第十一話 古い住所を訪ねて
役場で見せてもらった古い帳面の写しを、私は何度も読み返していた。
明治三十七年三月。
一座名、松風一座。
興行主、松吉。
出演者、おふさ。
そこには、確かにそう記されている。
しかし、これだけでは何も決まらない。
松風一座が、源次の率いる一座と同じなのか。興行主の松吉とは、どのような人物だったのか。そして、おふさは写真館の帳面にあった「ふさ」と同一人物なのか。
名前が一つ見つかるたびに、謎が一つ増える。
どうやら、取材というものは、そういう仕事らしい。
「文彦さん」
向かいを歩いていた新太が、私の手元をのぞき込んだ。
「さっきから、ずっとその紙を見てるね」
「大事な資料だからな」
「紙を見ていたら、松吉さんが出てくるの?」
「出てきてくれるなら、苦労はしない」
「じゃあ、会いに行こうよ」
「そのために、これから住所を訪ねるんだ」
役場の藤田氏が教えてくれた住所は、かつて松吉が住んでいたとされる場所だった。
ただし、明治三十七年の住所である。
今も同じ家が残っている保証はない。住んでいる人が変わっているかもしれないし、家そのものがなくなっているかもしれない。
それでも、行ってみる価値はある。
私は手帳を懐にしまった。
「ところで、新太」
「なに?」
「腹は減っていないか」
「減ってるよ」
「さっき昼飯を食べたばかりじゃないか」
「歩くと腹が減るんだよ」
「君は、なかなか燃費の悪い男だな」
「文彦さんだって、さっきから何か食べる店を探してたじゃないか」
私は返事をしなかった。
どうやら、新聞記者の観察力というものは、時として同行者にも向けられるらしい。
*
松吉の住所は、旧市街の一角にあった。
大通りから少し入ったところで、表通りの賑わいが嘘のように静かになる。
古い家並みが続き、格子戸のある家や、小さな商店が並んでいた。
住所を頼りに歩いていくと、目的の場所には、間口の狭い平屋が建っていた。
ただし、そこが明治三十七年の松吉の家だったという証拠はない。
門の脇には、今の住人のものらしい表札が掛かっている。
「ここかな」
「住所は合っている」
「じゃあ、聞いてみよう」
新太はためらう様子もなく、戸口へ近づいた。
こういうとき、彼の物怖じしない性格はありがたい。
私ならば、まず訪問の理由をどう説明するか考え、場合によっては三度ほど頭の中で練習してから戸を叩くところだ。
新太は、そんなことを気にしない。
「ごめんください」
しばらくして、戸が開いた。
出てきたのは、六十代くらいの女性だった。
小柄で、白髪を後ろでまとめている。目元には年齢相応の皺があったが、声ははっきりしていた。
「はい。どちらさまですか」
「突然すみません。私たちは、明治三十七年頃の小田原の興行について調べております。こちらの住所に、当時、松吉という人物が住んでいた記録がありまして」
私は新聞記者としての名刺を差し出した。
女性はそれを受け取り、しばらく眺めた。
「松吉さん?」
「はい。松吉という名前です。松風一座という旅芸人の一座に関係していたようなのですが」
女性は、少し考え込んだ。
「松吉さんという人は、昔、このあたりにいたと聞いたことがありますよ。でも、私が知っている人ではありません。うちの主人の祖父が、昔のことをよく話していましたから」
「ご主人のお祖父さまが?」
「ええ。もう亡くなりましたけれどね」
女性は、私たちの手元の資料を見た。
「旅芸人の一座ですか。ちょっと待ってください」
そう言うと、家の奥へ引っ込んだ。
やがて戻ってきた彼女の手には、一冊の古い帳面があった。
「主人の家に残っていたものです。何か分かるかどうかは、私にも分かりませんけれど」
帳面の表紙は傷み、背の部分も擦り切れていた。
私は両手で受け取った。
「拝見してもよろしいでしょうか」
「どうぞ。ただし、大事なものですから、丁寧にお願いしますね」
「もちろんです」
帳面を開くと、商売の記録や、貸し借りの覚え書きが並んでいた。
日付は明治三十年代から四十年代にかけてのものらしい。
その中に、私の目を引く記述があった。
明治三十七年三月。
松風一座。
宿泊、三泊。
世話、松吉。
私は思わず顔を上げた。
「これは……」
「何かありましたか」
「この記録です。松風一座と書いてあります」
新太も隣から帳面をのぞき込んだ。
「ほんとだ。松風一座だね」
「この家の方が、松風一座の世話をしていたのでしょうか」
「さあ、そこまでは分かりませんねえ。昔は、旅芸人が来ると、町の人たちが宿や食事の世話をしたそうですから」
女性は、帳面の別のページをめくった。
「祖父は、旅芸人が来ると、ずいぶん楽しみにしていたらしいですよ。子供たちも、芝居を見に行ったそうです」
「この松吉という人をご存じですか」
「名前だけは聞いたことがあります。興行の世話をしていた人だった、と」
「その人が、松風一座の興行主だったのでしょうか」
「そこまでは、分かりません」
私は手帳を開き、聞いたことを書き留めた。
女性は、しばらく考えたあと、さらに話を続けた。
「そういえば、祖父がよく言っていました。あの頃は、旅芸人の一座が町に来ると、ずいぶん賑やかだった、と」
「一座には、子供もいたのでしょうか」
「いたんじゃないでしょうかね。小さな子が芸をするのも珍しくなかったと聞きましたよ」
新太が、少しだけ身を乗り出した。
「小さな子って、どんな子だったんですか」
「さあねえ。そこまでは聞いていません」
女性は申し訳なさそうに笑った。
「でも、祖父は、旅芸人の人たちが帰るとき、いつも寂しがっていたそうです」
私はその言葉を書き留めた。
松風一座が、この家に三泊した。
松吉が世話をしていた。
それは帳面に残された記録であり、確かな手掛かりだった。
しかし、そこに新太の名前はない。
ふさの名前もない。
ましてや、源次の名前も見つかっていなかった。
「この帳面を、もう少し見せていただけませんか」
「ええ、構いませんよ。ただ、持ち出すことはできません」
「もちろんです。ここで必要な箇所を書き写させていただければ十分です」
私は、日付と記録の内容を丁寧に写した。
その間、新太は女性と話をしていた。
「お祖父さんは、旅芸人が好きだったんですね」
「そうみたいですね。私も、祖父から聞いた話しか知りませんけれど」
「どんな芝居が好きだったんだろう」
「さあ。そこまではねえ」
新太は、少し笑った。
「ぼくも、旅芸人の一座にいたんですよ」
「あら、そうなの」
「はい。小さい頃から、ずっと」
「そう。それなら、懐かしいでしょうね」
「ええ。懐かしいですよ」
その返事は、いつもの新太の明るい声だった。
私は、手帳から目を離さなかった。
彼が今の暮らしを大切にしていることを、私は知っている。
だからこそ、彼が自分の過去を知りたいと思う気持ちも、無理に言葉にさせてはいけないと思った。
取材する側には、聞く権利があるわけではない。
話してもらえることと、話してもらえないことがある。
その違いを忘れてはならない。
*
女性の家を辞したあと、私たちは近くの古い商店を訪ねた。
女性が、松吉という人物について、昔からこのあたりに住んでいる人なら何か知っているかもしれない、と教えてくれたのだ。
店先にいた老人は、私たちの話を聞くと、しばらく首をひねった。
「松吉か。ずいぶん昔の名前だな」
「明治三十七年頃のことです」
「わしが生まれる前だよ」
「ご家族から、何か聞いていらっしゃいませんか」
「松吉という人が、芝居の世話をしていたという話なら聞いたことがある」
「旅芸人の一座ですか」
「そうそう。町に来る一座の手配をしたり、宿を紹介したりしていたらしい」
「その一座の名前は分かりますか」
「そこまではなあ」
老人は、店の奥を振り返った。
「ちょっと待ちなさい。確か、昔の芝居小屋のことなら、うちの親父がよく話していた」
しばらくして、老人は一枚の古い紙を持ってきた。
そこには、かつて小田原にあった芝居小屋の名前と、興行に関する覚え書きが記されていた。
紙はかなり傷んでいたが、読める部分も残っている。
その一角に、松吉という名前があった。
「これは?」
「親父が、古い紙をまとめていたんだろう。何のために取っておいたのかは知らんがね」
私は、紙を傷めないように、そっと目を近づけた。
そこには、松吉の名前と、芝居小屋の世話人らしき記載があった。
さらに、その下に小さく、
松風一座。
と書かれていた。
「こちらにも、松風一座とあります」
「そうかい」
「この一座について、何かご存じですか」
「いや、名前だけだな。旅芸人というのは、同じ名前でずっと興行するとは限らなかったらしい。場所によって名前を変えたり、世話人の名前で呼ばれたりすることもあったそうだ」
私は、その言葉に手を止めた。
「場所によって、名前を変える……」
「ああ。だから、名前だけで同じ一座かどうかを決めるのは難しいんじゃないか」
なるほど。
これは重要な話だった。
松風一座という名前が、源次の一座と同じものだったとしても不思議ではない。
しかし、別の一座だった可能性も残る。
そして、仮に同じ一座であっても、源次が当時から座長だったとは限らない。
私は、老人に礼を言い、紙の内容を書き写させてもらった。
「もう一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「何だい」
「松吉という人物の、その後をご存じありませんか」
「さあなあ。どこかへ引っ越したという話は聞いたことがあるが、どこへ行ったかまでは知らんよ」
「そうですか」
「ただ、芝居小屋のことなら、まだ詳しい人がいるかもしれん」
「どなたでしょう」
「昔からこの町で芝居小屋の跡地を調べている人がいる。もう年寄りだが、興行のことには詳しいはずだ」
老人は、名前と住所を紙に書いてくれた。
私たちは、その紙を受け取った。
「ありがとうございます。助かりました」
「いやいや。何か分かるといいな」
*
店を出ると、午後の日差しが少し傾いていた。
新太は、もらった紙を私の手帳と見比べている。
「松風一座って、同じ名前が二度出てきたね」
「ああ。役場の帳面と、この家に残っていた記録だ」
「じゃあ、源次さんの一座と同じなのかな」
「まだ分からない」
「でも、近づいてるよね」
「そうだな。少なくとも、松風一座がこの町で興行していたことは、別々の記録から確かめられた」
「それに、松吉さんが世話をしていた」
「そうだ」
「じゃあ、次はその芝居小屋に詳しい人に会うんだね」
「そのつもりだ」
新太は、歩きながら空を見上げた。
「ねえ、文彦さん」
「何だ」
「ぼくが小さい頃、どんなところにいたのか、少しずつ分かってくるのかな」
「分かることもあるだろう。分からないこともあると思う」
「そっか」
「ただ、分からないことを、分かったことにしてはいけない」
「うん。約束だもんね」
新太は、いつものように笑った。
「でも、面白いね。昔の人が残した帳面とか、紙切れとか、そういうものから、誰かが生きていたことが分かるんだ」
「そうだな」
「ぼくも、いつか誰かの帳面に名前が残るのかな」
「君の名前なら、源次さんの帳面に残っているだろう」
「そうだった」
新太は、少し考えてから言った。
「でも、ぼくのことを知らない人が、どこかで名前を見つけることもあるのかな」
「あるかもしれない」
「そうしたら、その人は、ぼくのことを何だと思うんだろう」
私は、すぐには答えられなかった。
記録に残る名前と、その人自身は同じではない。
帳面に書かれた一行だけでは、その人が何を考え、誰を大切にし、どんな暮らしをしていたのかまでは分からない。
だが、その一行がなければ、私たちは今日ここまで来ることもできなかった。
記録とは、不思議なものだ。
人の人生をすべて伝えることはできない。
しかし、誰かが確かにそこにいたという、小さな証しにはなる。
*
夕方、私たちは通り沿いの食堂に入った。
新太が、店先の品書きを見て足を止めたからである。
「文彦さん、ここにしよう」
「何があるんだ」
「鯵の干物定食だって」
「また魚か」
「小田原に来ているんだから、いいじゃないか」
「まあ、そうだな」
店に入ると、焼き魚の香ばしい匂いが漂っていた。
私たちは鯵の干物定食を二つ頼んだ。
やがて運ばれてきた膳には、ほどよく焼き色のついた鯵が一尾、白い飯、味噌汁、漬物が並んでいた。
鯵の皮には、ところどころ香ばしい焦げ目がついている。
箸を入れると、身がふっくらとほぐれた。
新太は、まず何もつけずに一口食べた。
「うん。うまい」
「ずいぶん早いな」
「焼きたてだからね」
私も箸を進めた。
干物にした鯵は、身の旨味が凝縮されている。塩気も強すぎず、白飯によく合った。
新太は、身をほぐして飯にのせ、少し醤油を垂らした。
「それは、どうするんだ」
「こうやって食べるんだよ」
「君は、食べ方に工夫があるな」
「工夫するのが一番だよ」
新太は、得意そうに笑った。
私は、その言葉を聞いて、ふと考えた。
古い記録を調べることも、ただ名前を追いかけるだけではいけないのだろう。
同じ名前があっても、それが同じ人とは限らない。
同じ一座の名前があっても、同じ一座とは限らない。
記録と記録を照らし合わせ、証言を聞き、分からないことは分からないままにしておく。
それが、新聞記者の仕事なのだ。
そして、目の前の人間を見失わないこと。
新太が何を食べ、何に笑い、何を知りたがっているのか。
それもまた、私が書き留めておきたいことだった。
「文彦さん」
「今度は何だ」
「明日も、調べに行くんだよね」
「ああ。今日教えてもらった人を訪ねてみよう」
「そのあと、どこへ行く?」
「まだ決めていない」
「じゃあ、決めておこうよ」
「何をだ」
「次に食べるもの」
私は、箸を止めた。
「君は、旅の目的を忘れていないか」
「忘れてないよ。ぼくの過去を探すんだろ」
「そうだ」
「だから、腹ごしらえも必要なんだよ」
私は思わず笑った。
どうやら、新太にとって旅とは、過去を探すことだけではないらしい。
知らない町を歩き、知らない人に会い、知らなかった味を覚えていく。
その一つ一つが、新しい思い出になっていく。
そして、そうした思い出は、たとえ自分の過去が分かったとしても、消えるものではない。
*
宿に戻った私は、その日の取材内容を整理した。
松吉の旧住所。
松風一座の宿泊記録。
芝居小屋の世話人に関する記録。
そして、松吉がその後どこへ移ったのかは不明であること。
今日分かったことを、私は一つずつ書き留めた。
松風一座と源次の一座が同じかどうかは、まだ分からない。
だが、松風一座が明治三十七年三月に小田原で興行していたことは、複数の記録によって裏付けられた。
次に訪ねるのは、芝居小屋の歴史に詳しい人物である。
そこから、何か新しい手掛かりが得られるかもしれない。
私は筆を置き、窓の外を眺めた。
小田原の夜は静かだった。
今日も、答えには届かなかった。
けれど、昨日よりは確かに近づいている。
私は原稿用紙に、今日の最後の一文を書いた。
――人の過去は、ひとつの記録だけでは語れない。いくつもの記録と、誰かの記憶と、そして今を生きる人の言葉が重なったとき、ようやく、その輪郭が見えてくる。
書き終えて、私は少し考えた。
これは新聞記事の文章だろうか。
それとも、小説の文章だろうか。
まだ、自分でもよく分からない。
ただ一つ分かるのは、明日もまた、新太と歩くということだった。
そして、明日の昼飯については、もう少し真剣に考えておこうと思った。
旅は、まだ続く。




