第2話:お体弱き幼子と、お転婆な少女
生後六ヶ月を迎えた頃、私の『ストック』による極端な弱体化は、伯爵家の中ですっかり定着していた。
昼下がりの温かな木漏れ日の中、ベビーベッドで一人横たわりながら、私は頭の中で自身の「状態」を静かに整理していた。転生時に神から与えられた認知能力のおかげか、頭の中で念じるだけで自らのステータスやスキルを客観的な数値・情報として把握することができるのだ。
(さて、今日の私の状態は……と)
脳内で意識を集中させると、半透明の文字のように自身の情報が浮かび上がる。
【名前】 ヒューイ
【年齢】 0歳(生後6ヶ月)
【素質倍率】 1.5倍(伯爵家の血統)
【基本ステータス(素の値)】
STR(筋力): 15
VIT(耐久): 15
DEX(器用): 15
INT(知力): 45(高水準)
MND(精神): 45(高水準)
【保有固有スキル】
【ストック(レベル1)】
効果:1日1項目、己のステータスをストックすることができる。
現在の状態:【VIT(耐久)】をストック中
【深謀遠慮】
効果:自身のステータスや思考・詠唱の気配を完全に隠蔽する。また、相手に「自分を警戒させる隙を与えない」精神的補正を与える。
【多重思考】
効果:複数の思考並行処理を完全に独立させて同時に行える。
【盤上の先手】
効果:収集した情報をもとに、数歩先の未来をシミュレーションして最適解を割り出す。
【現在の実効ステータス】
STR: 15 / VIT: 1(削られ中) / DEX: 15 / INT: 45 / MND: 45
(ふむ……やはり分かりやすいな。この世界の成人の平均ステータスは『100』前後。1歳児程度の平均が『10』だから、伯爵家の血統もあって身体能力系の数値は『15』と平均より少し良い程度だが、前世の記憶や魂の格の影響か、INTとMNDだけは3倍近い『45』と頭一つ抜けて高いな)
保有スキルのうち【深謀遠慮】は、自身のステータスや気配を完全に隠蔽する権能だ。今すぐ誰かに狙われているわけではないので常時展開しておく必要はないが、将来何か大きなトラブルや権力闘争に巻き込まれた際、自分の実力を隠し通す強力な手札になってくれるだろう。
また【多重思考】を使えば、表面上は「あー」「うー」と可愛らしく愛想を振りまきながら、裏の思考空間で【盤上の先手】による今後の計画づくりや周囲の状況分析を同時に行うことができる。
しかし、肝心の固有スキル【ストック】を起動し、その日の対象項目(今日はVIT)をストック領域へと回してしまうと、そのステータスは丸ごと削り取られ、限りなくゼロに近い『1』にまで暴落する。
(引き出し方や蓄積されたポイントの活用方法は依然として不明。レベル1の段階では、ただひたすら無力化と引き換えに『貯金』を溜め込むだけのスキルというわけだ。……まあ、普段の力を抑えて目立ずに過ごすには好都合だがね)
自分のステータスとスキルの仕様を改めて確認し、満足した私がぽやぽやと睡魔に浸りかけた、まさにその時だった。
我が家に大切なお客人が訪れた。
近所に屋敷を構える騎士団長とその家族――そして、私と同い年になる少女、アイラだった。
「ほらアイラ、ヒューイ様にご挨拶しなさい。お身体が少しお弱いのだから、乱暴にしてはダメですよ」
騎士団長夫妻に促され、ハイハイで私のベビーベッドの横にやってきたアイラ。
彼女は騎士の血筋ゆえか、生後半年にもかかわらず溢れんばかりの活力を持っていた。素のステータスで言えば、私と同じかそれ以上……『15〜20』近くあるだろう。
「あぅ……! ばぶーっ!」
元気いっぱいに声を上げながら、アイラは興味津々な様子で私のベビーベッドの柵を揺らした。
離れた場所では大人たちが歓談しており、ベッドのすぐ脇では、我が家の侍女が静かに私たちの様子を見守っている。
普通の赤ん坊同士の触れ合いであれば、ほほ笑ましい日常の一コマで済むはずだった。
しかし、その日の私は『VIT(耐久力)』をストックに回しており、実質的に耐久値が『1』という豆腐以下の紙くず状態だったのだ。
アイラがきゃっきゃっと笑いながら私の手に触れ、無邪気にポンと軽く腕を叩いた、まさに次の瞬間。
ペチッ。
「……っ!?」
大人から見れば羽毛が触れた程度の力。だが、耐久値『1』の今の私にとっては、巨大なハンマーで叩かれたに等しい衝撃だった。
軽い激痛が走ったものの、声帯の筋肉すら弱っている私は叫ぶこともできず、ただウッと息を呑んで固まる。
パッと見れば、私の小さな腕にはうっすらと赤みが差し、小さな青あざが浮かび上がり始めていた。大怪我というほどではないが、赤ん坊の肌にしては痛々しい跡だ。
その変化に真っ先に気づいたのは、そばで控えていた侍女だった。
「ひ、ヒューイ様……!? 大変、腕に青あざが……!」
侍女の驚く叫び声に、歓談していた両親と騎士団長夫妻が一斉にこちらへ駆け寄ってくる。
侍女は青ざめた顔で、慌てて声を震わせた。
「ち、違います、アイラ様はただ優しく触られただけで……! なぜ、こんなにあざができてしまったのでしょう……!?」
「ヒューイ……! 大丈夫かい?」
父様と母様が心配そうにベッドを覗き込み、私の顔色や腕の様子を優しく見守る。
当のアイラは、自分が少し触れただけで私の腕にあざができてしまった光景を目の当たりにし、大きなショックを受けたようで、大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「あぅ……あうぅ……っ!」
(やれやれ……。アイラは何も悪くないんだがね。私の耐久力が豆腐並みなのが原因なんだが……)
申し訳なさそうに泣くアイラを見つめながら、私は声が出ないなりに、心の中で苦笑するしかなかった。
冷やした布で少し冷やすだけであざはすぐに引き、大したことにはならなかったものの、この出来事はアイラの幼い心に強烈な印象を残したらしい。
それ以来、アイラは我が家にやってくるたび、おっかなびっくりといった様子で私に近づき、まるで割れ物を扱うかのように優しく手を握ってくるようになった。
「……あう」
小さく呟きながら、壊れ物を包み込むように私の手をつなぐアイラ。
その勝気な瞳には、「私がこのお体の弱いヒューイを守ってあげなきゃ」という、幼いながらも真っ直ぐな決意が宿っていた。
(ふふ、頼もしい騎士様だね。君が守ってくれるなら、私は安心して日向ぼっこができるよ)
私は弱々しい赤ん坊の微笑みを返し、アイラの小さな手を握り返した。
こうして、私とアイラの不思議な幼馴染としての関係が始まったのだった。




