第十話 花知らずは噂つき
ようやく身体が本調子を取り戻した。
私は授業をサボりながら、リハビリにほとんどの時間を割いたのだ。
——一人っきりの部屋で。
これには事情がある、そうアオイに聞いた。
「噂だよ、噂」
「なんの話?」
「なんの、って……ラシーナちゃんのだよぉっ!」
「私の?」
「ええっとね、確か……」
発端となったのは、一人の上級生、第四学年だから——ブラルの一つ下、イリス副会長のいる学年の生徒。
なんでも、私が"花知らず"なのではないかという疑問を持ち、学園生徒会周りや、天空についての資料集めに奔走、特に酷いのが、私が休学中の間、私と友好関係を持つアオイやジェイド、そしてトリーへ聞き込みをするために見張ったそう。
勘のいい奴め。凄く、私にとって都合が悪い。
けれど、私と同じクラスの生徒が、こう言葉を漏らした。
「トリーの銘に影響を変えた。ラシーナ様の銘は、あらゆる命の生命力を操るに違いない」
これが噂として広がって——というわけだ。
そうであれば良かったのだけど、残念ながら私はトリーが突然変異を起こした際に、水分不足という重要なようで、ごくごく小さな理由で気を失っていたのだから。
生命力を操る銘? なんて迷惑な話だろう。
以前までの私ならそう切り捨てるだけだったかもしれない。
しかしながら、誇張され続けていく私に関する噂の中に、実に有益なものがあった。
「ラシーナちゃんヤバいね。今じゃ、遥か天空より舞い降りし世界樹・ユグドラシルの花弁〜
なんて呼ばれてさ。他にも聖緑の髪の少女とか、色々だよ」
とどのつまり、私の銘が世界樹・ユグドラシルだと思われているのだ。そんなもの、お伽話でしか出てこないのに。ユグドラシルに花があるなんて、あまり聞いたことがない。そんな安直な考えで、私のこの緑の髪と繋ぎ合わせたのだろうか。浅ましい。
アオイが、重ね重ねに増えていく情報をどう捉えているのかは、私には分からない。
ただ一つ分かるのは、彼女の頭がこう——あまり利口でない事くらい。酷い物言いかもしれないけど、こんな事を心の中で告げれるくらい、親しく思っているのだと信じたい。
そうそう。
アオイと部屋が別れてしまったのは、これまた例の上級生のせいだ。
今は問題行動による3週間の停学を喰らっているようだけど、それでもいつ、奴が私の部屋に突入して来るか分からない。私の初めての友人で、ルームメイトであるアオイにまで危害を与えるようなら、私はその時、奴以上の問題行動を起こす自信がある。
無論、正当防衛で済まされない程の。
◇◆◇
教室へ入ると、違和感が私を襲った。
ジェイドの前に、白制服を身に纏う、金髪のパーマの男の子が居たから。周囲が彼を認知したのが見て取れるほど、教室の雰囲気は温かった。
以前とは違って、教室内外に漂う銘臭が随分マシに思える。
そして、私に向けられた目線は、疑いに満ちた、実に気味の悪いものだった。
尋問される詐欺師の心情が分かった気がする。無理にでも取り繕おうとする焦燥感と、それを抑えきれない中途半端な理性が戦っているような、そんな心持ちになる。
だからこそ、おかしな事を口走ったら、それこそ終わりだ。
「アンタ、その……もう大丈夫なのか?」
「え?」
警戒心からなのか、誰も私に話しかけようとしなかった。だがどういうわけか、そのゴールデンパーマメガネは何の気兼ねもなく私に近付いてきた。
「ええ……先日は、どうもありがとうございました」
私は、鞄を開き、中にある水筒を彼に見せる。すると、彼はほっとしたような表情をした。
急に、彼の顔が真横まで迫る。彼が息を吸う音が聞こえた。
「後で話したいことがあるんだ」
その声は、曇った日の風のように、あるいは一輪の花を愛でる手つきのように、柔らかかった。
周囲の声が耳に入ったのは、彼が再び彼の席に腰掛けた頃。
どうやら、女子生徒の中で、私に関係する噂で、もう一つ別のものがあるみたいだ。
トリーが私の事を好き、なんだそう。
そんな事ないと思う。だけど、もしあの金髪がトリーなら、耳打ちしてきた言葉は、そんなようにも思えてくる。
きっと、こう多感な歳は、色恋に文字通り花を咲かせるのかもしれない。
私はそういった事に、あまり興味ないのだけれど。
「ラシーナ様は、トリー君の事をどう思う?」
「そうですね……大切な学友、でしょうか」
誰に聞かれたって、そう答えた。あいにくと、私は彼にそれ以上の感情を持ち合わせていない。強いて言えば、「大人しいだけのジェイド」か「命の恩人」くらい。前者を伝えようが後者を伝えようが、私の威厳が怪しくなるから消去法で、というわけだ。
それはそうと、学園華峰祭という行事が、あと一ヶ月で開催されるらしい。
トリーの要件はまさにそれだったようで、放課後に教室で残るよう言われた。
「ボクと、タッグバトルで出場しない?」
「タッグバトル……」
華峰祭の説明は、私が休んでいる間に授業で行われた。
だから、私は華峰祭がどんなものか知らないし、何をするのかも分かっていない。
「華峰祭の事を説明して頂けますか?」
「任せて」
金髪のトリーは、やはり見慣れない。と言っても、喋ったのはあの日が初めてだったわけだけど。
「華峰祭は簡単に言えば、花の季節ごとにチーム分けがされるから、春夏秋冬で争う。それだけ」
「……私たちはどうなるんでしょうか?」
「白制服の生徒は、ある程度自由に他のチームに入る事が出来る。それで、どこがいい?」
トリーは、申し込み用紙を数枚と、競技内容の書かれた紙をどこからともなく取り出すと、私に差し出した。私はそれを受け取る。
「さあ……決めかねますね」
「そう言うと思ったよ。けどね、ボクは秋へ行こうと思う」
「それはどうしてですか?」
トリーは、左手で後頭部を掻いた。彼の白パーカーが夕日に照らされてオレンジに光り、金髪が、輝きを増す。
「華峰祭には幾つか競技がある。けど、各競技でランダムに選出されるフィールドエフェクトが、鍵になる」
私は黙って頷く。
「フィールドエフェクトは、競技場所の気候・環境が変わる。各季節に呼応するように……いわば、完全なる花詞銘依存空間だ」
「なるほど……トリーさんは秋の花が銘ですから、秋の時有利になり、他の季節では不利になるという事ですね」
トリーがこちらを見る。黒縁眼鏡のレンズの向こうは、あの男と違って歪みがある。
「敬語やめてよ。他人みたいだ」
「え? ……分かったわ」
私は、この空間では彼専用だった天姫の仮面をひっ剥がしたように、敬語も外す。
「この際だから言うけれど、私には銘が無いわ」
咲きかけ、なんて言葉を漏らしたくらいなのだから、どうせバレている。なら開き直ったほうが、話がスムーズに進むはず。
「正確には……分からない、じゃない?」
トリーは、パーカーのポケットに手を突っ込んだ。
「そんなことは良いのよ」
「だね。要は、銘が分からないから、アンタは何のエフェクトがいつ、自分に味方するかも分からない訳だ」
彼は妙に情報整理が上手い。おまけに説明も上手い。そんなところが少し、羨ましい。
「ええ。けど良いわ。私も秋へ入りましょう」
「良いの?」
「タッグを組むんでしょう?」
「まあね。でも、他にも秋に入るメリットはある」
「それは?」
「この学園の生徒会長にして、秋の国の第一王女……リネだ」




