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10.三人の男

 『かがい』の候補地を回った翌日、雄峰はいつものようにハンバーガーショップで朝食を食べ始めた。この日は結子が来ないことは分かってはいたものの、若干の期待感を持って出入口に目を遣っていた。

 一人の男性客が店に入ってきた。雄峰は少なからず落胆して目を逸らそうとしたが、二度見をした。何と、雄峰が結子と話をするようになる前から雄峰と同じく結子に興味を持っているかのように振舞っていた黒縁の眼鏡を掛けた長髪の男が入ってきたではないか。しかも真っすぐ雄峰の席に向かって歩いてきた。

「あのー、突然で申し訳ないんですけど、ちょっとお話させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 雄峰は一瞬たじろいだが、そこは自動車のセールスマンである。

「はい、勿論大丈夫です」

 その男は雄峰の席の向かい側の椅子を引いて座った。

「有難うございます。私は東京に住む穂谷慎一郎という者です」

「そうですか。私は桜井雄峰と申します。近くの車販売店で仕事をしています」

 穂谷慎一郎と名乗った男は頭を軽く下げた後、いきなり本題に入った。

「昨日、桜井さんは葉山京子さんとつくば市内を回っていましたよね?」

「えっ……。確かに私は昨日つくば市内で女性を案内して回りましたが、葉山京子さんという方とではありません。別の方とご一緒しました」

「ああ、そうでしたか。それで、あの女性はあなたに何と名乗ったのですか?」

「個人情報であるお客様のお名前をお伝えすることはご容赦願います」

「ああ、確かにそうですね。まあ、名前なんてどうでもよいことなんですけどね。それじゃ、ここでは『あの女性』と呼ぶことにします。桜井さん、『あの女性』と交際するのは止めた方がいいですよ」

「何故ですか」

「えーと、端的に言うと、桜井さんに迷惑がかかるんじゃないかと思うからなんです」

「あのー、私にはどういうことか、よく理解できないんですけど?」

 雄峰は怪訝そうにその男の目を正面から見てそう言った。

「何て説明したらいいかな。『このままでいると、桜井さんが後悔するようになる』って言えば分かってもらえるでしょうかね」

 穂谷には本当のことを言いたくてもできない何らかの事情があるように雄峰には感じられた。

「何だか雲を掴むようなお話なので、私にはよく分かりませんが」

「要するに……。とにかく、『あの女性には十分気を付けた方がよい』ということです。私は桜井さんのことを心配して忠告しているだけなんです」

 雄峰が両方の掌を少し上に広げて首をゆっくりと横に振ると、男は困惑したような表情になって、椅子から立ち上がった。

「とにかく、気を付けてくださいね」

 そう言い残して男は店から出て行った。


「穂谷慎一郎という男はいったい何を言いたかったんだろう?」

 雄峰は直前に起こっていた出来事に理解が追い付いていなかった。この事態をどのように受け止めて次の行動を起こせばよいか考えてみた。

「あの男はどんな目的で俺に近付いてきたんだろう? 本気で忠告しようとしていたんだろうか? 普通の人が初対面の人間にそんなことをするものだろうか?」

 あれやこれやと考えた挙句、雄峰は一つの考えに行き着いた。

「きっと彼奴は結子さんに好意を持っているんだろう。俺が結子さんと親しくしているのを見て、邪魔だと考えたに違いない。それであんなことを言って俺を諦めさせようとしているのだ」

 何とか自分自身を納得させることができる結論を得てホッとした雄峰は腕時計を見た。

「あっ、大変だ。遅刻しちゃう」



 雄峰は一人目について何とか説明できたのでホッとしたような表情で残っていたコーヒーに口を付けた。

「分かりました。桜井さんのおっしゃるように、穂谷さんは恋のライバルなのかもしれませんね。その次はどなたが現れたのですか?」

「次はこの二日後に現れた上田司と名乗った人です。上田さんはこの後何回か電話やハンバーガーショップで話をしましたから、後で詳しくお話するとして、三人目の人のことを先にお話します」

「分かりました。お願いします」

「上田さんと初めて会った二日後に帯広英夫という男が現れたのです」



 結子と歌姫明神に行った翌日、雄峰はいつものようにハンバーガーショップで朝食を摂りながらぼんやりしていた。

 ふと視線を上げると目の前に強面(こわもて)の男の顔があった。雄峰はびっくりして椅子ごと後退(あとずさ)りしてしまった。

「突然申し訳ありません。私は東京に住んでおります帯広英夫という者です」

 男の頭は五分刈りで身体は細身だが筋肉質で俊敏そうに見えた。鋭い目をしていたので、雄峰は若干たじろいだが、営業担当者らしく柔和な態度と声で対応した。

「私は桜井雄峰と申します。近くの車の販売店に勤務しております」

「そうですか。桜井さんは昨日行動を共にされた女性に興味をお持ちのように見えましたので、声を掛けさせていただきました。やはり桜井さんは彼女を好ましく思っておられるのでしょうね?」

「いや、まだ知り合っていくらも経っておりませんので、そこまでは考えておりません」

「そうですか? 私には桜井さんが本当はあの女性にかなり惹かれているように見えました。あなたのような若くて素敵な方があの女性と交際してくれるなら、私も安心できるんです。どうか彼女を大切にしてあげてください。突然こんなことを言いまして申し訳ありませんでした。失礼します」

 帯広と名乗った男は頭を下げると足早に店を出ていった。唖然として男の姿を目で追っていた雄峰はしばらくの間ボーとしていたが、ようやく落ち着いてきたところで考え出した。

「あの人は何の目的で俺に近付いてきたんだろうか? 新たなライバルの登場なのかな? それとも彼女の親族みたいな人で、俺がいい加減な交際をしているとあの人が文句を言ってくるかもしれないのかな? どっちにしても、ちょっと怖そうな外見だったから気を付けなくていけない」

 スマホを開いてみると出社時刻が迫っていたので、慌ててショップを出た。



 穂谷慎一郎が雄峰に近付いてきた二日後の朝、いつものハンバーガーショップで雄峰は結子と会って話をした。結子が先にショップから出ていってから数分後、短髪で身だしなみがよくスーツを着用したサラリーマン風の男がショップに入って来て迷うことなく雄峰の席に近づいてきた。

「突然済みません。少しお話させていただいても構いませんか?」

よく見ると、雄峰より少し上の年恰好に見えた。穂谷慎一郎とのことがあったばかりだったので、また新たな競争相手が現れたのかと思って雄峰は少なからず警戒心を抱いた。それでも、表面的には相手に不快感を与えないような態度で自分のテーブルの前の椅子を手で示しながら応えた。

「はい、どうぞお座りください」

「有難うございます」

 その男はホッとしたような表情で雄峰の前の席に座った。

「えー、私は上田司と申します。実は、今ここから出ていった女性と同じ所に勤めております。全く同じ組織ではないのであの女性は私のことを知らないと思いますが、比較的近い組織に属しています。私たちそれぞれの組織を統括している人から、彼女の仕事が上手くいくよう陰で支援してくれ、と頼まれたのです。しかも彼女には絶対に気付かれないようにとのことでした」

「ああ、そうだったのですか。私は桜井雄峰といいまして、近くの自動車販売店で営業を担当しています」

 雄峰は少し安心したような表情で応えた。


「どうかよろしくお願い致します。ところで、先日お二人で筑波山周辺に行かれたようでしたが……」

「ええっ! 行ったのをご存じだったのですか? 私は全く気が付きませんでしたが……」

「申し訳ありません。あの少し前から彼女の様子を見守っていたのです」

「そうだったのですか。あれは、『かがい』の実際の開催場所を調べに行ったのです」

「そうでしたか……。『かがい』についての調査でしたか……。今後、彼女を陰で支援するためにお訊きしますが、彼女はあなたにどんな目的で調査していると伝えているのでしょうか?」

「何でも、結子さんの研究テーマは、『日本の各地で「歌垣」が行われていた場所をしっかりと突き止めて、それらを比較検討して、開催地方による特徴や違いを明らかにすることだ』と言われていました。筑波山周辺では『歌垣』のことを『かがい』と呼んでいたそうで、そのイベントが行われていたと考えられている場所はいくつか候補地があるそうです。実際に開催された場所はまだ特定されていないということなので、今回の結子さんの調査の目的は、いくつかの候補地に行って真の開催場所を特定することだと言われていました。それで、『夫女之原』と『飯名神社』に行って調査したのです」

「なるほど。彼女も随分と頑張っているのですね。私も陰ながら気合を入れて支援しなければなりませんね。今後も彼女のこと、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」


「それで、さっき彼女はこれからどこに行くと言っていましたか?」

「今日も調査を続けるつもりだと、言われていました」

「そうですか。彼女が今日行くところはご存知ですか?」

「いいえ、私の会社の休みは火曜日だけなので、その日にしかお手伝いはできないのです。ですから、今日の行先は訊いていません。ただ、先日の様子から考えると、今日もいくつかの資料館に行って情報収集するのではないかと思います。確証はありませんけど」

「そうですか。あのー、こんなことを訊いておかしいと思われるかもしれませんが、彼女はあなたに借金をしていませんか? もしかすると彼女がお金に不自由しているかもしれないと心配しているものですから。多分十分な出張費を貰っていないと考えられますのでね」

「そうなんですか。実は、先日裕子さんが急につくばに宿泊したいと言われたので、二万円ほど用立てました。でも、さっききっちりと返してもらいましたよ」

「そうでしたか。やはり、出張費は十分ではないようですね。お金に関してまた彼女が不自由しているようでしたら、彼女には内緒で私に教えていただけないでしょうか?」

「教えるのは構いませんが、何故内緒にしなければいけないのですか?」

「それは、先程も言いましたが、彼女には内密に支援するようにと上の人に言われているからなのです。彼女の調査が上手くいった時、自分自身でそれを成し遂げたと彼女が思えるようにしたい、というのが上司の考え方なのです。是非ご了解いただきたいと思います」

「そういうことでしたら、ご協力致します」

「有難うございます。今、言いましたような状況ですので、今日ここで私と会ってお話したことも是非内密にしておいていただきたいのです。よろしくお願い致します」

「はい、勿論です。結子さんの研究が上手くいくことが何より重要なのだと思いますから」

「それから、これが私のスマホの電話番号とメールアドレスです。いきなりラインでやり取りするのは無理があるかと思いますので、電話とメールにしました。何かありましたら、ご連絡ください。よろしくお願いします」

「分かりました。私の連絡先は業務用の名刺を差し上げますから、そちらにお願いします」

「有難うございます」

 そう言って雄峰から名刺を受け取ると上田という男はぺこりと頭を下げてから店を出ていった。

 その日の雄峰はずっと考え事をしながら業務を行なっていた。

「上田司と名乗った男は本当に結子さんを陰ながら支援する人間なのであろうか? 穂谷慎一郎とは異なる種類の人間だと判断しても良いのだろうか?」

 ほぼ一日考えた挙句、辿り着いた結論は、『上田司の言ったことを信じてみよう』ということであった。雄峰がそう結論付けた根拠は、上田の身だしなみの良さと言葉遣いの丁寧さにあった。



 雄峰が実家から借りた五十万円を結子に渡した翌朝、雄峰はハンバーガーショップで代わり映えのしない朝食を摂っていた。この日は何となく達成感が得られたような気分で注意力が散漫になっていた。突然、目の前の席に上田司が座った。

「うわー、びっくりした。上田さんじゃないですか。どうしたんですか、いきなり私の前の席に座ったりして?」

「店に入ってから何度も挨拶したんですけど、桜井さんに気付いていただけなかったものですから」

「そうだったんですか。何だかボーっとしていたみたいですね。ご免なさい」

「何か嬉しいことでもあったんですか?」

「嬉しいこと?……。まあ、そういうことになるんですかね。実は、昨日ちょっとだけ結子さんのお役に立てたんですよ」

「ほうー、それは良かった。で、どんなことをしてあげたんですか?」

 雄峰は結子の論文審査に関する状況について説明した。


「それで、実家からお金を借りて、昨日結子さんに貸してあげたんです。そしたら、結子さんがとても喜んでくれたんです。ああそうだった。『結子さんがお金に困っていたら上田さんに連絡するように』って言われていましたね。そのうち電話するつもりだったんですよ」

「ああ、そういうことでしたか……。それで、いくら貸してあげたんですか?」

「五十万円です」

「五十万円か……。これで終わればいいんですがね……。うーん、彼女はあなたに更にお金の無心をしてくるかもしれませんね」

「五十万じゃ、まだ足りないんですかね?」

「多分……。彼女はお金に相当困っている状況にある、と私は思っているんですよ。次は百万円くらい何とかならないか、って、言うかもしれません」

「百万円ですって! そりゃ、私には無理ですよ」

「桜井さんご自身では無理かもしれませんけど、親御さんに頼み込めば、今回と同様、出してもらえる可能性はありますよね」

「いやー、うちの親もそんなに甘くはないと思いますけど……。でも、確かに、こっちが必死で頼めば出してくれるかもしれないなー」

「親御さんはご自分の子供さんが可愛いんですよ。でも、もちろん、お金を持っている親御さんじゃないと、出したくても出せませんけどね」

「上田さん、もし本当に結子さんから百万円ものお金を用立ててくれるよう依頼されたら、私はどう対応したらいいんでしょうね?」

「一番良いのは、きっぱり断ることですけど、桜井さんにできますか?」

「実際、そう言う場面になってしまったら、私には断ることができないかもしれないですね」

「そうですか……。私もそろそろ何か打つ手を考えなければいけなくなってきたようですね」

 上田はそう言うと、その場で考え込んでしまった。

「上田さん、私はもう出社しなければいけない時間なので、今日はこれで失礼します」

「ああ、ご免なさい。どうぞ行ってください。私はもう少しここで考えてみます」



 一週間後、結子から百万円ものお金が必要だと聞いた後、雄峰はショップを出て自分の車に乗り込むと直ぐに電話し始めた。

「あっ、上田さんですか。桜井です」

「朝からどうされたんですか?」

「今、裕子さんと話をしていたんですよ」

「彼女が会いに来たんですね?」

「ええ、そうです。何でも、論文の草案の感触は良かったようで、今日からこちらのホテルに泊まり込んで論文を仕上げたい、って言っていました。こっちにいれば、追加の調査も直ぐできるし」

「そうですか。それは良かった。ところで、お金の無心はなかったのですか?」

「そうそう、そのことで電話したんですよ。お金の話、あったんです。それで、上田さんにお知らせしておいた方が良いと思って」

「それで、今度はいくらくらい欲しいって言ってきたんですか? 多分、前回の倍くらいじゃないかと思いますけど」

「ええ、そうだったんです。今回は最低でも前回の倍の百万円って言われました」

「やっぱり、そうだったか……。それで、彼女は何に使うためって言っていましたか?」

「結子さんの教授の知り合いでこの分野では相当力を持っている大先生のアドバイスによると、『論文を受理されて学会誌に掲載されただけでは彼女の就職先を紹介することは難しい』って言われたらしいのです」

 雄峰は結子から聞いた『心意気を示す必要』について説明した。

「ああ、そうか。『心意気』って、要するに纏まったお金が必要だということですね」

「その通りです。本の出版費用と『心意気』を示すためのお金の両方で百万円ということでした」


「それで、桜井さんはどうするつもりなんですか?」

「前回、親から五十万円も借りていますから、さらに百万円も貸してって頼んでも良い返事は貰えないと思うんで、困っているんです。それに、この前、上田さんが予想した通りの展開になってきてしまいましたし」

「いや、私は予想したつもりじゃなくて、そうならなければいいな、という気持ちで言っただけですけどね。現実の問題になってきてしまいましたね……」

「本当にそうですね。当たらない方がよい心配事が実際に起こってしまいました」

「どうしましょうかねえ……」

 雄峰は上田には明かさなかったが、自分自身の貯金がちょうど百万円程あった。ケーキ屋を開店するための費用を貯めていたのだ。その金にはまだ手を付ける覚悟ができていなかったので、黙っていた。


 雄峰は自分の車を運転して会社に向かう途中、得体の知れない不安が頭を(よぎ)った。

「結子さんと上田さんは『同じ所の比較的近い組織に属しているけれど、一緒の組織ではない』と上田さんは言っていたよな。でも、結子さんの話では、結子さんはまだ就職はしていないようだ。それじゃ、どんな所に属しているんだろう? 何かの研究を目的とした団体でもあるのかな。でも何となくすっきりとはしないなー。 まあ、今は深く考えるのは止めておこう。とにかく上田さんを信じることにしたのだから」

 雄峰は結子や上田に自分の疑問を直接問い質す勇気は湧いてきそうもなかった。この不安な気持ちは洋介にも言わないでおいた。


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