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14.上田の捜索

 雄峰が帰った後、洋介は話されたことをもう一度振り返ってみた。五分ほど考えたであろうか、ゆっくりと立ち上がり、受話器を取り鹿子木に電話した。

「ああ、鹿子木さんですか。夜遅くに済みません。例の中毒事件ですけど、さっき、桜井さんからまた話を訊いたんです。そうしたら、面白いことが分かったんです。今からでもこちらに来られませんか? 詳しくお話しますから」

「ええっ、本当ですか? 彼奴は警察に呼んでいろいろ訊いても新たな事実を全く喋ってはくれません。でも、相手が神尾さんだと新事実を喋るんですね。本当に嫌になりますよ」

「まあまあ、そうご立腹にならずに。彼も刑事さんの前では凄く緊張してしまうのでしょう」

「そんなもんですかね。分かりました。雑用が片付きましたらそちらに伺います」


 鹿子木はそれから直ぐに筑波ホビークラブに現れた。

「あれっ、鹿子木さんにしては随分と早く来られましたね。今日は暇だったんですか?」

「冗談じゃありませんよ。警察は年がら年中忙しいです。次から次へとややこしい事件が起こるものですからね」

「そうですか。と言うことは、新たな展開に大いに期待して来られたということですかね」

「そんなことを言って私を揶揄(からか)っていないで、早く面白いこととやらを教えてくださいよ」

 洋介は雄峰から聞いたケーキを届けた経緯について詳しく説明した。

「何ですって! それじゃ、上田が最も怪しいじゃないですか」

「そうなんです。だから少しでも早く警察で上田さんの消息を掴んでいただきたいのです」

「言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、これまでは下狛翔子の捜査や、桜井が言っていたライバルたちの消息を掴むのに主眼を置いていたので、上田の捜索はちょっと疎かになっていたんです。でも、桜井はこんな重要なことを何で警察に話さなかったんでしょうかね?」

「確かにその通りですが、桜井さんが言うには、彼は上田さんのことをとても信用していたそうです。それと、ケーキが原因で下狛さんが中毒したと警察では考えているようなので、『誰が渡したか』ということがそんなに重要なことであるとは思わなかったのかもしれませんね」

「そんなものですかね……。まあ、いいや、これからは腰を据えて上田の消息を掴むことに集中しなくちゃならないですね」

 そう言うと、鹿子木は洋介が淹れたコーヒーも飲まずに慌てて帰っていった。



 それから一週間後の夜遅く、疲れたような表情をした鹿子木の姿が筑波ホビークラブの受付の中にあった。愛は既に帰宅していたので、この晩も洋介がコーヒーを淹れた。

「神尾さん、とうとう上田の正体を暴くことはできたんです。上田司というのは偽名だったのです」

 鹿子木は淡々とした口調で言った。

「偽名を使っていたということは、相当怪しいということになりそうですね」

「ホテルにケーキを届けたのが上田だったこと、偽名を使っていたこと、下狛翔子の陰の支援者を名乗っていたことなど、怪しいことだらけなんですけどね」

「その口調からするとあんまり望ましい結論には至らなかったようですね」

「まあ、そんなところです」

「ところで、どうやって上田さんの本名を突き止めたんですか?」

「結論から先に言うと、上田も下狛の結婚詐欺の被害者だったんです。下狛の最近の詐欺事件について何回も東京まで足を運んで、事件を担当した刑事たちにいろいろと訊いてみたんです。下狛は同時期に何人かの男を詐欺の対象の候補者として親しくなり、その中の誰かと上手くいきそうになるとその男に集中して親密度を増すようにしていたようなんです。

 つくばの中毒事件の少し前に被害に遭ったのが上田司だったのです。上田は高校時代のスポーツクラブ仲間だった弁護士をしている友人に相談していたようですが、やはり訴えるのに十分な証拠が見つかっていないということで、警察には行きそびれていたようです」

「それでは、警察ではどのようにして上田さんに辿り着いたのですか?」

「下狛が上田に近付いた少し前に詐欺の被害にあった(ほし)(おか)牧人(まきと)という男がいたんです。捜査の一環として結婚詐欺の被害者が分かったら、その全ての人と面会して話を訊いていたんです。それで、星丘にも会っていろいろ話を訊いてみたんです。一通り話を訊いた後、念のため神尾さんから送っていただいた三人の男の写真を見せたんですよ」



「星丘さん、参考までにこの写真を見てくれませんか? この三人とも今回の中毒事件の関係者ではあるんです」

「俺は自分の事だけで精一杯なんで、他の男の写真なんて見せられたって分かるわけがないと思いますけどね」

「まあ、そう言わずにちょっとだけ見てくださいよ」

「分かりましたよ。ええと……、この男は見たことないなー。こいつも同じだ」

 そう言った後、星丘は上田の写真を手に取ると、表情が真剣なものに変わった。

「うーん、この上田と言う男は『そらみあつし』と呼ばれていた男によく似ている感じだな」

「何ですって! この写真の男を見たことがあるんですか?」

「多分。もう一度この男の写真を全部見せてくださいよ」

 星丘は何枚かあった上田の写真を何度も見直してから鹿子木の目を見て言った。

「間違いなさそうです。この男はあの詐欺女から『そらみあつし』と呼ばれていた男ですよ」

 星丘の表情は自分の判断を確信していることを表していた。



「星丘が詐欺の被害に遭ったんじゃないかと疑いの目を下狛に向け出し、それを確かめようと変装して下狛の動きをそっと見張っていた時期があったそうなんです。その時、下狛が『そらみ』と話をしていたのを星丘が何回か目撃し、下狛が『そらみあつし』の名前を呼ぶのを聞いていたようなんです」

「それで、星丘さんは『そらみ』さんと話をしたんですか?」

「いや、結婚詐欺を働く人間と関わりを持っているような男など全く信用できないと思っていたようで、二人の様子を観察していただけだったようです」

「それじゃ、鹿子木さんは『そらみ』さんと話をすることがまだできていないんじゃないですか?」

「それが、やっとのことでできたんです」

 そう言うと、鹿子木は捜査の経緯を詳しく喋り出した。



 鹿子木は過去に犯罪歴のある人物のリストを用いて星丘に聞いた『そらみあつし』の名前で検索してもらったが全くヒットしなかった。星丘からは『そらみ』は東京に住んでいるという情報も得ていたので、電話帳や同窓会名簿など、利用可能な資料を用いて丹念に調べた。『そらみあつし』と読むことが可能な名前の男を見つけると、その度に男の住所を片端から訪ねて歩き、桜井の撮った顔写真と見比べることを続けた。十五人目になってようやく顔写真が似ている男に辿り着いたのであった。その男は漢字では『空見篤』と表し、都区内で昔から和菓子を製造販売している店の息子であった。店を訪ねた鹿子木はその男を喫茶店に連れ出し、じっくりと話を訊くことにした。



「突然押しかけて来て大変申し訳ありません。実は、ある事件の捜査をしておりまして、もしかしたら空見さんがその事件に関して事情をご存じかもしれないという情報が入りましたので、お話を伺いたいと思いましてここに来たのです。お忙しい所お手数をお掛けしますが、どうかご協力ください」

「はあ……、私には何のことだか分かりませんが、知っていることでしたらお話致しますが……」

「今年の七月十四日水曜日の午後、茨城県つくば市で中毒事件が起こりました。被害に遭ったのは白鷺結子と名乗っていた女で本名は下狛翔子と言います」

 鹿子木は一旦話を止め、空見の顔をしっかりと観察した。瞬間的ではあったが明らかに動揺したような表情が認められた。

「実はこの下狛翔子という女は結婚詐欺の常習者だったんですが、犯罪の証拠を全く残さないので、まだ一度も逮捕起訴されていないんです」

 鹿子木はここでもしばらく黙ってみたが、空見からは何の発言もなかった。

「どうもつくばでも下狛は結婚詐欺を働こうとしていたようです。被害者になりそうだったのは、車の販売店に勤めている桜井という男ですが、空見さんはご存じありませんか?」

「……」

「桜井という男からの情報ですと、上田司と名乗った男が中毒事件の前に何回か桜井に近付いて話をしていたようなんですがね。何でも、白鷺結子の陰の支援者だとか言っていたそうですが」

 鹿子木はまたしばらく口を閉じた。空見は下を向いたままもじもじしていたが、ようやく決心が付いたのか、ゆっくりと喋り出した。

「そこまでご存じだとは思いませんでした。全てお話します」

 鹿子木は自分の心の動きを顔に出さずに厳しい表情のまま手で空見に話を続けるよう合図した。

「私は先ほど刑事さんが来られたあの和菓子屋の一人っ子で、父母をはじめ周囲の人たちは、将来私が店を継ぐことを当たり前のことだと思っています。私もそんな環境で育ちましたので何年かしたらあの店を継ぐんだなと思っています。あの女は去年の秋、私が店に出ている時にやってきたのです」


 空見は目を瞑ってしばらく静かになった。瞼の下では目が動いているのが鹿子木にはしっかりと見えたので、そのまま待った。

「あの女は和菓子のことをよく知っているような口ぶりでした。こっちもそれなりに丹精込めて菓子作りをしているので、嬉しくなってしまい、会話が弾んだのです。そのうちあの店の話になり、私が跡継ぎにも拘わらずまだ独身でいることも話してしまいました」

「それじゃ、下狛翔子はその話に飛びついてきたわけですね?」

「いや、最初のうちはそんな感じは一切見せませんでした。ですから私たちも安心してあの女と親しくなっていったのです。週に三回は店に顔を出すようになると、和菓子の作り方に凄く興味があると言い出しました。それで私はあの女を工場に連れて行き、製造工程を詳しく説明しました。あの女は私が一度説明しただけで直ぐに理解し、短い期間で和菓子作りの工程を頭の中に入れてしまいました。こうなると、私ばかりでなく両親もすっかりあの女が気に入ってしまったのです」

「なるほどね。そうなるとご両親も空見さんも下狛翔子のことを和菓子屋の嫁さんにしたいと思うようになったわけですかね?」

 鹿子木は、空見が下狛の共犯者ではなさそうな展開になってきたが、中毒事件の犯人かもしれないと思い、空見の話を聞いた。

「はい、おっしゃる通りです。両親はすっかりあの女を嫁さん扱いしていました。その頃からでした。様々な理由を付けてお金が要ると言い出したのです」

「どんな理由だったのですか?」

「結婚式には元気な姿であの女の両親にも出席してもらいたいが、父親が病気で手術が必要になったとか、妹の大学入学にまとまったお金が必要だとか、が最初のうちの理由でした。そのうち、嫁入り道具を持参してお嫁に来たいが、両親や自分には十分なお金がないから、かなりの金額を貸してくれないか、などと言ってきました」

「それを全部出してあげたんですか?」

「ええ、そうなんです」

「お金を出してあげた時、何か文書として残るようなものはなかったのですか? 例えば、借用書だとか手紙だとかメールだとか」

「どうせ直ぐに我が家の嫁になる人なんだからと言って、借用書のような書類は一切残していなかったのです。普通の借金だったら、必要な手続きを怠るような両親ではなかったのですが、なんせ、あの女をすっかり気に入ってしまっていて、直ぐにでも我が和菓子屋の嫁さんになる人だと思い込んでいたため、『大丈夫、いいよ、いいよ』で貸してしまったのです」


「それで、いつ結婚詐欺に遭ったと気付いたのですか?」

「嫁入り道具に必要なお金を渡した次の日に、あの女に連絡しても全く繋がりませんでした。それからしばらくの間は何とか連絡を取ろうとしましたが、あの女は消息不明になってしまったのです」

「警察には相談に行かなかったのですか?」

「私の高校時代のクラブの仲間に弁護士になった人がいるんで、その人に相談しました。彼は一所懸命になって私に協力してくれましたが、証拠になるようなものが一切残っていないことが次第に分かってきたのです」

「それで、空見さんはどうされたんですか?」

 鹿子木はいよいよ最も訊きたい内容になってきたので、眼光が一段と鋭くなった。

「私は自分も悔しくて仕方ありませんでしたが、純粋に和菓子屋を存続させたいと心から願っていた両親の気持ちを踏みにじったあの女が憎くて仕方なくなりました。それで、『何とかあの女を見つけ出して証拠を掴み、犯罪者として警察に突き出してやる』と誓ったのです。勿論、『私たちのような悔しい思いを他の人たちにはさせてはいけない』という気持ちもありましたし」


「それだけですか? 殺してやりたい程恨んでいたのではないのですか?」

「うーん、正直言えばそういう気持ちが全くなかったわけではないと思います。でも、そんなことをしたら私も犯罪者になってしまうじゃないですか。ですから、そんな邪悪な気持ちは自分で抑え付けていたんです」

「それなら何故空見さんは『上田司』なんていう偽名を使って桜井に近付いたんですか?」

「詐欺に気が付いた後、私はあの女を探し回ったのです。そしてとうとうあの女ではないかと思えた女を見つけたんです。服装も髪型も私の店に来ていた時とはかなり異なっていましたから、本当に彼女かどうか、私には自信がなかったんです。そんな時、遠くからじっとあの女を見ていた男がいたのです。いきなりあの女に声を掛けても、多分しらばくれられてしまうだろうと思った私はその男の方に声を掛けたんです。ただ、その男もあまり信用できませんから私の本名を名乗ることは止めておいたのです。直ぐに思い浮かんだのが高校時代のクラブの先輩二人だったのです。それぞれの苗字と下の名前とを使わせてもらって、『上田司』と名乗ったのです。他に意味はありません」


「まあ、今はそういうことにしておきましょう。それで、その男は誰だったんですか?」

「本名かどうかは分かりませんが、私には『穂谷慎一郎』と名乗りました」

「穂谷慎一郎か……。それは本名だったようです」

「そうだったんですか。偽名を使ったりして申し訳なかったな」

「それで、穂谷とはどんな話をしたんですか?」

「穂谷は最初のうちは詐欺の被害者であることをはっきりとは口にしませんでしたが、私があの女に詐欺に遭ったことを言うと、実は穂谷も私と同じようにあの女による結婚詐欺の被害に遭ったことを打ち明けてくれたんです。穂谷も訴えるに十分な証拠が見つからないので、このままでは警察が逮捕できない状況だったそうで、何とか証拠を見つけたい一心であの女を探していたそうです」

「それで、空見さんはどうされたのですか?」

「私も穂谷と同じように『何とか証拠を掴みたい一心であの女を探していた』と言いました。そうしたら、穂谷は、『何かあったらこの番号に電話してくれないか』と言って、彼のスマホの電話番号を書いたメモを渡してくれたんです。その時はそのまま別れました。その後、何日か考えた後、取り敢えず穂谷を信用して情報を交換しようと思いました。それで彼に電話して再び会って、『これからはあの女のことで知り得た情報は共有しないか』と提案したんです。彼にとっても『あの女に関する情報は喉から手が出る程欲しい』ということで、即了承してくれました」

「上田司の偽名を使ったままですか?」

「はい、途中で『前回名乗った名前は本名じゃなかった』なんで言ったら、信用してもらえなくなるだろうと思ったものですから。それから、お互いの名前や連絡先は誰にも教えないことも約束したんです。それで、スマホなんですけど、穂谷との連絡のためだけに使おうと思い、二回目に穂谷と会う前に、普段使いしているスマホとは別に新たなスマホを手に入れたんです」


「なるほど。それで、桜井にはどうやって近付いたのですか?」

「穂谷から連絡があって、あの女がつくばのハンバーガーショップに現れたと教えられたんです。そこで、ちょっと見ただけでは私だと分からないようにサラリーマン風の格好をして何日間か朝早くからあのハンバーガーショップに行って見張っていると、あの女が現れたのです。あの女は髪型や衣装を大きく変えて行動していたので、最初はあの女かどうか分からなかったのですが、コーヒーを飲む時、マスクを外した顔を見たらあの女だと分かったのです」

「それで、空見さんはどうされたんですか?」

「はい、ハンバーガーショップで見張っていると、あの女をじっと見つめていた桜井さんが目に入ったのです。私は直感的に思いました。『この男はあの女に詐欺を働かれてしまうだろう』って」

「その時、直ぐに桜井に声を掛けたんですか?」

「いいえ、本当に桜井さんがあの女に惹かれているのかどうかを確かめなくちゃいけないと思いましてね。その後も何回かあのハンバーガーショップに朝から通ったんです」

「東京からですか?」

「はい、いつも朝が遅い私にとってはかなり厳しかったのですが、凄く早起きしてつくばまで行ったんです」


「なるほど、頑張ったわけですね。ところで、あのハンバーガーショップで穂谷と出くわしたことはなかったんですか?」

「穂谷さんは見かけなかったですね。私は店に出なければならないので、そんなに頻繁にはつくばまで出かけていけなかったものですからね」

「そうでしたか。それで、桜井は間違いなく下狛に惚れてしまっていると判断してから、声を掛けたんですね?」

「はい、そうです。それまでの二人の会話をそれとなく聞いていましたので、あの女の言動は少しだけですが予想を付けていました。それで、陰ながらあの女を支援している男という設定で桜井さんに近付いたのです」

「ところで、私は何回も空見さんに電話しましたが、一回も出てもらえなかったんですけどね」

「その番号は桜井さんから聞いた番号でしょう?」

「勿論そうですよ」

「その番号はさっき説明した穂谷さんと連絡を取るために手に入れたスマホの番号で、その後は桜井さんとの連絡にちょっとだけ使っただけで、今は全く使っていません」


「そういうことだったか……。ところで、空見さんは今年の七月十四日水曜日の昼過ぎに桜井が勤める車の販売店に行かれたんですよね。その後はどうされたんですか?」

「桜井さんと約束したので、彼から渡されたケーキを持ってTPホテルのフロントに行きました。そこでホテルの受付にいた女性に『303号室の白鷺結子さんに渡してください』とお願いしました」

「それから?」

「私は車でつくばに行っていましたので、直ぐに高速道路を使って家まで帰りましたよ」

「途中でどこかに寄ったり、誰かに遭ったりしたことはありませんでしたか?」

「いや、どこにも寄り道しなかったので誰とも会ってはいません」

「そうですか。ところで、あなたは桜井さんからケーキが入った箱を二つ受け取ったそうですよね。ホテルで一つ預けた後、残りの一箱の中のケーキ二切れはどうしたのですか?」

「家に帰ってから一人で二つとも食べました」

「一人で全部ですか?」

「そうです。家は和菓子屋なんで、普段あまりケーキは食べないんです。両親にあげれば喜んでくれるとは思ったんですけど、ケーキの入手先でも訊かれたら面倒臭いと思って、一人で食べちゃいました」

「食べた後、具合が悪くなったなんてことはなかったんですか?」

「あのケーキは美味しかったので、ペロリでしたけど、その後も何ともありませんでしたよ」

「うーん、そうでしたか。それで、この日は何時頃つくばに入ったのですか?」

「七月十四日の昼前、車で家を出て真っすぐに桜井さんの販売店まで行きました」

「前の日から入っていたなんてことはなかったのですか?」

「いえ、前の日は私が店に出る番だったので、一日中店に詰めていました。当日、遅めの朝飯を食べてから車に乗ったのです」


「途中で植物の果実などを採集していたなんてことは?」

「そんなことしていませんよ。私がいったいどんな植物の果実を採集していたと言われるんですか?」

「例えば、『ドクウツギ』の果実とか」

「何ですか? その『ドク何とか』やらとは」

「『ドクウツギ』ですよ。ご存じありませんか?」

「そんな名前聞いたこともありません。それが何か今回のことと関係しているのですか?」

「実は、今回の中毒事件はこの『ドクウツギ』の果実がケーキにトッピングされていて、それを食べた下狛翔子が中毒したのではないかと考えられているのです」

「何ですって。そうすると、ケーキにトッピングされていた果実とその『ドクウツギ』の果実とやらを、私がすり替えてあの女に渡したとでも思われているんですか? 冗談じゃありませんよ。さっきも言ったように、あの女のことは憎んではいましたけれど、私は犯罪者なんかにはなりたくないと思っているんです。絶対にそんなことはしていません」

 空見は顔を真っ赤にして怒り出した。それ以降、鹿子木が何を訊いてもまともな言葉は返ってこなかった。



 鹿子木の長い説明は一応終了した。

「そうすると、今の段階では、空見さんは一番怪しいけれど、確たる証拠は全く掴めていないということになりますね」

 鹿子木は頷くだけで言葉は何も発しなかった。

「その他の犯人候補ですが、穂谷慎一郎さんも十分に怪しいけれど確たる証拠がない状況ですね。それから、ケーキを作った桜井雄峰さんからも犯行の証拠は全く出ていませんね。困りましたね……。あっ、そうだ。空見さんの捜査の過程で鹿子木さんが見つけた被害者の一人である星丘牧人さんにも尋問されたんでしたね」

「勿論ですよ。私が話を訊いた時の星丘は、長めの頭髪にグレーのキャップを被り、藍色のTシャツにジーパンを身に着けていて、年齢は桜井と同じくらいに見えました。星丘も下狛翔子に結婚詐害の被害に遭い、下狛を追っていただけだし、『空見を見かけた後は、仕事が忙しくなってしまったので下狛探しは行なっていなかった』と言うのです。事件当日のアリバイについても訊いていますが、明確なものはありません」

「そうですか……。また元の木阿弥に戻ってしまったということなんですかね。ただ、鹿子木さんのお話を聞いていて私には疑問が生じてきているんです」


「疑問? どんな?」

「上津屋さんは別にして、下狛さんの結婚詐欺の被害者である穂谷慎一郎さん、星丘牧人さん、上田司の偽名を使った空見篤さんの少なくとも三人が下狛さんの周りに現れていたんです。彼らが変装していたとしても素人の変装ですから下狛さんには直ぐばれてしまうのではないでしょうか。鹿子木さんの話では下狛翔子さんは頭の回転が凄く速かったそうですから、気が付かないはずがありませんよね。なぜ下狛さんはある意味悠然として桜井さんとの交際を続けていたんでしょうね?」

「そうなんですよ。私もおかしいと思っていたんですけど……」

 二人ともしばらく黙ったままになってしまった。十分くらい経ったであろうか、ようやく洋介が口を開いた。

「鹿子木さん、今ここで考えていても埒が明きそうにありません。少し時間をいただけないでしょうか。いろいろと調べてみたいこともありますし、じっくり考えてみたいとも思っているものですから」

「分かりました。よろしくお願いします」

 鹿子木はそれだけ言うのが精一杯であった。


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