第十一話 花知らずは予感する
「最強の陰に隠れて大暴れしようって魂胆ね」
「そう」
トリーは深く頷き、そのダークパープルの瞳は私を捉えていた。
「今日はここでお開きにしよう。秋チームだからね?」
「分かったわ。また明日会いましょう」
「水はちゃんと飲みなよ」
「……午後に飲むと、身体を崩しちゃうの。朝にたくさん飲んだから、大丈夫よ」
「そっか」
トリーは微笑んだ。
私はそんな彼の横を抜けて、一人の部屋に帰ろうとする。誰かと話せれば良いのに……なんて、危険な事だと分かっているのに期待している自分が嫌いだ。
「待ってよ」
トリーの呼びかけに、私は素直に応じる。いや、それだけじゃない。彼が、私の手を掴んでいる。その手を振り払う気にも、そのまま彼を蹴り飛ばす気にもなれなかった。
私は彼に向き直る。
「何よ?」
「ありがとう、ラシーナ」
「……そんな事言うような人じゃないでしょう、あなたは」
トリーは、他人に好き勝手に毒付くような人のはず。
「どうだろうね」
「ふん……もう行くから。今日はなんだか疲れたわ」
「そうだね。あんなに話しかけられたらそりゃ疲れるよ。ゆっくり休んで」
「ええ、言われなくてもそのつもり」
すんなりと離れた彼の手は、なんだか変な感じがした。
私は足早に教室を出ようとする。けれど、私はドアの前で立ち止まった。
「優勝、したいの?」
トリーは「うん」とだけ答えた。
「そう……」
私は教室を出る。自分でも何がしたかったのか、彼に何が言いたかったのか分からない。
夕日に照らされた彼の横顔が、まだ私の瞼の裏に引っ付いたまま。
◇◆◇
部屋に戻っても、華峰祭の事を考える。
トリーは私と組みたいと言った。トリーは勝ちたいと言った。
アオイはどうするんだろう。ジェイドと組むのだろうか。それとも、個人競技に出るのだろうか。
私は、トリーから受け取った十枚程の紙の束を並べて、眺める。それらを照らす部屋の照明は、アオイと居た部屋より随分と冷たい色をしている。
「競技内容は全12種類ね……白制服の生徒が資料配布時点で21人……固まるでしょうね、きっと」
ふと、一番右に置いた資料に目がいく。各チームのリーダーと、肩書きのようなものが書かれている新聞だ。
「春組のリーダーはブラル、夏組のリーダーはズイ、秋組のリーダーはリネ、冬組のリーダーはエリカ……半分しか知らない」
まあ、上級生の名前なんてそうそう覚えているものじゃないはずだけれど。
今日は、お風呂に入って早く寝よう。
私は制服と下着を脱ぎ、シャンプーボトルを振り、中身が空でないかを確認する。
重量を然程感じない。
「危ない危ない……」
こういう事があるから、確認は欠かせない。
シャワールームにある大きな鏡に、裸になって情けない私の姿が映っている。鏡の中の私の身体は傷痕だらけ。
「五年半も前になるのね」
私は天空の孤児院から、春の国の地上にある森に落下した。その際、木の枝が幼い私の肌を容赦なく引っ掻いたのだ。
こんな傷も、今となれば後が痕だけが残る。
じじいと初めて会ったのは、その時だった。彼は泥と血に塗れた私を家へ連れてゆき、包帯を巻いてくれたりした。あったかいホットココアも出してくれて。
——うん?
鏡をもう一度見る。私の紅色の瞳は相変わらずだ。けれど、髪がおかしい。
私の肋骨のところまであり、所々痛んで跳ねている緑の髪。そして、随所にある黒毛。
それだけのはず。
けれど黒髪は、私の耳を覆う程まで広がっていた。
何故?
そんなの決まってる。髪色が変わるのは大抵、花詞銘に関係すること。
恐怖と同時に嬉しさが込み上げて来て、私は一人身震いする。トリーの言った咲きかけが、この事を指していたんだと実感できた。
私はこの日、いつもより張り切って、アオイに教わりたてのヘアケアに臨んだ。
◇◆◇
風呂も上がって、パジャマに着替えた事だし、もう寝よう。
部屋にある壁掛け時計の針は、八時半を指している。
まだ八時半、ではあるけど、特にやることも無いからいつも早くに寝るようにしている。
じじいと居た時もそうだったから、孤児院にいた頃の癖が抜けないだけなのかもしれない。
アオイと同じ部屋で寝ていた時は、もう少し遅くまで彼女と喋ってたっけ。決まって、私が先に寝落ちてしまうのだけど。
コンコン……。
「わぁっ!?」
玄関のドアをノックする音が聞こえて、背筋が伸びる。
誰だろう。
恐る恐る、ドアの向こうに居る誰かに声をかける。
「どなたでしょう……?」
「疲れてるはずなのにごめん……ボクだよ、トリー。……少し良いかな」
「あっ、えっと」
ドアノブに触れる。ガチャ、と少し金属の動く音がしてすぐ、トリーが「開けなくていい」と言った。
こんな時間に、どうしたんだろう。
外に置いておく訳にもいかないので、彼を仕方なく部屋へ招き入れた。彼にこれ以上変な噂が立ってもこちらが困る。
トリーの私服は、やはりと言うべきか、黒ジャージのパンツに白いTシャツという質素なものだった。彼の腕は色白で、とても細く見える。柑橘系のさっぱりとした甘い香りが、彼からは変わらず放たれている。
かく言う私も、あまり女子女子したパジャマとは言えない、水色の薄手の短パンに水色の長袖で、可愛らしい点といえば白い水玉模様が疎らについているくらいのものだ。
「ごめん」
「謝らないで。何か、要件があるんでしょ」
私は彼に椅子に座るよう言う。彼は少し緊張しているような素振りを見せている。「女の子の部屋に来るのは初めて?」と揶揄いたくなったが、彼の表情が何やら深刻そうなのでやめておいた。
「アンタの事だから伝えておくけど、白制服の生徒がどのチームへ入ったかって情報が重要視されてる。……ボクも、さっき申し込み用紙を提出するので手一杯だった」
「……はあ?」
「待って、ふざけてる訳じゃないんだ……さっきだって、冬チームと思しき上級生に追いかけ回されて……ッ!」
私は、渾身の呆れ顔を披露した。
そんなバカな話がある訳ないじゃない。
「モテる男の子は大変ねー」
トリーは咳払いをする。
「アンタは気負わなくて良いと思うけどな」
「何の話?」
「……何でもない」
トリーは立ち上がると、私に拳を突きつけた。男の子はこういうのが好きなのね、と内心呟きながら、私もそれに応じて拳を当てる。
「明日から特訓よ。私の戦い方について来れるくらいの体力が要るわ」
「えー、勘弁してください」
「私のタッグらしい活躍を期待してるわ」
「拒否権無い感じ?」
「あら、ジェイドよりはマシよ?」
「それは、ありがたいな。うん」
トリーが、突き出した拳をポケットにしまった。私もそれになぞらって、手を下ろす。
「さ、帰って。私はもう眠たいの」
「はいはい。また明日」
「うん、またね」
彼は結局、私の髪の色について触れようともせず、そのまま私の部屋から消えた。男の子って、女の子の外見の違いに鈍いってアオイから聞いた事があるけど、ここまで酷いの?
もういいわ。明日覚えときなさいよトリー。
今晩は徹夜して、とっておきの特訓コースを作ってあげるんだから。
と、意気込んだは良いものの、その後すぐ睡魔に呑まれて眠りこけたのはここだけの話。




