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15.部屋籠り

 洋介は鹿子木が帰ると直ぐに未開栓の赤ワインのボトルと摘みを数袋抱えて東の端の小部屋に入っていった。


 翌日の午後、愛が筑波ホビークラブに顔を出すと、受付に洋介の姿は見えなかった。もしかしたらと思いつつ、いくつかの作業室を覗いてみたが見つからなかった。

「あっ、源三郎小父様。洋介さんはどこかに出掛けられたんですか、それともいつもの部屋籠りですか?」

「朝出てきた時から姿が見えないんだよ。今日は出掛ける予定はなかったはずだから、東の外れの洋介さんの部屋に籠っているに違いないよ」

「やっぱりそうでしたか」

 愛は直ぐにキッチンに入った。しばらくしてサンドイッチとアメリカンコーヒーをトレイに載せて東の端の部屋に向かった。

「洋介さん、洋介さんてば! 寝ているんじゃないでしょうね」

「何ですか、愛ちゃん。そんなに大きな声を出さなくても大丈夫ですよ。私はちゃんと考えていますよ」

「お腹が空いては考えることもできないでしょう。ですから洋介さんの好きな食べ物とコーヒーを持ってきましたよ。少し休んで食べてくださいね」

 眠そうな顔の洋介がドアを開けて出てきた。

「やっぱり。そんな顔してたんじゃ、とても鋭い推理なんてできる訳がありませんわね。とにかく休憩して食べてからまた考えてください」

「いつも有難うございます。本当に愛ちゃんは頼りになります」

「そんな取って付けたようなお褒めのお言葉なんて要りませんから、ちゃんと食べてください」

「はーい、分かりました」

 洋介はトレイを受け取るとまた部屋の中に入ってしまった。


 夜、そろそろ会員たちがクラブから引き上げる時間が近づいた頃になって、ようやく洋介が受付に姿を現した。

「あら、洋介さん。何か閃いたような表情をされていますね」

「愛ちゃん、あまり揶揄(からか)わないでくださいよ。それほど閃いてはいませんよ」

 そう言いながらも洋介はいつもよりは素早い動きで受話器を外した。

「鹿子木さんですか。実はお願いしたいことができたんですけど」

「何ですか。中毒事件に関係していることなんですか?」

「一応関連はあると思っています。事件の容疑者の男たちの育った地域を訊いていただきたいのです」

「育った地域ですか? それを訊いてどうされるんですか?」

「昨日からずっと考えたり調べたりしていたんですけど、もしかしたら今回の混迷から抜け出せるかもしれないことを見つけたものですから」

「それはどういうことなんですか?」

「まだ、思い付きの段階なんで、今ははっきりとは言えないんですけど、とにかく彼らの育った地域を訊いてください。私が自分で訊くわけにもいかないでしょう?」

「分かりましたよ。明日時間を見つけて訊いてみますよ。訊く相手は、上津屋勝司、穂谷慎一郎、空見篤、それから星丘牧人の四人でいいですよね」

「本当は念のために、下狛翔子さんについても訊いておきたいところですけど、まだ連絡できないんですよね」

「申し訳ありませんね。まだ消息不明のままです」

「それでは、四人の男たちに訊いてください。よろしくお願いします」

 鹿子木は全く納得できてはいなかったが、以前、こういう展開から事件が解決したこともあったので、我慢して了解した。


 二日後の午後八時過ぎ、鹿子木から筑波ホビークラブの受付に電話が掛かってきた。愛が受話器を取った。

「洋介さん、お待ちかねの鹿子木さんからですよ。うふふふ」

「鹿子木さんから? 待っていましたよ」

 洋介はすっ飛んできて、愛から受話器を奪うようにして受け取った。

「はい、神尾です。彼らの育った地域が分かったんですね」

「まあ、一応全員から訊きました。でも、こんな情報、役に立つんですかねえ……」

「まあまあ、そんなに疑いの眼で物事を見ていないで、早く地域を教えてください」

「神尾さんから詳しい説明を聞きたいですから、こちらの仕事が片付いたらホビークラブの方にお邪魔しますよ。それではまた後程」

 そう言うと鹿子木は電話を切ってしまった。


 午後十時を回った頃、鹿子木が筑波ホビークラブにやってきた。表情は冴えないまま玄関に入ると、洋介が受付のドアを開けて待っていた。愛は鹿子木の顔を見ると直ぐにキッチンに入っていった。

「で、どうだったんですか?」

「神尾さん、そう急かさないでくださいよ。面倒臭い仕事を終えてようやく駆け付けたんですから」

 そう言うと鹿子木は受付の椅子にドカッと座りこんだ。しばらくすると愛がいつもの濃いめのコーヒーを淹れたカップを鹿子木の前に置いた。

「流石、愛ちゃん。有難う」

 一口美味しそうに啜ると、ようやく話をする気になったようであった。それまで洋介はとにかく余計なことを言わずにじっと待った。

「それでは神尾さんお待ちかねの情報をお伝え致します」

「はい、お願いします。先ず誰からですか?」


「そうですね、最初は穂谷慎一郎からにしますか。穂谷は東京下町の小さな下請け工場の倅として生まれ、そのままそこで育ったそうで、高校を卒業してからずっと父親と一緒にその工場を細々と営んでいると言っていました。他の地域に住んだ経験はゼロだと言っていましたよ」

「そうでしたか、穂谷さんは東京育ちでしたか。それでは星丘さんはどこだったんですか?」

「星丘牧人は生まれも育ちも九州で、高校卒業後も福岡にある大学に入ったそうです。大学卒業後に就職したんですが、その時東京にやってきた、と言っていました」

「そうですか、九州育ちでしたか……。それでは、空見さんは?

「空見篤は都区内で昔から和菓子を製造販売している店の息子として生まれ、その和菓子屋の裏側にある家で育ったと言っていました」

「大学も東京だったんですか?」

「ええ、東京の私立大学を卒業したと言っていました。空見本人は東京から離れた場所にある大学に進学したかったようですが、親が絶対に許してくれなかったそうです」

「そうでしたか……」

 洋介の表情は先ほどまでの生き生きしたものから虚ろなものに変わっていた。


「それではと。最後は上津屋勝司ですけど、神尾さん大丈夫ですか? 私の言うことをきちんと聞いてくれていますか?」

「大丈夫です、聞いています……」

「最初のうち上津屋は私の質問をはぐらかして、『今、私は逮捕されているわけではなく、ただの参考人でしょう。そんな質問に答える義務はないでしょう』なんて言っていました。でも、『生まれ育った地方だけでもいいから』ってしつこく訊いたら、ようやく『生まれも育ちも関東甲信越の山間部だ』と答えました。もっと詳しく訊こうとしたんですがね、それ以上は答えてくれなかったんです」

 聞いていた洋介の目が輝き始めた。

「上津屋さんは間違いなく関東甲信越の山間部で育ったんですね!」

「そう言っていました。何ならもっとしっかりと調べましょうか?」

「今はこの情報で十分です。今回の鹿子木さんの捜査のお蔭で、ケーキに毒をトッピングした人の見当が付きましたから」

「ええっ、今私がご報告した内容で犯人が分かったんですか?」

「今回の事件の犯人かどうかは定かではありませんが、少なくともケーキにトッピングされていたブルーベリーとドクウツギの果実とをすり替えた可能性のある人物の見当が付いたんです」

「どういうことですか? 詳しく説明してください」


「先ず、中毒の原因となった『ドクウツギ』ですが、日本固有の植物だそうです。幹の中が空洞である『空木(うつぎ)』で、日本三大毒草の一つと言われているくらい毒性が強いので『ドクウツギ』と言う名前が付けられたのではないか、ということです。それから、ここからが大事なポイントですが、この『ドクウツギ』は近畿から北の本州と北海道に分布し、山地や川辺や崩壊地などに自生しているそうなんです」

「ええと……、その話のどこが重要なんですか? 私にはまだ皆目見当が付きませんが」

「『ドクウツギ』は戦前までは子供が『ままごと遊び』をしていてこの果実を誤って食べてしまい、中毒死することが沢山あったそうです。例えば、甲信越地方のある川の周辺では、子供の頃から『ドクウツギ』が猛毒であることを教えられていたそうです。また、この地方からそんなに離れていない地域で保存されていた書物に、村の少年がこの『ドクウツギ』を食べた後、長時間もがき苦しんで死亡した例を挙げ、注意喚起がなされていたということです。そのため、この植物の駆除が各地で行われるようになったんです。当然のことですよね。ですから、今は自生している『ドクウツギ』はそんなに多くはないと考えられます」

 洋介はここで話を一旦止め、鹿子木の表情を観察した。まだ目に輝きが見えていないのを確認して、言葉を続けた。


「私はこう推察したんです。『ドクウツギ』を使おうと考える人は、成長過程で『ドクウツギ』の話を聞いたことがある人か、実際の植物を見てそれが猛毒であると認識したことがある人ではないか、と」

「なるほど。それで、四人の男たちの生まれ育った地域を訊くように言われたのですね」

「そうなんです。星丘牧人さんは生まれも育ちも大学も九州で、就職する時に上京したんですから、『ドクウツギ』に関する話を聞く機会や、実物の恐ろしさを知る機会はまずなかったのではないかと思われます。また、穂谷慎一郎さんと空見篤さんはずっと東京で生まれ育ったそうですね。東京も一応『ドクウツギ』の自生区域内ということになります。もしかしたら河原などには『ドクウツギ』が生えているかもしれませんが、放置されたままになっている可能性は他の地域と比べれば低いのではないかと思います。ですから、穂谷さんと空見さんは現段階では除外しておいても良いのではないでしょうか。それに反して、関東甲信越の山間部で育った上津屋さんは『ドクウツギ』の恐ろしさを熟知していた可能性が相当高いのではないかと思います」


「なるほど。そういうことになりますね。でも『上津屋は下狛のことを信頼していて彼女に不利なことは一切言わない』って私は以前から神尾さんに言っていましたよね?」

「はい、勿論覚えていますよ」

「神尾さんの話はなるほどと思う所もありますけれど、『ドクウツギ』が自生している地域に生まれ育ったというだけではあまり断定的なことは言えないのではないですか? 東京生まれだって、『ドクウツギ』に関する知識さえ身に付ければ、どうにでもなることでしょう。私には上津屋が下狛を殺そうとしたとは思えないのです。これまで、あれほどしっかりと守ろうとしてきた下狛のことを何故殺害しようと考えたのか理解に苦しむからです」

「まあ、確かにその点は現段階では解せないですよね。ただ人間関係には何が起こるか分かりませんから、現段階では、生まれ育った地域という観点から考えると上津屋さんが怪しいということで、今後の捜査を続けていただけないでしょうか?」

「うーん。今は何の手掛かりも得られていないわけですから、神尾さんのおっしゃったことは一応頭に入れておきます。だだ、現段階では一人に絞ることなく捜査を続けようと思います。今日は有難うございました」

 そう言うと、暗い顔をしたまま鹿子木は帰っていった。


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