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第六話 花知らずは再会する

 中央棟の一階。アリサ先輩は、授業中だというのに、私をここまで連れ出した。後で一体どんな処罰を食らうのやら——。

 考えないでおこう。今は。


 少しばかり埃っぽくて、それを誤魔化すようにか、ジェイドのものとはまた違う、上品な甘い香りが漂っている。きっと、そんなつもりじゃないんだろうけれど。

 アリサ先輩の銀髪から香る蜂蜜の匂いは、ただ甘い空気へ溶け込んでいった。この学園に来てからずっとそうだけど、花詞銘(ロゴス)の影響による匂い——銘臭(めいしゅう)がきつい。鼻がおかしくなりそう。

 彼女が立ち止まる。

 いや、”浮き止まる”。それに気付かず、私はアリサ先輩の持つガジュマルの大杖にぶつかった。


「大丈夫~?」

「すみません……」

「あ、敬語とか全然せんでええからね。ウチ、ラシーナちゃんと一個しか変わらへんし」


「そうなんですか」と言いかけて、私は口を噤んだ。すぐに、切り替える。


「なら、お言葉に甘えて」

「うんうん。ラシーナちゃんも、自然体でええよ。ウチが高原の方言丸出しなんと(おんな)じように」

「分かっ……た」


 まだ少し、ぎこちない。


「そういえば、セント先生には会ったんよね?」

「セント先生……?」

「時々、伊達メガネをつける金髪の先生なんやけど」


 アリサ先輩がそう言うと、不自然に身体が強張った。質素な石レンガの壁にはめ込まれた、これまた質素な窓ガラスに、張られた蜘蛛の巣を見つける。


「コマクサの先生ですか?」

「そうそう。あの人、ウチら生徒会の顧問なんやで。意外やろ~?」


 酷い話ね。こんな事があり得るなんて。

 でも確かに、そう言われてしまえば、自然と納得できる。それは、あの男の銘がそうさせるのだろうか。


 私は、逆立っている黒毛を弄った。

 今朝直そうとして、結局直せなかった。むしろたった今変に触ったせいで、俗に言うアホ毛のようにクルンと輪っかになっているのだから、どうしようもなく困る。

 黒毛が、それこそ金色に染まれば、白制服も相まって、昔シスターと読んだ絵本の中の天使のようになれるのだろうか。


「あと、敬語戻ってもうてるやん」

「あっ」

「まぁでも、それがラシーナちゃんなりの嘘やって言うんやったら、ウチは新しい役を無理に押し付けたりせえへんよ。ウチが自由なのと同じように、ラシーナちゃんにも、自由があるんやし」


 どうして、アリサはこんなにも優しくしてくれるんだろう。廊下を先導する彼女が時折こちらを振り返っては、慈愛のような感情を持った眼差しを向けてくる。きっと、ブラルから彼女に、私に関する何かしらが伝わったのかもしれない。そうとしか思えない。

 

 ——また、彼女の目線が、記憶の中の誰かと重なる。それが誰なのか分かっているのに、やっぱり私は知らないふりをしている。


「ううん。いい。同学年の前では頑張るけど、先輩と友達になら」

「それがええと思う。ウチも一年の時は、周りにずっと敬語やってん。花も咲いてなかったし、今みたいにプカプカ浮いてもいいひんかったし、何よりそんな自分が大ッ嫌いやった」


 花が、咲いていなかった? 花の無い自分が、大嫌い?

 まるで、私みたいだ。


 過去を淡々と語る後ろ姿が、やはり大きく見える。背丈で言えば、彼女は私より小さいのに。浮いているから、では無いと思う。


「けどな、敬語使うん……疲れてしもてん。それも一週間足らずで。やし、ウチは思い切って、生まれてきてずっと使うてきた言葉で喋ったんよ」


 私は、黙ってアリサの話に夢中になる。彼女の、その時の感情がそのまま伝わってくる。


「そしたらやで……花が咲いたんよ。たった一回、そのままの自分で喋ってみただけで、胸の方からもの凄いエネルギーみたいなもんが溢れてきた。花が咲く時って、凄いんやで。世界がもっと色付いて見えたし、胸の内のつっかかりが、しんどくなるくらいにスッキリした」


 背中しか見えないはずなのに、彼女の瞳が煌めいているのが分かる。もしかしたら、それは希望に燃えている私のものなのかもしれない。


「ウチは自由やって、そう思ぅたんや」


 皆んな、花がバラバラなんだと思う。だから、私とアリサは違う。彼女の花が「自由になる」ことで咲いたとしても、それが私も——なんて、上手い話があるわけない。

 私だって、信じたい。でも叶わない。

 不服だけど、あの男の言う通り、自分なりの色を見つけないといけない。どんなに背伸びしたって届かなくとも、私は花を咲かせてみせる。自分なりの方法で。


「アリサ」


 私は彼女に呼びかける。彼女が振り返ることは無かった。


「ありがとう」




 ◇◆◇



 ようやく、と言うべきか。私たちは、生徒会室へ到着した。

「心の準備は?」とアリサが私に訊ねる。


「大丈夫」


 そう、短く返す。

 私は、そこにあるただの大ぶりな扉に、少しばかり緊張する。手をかざして、そっと押す。


「ごめんけど、それ引き戸やで」

「えっ」

「はぁ……ラシーナちゃんてばド天然? それともただのスカポンタン?」

「どっちでもないからっ……!」


 つい、拳が出そうになった。じじいと喋ってる時みたいに。

 突然、扉が開き、私の腕に当たる。痛い……。


「誰だい? この神聖なる生徒会室の前で、大声で騒ぐ……の……は」


 そこには、何とも間抜けな表情をした、ホライズンブルーの髪のいかにもな優男が、金のドアノブに手をかけていた。逆光でよく見えないけれど、多分白制服だ。


「ちょっと、腕当たったんだけど?」

「え? ああ、すまない……」


 男が何事も無かったかのように扉を閉めようとしたので、私は力強くノブを引っ張った。男が、不恰好にもこちら側の床に倒れ込む。

 彼が近付いた瞬間、先程からずっと香っていた、バラ特有の銘臭が強まった。

 彼が、床から私の方を向こうとする。

 

「うん……? その髪っ……」

「その態勢で上を向くなんて、失礼極まりないわ」


 バラ臭い顔を、私はローファーで踏みつけた。

 当たり前でしょう。私とて、乙女の端くれ。スカートの中を見られるのは嫌。


「せめて膝をつきなさいな」

「ラシーナちゃんやるな~」



 ◇◆◇



 生徒会室の中は、春の国(スプリングフィールド)のような暖かさがある。それに、少し湿気があって、気持ち悪い。


「それで……アリサ君。そこにいる新入生は、僕の記憶の中にあるラシーナと同一人物であると?」

「そやね」


 アリサは、迷いなく短く答えた。

 私は出された粗茶に一度も手を付けていない。だって私猫舌だし。


「授業中に連れ出してくるなんて……」

「ええやん、一回くらい」


 発言からブラルだと分かった男は、微かに幼少の頃の面影がある。あの頃は虹色の髪をしていて、太陽の光を受けているシャボン玉のように色とりどりだった。

 ある日、いきなり髪の色が青くなったと聞いた時は驚いた。少し残念だったけど、花がある以上、そういう事があるとシスターから聞いたことがあったけれど。



 シスター?


 私は「そういえば」と言葉を漏らして、ローブのポケットを探る。

 私の記憶が正しければ——。


「ブラル、これ」


 ブラルは訝しげな目つきでこちらを見る。私は紙切れを彼に手渡した。半欠けの写真を。


「……シスターか。これがどうした?」

「もう半分を知らない?」

「シスターが持ってるはず。でも、あそこにはもう誰も行けない」

「どういうこと……?」

「簡単な話、誰もあの孤児院の居場所を知らない」


 粗茶は、まだ湯気を放っている。


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