表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたが仰った愛の言葉は、すべてわたくしが書いたものです  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/10

第6話 この人ではなかった

十一日ぶりに、手紙が来た。


朝の便で、いつもと同じ封筒で、いつもと同じ紋章が押してある。蝋の色は深い赤で、押しの深さも同じだった。


紋章は葡萄の房と鍵を組み合わせた形で、房の粒が七つある。


わたしは廊下で受け取って、そのまま部屋まで走った。


窓際の椅子に坐って、封を切る。


紙を開いた。


字は、いつもの字だった。


折り目は三つ。


トゥーレ家の書記の方が清書なさるのだと、いつか聞いた。丁寧で、傾きが揃っていて、払いのところで少しだけ止まる。この字を、わたしは十一か月見ている。


ノエミ。


このところ会えていない。忙しくしている。


僕は君のことを考えている。よく考えている。


僕が落ち着いたら会いたい。落ち着いたら、必ず。


元気でいてほしい。僕は元気だ。


また書く。


読み終えて、もう一度はじめから読んだ。


二度読んで、裏を返した。


いつもなら、三度読む。一度目は速く、二度目はゆっくり、三度目は声に出さずに口を動かして読む。


裏には何もなかった。


わたしは紙を膝に置いて、しばらく窓の外を見ていた。庭の梨の木の葉が、半分ほど黄色くなっている。


十一日のあいだ、わたしは毎朝、玄関のほうの音を聞いていた。


もう一度、紙を持ち上げた。


行が六つある。そのうち三つに、僕、という字が入っている。


いつもは入っていない。


いつもの手紙には、わたしの側のものが必ず一つ書いてある。うちの庭の梨のこと。去年の雪が三日で溶けたこと。わたしが返事に書いた、詩をよく知らないという一言。書いてあるのは一行だけで、褒めてもいないし、持ち上げてもいない。ただ、名を出してある。


その一行があるのとないのとで、手紙の重さがまるで違う。


今日の手紙には、それがない。


わたしは立ち上がって、寝台の下から箱を出した。


紫檀の箱で、十三の誕生日に父からもらったものである。中に手紙が入っている。


日の順に綴じてある。


いちばん古いのが上になるように紐で束ねて、届いた順に足していく。前からそうしていたけれど、それでよいと言ってくださった方がいた。夜会で、柱のところに立っておられた方である。


わたしはそのとき、失礼なことを申し上げてしまって、それでもその方は怒らずに、大切になさってくださいませ、と仰った。


お名前は、トゥーレ夫人という。


あとで思い返して、顔から火が出た。トゥーレ夫人の前で、そのご主人のお手紙のことを話してしまった。


紐を解いた。


いちばん上が、去年の秋のものだ。


字が濃い。真っ黒に近い。インクは日が経つと濃くなるのだと、書記の家の方が言っていたと聞く。一年経った字は、こんなに黒くなる。


読んだ。覚えている。覚えているけれど、読んだ。


言葉にすると薄くなる気がして、これまで言わずにきた。


ずいぶん、待たせた。


この二行を、わたしは夜会で暗唱している。五行目で恥ずかしくなって止めた。あのとき輪の方々が笑って、わたしも笑った。


次の一通。


冬のもの。うちの庭に雪が積もった日のことが書いてある。積もった日を、この方は知っていた。


その次。


春のもの。梨が咲いたと書いてある。梨が咲くのは四月の終わりで、この方はうちに来たことがない。


来たことがないのに、知っている。


梨が咲いたと、わたしが先に書いたからである。三月の終わりの返事に、蕾がふくらんだと書いた。


わたしは紙を一枚ずつ、膝の上に並べていった。十一か月ぶんで、二十四通ある。


並べていくと、色が変わっていくのが見えた。


古いものは黒い。新しいものは、少しずつ灰色に近づいていく。いちばん新しい今日のものは、まだ灰に近い色をしていた。


並べると、順番が色でわかる。日の順に綴じなくても、色を見れば並べ直せる。


いちばん古い一通と、今日の一通を、両手に持って並べた。


字は同じだった。傾きも、払いも、行間も、寸分違わない。同じ人が書いている。


言葉が、別人だった。


似ているところを探す。言い回しでも、句の切り方でも、どこか一つ重なっていればよかった。


重なっているのは、字だけだった。


わたしは膝の上の紙を、しばらく見ていた。


窓の外で、庭師が梨の枝を切っている音がする。


「わたし、この方の字は好きでした」


声に出して言った。誰も聞いていない。


言ってから、それが正しくないことに気づいた。


字が好きだったのなら、今日の手紙も好きなはずである。字は同じなのだから。


好きだったのは、字ではない。


一年前、はじめて手紙をいただいたとき、わたしは詩というものを知らなかった。読んで、こういうものかと思った。それからずっと、届くたびに三度読んで、気に入ったところを覚えている。覚えたところを、人前で言ってしまうくらいには覚えた。


夜会で暗唱したとき、わたしは自慢していたのだと思う。この方に選ばれたのだと、みなさんに知ってほしかった。


あれを書いた人が、どこかにいる。


その人は、わたしの庭の梨を知っていて、雪の日を知っていて、詩を知らないというわたしの一言を知っていた。


どれも、わたしが返事に書いたことである。


わたしの手紙は、二十四通ぜんぶ、その人に読まれている。


わたしは、その人に会ったことがない。


膝の上の紙を集めて、日の順に重ね直した。いちばん古いのを上にして、紐で束ねる。


今日の一通は、いちばん下に置いた。


箱に戻す。


蓋を閉めた。


留め金の音が、思ったより大きく鳴った。


母が階下から呼んでいる。午後に客が来る日だった。


「いま行きます」


返事をして、箱を寝台の下に押し込んだ。


トゥーレ伯からは、また書く、と書いてあった。


書かれても、もう読まない。会いたいと言われても、もう行かない。


立ち上がって、鏡の前を通った。


目のあたりが赤い。冷やしてから下りることにする。


手巾を濡らして、目に当てる。


暗い視界のなかで、去年の秋の二行がまた出てきた。言葉にすると薄くなる気がして、これまで言わずにきた。


ずいぶん、待たせた。


いい文だと思う。いまでもそう思う。


わたしが好きだったのは、この人ではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ