ご覧になっていたように、ここには目ぼしい物は何一つありませんでしたよ。別の場所って言ったって、例えばどんな場所を探せばいいんですかね?」
「この部屋の中でも探していない所がありますよ。例えば、床下とか、天井裏とか……」
「しかし、ここの床は簡単には剥がせそうもないし、天井だって同じようなものですよ」
このアパートの天井は現代的な石膏ボードやクロスではなく、古めかしい木目が印刷された粗末な板を張ったものでできていた。
「そうですかねー、さっきからずっと天井を見ていたんですけど、あの部分が少しだけずれているように見えるんですけど、あれは板を動かした跡ではないでしょうか?」
「どこですか?」
「ほら、あそこですよ。ほんの少しですけど、板の色が変わっているでしょう?」
「ああ、本当だ、確かに色が違う所がありますね」
鹿子木は部屋の入口で見ていた大家の所に行って了解を求めた。
「おい、ちょっとそこら辺の天井裏を調べてみてくれ」
若い刑事が椅子に乗って調べ出した。
「鹿子木さん、この板動きますよ。ずらしてみます」
若い刑事が僅かにできた隙間から手を差し入れて天井裏を探した。しばらくゴソゴソしていたが、突然大声を出した。
「鹿子木さん、何かありますよ」
「おお、そうか。無理せずにそっと取り出してくれないか。できそうか?」
「大丈夫だと思います。そんなに重そうではありません。ポリ袋に入っているようです」
若い刑事は慎重に白いポリ袋を取り出し、テーブルの上に置いた。鹿子木が白い手袋を嵌めた手でポリ袋の縛ってあった所を解くと、中には所々が紫色をした紙袋が入っていた。
「何だ? この紙袋は」
そう言うと、鹿子木はポリ袋の中から紙袋を取り出した。紙袋を開けて恐る恐る覗いてみてから大きな声で言った。
「中に何かの果実の腐ったようなものが入っているぞ!」
「鹿子木さん、その腐ったようなものは犯人が回収した『ドクウツギ』やブルーベリーの果実かもしれません。そして、その紙袋に付着した色は『ドクウツギ』か『ブルーベリー』の果実から出た色の可能性が高いと思います」
洋介が興奮したような声で言った。
「そうかもしれませんね。署に帰って直ぐに鑑識に調べてもらいましょう。運が良ければ彼奴の指紋が付着しているかもしれないし」
アパートの床はそう簡単には剥がせそうもないと判断し、この日の家宅捜索はこれで終えることにした鹿子木たちは満足そうな顔になって帰路に就いた。
鹿子木は若い刑事をつくば東署に送り届け、指紋の採取等に関する指示を出してから洋介と共に筑波ホビークラブに行き、当然のことのように受付の中に入っていった。
「鹿子木さん、今日の家宅捜索で得られたことを整理してみませんか?」
「そうですね。でも、神尾さんは帰り道で十分考える時間がありましたから、もう既にきちんと整理が済んでいるんじゃないんですか。先ず、それを聞かせてくださいよ」
「えへっ、そう来られましたか。それじゃ、私の考えたストーリーをお話しますね」
鹿子木は笑顔になって話を進めるように手で合図した。
「あの日、上津屋さんはTPホテルのフロントに行き、届いたケーキを受け取ったに違いないと思います」
「でも、本人ではない人に預かり物を渡しますかね?」
「多分、上津屋さんは盗聴マイクから得た情報で、桜井さんがケーキを届ける日時を知っていたのだと思います。それで、当日フロント周辺に控えていて、空見さんがケーキを届けたのを確認し、その後でフロントに行き、303号室の客と一緒の者だとか何とか言って、それを届けることを申し出たのではないでしょうか。フロントの人もケーキが届くことを知っていたことや一緒の仲間だと言われて信用したのだと思います」
「なるほどね。その通りだとしても、ケーキのトッピングをすり替えたものを直接下狛に渡したら、内緒で行動していた上津屋が下狛に怪しまれてしまいますよね」
「そうですね。渡し方が一つの謎ではありますね。明日にでももう一度TPホテルに行って訊き込みをする必要がありそうですね。この謎は鹿子木さんの訊き込みに期待するとして、何らかの方法で下狛さんに気付かれずにケーキを渡した上津屋さんは、大騒ぎになった後、集まってきた野次馬の中の一人であるようなふりをして、他の人に気付かれないように部屋の中に入ってケーキの状態を確認したに違いありません。そうしたら、ケーキは全部は食べられておらず、『ドクウツギ』の果実がまだ残っていたのでしょう。多分上津屋さんにとっては想定内の出来事だったのだと思います。残っていた『ドクウツギ』の果実とブルーベリーの果実とを再びすり替え、回収した『ドクウツギ』の果実と余ったブルーベリーの果実は紙袋に入れて持ち帰ったんでしょう」
「ああ、それが上津屋の天井裏から見つかったポリ袋に入っていたものですね?」
「多分そうでしょう。皆に気付かれないように事を運ばなくてはならなかった上津屋さんには手袋を嵌めている余裕はなかったのかもしれません。もしそうなら、あの紙袋から『ドクウツギ』果実の成分が付着した上津屋さんの指紋が検出される可能性も十分にあるのではないでしょうか。毒性のある物質が安定なのかどうかは分かりませんから、毒物そのものが検出されないこともあるかもしれませんが、少なくとも『ドクウツギ』の果実の成分が検出されれば証拠としては大丈夫でしょう」
「そうですよね。こうなると鑑識の分析結果が大いに期待されますよね」
じっとしていることに耐えられなくなった様子の鹿子木は引き締まった顔をしてホビークラブを後にした。
翌日、鹿子木から電話があり、夜になってからホビークラブに来ると告げた。十時を回ってから鹿子木がやって来た。
「どうでしたか、上津屋さんの指紋は検出されましたか?」
「まあまあ、慌てないでください。順を追って説明しますから」
鹿子木は愛が淹れてくれたコーヒーをとても旨そうに一口飲んでから説明を始めた。
「今日は午前中にTPホテルに行き、訊き込みを行ないました。神尾さんからの情報の確認は既に簡単にやっていたのですが、もう一度細かいところまでしっかりと聞き込みを行ないました。出勤していた従業員のうち都合の付けられる従業員のほぼ全員から話を訊いたんです。上津屋は確かに事件があった日の前日に帯広英夫という偽名を使って予約の電話を入れたそうです。303号室の反対側の部屋の隣かその隣の部屋に宿泊したいとのことだったようです」
「やはり、上津屋さんは桜井さんがケーキを届ける日時をしっかりと把握していたようですね」
「それで、ケーキを受け取る方法は神尾さんが推理した通りだったんです。空見がケーキを届けてからいくらも経たないうちに上津屋がフロントに行き、『303号室の客の同行者ですけど、ケーキが届くことになっているんですが、もう届いていますか?』と訊いてきたんだそうです。この時対応したのはケーキを受け取った従業員とは別の人で、すっかり信用して、上津屋にケーキを渡したそうです」
「やはりそうでしたか。それで、トッピングされていたブルーベリーを『ドクウツギ』にすり替えた後はどんな方法で下狛さんに渡したんでしょうか?」
「いやー、なかなか訊き出すことができなかったんで、若干焦っていたんですが、最後に訊いた従業員が知っていたんです」
「もしかしたら、その人に渡すよう依頼したんですか?」
「いやだなあ、神尾さんは直ぐ正解を言ってしまうんだから。私の努力が台無しになってしまうじゃないですか……」
「ああ、ご免なさい。詳しく話してくださいよ、お手柄の鹿子木さん」
「その従業員は307号室の部屋の中を確認する必要があって303号室の近くを通りかかったんだそうです。そうしたら、314号室から上津屋が出てきて、『このケーキを303号室の客に渡してくれないか』と頼まれたんだそうです。何でも、上津屋は『急に人と会うことになってしまって渡している時間がなくなってしまったから』と理由を言っていたそうですが」
「なるほどね、ドアストッパーを使って少しだけ自分の部屋のドアが開くようにしておいたのでしょうね。従業員が部屋の前を通るのをじっと待っていたに違いありません」
「事件後にトッピングを元のブルーベリーに戻した時の状況についてもいろいろと訊いてみたんですけど、これに関してはホテルでは収穫はありませんでした」
「そうですか、残念ですけど、まだ家宅捜索して得られた紙袋がありますから、そちらに期待したいですね。もう鑑識の分析は終わっているのでしょう?」
「出たんですよ、うふふふふ」
「何が出たんですか? 勿体ぶらないで早く教えてくださいよ」
「たまには神尾さんを焦らしてみるのもいいもんですねえ。あのポリ袋に入っていた紙袋には回収したドクウツギの果実とブルーベリーの果実、更に、どこかを拭いたと思われる使用済のティッシュが入っていて、紙袋には上津屋の指紋がはっきりと付いていたんです。その指紋にはブルーベリーの果実だけではなくドクウツギの果実の成分も付着していたんですから、笑いが止まりませんでした」
「本当ですか? それじゃ、犯人は上津屋さんに間違いないということになりましたね」
「そうなんですがね。私には上津屋が下狛を殺そうとした動機が全く見当も付かないのです。これまであんなに強い絆で結ばれていたように思っていたのに何で殺そうとまで考えたのか。私にとっては大きな謎ですよ」
「それはこれからの鹿子木さんの尋問によって明らかにされるんでしょう? 期待していますよ」
「そうですね、今度は私が頑張る番ですね。それで、明日上津屋を尋問するつもりなんですけど、何か特別に訊いておく必要のあることはありますか?」
「そうですね……、『ドクウツギ』の果実をブルーベリーの果実とすり替えた動機については鹿子木さんがしっかりとお訊きになると思いますから、お任せするとして、私が興味があるのは、上津屋さんが『ドクウツギ』果実の致死量を知っていたかどうかという点ですね。これは上津屋さんに殺害動機があったかどうかに繋がってくることなので、ある意味重要なことではないでしょうか。それと、この前、訊き出すことができなかった三つの疑問のこと、鹿子木さんは覚えておられますか?」
「勿論ですよ。一つ目は、何故上津屋が桜井の前に現れ、わざわざ自分も下狛に惹かれているなんて言ったのか、二つ目は、何故上津屋は下狛に内緒で行動していたのか、三つ目は、何故中毒事件からだいぶ日にちが経ってから盗聴マイクを回収しに来たのか、という疑問ですよね」
「流石、鹿子木さん、その通りです。その三つの疑問についても是非訊いてくださいね」
「それで、致死量の件なんですけどね。致死量を知っていてそれ以上の『ドクウツギ』果実をトッピングした場合は結論は簡単に出ますが、致死量を知らなかった場合や知っていてもそれ以下の量しかトッピングしなかった場合は判断が難しそうですけどね」
「まあ、上津屋さんが喋った内容から推し量ればいいんじゃないですかね」
「現時点ではそういうことにしておきましょう。三つの疑問についてもしっかり訊いておきます」
嬉しそうにそう言うと鹿子木はきりりとした顔をして帰っていった。




