第7話:影を切り裂く刃と、世界の理
背後の暗がりから現れたのは、巨大な黒毛の爪獣――『シャドウ・ストーカー』だった。
しなやかで巨大な肉体と、闇に溶け込む黒毛。駆け出しのFランク冒険者パーティが遭遇すれば全滅すらあり得る、この浅い森の階層においては破格の危険度を誇る肉食の魔物だ。
「ルゥゥ……ッ!」
血のように赤い瞳が、威嚇するようにギラリと光る。
その殺気に圧され、背後でアイラが小さく悲鳴を上げて私にすがりついた。
(Fランク冒険者が数人がかりで挑んでようやく手一杯になるレベルの獲物か……。二歳の肉体で正面からやり合う相手じゃないね)
アイラに怪しまれたり、余計な恐怖を与えたりするわけにはいかない。私は彼女を背中に隠し、小さな声でささやいた。
「アイラ、目を閉じてじっとしていて。絶対に見ちゃダメだよ」
「う、うん……っ!」
アイラがぎゅっと目を瞑ったのを確認し、私は【多重思考】で一瞬の猶予を作り出した。溜め込んだポイントを引き出すための言葉を心の中で紡ぐ。
(――『リリース』)
蓄積されたINT(知力)とMND(精神)のポイントから、1時間限定のステータス付与を解放した。
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**【ステータス付与実行:持続時間 1時間】**
* **INT(知力)**:25 ➔ **825**(+800)
* **MND(精神)**:20 ➔ **820**(+800)
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――瞬間。
脳の処理能力が爆発的に跳ね上がり、視界の世界がスローモーションへと減速する。溢れんばかりの魔力が頭脳を満たした。
シャドウ・ストーカーが影のように揺らめき、音もなく跳躍。鋭い爪が迫る直前、私は【アイテム交換】で手に入れたわずか10ポイントの『煙幕弾』を足元へ叩きつけた。
バンッ!
周囲一帯が真っ白い煙で覆われ、視界が完全に遮られる。
音と匂いに頼ろうとした魔物が煙の中で一瞬困惑した隙を逃さず、跳ね上がった魔力と精緻な制御力を活かし、生活魔法『風』を極限まで収束させて放った。
――シュッ!
高圧の風の刃が、煙の向こうで魔物の急所である眉間を正確に貫く。
悲鳴を上げる暇もなく、巨体は勢いを失って地面へ倒れ込み、静まり返った。
「ふう……」
私はすぐさま【ステータス付与】を解除し、素早く周囲の煙を薄い『風』で吹き飛ばした。そして転がっていた倒木を魔物の死体の上に覆いかぶせるように配置し、あたかも「運よく倒木の下敷きになった」かのように誤魔化した。
「もう目を開けていいよ、アイラ」
「ふぇ……? あ、あれ……? 魔物は……?」
アイラが恐る恐る目を開けると、そこには煙の残香と、倒木の下で動かなくなっている魔物の姿があるだけだった。
「急に大きな倒木が落ちてきて、運よく魔物を潰してくれたみたいだね。神様が助けてくれたのかもしれない」
「えっ……た、倒木が!? すごい……ヒューイくん、あたしたち命拾いしたんだね……!」
素直なアイラは私の誤魔化しをあっさりと信じ、胸をなで下ろした。
「さあ、みんなが心配しているから帰ろう」
「うん……! ヒューイくん、ありがとう……!」
安堵の涙を拭うアイラの手を優しく握り直し、私は誰にも見つからないよう、静かに森を後にしたのだった。
◆
無事に屋敷の自室へと戻り、アイラも無事に保護されて騒動が収まった頃。
私はベッドの上で一人、静かに能力画面を開いていた。
今回の件で、私はこの世界の新たな「理」について考察を深めていた。
(ふむ……魔物を倒したことで、わずかだが体に変化があったね)
この世界には、魔物を討伐することで得られる『経験値』**と、それによって身体能力や魔力の上限が引き上げられる**『レベル』という概念が存在する。
一般的な住人や冒険者たちは、苛烈な戦闘を経て経験値を稼ぎ、レベルを上げることで強くなっていく。だが、レベルが上がるとステータスが急激に上昇するため、周囲に「有能さ」や「異質さ」が目立ちやすくなってしまうのだ。
(私の目指すスローライフにおいて、無駄にレベルが上がって目立ってしまうのは避けたいところだな……)
しかし、【ストック】を持つ私にとっては話が別だ。
もしレベルが上がって基本ステータスが増加したとしても、その増えた分を毎日【ストック】で削ってしまえば、表面上のステータスは常に「病弱な一般人以下」の状態を保つことができる。
(なるほどね。レベルを上げて基礎体力を底上げしつつ、表向きは『病弱で最弱の子供』を演じ続ける……。これは非常に都合が良い仕組みだ)
知性とスキルの真価を改めて確認した私は、ふっと口元を緩めると、明日からの新たな「ストック生活」に思いを馳せながら静かに目を閉じたのだった。




