第八話 花知らずは記憶の中で
階段を下ると、そこはやはり見知った場所だった。
芝生みたいな色の絨毯が敷かれた、ブラックウォルナットの床。皆でよく遊んだ、「だんらんべや」だ。私はここで、ブラルの周りを無邪気に周っていた。
やはり私たち二人の記憶の再現なのか、クレヨンが散らかっていたり、無機質な白い壁に写真がかけられている。単調な上開きの窓から差し込む光は、少しずつ当たり方が変わっている。
現実より、遥かに早く。
(ブラル。もしかして、現実世界と再現世界では時間の進み方が違うの?)
(ああ……言ってなかったね)
後ろで懐かしげに写真を眺めながら、ブラルは答えた。
(ほら、僕らの記憶って、大抵連続したものではなくて、ぶつ切りになったものが多いだろう?)
(そうね)
(いわば、その瞬間の集積した時間分、僕らはここに滞在できる。もちろん、記憶が鮮明であったり、逆により曖昧であれば、滞在可能時間は変動……って、難しいか)
(バカにしないでよ。たくさん覚えていたら長く居れるし、全然覚えてなかったら少ししか居れないって事でしょ?)
振り返ると、ブラルが「ご明察」といった様子で、右手の人差し指を立てて、左手を腰にやっていた。虹色の髪は、相変わらずだ。
(重要なのが……僕らに残された時間が残り10分も無いということ。これでも、現実世界ではこれの5倍の時間が経過する)
(……残り時間が微妙ね)
(だから、目星をある程度付けておこう。もちろん、例の写真のもう片方……あるいは全体像が、君か僕が見たことのあるものであれば、それは再現される)
私は少し考え込む。足元にある積み木から、少し足を離す。
(シスターの部屋と……あとはどこ?)
(……手がかりの手がかりが欲しいくらいさ)
(お手上げってところね。とにかく、そこを重点的に探しましょう。あまり時間が無いわ)
(仰せの通りに)
ブラルは、わざとらしく私に深々とお辞儀をした。無性にチョップがしたくなったので、足の代わりに、薪割りの要領で手刀を振り上げ、下ろす。
(痛っ)
(狩りの最中にそんな隙を見せるから……)
(狩りなんかしてないよ!?)
ブラルは困惑と痛みに顔を歪ませている。滑稽で、つい吹き出しそうになったが、彼の頭頂部に当てた箇所が普段使わない部位だったからか、痛みが押し寄せる。盲点だった。チョップも鍛えなくては。
私は「だんらんべや」の螺旋階段を挟んだ先にある、シスターの部屋へ向かう。ブラルは、その後を追っている。床に転がる数々の遊具に気を遣いながら。
薄い金属板で出来た、小さな掛札。他の子供達が、紙や木などで真似をし、部屋にベッドのある子の名前をそれぞれで書いていたのを思い出した。
誰が、始めたんだっけ。
シスターの掛札には、筆記体でセモサと書いてある。シスター・セモサだと言い辛いから、シスターって呼ばせたのだろうか。それとも、親しみやすくするためだろうか。
私は、長方形の模様のある、シスターの部屋のドアを開いた。掛札が、右へ左へ揺れる。
入ってみたところ、他の部屋と広さは変わらないみたいだった。もちろん「だんらんべや」よりは随分と小ぶりだけど、こじんまりとしているわけではない。
他の部屋だって、二段ベッドを4つ、筆記具やランプを置ける収納用の箱を置く余裕があった。クローゼットは、同じ部屋の皆で共有していたけれど。
もちろんの事だけど、シスターの部屋に二段ベッドは無い。収納箱の上には、よく知らない赤い花の花瓶が置いてある。
意外だったのは、少し大きいだけで、私たちが使っていたマットレスより、ずっと硬いマットレスを使ったシングルベットがそこにあったこと。
私が不思議げにマットレスを押したりしているのを、ブラルもまた不思議そうに見ていた。
(そうか。ラシーナはここに入った事が無かったんだ)
(え?)
(僕もびっくりした記憶がある。シスターは孤児院で一番偉いんだから、一番良いベッドを使ってる筈だって、恥ずかしながら大きな期待を持って、この部屋に忍び込んだ。しかし、僕の期待とは裏腹に、凄く硬かったんだ。彼女がこんな所で寝ていたなんて、未だに信じられないさ)
シスターの部屋の窓から差し込む光の向きで、もう残り時間が1/3を切った事が分かる。
こんな事を話しているうちに、時間は過ぎていく。ただでさえ少ない時間が、より減っていく。
けれど、私は訊ねずにはいられなかった。
(シスターは——)
私が振り返ろうとしたその時。
シスターの収納箱のすぐそばに、一枚の紙が落ちていたのが、視界の端に映り込んだ。
私は反射的に、それを拾い上げる。
(……帰りましょ)
(見つかったの?)
(うん……けど、ただのツーショットだった)
(そうか……)
ブラルは「そして、現在に至る」と、さも物語の語り手のように、静かな声で唱えた。
私は彼を凝視していたけれど、空間が孤児院から生徒会室へぼんやりと戻っていくのと、彼の髪が単色に戻るのは、催眠術のようだった。
収穫は、ほぼ無いに等しかったかもしれない。
あの部屋で見つけたのは、私とシスターのモノクロツーショット。それはおそらく、まだ千切られていない頃の、原型の写真。
写真の中の私は寝ぼけた顔をしていて、シスターは私の持っている半分と同じく、安心感を覚える微笑みをこちらに向けている。
シスターは、よっぽど私たちに尽くしてくれていたのだと思う。
あのマットレスも然り、「だんらんべや」の床にすら意味が、願いがあるように思えてくる。
ブラックウォルナットの木言葉は、『団結』や『知恵』、そして『秘めた力』。こじつけかもしれない想いを、私は心に留めておくだけにした。
そんなの、死後数十年先にポエムを発見された研究者のように、シスターが居た堪れなくなるだろうから。
◇◆◇
私は、授業の終わりを告げる鐘の音を聞きながら、ブラルに「ありがとう」と告げ、イリス副会長には「ありがとうございました」と何度も頭を下げた。ブラルが「反応の差……」としょんぼりしていたので、背を叩いて元気付けてあげた。私って、優しい。
流石に、二校時目を途中退席した上に次の授業を欠席したなんて、天空の使者としてのメンツが立たない。
なんとしても次の四校時目、午前最後の授業には間に合わなければ。
さっき見た様子だと、ここ中央棟から教室まで、アリサの飛行で1分、徒歩で10分といったところ。けれど、それでは絶対——。
「ああっ、もう! 計算なんかやってらんない! 走ったら着く!」
私は、後ろ髪を再び輪ゴムで括る。再現世界の姿のまま戻って来られたら楽だったのに。
ストレッチを済ませているうちに、”完璧な使者"の崩壊が刻一刻と迫ってくる。
「行くわよ……!」
私は中央棟の出入り口から、前傾姿勢で駆け出した。
次第に、爽やかで新鮮な空気が鼻腔を抜けていくのと、うざったくて仕方の無かったバラの香りが、私から離れていくのが分かった。
平坦な草原だけれど、山の中を立体移動するより断然楽しい。靴がローファーなのが、少しばかり難点だけど。
ローブが風に揺られ、身体がじんわりと熱を持っていくのが分かる。
頭が冴えてきて、まるで風が味方になったような感覚にすらなる。
気が付けば、私は教室棟の前まで到着していた。すぐ右に、ジェイドと戦った、あの演習場がある。
階段は、使えそうにない。
教室は4階。
窓は、一箇所だけ空いている。近くには大木——。
大木? どうしてこんな丁度いいところに。
木登りは狩りの基本だって、じじいも言っていた。まさか、それがこんな所で役に立つとは思わなかったけれど。
木の表面に、私は身を寄せる。なるべく、服が汚れないように気を遣う。
右足を、次に左足。身を上げるため、右手をより高く、左手も同様に。
これを繰り返して、ようやく、最初の大きな枝まで登れた。
後は、猫のようにより上の枝に飛び移っていくだけ——のはずなのに、多分、次に鐘が鳴るまでもう一分も無い。
「間に合わない……っ!」
窓の方を見ると、見覚えのある影があった。




