第一話 花知らずは学園へ赴く
——五年後。
じじいが、年を跨ぐ前に死んだ。案外、あっけないものなのね。まるでタンポポの綿毛みたいに、彼は儚く飛んでいった。
私はじじいを庭に埋めた。暖炉の灰の匂いがこびりついた年老いた男は、死に際に「学園へ行け」なんて、面倒なことを言い残していった。
無茶を言わないでほしい、正直に言えば、そう思った。私は、あの空の雲の上か、この春の国の山しか知らないんだから。
大体、学園なんて、花詞銘のある人が行けばいい。私は絶対に行かない。花詞銘の無い私が、一体どうやってあそこでやっていくと思っているの?
花を持ってない私が、一体どうやって——。
”赤は、生きるための色だ。黄色は、生き残るための色だ。白は、演じるための色だ”
ふと、じじいの言葉が、海馬の方から降り注いだ。そんなことを、常日頃言っていたのに。
「……嫌だよ」
私は、じじいみたいに、この山で生きていく。獣を蹴散らして生きていく。
少なくともそう、思ってたのに。
——三ヶ月後。
一通の手紙と、大きな木箱が、ある日突如として私の家に届いた。
「え……?」
私は愕然とした。だがそれと同時に、全てを悟る……ううん、悟った気になる。手紙に書かれた”お知らせ”の文字を見て、じじいが死ぬ前に手を回していたんだって。度々山以外の場所に行っていたのは、そのせいなんだって。
樫の木箱を開くと、そこには真っ白な、学園のものであろう制服一式が入っていた。
「……じじいのばか。私が白を嫌いなの知ってて……」
袖を通してみた。家にある姿見の前に立って、自分がこの花園の異物である感覚が一層強まったような感覚になった。
「それに、似合いやしない」
それでも。じじいの言葉が頭から離れない。まるで呪いみたいに。
そう——彼が正しいのかもしれない。
私は、鏡の前にいる自分に向かって、あるいはその紅の瞳の向こう側にいる何者かに向かって、その八重歯で威嚇するように笑った。
「いいじゃない。演じてみせる。私は天空の奇跡の花、ラシーナ様よ」
私は、ローブのポケットに千切られた紙切れをしまい込む。もしかしたら、使う時が来るかもしれない。
黒毛混じりの緑の髪を揺らして、私は学園のある場所へ向かった。
私は、学園へ向かう道中で、雲の上よりの使者は一体どんな話し方をするのだろうかと考えていた。
お高くとまったような、そんな話し方なのか。あるいは、じじいのように強気な話し方をするのだろうか?
あそこまで低い声は、私には出せない。出したくもない。となれば、優しい少女のような話し方を心がけよう。私は優しくはないから、嘘には丁度いい。
ゴツ。
「痛っ」
前を見ていなかったから、目の前に石の壁がある事に気が付いていなかった。然程高くはないけれど、あの山の上の家がちっぽけに見えるくらい高い。
壁に沿って歩いていく。
次第に街が見えてきて、初めて見る石畳に興奮しそうになった。けれど、私は天空人。こんな小さな事を気に留める暇なんてない。
さらに進んだところで、石の壁に門が取り付けられている所を見つけた。
「待ちなさい、そこの君。新入生かい?」
私は、椅子に掛ける職員に「はい」と言ってみた。職員は私の格好を肩から足元まで見比べると、机に肘をつき、やれやれといったような同情の眼差しを向けてきた。
「その白い制服……なるほど。君が、”無色透明の花知らず”。この門の先で選抜試験をしているからね」
「分かった。ありがとう」
「うん。健闘を祈る」
検討を祈る……ねえ。
門をくぐると、無数の匂いが鼻をついた。
当然と言えば当然の事。それぞれが花詞銘——魔法のようなものを使っているのだから。
それに比べ、私はどうか。雨が降った翌日の山林のような、湿っぽいような、やはり匂いとも言えぬ香りがするだけ。むしろ、山中での狩りではそれが非常に役に立つのだけれど。
「戦闘寄りの銘の一次はあっちだよ」という、別の職員の誘導に、私は優雅にお辞儀をする。嘘であれとも、多少の感謝を込めて。
一次選抜の演習場らしき場所では、遠くの的を己の花詞銘で撃ち抜く、色付きの制服たちがいた。壁際では炎が舞い、蔦のようなものが伸びている。
「うん……?」
しばらくボーッとその光景を見ていると、一人の男子が近づいてきた。何やら嘲笑を浮かべていて、とても甘い香りがする。
「お前どこの田舎もんだよ?」
薄青色の瞳が、私を捉える。ワインレッドの短髪が、陽に照らされて妖しく煌めく。
「私でしょうか?」
「お前以外誰が居るってんだよ? 死装束」
「……そうですね。私はラシーナ、遥か天空より使者として地上に参りました」
「はあっ? 天空の使者だって? んな嘘があるかよバーカ」
「事実として、私の制服は生まれの雲を象徴する聖白。愚かだと蔑まれる謂れはないはずですよ」
「さっきから何だよ、その喋り方? お高くとまりやがってッ!」
「うっ……」
あの日、地上に降り立った時のような、内臓が喉元を迫り上がるような感覚。
『そして。目の前の矮小で、地を這う虫ケラと同等の存在に壁へと押さえつけられ、穢らわしい手で、喉を締められている。』
私の首に食い込んだ見知らぬ男子の指のせいか。背をなぞるような心臓の鼓動が、指先に広がる血脈が、危機を告げている。私の全身が、痛みを感じている。
「放し……なさいよ……っ!」
「ようやく化けの皮が剥がれてきたな。だが、俺は夏の国の上流貴族。俺を怒らせるってこは、死ぬってことだ」
『視線が泳ぐ。一拍遅れて、常套句をこぼす。』
「放して……っ!」
その後、自分が何をしたのか、考える時間が必要だった。
けど、拳の痛みが、やりきれない怒りが、目の前に”それ”が倒れている状況が、全てを教えてくれた。
頭の中から声が聞こえる。嘘をつく為の声が。嘘を本当にしてしまいそうな声が。
「ちょっと……!? ジェイド? ねえジェイド?」
輝かしい、赤い髪の少女が駆け付けたのは、それからすぐのことだった。
「ごめんね、ウチのバカが……」
少女が「ひっ」と短い声を漏らす。
私は、今どんな顔をしているのだろう。この子のような、赤い髪になれたら。この子のように、優しくて、友人を心配できる人になれたら。
『天上の太陽が如く、瞳を光らせる。狂気を孕んだ笑みと共に、八重歯を見せる。』
「嘘をつくのも、楽じゃなさそう」
私は、誰に言うでもなく呟いた。
次の瞬間、私の視界は暗転。
腕に何か、細い針のような物が刺さったのも感じた。




