11.ライバルと支援者の捜索
洋介は雄峰の長い話を真剣な表情で聞いた後、固まったようになっていた。しばらくすると一応の整理を付けることができたのか、雄峰の方を見て質問した。
「桜井さん、陰の支援者の上田司さんの連絡先は訊かれたと言われていましたね。他の二人のライバルたちの連絡先は知っているんですか?」
「いいえ、上田さん以外は連絡先を訊くような状況ではなかったものですから訊いておりません」
「そうですか……、残念ですね」
「あのー、役に立つかどうかは分かりませんが、彼らのスナップ写真でしたら、残っています」
「写真? それはいい! 見せていただけますか?」
雄峰はスマホを取り出し探していたが、先ず穂谷慎一郎の写真を洋介に見せた。続いて帯広英夫と上田司の写真も示した。上田司の写真は数枚あったが、残りの二人の姿が映っている写真はそれぞれ一枚だけであった。どの写真も離れた所から対象の人物が歩いている姿を横から撮ったものであったので、顔はそれほど鮮明には写っていなかった。
「もしかしたらこれらの写真は警察での捜査に役立つ可能性がありますね。私のスマホに転送していただけませんか?」
「分かりました。直ぐ送ります」
「桜井さん、これらの写真を刑事の鹿子木さんに送って男たちについて調べてもらってもいいですか?」
「はい、それで私への疑いが晴れる可能性があるのであれば、是非お願いします」
「直ぐにでも鹿子木さんと連絡を取ってみます。ところで、何故桜井さんはこの男たちの写真を撮っておいたのですか?」
「それは、私が車の営業マンだからです。商売柄毎日いろいろな方とお会いし、お話しなければなりません。以前、ある方とお話を進めてきた内容を別の方とのお話だと取り違えてしまったことがあったのです。それを防ぐために少し離れた場所から相手の方の写真を撮っておき、その人物と話した内容との関連性を強く印象付けておくようにしているのです。その癖が出て、彼らの写真を撮ったのだと思います」
「なるほど、そういう理由があったのですね。それでは、早速鹿子木さんと話をしてみます」
「よろしくお願い致します」
雄峰は洋介に深々と頭を下げると筑波ホビークラブから帰っていった。
「鹿子木さんですか? 神尾ですけど、例の中毒事件のことで少しお話したいんですけど、都合を付けていただけますか?」
「いやー、あの事件は全く進展していないので、困っているんです。今夜、こっちの雑用が終わったらホビークラブの方にお邪魔しますよ。神尾さんのご都合は何時頃がいいのでしょうか?」
「夜だったらいつでも大丈夫ですよ。それじゃ、お待ちしています」
いつまでもぼんやりと明るかった空もすっかり夜の気配が漂うようになり、筑波山も漆黒の中にその存在をかき消されるような姿を辛うじて残していた。筑波ホビークラブの受付の中で鹿子木は愛が淹れてくれたコーヒーを美味しそうに啜った後、困っているような表情をあからさまに出して洋介に話し始めた。
「今回の中毒事件は全く見通しが立たなくなってしまいました。何とか打開する方法はありませんかねー」
洋介がただ笑っていたので、鹿子木は続けた。
「そう言えば、神尾さんは私に『何か話したいことがある』って言っていましたよね。で、何なんですか、その話って?」
「実は、今日、午前中に桜井雄峰さんにここに来てもらって、もう一度詳しく話を訊いたんです。そうしたら、ちょっと面白いことが分かったんです」
洋介は雄峰から訊いたばかりの恋のライバルたちや影の支援者の話を伝えた。
「警察での桜井はそんな話は一切していないですよ。中毒事件と関係があるかもしれないというのに」
「まあまあ、勘弁してあげてください。彼はまだ若いんです。女性に恋愛感情を持っている場合、それに関係することは他人には話したくはないのが普通じゃないんですかねー」
「でも、自分が疑われているんですよ。それなのに……」
鹿子木が勢い込んで話しても、洋介はただ笑っていた。
「そうすると、恋のライバルが二人と影の支援者が一人いるわけですね。ライバルの一人目は、黒縁の眼鏡を掛けた長髪の男である穂谷慎一郎。二人目は、頭は五分刈りで身体は細身だけど筋肉質で俊敏そうに見えて鋭い目をした帯広英夫ですね。それから、影の支援者を名乗る、短髪で身だしなみがよくスーツを着用したサラリーマン風の上田司。三人もの新たな人物が登場してきた訳ですね。どうせ本名を名乗ってはいないと思いますけど。それで、この三人の連絡先は分かっているんですか?」
「桜井さんがライバルだと思っている二人は、桜井さんの前に何度も現れた訳ではなかったのと、彼にとっては不審者の部類に入る人たちだったと思われますので、名前を訊くのがせいぜいで、連絡先までは訊けなかったようです。でも、上田司さんの連絡先は分かっているそうです」
「それじゃ、上田は別として、他の二人については調べようとしても糸口がありませんね」
「ところがです。桜井さんは車のセールスマンとしてのある習性があったのです」
「何ですか、その習性とやらは?」
洋介は雄峰から訊いた理由を伝えた
「えっ、写真を撮っていたのですか。今、その写真を見ることができますか?」
「勿論です。桜井さんがスマホに保存していたものを転送してもらいました。これらが彼ら三人が映っている写真です」
鹿子木は一人ずつじっくりと眺めた。
「なるほど……。随分遠くから撮ったものですねえ。それに正面からの写真じゃないからなー。まあ、ある程度の顔の特徴は分かるかもしれませんが、上田の写真は別として、残りの二人の写真は一枚ずつしかありませんし、検索でうまく引っ掛かるかどうかは保証できませんね。でも、まあ、念のため私のスマホにも転送してください」
洋介は転送した後、鹿子木の目を見て言った。
「でも、今はこれしか手掛かりがありませんから、何とか警察の優れた技術で特定してくださいよ。それから、白鷺結子さんの写真は警察でも撮ってあるんでしょう?」
「勿論ですよ。白鷺から話を訊いた時にしっかりと撮影しておきました」
「それでは、三人の男たちの捜査をよろしくお願いします」
洋介は頭を下げて依頼した。
「分かりました。かなり難しそうなので上手くいかないかもしれませんが、とにかく鑑識に依頼してみます」
鹿子木は言葉とは裏腹に嬉しそうな顔で筑波ホビークラブを後にした。
それから三日間、鹿子木からは何の連絡もなかった。
「洋介さん、東の小部屋にお籠りになったらいかがですか? そんな上の空のお顔をして受付にいらっしゃっても、会員の方が戸惑ってしまいそうですから」
愛は洋介を冷やかすような表情で言った。
「ええー、そんなにぼんやりした顔付きをしていますかねー。いつものようにきりっとしているつもりですけど……」
「そうですかあー、それならいいんですけどー」
愛が笑いながら受付を出ていこうとすると、電話が鳴った。小走りで受話器を取った愛が笑いながら告げた。
「洋介さん、お待ちかねの人からですよ」
「えっ、鹿子木さんから?」
愛は頷きながら、走り寄ってきた洋介に受話器を渡した。
「鹿子木さん、いかがでしたか? 三人の正体は分かりましたか?」
「それが、とにかく大当たりだったんです。今回も神尾さんのお蔭ですよ」
「早く教ええてください。どんな大当たりだったんですか?」
「穂谷慎一郎、帯広英夫、上田司という三人の名前は、予想通り過去の犯罪者リストの検索では引っ掛かりませんでした。上田司にも何回か電話してみましたが今のところ繋がっていません。でも、神尾さんのお蔭で彼らの写真と特徴が分かっていたので、それを手掛かりに警察の膨大なデータの検索を行なったんです。そうしたら、帯広英夫と名乗った男の正体が分かったんです。本名は上津屋勝司と言って、恐喝と詐欺の前科があったんです」
「そりゃ凄い!」
洋介が電話で急にはしゃいだような大きな声を出したので愛はびっくりしたようなあきれ顔で洋介を見た。
「それから、どうなったのですか? 他の二人の正体も分かったのですか?」
「まあまあ、神尾さん。話は長くなりますから電話じゃなくて、そちらに伺ってご説明致しますよ。今夜、神尾さんは空いていますか?」
「勿論ですよ。それじゃ、お待ちしています」
洋介がものすごく嬉しそうに受話器を置いたのを見て、愛は微笑みながら洋介に言った。
「良かったですね、事件の捜査が進展したようで。それで、今晩鹿子木さんが来られるのですね? 母に電話して『今夜は帰りが遅くなる』って言っておきますね」
「済まないねー。鹿子木さんは愛ちゃんの淹れた濃いめのコーヒーじゃないと頭が働かないようなんでね。よろしくお願いします」
その晩、夜九時半を過ぎた頃、鹿子木が筑波ホビークラブにやってきた。愛が淹れてくれたコーヒーを一口味わった後、鹿子木の説明が始まった。
「先ほど少しお話しましたように、帯広英夫と名乗った男である上津屋勝司は、恐喝と詐欺の前科があったのです。それで、上津屋の関係した事件の記録を丹念に調べたんですよ」
「そうしたら、他の男たちのことも芋蔓式に分かってきたとか?」
「ちょっと違うんですけど。でも、もっと凄かったんですよ」
「ええっ、『もっと』ですか。早く教えてくださいよ、勿体ぶらずに」
「まあまあ、順を追って説明しますよ。上津屋が関わったと疑われた詐欺事件が何件かありました。残念ながらこれらの事件は確たる証拠が見つけられず起訴するまでには至らなかったんですけどね。それらの事件で上津屋と共謀しているのではないかと疑われた女がいたんです。その女はいくつもの偽名を使って詐欺事件を起こしていたんですけど、本名は下狛翔子というんです。上津屋は下狛と組む前は単独で詐欺や脅迫をやっていたようなんですけど、脇が甘かったというか、犯罪の証拠を残すような手口だったので、二回ほど逮捕され、刑務所に入っていたんです。ところが、下狛と組むようになってからは、この二人は起訴されていないんです」
「そうすると、桜井さんに白鷺結子と名乗っていた女の人は下狛翔子さんという女詐欺師だったんですね。それで、その下狛さんはどんな種類の詐欺の疑いが持たれていたんですか?」
「ほとんどの詐欺事件で上津屋と組んで動いていたんです。主に下狛がリーダーとなって結婚詐欺を行なっていました。東京の刑事さんによると、『上津屋は本当は自分がリーダーとなって土地取引関係の詐欺を働きたかったようだが、土地取引は証拠が残り易いと思っていた下狛が嫌がっていたのではないか』ということです」
「そうすると、桜井さんがあのまま交際を続けていたら結婚詐欺の被害をもっと受けた可能性が非常に高い訳ですね?」
「そうです。桜井は『下狛に金を貸した』って言っていませんでしたか?」
「この間の話では、五十万円貸してしまっていて、さらに百万円を出してほしいとねだられていたところだったようです」
「やはりそうでしたか。桜井を警察に呼んで訊いてみることにしますよ。それでね、この下狛という女は相当頭の回転が速いようで、証拠になるような物を一切残していないんです。警察がいくら捜査しても起訴できるような証拠を見つけ出すことができなかったようです」
「そうですか……。でも上津屋さんをきっちりと尋問すれば何らかの証拠に繋がる証言が得られるんじゃないんですか?」
「普通はそうなんですけどねー。あの二人の結束はとんでもなく固いようで、上津屋は下狛が不利になるようなことは頑として口を割らないんだそうです。多分、上津屋は『下狛と組んでいれば自分が逮捕されることはない』と思っているんでしょうね。だから、『何が何でも下狛のことは守り通すぞ』というような意気込みが感じられるんだそうです」
「ふーん、そうだったんですか。下狛翔子さんという人はかなりの難敵だということか……」
「ただね、この捜査の過程で桜井の恋のライバルのもう一人の素性が判明してきたんですよ」
「上津屋や下狛と同じように、その男も偽名を使っていたんですか?」
「我々もそう予測して捜査していたんですが、穂谷慎一郎は本名であることが分かったんです」
「ええっ、本名だったんですか?」
「そうだったんです。下狛が関わったと考えられる結婚詐欺事件の報告書を一件ずつ丹念に読んでいくと、穂谷慎一郎の名前が出てきたんです。顔写真も桜井が撮影した人物と同一人物であると分かったんです。穂谷は下狛にいいように騙され、一千万円を超える被害に遭ったようなんです。それで、警察では何とか下狛を有罪にしようとしていたんですが、なんせ証拠になるような物が全く残されていなかったので起訴できなかったようです」
「なるほどねー、穂谷さんは随分と悔しかったことでしょうね。しかし、下狛さんという人は、ある意味凄い人なんですね。普通、どっかでポカをやるものなんだと思うんですけどね。それが一切無かったんですよね」
「そうなんです。本当に憎たらしいような女ですよ」
「穂谷さんは下狛さんのことを相当恨んでいたんでしょうね。『他の人には自分と同じような被害に遭ってほしくない』という思いが非常に強かったので、桜井さんに忠告しに、わざわざつくばまで来たわけですからね」
「多分、そういう面はあったんでしょうけど……」
「『けど……』って何なんですか?」
「下狛のことを酷く恨んでいたとなると、彼には毒を盛る動機はしっかりとあったということです」
「そうすると、鹿子木さんとしてはこれから穂谷さんの捜査に重点を置くということなんですか?」
「まあ、当面の捜査はそういうことになるでしょうね。ただ、まだ所在が掴めていない下狛翔子も単なる被害者という位置付けではなくなった訳ですからね。今回の中毒事件は、もしかすると、これまで名前の挙がっていない人物や組織が関係している結婚詐欺がらみの犯罪の一部であるという見方も出てくるのです。そっちの観点での捜査も並行して行わなくてはなりません。本当に面倒な状況になってしまいました」
「なるほどね。下狛さんと上津屋さんの捜査は警察の方でしっかりとされるでしょうから、私は口を出さないことにしておくとして、穂谷さんの捜査はつくば東署でやることができるんですか?」
「現段階では、穂谷は今回の中毒事件の関係者ということになりますから、我々が捜査しても問題はないと思っています。幸い穂谷は所在地が東京H署の管内なので、H署の春田刑事にお願いして協力していただこうと思っているんです」
「そうなんですか。春田刑事さんなら鹿子木さんとしても信頼出来て安心ですね。それから、上田司さんの扱いはどうされるんですか?」
「そうなんですよ。下狛が結婚詐偽をしていたとして、上田は影の支援者を名乗っていた訳ですから、下狛とグルになっていた可能性も十分にあるわけです。上田の捜査はまだ手が付いていないんですが、こっちの素性捜査もやらなければならないのです」
鹿子木は頷くと意欲が表情に現れているような顔をして筑波ホビークラブを後にした。




