第七話 花知らずは怖かった
「けど、あの光景を知っている。僕とラシーナ、君が」
ブラルは、きっぱりと言い切る。
その様が、何だか自信満々で、自分でも信じられないほど、劣悪な感情が私の中で蠢くのが分かった。焦燥感と、何とも言い表しづらい、もどかしさが。
「知ってるだけじゃ、何も出来ないじゃない……!」
私は思わず声を荒げていた。
「もしこの写真のもう半分に、私に関する何かがあったら? セント先生が……私に希望を見せたんだもん」
私は身を乗り出して、粗茶が溢れるくらいの力で、机を叩く。
「監督下の生徒会役員が、何か手伝ってくれたっていいでしょ……?!」
「まず、落ち着いて」
ブラルは声を荒げる私を宥めるように、両手を軽く上げた。彼の目は、責めているようにはとても見えない。
「一つ言える事は……知っているだけで充分、ということさ」
「え……?」
拍子抜けするほど淡々とした彼の言葉に、私の声が萎む。
「手がかりを得ることは可能だ。僕の銘……青薔薇の《形骸化しない再現性》ならね」
その言葉と同時に、真上から、ゴーン、と重厚な鐘の音が響き渡り、室内の空気を震わせた。ブラルは即座に上を向き、指示を飛ばす。
「アリサ君」
「ほいさ」
「もう一人の副会長……イリス君を呼んできてくれ。早急に」
「その様子やと、次の授業は欠席するみたいやね」
「ああ。とにかく、今はイリス君を——」
「呼ばれた気がしましたが」
ピシャリと、扉の方から涼やかな声がした。
見ると、そこにはピンクの髪をした女性が立っていた。空色の制服を見に纏い、チカチカと目が眩むような色彩をしている。
けれど、何だろう。トリーや私とは違う、この場所にどうしても馴染めていないような違和感がある。
制服の色を見るに、彼女の銘は冬の花。喋り方も知的だ。なのに、春の陽だまりのような温かい色の髪が、その属性と完全に乖離していた。
だけど、どうしてだろう。不思議と、彼女を異常だとは思えなかった。
「イリス君、丁度良いところに」
「丁度良い訳ではなく、私の銘がそうさせているだけです」
イリスと呼ばれた女性は、表情を変えずに粛々と告げる。
「とりま、ウチはリデ女史に報告しに行ってくるな~」
アリサがガジュマルの杖に跨り、ひらひらと手を振って部屋を退席していく。それを見送ったブラルが、イリスに向き直った。
「意思伝達を頼める?」
「お任せを」
イリスがそっと目を閉じた、次の瞬間だった。
(聞こえるかい? ラシーナ)
「ひゃぁっ!?」
頭の中に直接、ブラルの声が響き渡った。鼓膜を通さない、脳を直接指で突かれたような感覚に、私の中にある確信が浮かぶ。これ、後で頭痛くなるやつだ。
私は自分の頭を両手で押さえる。
(聞こえてるみたいだね)
(な、何これ……?)
(そこのイリス副会長の銘、アイリスの《彩雲の伝波塔》。思考や意識を繋ぐことができる優れものさ)
(どうしてこんなものを繋いだの?)
(もちろん、ここから僕の銘で、例の写真の手がかりを得るためだ。イリス副会長の銘があれば、接続がよりスムーズになる)
目の前で、現実のブラルのホライズンブルーの髪が、風もないのにゆらりと揺れた。彼の瞳の奥に、怪しい光が宿る。
「あれは、僕らが孤児院にいた頃のこと——」
物語の語り手のように、ブラルが静かに呪文を唱える。
その瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
「嘘……」
思わず、声が漏れ出していた。
ジメジメとした暑苦しさのある生徒会室の空気が、一瞬にして消え去った。
驚きで、私は目を見開く。五年以上も前のことだけど、私は確かに、この場所に居た。
足元にあるのは、履き古された木材と、ゴツゴツとした、所々欠けている石レンガ。
少し目線をずらせば、赤レンガの花壇に、いくつもの色鮮やかな花が咲き乱れる、あの屋上庭園だ。
ブラルに目を向けると、彼のホライズンブルーだった髪色が、あの頃と同じ、太陽の光を受けたシャボン玉のような虹色に戻っている。
光の当たり方によって赤、橙、黄……と色が変わる。私は、孤児院にいた頃、そんなブラルの髪が面白くて、彼の周りをぐるぐると回っていたことを思い出した。
でも、もし今の青薔薇が、何か不可能な事を諦めた色なんだとしたら、この「過去を再現した」虹色の髪は、なんて眩しくて、痛々しいんだろう。
(驚いたかい?)
頭の中に、悪戯が成功した子供のようなブラルの声が響く。
(何これ……どうなってるの……?)
(これは、僕らの記憶の中の”天空の孤児院”だ。と言っても、ひどく不安定な代物でね。記憶がより鮮明な君が居なければ、僕はこの光景を正確に再現できなかった)
ブラルは、懐かしそうに自身の髪に触れた。
(声は極力出さないように。さあ、探索しようか)
(……分かった)
私はゆっくりと歩き出し、屋上庭園の柵から外を見下ろした。
先ほど、アリサに連れられてガジュマルの杖から見たあの景色よりも、この再現世界の一面に広がる薄い雲海の方が、ずっと美しいと思ってしまった。
けれど、こんな幻想的な景色を見ていると、やっぱり自分は何者でも無いのだと、残酷な現実を再認識させられる。
この美しい視界も、頭に響く不思議な声の感覚も、今日の朝食であるベーコンと目玉焼きを焼いたあの炎だって。みんな漏れなく花詞銘という力で作られたものだ。
じゃあ、私は?
こんな、黒毛混じりの出来損ないな緑の髪をのうのうと揺らして、花詞銘も使えないくせして、「この嘘が私の銘よ」なんて、揚々とハッタリを語って。嘘を貫き通した先に、自分の色や花が手に入るなんて……そんなのって。
もう、楽になっても良いんじゃない?
アリサみたいに、ハッタリなんて全部やめて、本当の自分で居ても、良いんじゃない?
(ラシーナ? 何をボーッとしているんだい?)
(……ううん。何でもない。何でもないの)
『反芻した声を飲み込むように、余裕綽々と笑う。』
ううん。これでいい。
私は雪にある木材の蓋を見つけ、それを外した。そこにある、錆び付いたハシゴを、静かに下っていく。
少し薄暗いけれど、不思議と虫の気配はない。
ただ、鼻腔の奥を、ほのかに甘い香りがかすめた。懐かしい、知っている匂い。朝の訪れを告げる匂いだ。これは、シスターの銘臭だったのかもしれない。
(僕らは、この再現世界の日が落ちるまでしか活動出来ないからね、急ごう)
(どうして夜になったらダメなの? 時間ならたっぷりあるでしょ?)
(仮に君が知っていたとしても、僕はここでの夜を知らない。早く寝るように言われていただろう、シスターに)
ブラルの言葉に、心臓がドクリと跳ねた。
そんな事を言われていた。そう言われたら、そんな気がしてくる。
当時は、「早く寝ないと大きくなれない」とか「夜はおばけが来る」って言われて、無邪気に布団に潜り込んでいた。シスターの写真を握りしめて。
——けど違ったんだ。
私はあの日、見てしまった。
シスターの、あの優しくて清純な白色の髪が、濃いピンクに染まっていたのを。「真っ白なままでいい」なんて、心の事を言っていたのを気付いたのは、多分、今。この瞬間。
けど、私に慰めの言葉をかけていた彼女は、本当は花を持っていたんだって。私を裏切っていたんだって、当時の私は絶望した。
じじいだって言ってた。「白は演じるための色」だと。
今なら、分かるよ。
シスターは、花が無いって演じてくれていたんだ。
もし、あの孤児院で私一人だけが皆と違って”花知らず”なのだとしたら、それは私が傷付く決定的な理由になるから。
私が、自分を責めるような子になってしまうから。
シスターは、自分を偽ってまで私に寄り添おうとしてくれていた。
——貴女を嫌うぐらいなら、私を嫌って。貴女だけは、貴女の事を嫌いになってはダメ。
そんな、いつかの彼女の祈りのような声が、幻聴のように耳の奥で聞こえた気がした。
私は、鼻の奥に感じるツン、とした違和感を無理やりにでも無視しようとして、邪魔な髪を後ろで括る。ううん、別に泣きたい訳じゃない。手がかりを探すのに、視界の邪魔になるから。
少し傷んでしまっている緑の髪を束にして、小さな輪ゴムでキュッと括る。
その瞬間、隣にいたブラルの目が、驚いたように見開かれた気がした。
外のような、颯爽とした涼しさはここには無い。
ただ私たちは、梯子の先にある、薄暗い螺旋階段をぽつぽつと降りていく。
知らない金属の手すりは、ここにいた頃には手が届かなかったのに、今は簡単に手が届く。
その手すりが酷く埃っぽいことに気付いて、私はすぐに手を離した。
暗闇を照らす光は、梯子の上から細く差し込む、少量の陽光だけだった。




