↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二年ぶりに見かけた君は、俺の知らない誰かと暮らしているようです  作者: 黒咲かぐら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/6

第4話 いつか会えたら

 上司との面談を終えた翌週、直樹は紗季と駅前の喫茶店で会った。


 店へ行こうと言うと、紗季が別の場所にしたいと答えた。閉店後の店には、明日焼くパンの準備も、返さなければならない電話もある。話している途中で仕事に戻れる場所では、最後まで話せないと思ったらしい。


 直樹が着いたとき、紗季はすでに窓際の席に座っていた。閉店後で疲れているはずなのに、髪を結び直している。向かいの椅子に座ると、彼女はメニューを直樹の方へ寄せた。


「何にする?」


「コーヒー」


「夕飯、食べた?」


「まだ」


「私も。先に頼もうか」


 直樹は頷いた。二人で軽い食事を選び、注文した。紗季がテーブルの端に置いたスマートフォンには、店の仕入れ先から通知が来ていた。画面を伏せる前に一度だけ見て、彼女は鞄にしまった。


「上司とは話せた?」


「うん。四月から大阪の部署で働く」


「そうか。頑張ってね」


 紗季はカップに触れたまま言った。直樹は「ありがとう」と答えた。


 あの日から、二人は何度か連絡を取った。直樹は上司と人事担当者に、将来、新潟へ戻れる可能性を聞いた。開発部門にいる限り大阪での勤務が基本で、次に異動できる時期も勤務地も約束できないという返事だった。


 地元の設計職の求人も見た。図面を扱う仕事はあったが、直樹が関わりたい医療機器の開発とは違った。残る道がないのではない。今の自分は、大阪の仕事を選びたかった。


 紗季は店の営業時間を変えた場合の売上を計算した。日曜の午後に休める日は増やせるかもしれない。けれど、朝の仕込みから閉店まで任せられる人をすぐには雇えない。借入れの返済も続いている。


「一か月なら、何とかなりそうなんだよね」


 料理が届く前に、紗季が言った。


「直樹が来る週を決めて、私も休みを合わせる。忙しい月は電話する。私、たぶん一年でもできると思う」


「俺も」


「でも、一年後に同じ話をしてる気がする」


 直樹は水の入ったグラスを持ち上げた。飲まずに戻す。


「そのときには、俺の仕事も分かってくる。今より考えられることが増えるかもしれない」


「増えるかもしれないね」


 紗季は否定しなかった。


「私も店が落ち着くかもしれない。でも、どっちも今は分からない」


 運ばれてきた料理の皿を、二人は店員から受け取った。直樹の頼んだサンドイッチを見て、紗季が少し笑う。


「パン屋の人と会って、サンドイッチ頼むんだ」


「紗季の店にはないやつだから」


「そういう問題?」


 一口食べ、直樹はうまいと答えた。紗季も自分の皿に手をつけた。料理の話をもう少し続けようとして、直樹はやめた。会う場所を変えたのは、この話をするためだ。


「遠距離でやってみたい」


「うん」


「決めなくていいことまで、今決めようとしてないか」


「私もそう思った。だから、何年でもいいか、自分に聞いてみた」


 紗季はフォークを置いた。


「直樹が嫌になったわけじゃないよ。大阪へ行くことをやめてほしいとも思わない。でも私は、この町で店を続けて、いつか誰かと毎日一緒に暮らしたい。その誰かを、直樹だと思ってた」


「俺だって、そう思ってる」


「じゃあ、一緒に暮らせるのはいつ?」


 直樹は答えられなかった。


「大阪で働いてみないと分からない。分かってる。だけど、私はそこで待つかどうかを決めるんだよ」


「待ってくれとは言わない」


「言わなくても、付き合い続けたら私は待つと思う」


 彼女の声が少しだけ揺れた。直樹は初めて、紗季が数年間をどう過ごすかまで考えているのだと分かった。週末に何回会えるかばかり計算していた自分とは、見ている先が違った。


「会社を辞めてここに残ったら、俺が紗季にそれを背負わせる」


「うん。だから頼めない」


「店を閉めて来てほしいとも言えない」


「それは、私もできない」


 二人とも、相手の決めたことが好きだった。直樹は、紗季が自分の店を開くために毎朝起きる姿を見てきた。紗季は、直樹が新しい機器の設計に関わりたくて勉強する姿を知っている。そこを変えさせてまで一緒にいると言えば、今好きでいる相手を傷つける。


「別れた方がいいと思ってる?」


 直樹が聞くと、紗季はすぐには答えなかった。


「思いたくない。でも、そう思ってる」


 直樹は窓の外を見た。バス停には仕事帰りの人が並んでいる。誰かが傘を畳み、隣の人が少し場所を空けた。


「一回だけ、やってみてもいいだろ」


「やってみて、だめだったら?」


「そのとき考える」


「私たち、今もそれを考えてるんじゃないかな」


 紗季は少し間を置いた。


「一年後、会うことには慣れるかもしれない。でも、一緒に住むには、結局どちらかが仕事を変えるんだよね。私は店を手放すつもりがない。直樹にも、今の仕事を諦めて帰ってきてほしいとは思えない」


 直樹は何も言えなかった。紗季が言っていることは分かる。それでも、今日ここで別れを決める理由として受け取るには、まだ時間が要った。


「少し、考えさせて」


「うん。私も考える」


 その日は別れを決めずに帰った。


 けれど帰り際、いつものように次に会う日を決めることもできなかった。


     ◇


 それから三週間、二人はそれぞれの生活を続けた。連絡を断ったわけではない。直樹が仕事帰りに短いメッセージを送り、紗季が朝の仕込み前に返す。大阪で住む部屋の候補を見つけた日、直樹は画面を開いて、紗季に送るのをためらった。


 紗季にとって、その部屋は新しい生活の話であると同時に、彼女がいない場所の話でもある。


 引っ越しまであと一か月になった夜、紗季から電話が来た。


「少し歩かない?」


 直樹は店の前で彼女を拾った。紗季の希望で、車を海沿いの駐車場に停める。外は冷え、二人とも上着の襟を寄せながら堤防を歩いた。


「遠距離のこと、また考えた」


 紗季が先に言った。


「直樹と一緒にいたいから、私なら続けられるって言い聞かせてた。でも、何年後にどうしたいか聞かれるのが怖くて、直樹にも聞けなかった」


「俺も、答えがないのに続けたいって言った」


「それが悪いとは思わない。二人とも本当に続けたかったから」


 海の方から風が吹いた。紗季の髪が顔にかかり、彼女は耳へ戻した。


「ここで別れたい」


 直樹は立ち止まった。紗季も数歩先で足を止める。


「嫌だよ」


「うん」


「好きなのに」


「私も好き」


 紗季は戻ってきた。直樹の目の前に立ち、手を伸ばす。握ると冷たかった。


「直樹が大阪でやりたいこと、ちゃんとやってほしい。私も、この店を続けたい。どっちかがいつか諦めるつもりで付き合うのは、つらい」


 直樹はその手を離せなかった。


「紗季が誰かと暮らしたいって言ったとき、俺は自分がその人になるつもりだった」


「私もそう思ってた」


「今も、そうしたい」


「うん。だから、今日言うのがつらい」


 しばらく二人とも動かなかった。直樹はもう一度続ける方法を言いたかった。月二回帰る。紗季の店が休みの日に大阪へ来てもらう。数年後に働く場所を探す。喫茶店で話した以上のことは、一つも出てこなかった。


 握っていた手から、少しずつ力を抜いた。


「最後に店の片づけ、手伝ってもいい?」


「今日はもう終わってる」


「そうか」


「直樹、ずっと手伝ってくれたよ。棚も直してくれたし」


 紗季は目を伏せ、すぐに顔を上げた。泣きそうなのが分かった。直樹も、喉の奥が詰まっていた。


「いつか会えたら、元気だったって教えて」


 紗季が言った。


「直樹がどこで暮らしてても、それが聞けたら嬉しい」


 直樹は頷いた。いつか、という言葉の先に、次の日付はない。それでも、二人が別々の場所で生きていくことだけは分かった。


「紗季も。元気でいて」


「うん」


 車まで戻り、直樹は紗季を店の前へ送った。降りる前に彼女は助手席の扉を開けたまま振り返る。


「気をつけて行ってね」


「紗季も、明日の朝早いだろ。早く寝て」


「そうする」


 扉が閉まり、紗季は店の横の階段を上がった。二階の窓に明かりがつくまで、直樹は車を動かさなかった。


 直樹はその夜、紗季の連絡先を消さなかった。いつか会えたら、という言葉を、約束として残したかったのかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。