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『大正の迷ゐ子』  作者: 久世 文彦


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第十三話 春の空



 小田原を発つ朝、私は宿の窓から、春の空を眺めていた。


 明治三十七年の春に、小田原で興行していた松風一座。


 その一座が、箱根方面へ移動したという話を、高瀬徳蔵氏から聞いた。


 確かな記録は、まだ見つかっていない。


 しかし、旅芸人が町から町へ移動するのは、ごく自然なことだった。


 ならば、その足跡を追ってみる価値はある。


「文彦さん、もう出られる?」


 荷物をまとめた新太が、部屋の戸口に立っていた。


「ああ。忘れ物はないか」


「ないよ」


「手帳は?」


「持った」


「財布は?」


「持った」


「着替えは?」


「持ったってば」


「そうか。では、行こう」


「文彦さんの方こそ、忘れ物はない?」


「私は大丈夫だ」


「本当に?」


「何だ、その疑い深い目は」


「この前、宿に手袋を忘れたじゃないか」


 私は黙った。


 新聞記者という仕事は、他人の間違いを見つけることには慣れているが、自分の忘れ物には案外気づかないものである。


 新太は、笑いながら先に歩き出した。


     *


 私たちは、小田原から箱根湯本へ向かい、そこから登山電車に乗り換えた。


 大正八年に湯本から強羅まで開通した登山電車は、山の斜面に沿って走る。


 大正十年の今では、すでに箱根の新しい名物になりつつあった。


 車窓から見える景色は、町のそれとは違う。


 山肌が近づき、谷が深くなり、線路は急な勾配を登っていく。


 途中、電車は何度か進行方向を変えた。


「おや、今度は反対に走るのかい?」


 新太が窓の外を見ながら言った。


「スイッチバックという方式だ。急な坂を一気に登ることができないから、進行方向を変えながら高度を上げていく」


「面白いねえ。山に合わせて、電車も工夫しているんだ」


「そういうことだ」


「人間も、山に合わせて歩けばいいのにね」


「何だ、それは」


「山道をまっすぐ登ろうとするから大変なんだよ。電車みたいに、曲がりながら進めばいい」


 私は笑った。


「君は、なかなか哲学的なことを言うな」


「そうかな。お腹が空いてきただけだよ」


 どうやら、新太の哲学は、最後には食事に行き着くらしい。


 電車は、山の斜面を縫うように進んだ。


 やがて、強羅の駅に着いた。


 駅の周辺には、開発が進みつつある別荘地の景色が広がっていた。山の空気は澄み、町の喧騒は遠い。


 私たちは駅を出て、まず近くの宿を訪ねることにした。


 高瀬氏の話では、明治三十七年頃、このあたりを通る旅芸人の一座がいた可能性があるという。


 ただし、強羅そのものが当時の興行地だったとは限らない。


 湯本や宮ノ下へ向かう途中、山道を通っただけかもしれない。


 そのため、宿の主人に話を聞くことにしたのである。


     *


 訪ねた宿は、駅から少し離れた場所にあった。


 建物は新しいが、主人の家は昔からこの土地に縁があるという。


 主人は五十代の男で、日に焼けた顔をしていた。


「旅芸人の一座ですか」


「はい。明治三十七年の春頃、小田原で興行していた松風一座という一座について調べています」


「松風一座ねえ」


 主人は、少し考えた。


「私が生まれる前の話ですから、直接は知りません。ただ、祖父から聞いた話ならありますよ」


「ぜひ、お聞かせください」


「昔は、山の方へ向かう人間も、今ほど多くなかったそうです。旅館や別荘に出入りする人間はいたが、山道を通る旅芸人は目立ったそうですよ」


「一座が通ったことを覚えている人がいたのでしょうか」


「祖父は、子供を連れた一行が通ったと話していました」


 私は、手帳を開いた。


「子供を連れた一行ですか」


「ええ。女の人もいたそうです。大きな荷物を持った男たちもいたとか」


「その人たちは、旅芸人だったのでしょうか」


「そこまでは分かりません。祖父は、何かの一座だったのではないかと言っていました」


「いつ頃の話でしょう」


「明治三十年代だったと思います。祖父は、春先のことだと言っていました」


 私は、新太を見た。


 新太も、こちらを見ていた。


「その一行について、ほかに何か覚えていらっしゃいませんか」


「子供が一人、途中でいなくなったという話を聞いたことがあります」


 私は、思わず手を止めた。


「いなくなった?」


「ええ。ただ、誰から聞いた話なのか、祖父もはっきりとは言っていませんでした。道に迷ったのか、親とはぐれたのか、何か事情があったのか。そこまでは分かりません」


「その子供は、男の子だったのでしょうか」


「それも分かりません」


「年齢は?」


「小さな子供だった、という話だけです」


 新太は、黙っていた。


 私は、できるだけ落ち着いた声で尋ねた。


「その一行の名前や、行き先は残っていないのでしょうか」


「残念ながら、記録はありません。祖父の話だけですからね」


「そうですか」


「ただ、昔の話を知っている人なら、宮ノ下の方にいるかもしれません。あちらには古くから旅館を営んでいる家もありますから」


「ありがとうございます。そちらも訪ねてみます」


 主人は、少し考えてから、こう付け加えた。


「でもね、旅芸人というのは、町に来て、いつの間にかいなくなるものだったそうですよ。誰がどこへ行ったのか、いちいち記録に残すわけでもない」


「確かに」


「だから、名前が残っていなくても、不思議ではないでしょう」


 私は礼を言い、宿を出た。


     *


 外へ出ると、新太はしばらく黙って歩いていた。


「新太」


「うん」


「どうした」


「子供がいなくなった、という話が気になるんだ」


「そうだな」


「ぼくのことかもしれないね」


「可能性はある」


「でも、まだ分からないんだよね」


「ああ。年齢も性別も、名前も分かっていない」


 新太は、うなずいた。


「人さらいだったのかな」


「そう考えることもできる。しかし、道に迷ったのかもしれない。親とはぐれたのかもしれない。あるいは、別の事情があったのかもしれない」


「誰かが、ぼくを連れて行ったのかな」


「今の話だけでは、何とも言えない」


「そっか」


 新太は、山の方を見上げた。


「もし、ぼくが誰かに連れて行かれたのなら、その人は、ぼくをどうするつもりだったんだろう」


 私は、すぐには答えなかった。


 人さらいという言葉は、簡単に使うべきではない。


 その言葉を口にした瞬間、誰かが悪人になり、誰かが被害者になる。


 しかし、今の私たちには、そこまでの証拠がない。


「新太」


「うん?」


「分からないことは、分からないままにしておこう」


「うん。文彦さんとの約束だもんね」


「そうだ」


「でも、調べるのはやめないよ」


「もちろんだ」


 新太は、少しだけ笑った。


「ぼくのことだからね」


     *


 昼時になった。


 山の空気は、思ったよりも冷たい。


 私たちは、駅の近くの食堂に入った。


 品書きには、山菜そばや、豆腐料理、川魚の料理などが並んでいた。


「文彦さん、何にする?」


「山菜そばにしよう」


「ぼくも」


 運ばれてきたそばには、山菜がたっぷりとのっていた。


 ふき、わらび、ぜんまい。


 山菜の香りが、温かい汁の中に広がっている。


 新太は、まず汁を一口すすった。


「うん。温まるね」


「ああ。山の中は、まだ少し肌寒い」


「小田原とは、空気が違うね」


「標高も違うからな」


 そばを食べながら、新太は、ふと話し始めた。


「源次さんも、こういう山の町に来たことがあるのかな」


「旅芸人なら、いろいろな土地を歩いただろう」


「そうだよね。ぼく、小さい頃、山道を歩いた記憶が少しあるんだ」


「箱根か?」


「分からない。でも、坂道を上っていた気がする」


「誰かと一緒だったのか」


「たぶんね。大きな人の手を握っていたような気がする」


 私は、箸を止めた。


「源次さんの手かもしれないな」


「うん。そうかもしれない」


 新太は、汁をもう一口飲んだ。


「でも、それが本当に箱根の記憶なのかは分からないよ」


「そうだな」


「もしかしたら、別の町かもしれないし、夢で見たことかもしれない」


「無理に思い出そうとしなくてもいい」


「うん」


 新太は、山菜を箸でつまんだ。


「でも、こういう山の景色を見ると、何か懐かしい感じがするんだ」


 その言葉を、私は心に留めた。


 懐かしいという感覚は、必ずしも記憶の証拠ではない。


 しかし、本人にとっては、確かな感情である。


 記者として、その感情を事実と取り違えてはいけない。


 友人として、その感情を否定してもいけない。


     *


 午後、私たちは強羅の周辺を歩いた。


 強羅園と呼ばれる公園がある。


 大正三年に開園した庭園で、山の斜面を利用した造りになっている。


 花壇や噴水、石を配した庭園が整えられ、訪れる人々の目を楽しませていた。


 新太は、園内をゆっくり歩いた。


「ここは、きれいなところだね」


「ああ。山の中に、こういう庭園があるとは思わなかった」


「ぼく、こういう場所は好きだな」


「舞台とは違うが、景色を眺めるのも悪くないだろう」


「うん」


 新太は、噴水のそばで立ち止まった。


「ねえ、文彦さん」


「何だ」


「ぼくが小さい頃、どこかの町で舞台に立っていたのなら、誰かが覚えているかもしれないね」


「そうだな」


「お客さんの中に、ぼくを見た人がいるかもしれない」


「可能性はある」


「その人が、ぼくのことを覚えていたら、嬉しいな」


 私は、新太の横顔を見た。


 自分の過去を知りたいという気持ちは、ただ血のつながった親を探すことだけではないのだろう。


 自分がどこにいたのか。


 誰と過ごしたのか。


 誰の目に映っていたのか。


 そうしたことを、一つずつ確かめたいのかもしれない。


「新太」


「うん?」


「今日の話は、まだ証拠にはならない。だが、次に調べる場所は見つかった」


「宮ノ下だね」


「ああ。古い旅館の記録が残っているかもしれない」


「行こう」


「明日だな」


「楽しみだね」


 新太は、また笑った。


     *


 宿に戻った私は、今日の話を手帳に整理した。


 強羅の宿の主人から聞いた話。


 明治三十年代の春、子供を連れた一行が山道を通ったという。


 その一行には、女と複数の男がいたらしい。


 そして、子供が一人いなくなったという話が残っている。


 ただし、これらは主人の祖父から伝わった話であり、直接の記録ではない。


 子供の性別も、年齢も、名前も不明。


 松風一座との関係も分からない。


 それでも、私たちが小田原で見つけた記録と、無関係とは言い切れない。


 私は、最後に一つ書き加えた。


 ――子供がいなくなったという話は、確かに残っている。しかし、それが誰のことなのかは、まだ分からない。


 書き終えた私は、窓の外を見た。


 山の夜は、町よりも早く暗くなる。


 遠くに灯る明かりが、ぽつりぽつりと見えた。


 そのとき、隣の部屋から新太の声がした。


「文彦さん、もう寝るの?」


「ああ。明日も歩くからな」


「ぼく、まだ眠くないんだけど」


「何をするつもりだ」


「源次さんに手紙を書こうと思って」


「そうか」


「今日、昔のことを思い出したからね。舞台で転んだこととか、団子を食べたこととか」


「それは、いいことだ」


「源次さん、覚えているかな」


「きっと覚えているだろう」


「そうだといいな」


 新太は、部屋の中で筆を動かし始めた。


 私は、自分の原稿用紙に向き直った。


 新太は、過去を探している。


 しかし、彼には、今もつながっている人がいる。


 源次も、一座のみんなも、彼の帰りを待っているだろう。


 そして、彼らとの思い出は、誰にも奪うことのできないものだ。


 山の夜は静かだった。


 明日は、宮ノ下へ向かう。


 そこに、どんな記憶が残されているのか。


 私たちは、まだ知らない。

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