第二章 一ノ谷の戦い 開戦2 一ノ谷の戦い
三草山の戦いがあったのは二月四日、この日は九日である。
当然平家の福原本陣には、三草山の陣が敗れたことが伝えられていただろう。
平家物語の通り、三草山から火計で火の手が上がっていれば、なおさらその様子は平家からよく見える。
棟梁宗盛は開戦前に陣容を調整した。
「動かせる兵を西に集めよ。源軍は三草山を襲っている。我らの上洛の道をふさぎ、そのまま攻め降りてくるつもりよ。迎え撃ってやれ」
兵と言っても、東に集めた兵士は動かせない。これは範頼の大手軍を相手取る、平家の主軍である。
必然的に、本陣近くの軍団を西に寄せることとなった。
その分、本陣は手薄になる。
この時宗盛はまだ、左右いずれかの防禦が破られなければ、本陣は安泰だと考えている。
まさか本陣に直接攻撃するすべがあるなどとは、考えてもいない。
夜明けを迎え、戦が始まった。
玉葉には、ごく簡潔に、こうある。
<まず範頼が東の生田に攻め寄せた。
次に義経が西の一ノ谷を落とした。
最前に、多田行綱が福原本陣を落とした>
注目されるのは、範頼は平家の東側に攻め寄せただけで、陥落してはいないという点。
その次に義経が西を攻めたのは大手軍と呼応したのだろうが、義経軍は西の陣を落としている。
そして、義経別動隊として山手(夢野口)から攻めた多田軍が、最前に――最初にまず本陣を落としたというのである。
戦場に出る直前まで気配を消していた行綱軍は、勝手知ったる山の細い道を静かに降っていくと、射程圏内に見据えた平家の福原本陣に突撃した。
突如迫ってきた地響きに、鎧姿の宗盛が腰を浮かせ、「何事か!」と叫ぶ。
陣幕に兵士が一人飛び込んできて、告げた。
「殿、馬にお乗りください! 背後の山より敵襲です!」
宗盛はぞっとしてうめく。
「ばかな」
平家は夢野口にも布陣はしていたのだが、これを行綱軍が奇襲で踏み破った。最前にである。
「平賊! 海の戦は得意でも、山の兵は見抜けんか!」
縦横無尽に馬を駆る行綱は、当たるを幸いと平家の武士に馬上から次々に騎射する。
「はははは、海の平家殿は陸の戦が苦手なようじゃのう!」
当然、平家軍は大混乱に陥った。
東西鉄壁の構えを施したつもりが、そのせいで手薄になった本陣が突然落とされたのである。
平家の陣から火の手が上がり、行綱軍の歓声と鬨の声が戦場に響き渡った。
その様子を見て、義経が作戦の成功を確信し、一気に攻勢に出る。
「どうやら多田殿がうまくやってくれたようだ! お前たち、かかれ! 挟み撃ちよ!」
平家軍がいくら万全の迎撃態勢を取って盾や防壁を築こうとも、後背から無防備な背を打たれればひとたまりもない。
平家の砦に矢をつがえる者はいなくなり、果たしてなにが起きているのかと本陣を振り返っている間に、表から義経が猛攻を加えてくる。
これでは守りようがなかった。
浮足立つ平家の西の陣を、義経軍は一気呵成に突き破った。
義経軍の武将が、敵にも味方にも次々に叫ぶ。
「一ノ谷は破った! 本陣もとうに落ちておる! 今度は東の生田を挟撃しようぞ!」
これによって、平家軍はいよいよ混乱の極みに陥った。
左右両側に防壁を敷いて備えるということは、一方が破れらればあとは袋のネズミである。
この時完全に逃げ場がふさがれていれば、平家軍は必死の抵抗を試み、窮鼠猫を噛んだかもしれない。
だが、一か所だけ残された行き先があった。
これが源平逆の立場であれば、それは逃走経路とはみなされなかったかもしれない。
海の平家と呼ばれる彼らのよりどころ、瀬戸内海である。
「逃げろ! 海だ、海に出ろ!」
「引き揚げよ! 舟に向かえ!」
平家軍にそのような声が瞬く間に増えていった。
兵士たちは停泊していた舟に向かって駆け出す。
だがいくら平家が舟戦が得意とはいっても、慌てふためく逃亡兵が、限られた舟に殺到したのである。
当時の舟は刳船(丸木舟)という丸太から削り出した細長いボートのようなそれがほとんどだったとみられ、安定性にも定員にも限界がある。
そこに鎧武者が我先にと乗り込めば、まともに漕ぎ出すことはできない。
「見よ、平家のやつらが逃げようとしておる! 射よ、射よ!」
義経軍はこれを幸いと、背を向けて必死に逃げようとする平家軍に矢の雨を浴びせた。
こうなればもう、戦闘は戦の体をなさなかった。
何艘かはそれでも、どうにか沖へ逃れた。
だが玉葉によればこの時、海上で平家の舟が炎上したようである。
平家の失火とみる向きも多いが、この時に船上で火を焚くというのも不思議である。
義経軍が火矢を射かけたのではないか。
平家物語では、義経が陸戦で放火戦術を仕掛けている。
この一ノ谷には、京へ攻め上り逆襲を仕掛けんとしていた平家の主力が結集していた。
戦えば勝てる。その自負が君臣上下にみなぎっていた。
それが訳も分からぬうちに本陣を落とされ、西と中央の陣は炎上し、東もすでに挟撃により死地となり、あまりにも一方的な敗北に突き落とされている。
平家の武力の中心人物であった平知盛は、想像だにしなかった光景に愕然としていた。
このような戦は初めてだった。
だが、呆けてはいられない。
こうなった以上知盛には、一人でも多くの兵を連れて逃げ延びる務めがある。
やがて、残る生田の陣も破れ、平家は総崩れとなった。
三方から攻められた知盛は、彼でさえも、海に逃れるしかないと考えた。
そして海岸に向かい、逃げようとする背中をさんざんに射貫かれる有様を見て、再び驚愕に襲われた。
敵に背を向けるな、思うつぼだ、といくら知盛が叫んだところで、もう敗走兵の収集はつきようがない。
知盛自身はなんとか逃げ延びたが、平家の受けた損耗はあまりにも甚大であった。
あたりの舟を見回すたびに、知盛の肝が冷えていく。
少ない。
これまで苦楽を共にしてきた歴戦の勇将たちが、まるで見当たらない。
知盛は、これは夢かうつつかと眩暈に襲われた。
知盛と並ぶ平家武門の長である、平重衡は捕縛された。
吾妻鏡によれば、平通盛は死亡。忠度、經俊、知章(知盛の息子)、敦盛、業盛・盛俊らは討ち死に。
經正・教経・師盛は捕縛(ただし教経はこの後の戦にも参加しているので、吾妻鏡の誤記と思われる)。
平家一門の中心人物が、わずか一戦で壊滅状態に陥ったのである。
平家の最後の戦は壇ノ浦だった。
だが天下分け目の決戦はこの一ノ谷だったといえる。
こののち平家は深刻な人材難に陥り、知盛が孤軍奮闘するも、平家全体を支える武門の戦士があまりにも不足する。
一ノ谷での義経の奇襲――というよりも挟撃、挟撃というよりも袋の一口だけを空けた半包囲作戦。
当初の平家逃走経路であった西の道をふさぎ、活路と見せかけて最大の死地と化した海へと平家を追い込む組み立て。
戦の勘所を見極め三草山からの仕掛けから始めた一連の戦略。
その鮮やかな成功は、平家の戦力を致命的に削いだ。
今にも都を奪還するかと思えた平家はこの完敗で大きく後退した。
四国の屋島と、九州への入り口である彦島での防衛線死守を余儀なくされるのである。
(終)




