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天青の覇王と剣の乙女  作者: *しおり*
青年期

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18/24

6

青鹿せいろくの谷を抜け、帝都へと続く本街道。

馬の蹄が、昨晩降った雨でぬかるんだ黒土を重く踏み砕く音が、果てしなく連なっている。冷たく湿った風が、濡れた革鎧の匂いと、数千の兵が放つ熱気を運んできた。

私と玲玉殿下を先頭にした「影王軍」の進軍は、拍子抜けするほど静かで、そして凄惨なほどの速度で進んでいた。


国境から帝都までの道中、煌雷が配置していたはずの防衛拠点や関所は、悉くその役割を果たさなかった。

物流を止められ、腹を空かせた末端の兵士たちは、玲玉が約束した「麦粥と銀貨」の前にあっけなく武器を捨てた。そして何より、玲玉の生存を報せる密書を受け取っていた旧体制の将軍たちが、次々と軍門に降っていったのだ。


中部戦線を任されていた剛の者、カク将軍は、街道を塞ぐ巨大な砦の門を自ら開け放ち、道の真ん中で泥にまみれて平伏していた。

「玲玉殿下……! 生きて、生きておられたのですね……!」

白髪交じりの頭を地面にこすりつけ、号泣する郭将軍。その背後で、武装を解いた数千の兵士たちが道を開けている。

玲玉は馬の歩みを止めず、冷ややかな紫水晶の瞳で彼を見下ろした。

「面を上げよ、郭将軍。貴方の忠義は、この四年間、煌雷の重税に苦しむ民を盾となって守り抜いたことで証明されている。……僕の背に続け。共に、偽りの王を討つぞ」

「ははぁっ!! この命、再び貴方様に捧げます!!」

感極まった郭将軍の咆哮に、彼に従う兵士たちが歓声を上げて我々の隊列に加わっていく。


私は馬上で手綱を握りながら、その光景を静かに見つめていた。

これが、血を流さずに国を奪い返すということ。武力ではなく、経済と忠誠心を完全に支配した玲玉の『盤面』の恐ろしさ。

隣を並走するザウルが、鉄の義手で顎を撫でながら鼻で嗤った。

「へっ。煌雷の野郎が恐怖と金で縛り付けてた鎖も、腹の虫と本物の『王の器』の前じゃ、飴細工みたいに脆いもんだな」

ザウルの言葉通り、進軍を続けるたびに、百、千と寝返った天青の正規兵たちが、黒い影王軍の背後に雪崩れ込んでいく。最初は異形のならず者の集団だった私たちの軍勢は、帝都を目前にする頃には、天青の旗を翻す数万の巨大な軍波へと膨れ上がっていた。


そして――。

肌を刺す冷気が一段と強くなり、鼻腔に焦げた木材と血の匂いが混じり始めた時。

巨大な盆地に広がる、天青皇国・帝都の威容が、黒々とした稜線の向こうに姿を現した。


帝都の空は、厚い雨雲と、燃え上がる反乱の炎によってどす黒い紫苑色に染まっていた。

煌雷の経済封鎖と、魏老将軍たちの内部蜂起によって、帝都の機能は完全に麻痺している。巨大な城壁の向こうから、かすかな怒号と剣戟の音が、地鳴りのように響いてきた。


私たちが帝都の南門へと到達した、まさにその絶好のタイミング。

巨大な鋼鉄の門の向こうで、何かがぶつかり合うような激しい音が響き、やがて太い鎖が巻き上げられる重低音が谷間に木霊した。


「開門ッ!! 真の主君、玲玉殿下をお迎えせよ!!」


分厚い城門が内側から大きく開け放たれる。

そこには、返り血で甲冑を赤黒く染め、息を切らせながらも、長戟ちょうげきを天に掲げる老将軍の姿があった。彼の背後には、門を制圧した旧体制の武官たちと、煌雷に反旗を翻した近衛兵たちがズラリと並び、開門の歓声を上げている。


城門の向こう側に広がっていたのは、四年間、シャフルードの闇の底で牙を研ぎ続けてきた「影王軍」の威容と、それに合流した数万の反乱軍だった。


先頭を行く漆黒の馬に跨がるのは、かつてこの都を追われたひ弱な皇子ではない。冷徹な紫水晶の瞳で盤面を支配する若き覇王、玲玉だ。そしてその斜め後ろには、黒衣を纏い、左肩の痛みを殺気でねじ伏せた私――凛華が、彼の影としてピタリと付き従っている。


「……見事な手際だ、魏将軍」

玲玉は馬を進めながら、血と煤にまみれて膝をつく老将に短く声をかけた。


「殿下……っ、よくぞ、よくぞご無事で……!」

魏将軍は、皺だらけの顔を泥と涙でぐしゃぐしゃにしながら、震える手で玲玉の馬のあぶみに触れようとした。だが、玲玉はその感傷に浸ることを許さない。


「感動の再会は後だ。煌雷の近衛兵の残党は?」

その絶対零度の声に、魏将軍はハッと我に返り、武官としての鋭い顔つきに戻って即座に報告した。


「はっ! 兵糧攻めで士気は崩壊しておりますが、煌雷に狂信的な一部の精鋭が、皇宮の正門前に盾列を敷き、徹底抗戦の構えを見せております!」


玲玉は手綱を握り、冷酷に目を細めた。

「……正面からぶつかる必要はない。ザウル」


「へへっ、お待ちしておりましたぜ」

玲玉の合図に、背後に控えていた隻腕のザウルが曲刀を肩に担いで進み出た。


「旧体制の武官たちと連携し、王都の裏路地と水路を使え。正面の盾列には弓隊で牽制だけ行い、煌雷の精鋭たちを狭い大通りに釘付けにする。その間に、お前の手下たちで周囲の建物の屋根から油と火矢を放ち、彼らを火の檻に閉じ込めろ」


「力押しじゃなく、炙り出して削り殺す。相変わらずエゲツねえ采配だ。……野郎ども、行くぞ!」

ザウル率いるシャフルードのならず者たちが、歓声を上げて帝都の路地へと散っていく。


かつての天青皇国であれば、このような外道」の戦法は武官の恥として忌み嫌われただろう。だが、これは戦争だ。玲玉は自らの軍の被害を最小限に抑え、敵の暴力を地形と罠で完全に無力化する「盤面の支配」を、この祖国の心臓部でも冷徹に実行していた。

悲鳴と怒号が響く中、煌雷の精鋭部隊は次々と分断され、崩壊していく。


「……殿下。皇宮への道が、開きました」

血の匂いが充満する大通りを抜け、ついに私たちは、かつて二人で逃げ出したあの白亜の皇宮――今は煌雷の居城となった黒曜石の宮殿へと辿り着いた。


「行こう、凛華。僕たちの玉座へ」

玲玉は馬を降り、私は無言で彼に続いた。


重厚な大理石の階段を上り、開け放たれた玉座の間へと足を踏み入れる。

そこには、かつての栄華の残骸と、むせ返るような血の匂いが立ち込めていた。広大な空間の最奥、血塗られた玉座の足元には、数人の近衛兵の死体が転がっている。


そして、その血だまりの中で震えながら這いつくばっている、一人の小太りの男がいた。煌雷の恐怖政治を文官として支えてきた宰相、ギルだ 。


「ひ、ひぃぃっ……! れ、玲玉殿下ッ!」


私たちが入ってきたのを見るや否や、ギルは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしてすがりついてきた。


「お助けを! 私は煌雷に脅されて従っていただけなのです! 国庫の鍵も、すべての権限も貴方様にお返ししますゆえ、どうか命ばかりは……ッ!」


「……見苦しいぞ、ギル」


地鳴りのような低い声が、玉座の間を震わせた。

玉座にどっかりと腰を下ろしていた巨漢――鎮国公・煌雷が、忌々しげに立ち上がる。


「ヒッ……! 閣下、お許し……がはッ!?」


煌雷は一切の容赦なく、鋼鉄の軍靴でギルの顔面を蹴り飛ばした。首の骨が折れる嫌な音が響き、宰相は文字通り血だまりの中の物言わぬ肉塊へと変わる。配下の兵が次々と寝返り、頼みの綱であった側近すらも無様に命乞いをする有様だというのに。


煌雷から発せられる絶望的なまでの威圧感は、四年前と何一つ変わっていなかった。いや、孤独になったことで、その暴力的な気配はより純度を増し、空間の酸素を奪うほどの重圧を放っている。


「……小賢しいネズミどもが。随分と派手な盤面を描いたものだな、玲玉」


煌雷は、足元の死体を気にかける様子もなく、ゆっくりと自らの大剣を拾い上げて低く嗤った。


「経済を止め、内乱を煽り、兵の忠誠を金と飯で買い叩く。……兄上、前皇帝の『血を流さぬ平和』という生温い理想を、貴様は随分と悪辣な毒に煮詰めたものだ 」


「叔父上が、それを僕に教えたんだ」


玲玉は歩みを止めず、煌雷の十歩手前でピタリと立ち止まった。


「力なき理想が、どれほど無惨に踏みにじられるか。僕はあの日、貴方の剣からそれを学んだ。だから僕は、貴方の『鉄と血』の皇国を上回る盤面を、この四年間で組み上げたんだよ」


「力なき理想……! そうだ、兄上のあの下らないお花畑が、どれだけの兵を北の雪原で犬死にさせたか、温室育ちのお前に分かるはずがなかろう!」


煌雷の猛禽のような瞳に、凄まじい怒りと怨念が渦巻いた。


「俺の腕の中で、内臓をこぼしながら死んでいった重臣たちの無念を ! 牙を持たぬ国は、いずれ必ず他国に喰い破られる ! だから俺は、この国を分厚い鋼の要塞に変えようとしたのだ ! 民が飢えようが血を流そうが、国が滅びるよりはマシだからだ !」


煌雷の咆哮は、国を思うがゆえに修羅に堕ちた男の、血を吐くような悲痛な叫びでもあった。だが、玲玉の紫水晶の瞳は、微塵も揺らぐことはなかった。


「……確かに、父上の平和は欺瞞の上に成り立っていたのかもしれない。辺境の痛みを無視した平和だった。でも」


玲玉は、静かに、しかし絶対的な冷酷さを持って、覇王の正義を真っ向から否定した。


「貴方が作った『鉄と血』の要塞は、どうだ。民は怯え、兵は飢え……そして今日、パンの耳と銀貨に釣られて、いとも容易く内側から崩れ去ったじゃないか」


煌雷の顔が、怒りでどす黒く染まる。


「誰も笑わない、誰も幸せにならない血塗られた牢獄。……そんなものを守るために、貴方は父上を殺したのか。阿星や、春燕や、名もなき民を殺したのか! 僕から未来を奪ったのか!」


玲玉の声に、初めて抑えきれない激情が混じった。


「盤面だと? 嗤わせるな!」


ドンッ!! と、煌雷が手にしていた身の丈ほどもある大剣で、大理石の床を叩き割った。


「どれほど小賢しい知略を巡らせようと、最後にモノを言うのは圧倒的な『武』だ! 貴様らのその盤面など、俺の鉄と血で、今ここで粉砕してやろう!!」




凄まじい風切り音。

煌雷の巨体が、巨岩が弾け飛ぶような恐るべき速度で玉座から跳躍した。

狙うは、玲玉の首。


かつての離宮の庭で、雷覇の殺気に呑まれて這いつくばった私や、ただ私の背中で震えることしかできなかった十五歳の玲玉であれば、その圧倒的な死の気配の前に、筋肉が硬直して一歩も動けなかっただろう。

だが。


「凛華! 右へ三歩!!」


玲玉の、氷のように透き通った声が玉座の間に響いた。

私は一切の思考を挟まず、その声に従って床を蹴り、神速で右へ三歩移動した。


直後、私がコンマ一秒前まで立っていた空間を、煌雷の大剣が轟音を立てて叩き割る。砕け散った大理石の破片が頬を鋭く掠め、一筋の血が流れるが、私の体勢は完璧に保たれていた。


煌雷が、床にめり込んだ大剣の柄を握ったまま、驚愕に目を見開いた。

彼の視線の先にあるのは、素早く体勢を立て直した私ではなく、大剣が振り下ろされる瞬間すら瞬き一つせず、冷徹に盤面を見下ろしている玲玉の姿だった。


「……ほう」

煌雷の喉の奥から、獣の唸りのような声が漏れた。

「その目……死線を前にして、微塵も揺らがぬか。どうやら、皇宮の温室で花を愛でていたなよなよとした小鳥は、とうに砂漠の熱砂で焼け死んだらしいな」


「叔父上のおかげだよ」

玲玉は、血の匂いが充満する冷たい空気の中で、口元に仄暗い笑みを浮かべた。

「地獄の底で泥水を啜り続けるには、お花畑の理想は重すぎたからね。……貴方を殺すためだけに、僕は僕を殺して、作り変えたんだ」


「ハッ! 結構! 貴様の血管にも、ようやく『王』に相応しい血が巡ったというわけだ!!」

煌雷が歓喜の咆哮を上げ、大理石を蹴り砕いて再び大剣を振り被る。


「次は下段からの薙ぎ払いだ! 左に飛んで、右腕の隙間を狙え!」


玲玉の瞳は極限まで見開かれ、煌雷の巨大な筋肉の微細な収縮、重心の移動、そして殺気の向きを、恐るべき速度で計算し尽くしていた。

夜な夜な、私の目を盗んで手のひらが変形するほど血を吐くような素振りと鍛錬を積んできた彼は、武力で煌雷を上回ることはできなくとも、「達人の刃の軌道」を完全に視ることができる動体視力と知略を身につけていたのだ。


「チィィッ!! 逃げ回るか!!」

煌雷が苛立ちと共に放った下段の薙ぎ払いを、私は玲玉の指示通りに左へ飛んで躱す。

そして、大振りの遠心力で一瞬だけ空いた煌雷の右脇の死角へ、私は父の直剣を容赦なく突き入れた。


だが――その剣先が煌雷の側腹部を捉えようとした、コンマ一秒前。


ガキィィンッ!!

鼓膜を劈く金属音が玉座の間に響き渡り、激しい火花が散った。

私の直剣は、横合いから伸びてきた漆黒の「双剣」によって完全に軌道を逸らされ、空を斬らされた。


「……何者だッ!」

私が瞬時に後方へ跳躍して間合いを取ると、玉座の巨大な柱の陰から、音もなく一人の男が姿を現した。


顔の右半分を醜い火傷の痕で覆い、両手に不気味な刃こぼれのある双剣を握った男。その身に纏う気配は、荒々しい雷覇とは対極の、音も匂いもしない完全な『死』そのものだった。


「……遅参いたしました、煌雷様」

男が、感情の抜け落ちた声で短く平伏する。


ガイか。……ネズミどもが城門を破ったというのに、逃げなかったのだな」

「私の命は、十年前の黒鉄関で、貴方様に拾われた時からすでに北の雪原に置いてきておりますゆえ」


最後の懐刀。近衛暗殺部隊の長、骸。

彼が放つ、血の匂いすら凍りつくような冷気。二対一のままなら私たちが圧倒的優位に立っていた盤面が、この男の登場によって、完璧な死の天秤(二対二)へと引き戻された。


骸の濁った左眼が、私ではなく、背後で指示を出す玲玉を正確に捉えた。

「……生意気にも盤面を操る『頭』は、私が落とします。女狐の相手は、閣下がお楽しみください」


「いいだろう。兄上の血を引く小僧が、どこまで泥を這いずれるか見せてみろ!」

煌雷が獰猛な笑みを浮かべ、私に向かって大剣を構え直す。


「殿下ッ!!」

骸の姿が、揺らめくようにフッと視界から消えた。

神速の縮地。私が煌雷の大剣に釘付けにされているその一瞬の隙を突き、骸の双剣が、無防備な玲玉の喉笛へと左右から交差するように迫る。


(間に合わない――!)

私が絶望に目を見開いた、まさにその瞬間だった。


キィィンッ……!!


硬質で、そしてこの上なく冷たい金属の響きが、骸の双剣を受け止めていた。


「……なっ」

骸の常に無表情だった顔に、初めて驚愕の色が浮かぶ。

双剣の交差するその結節点。そこには、漆黒の衣の袖口から音もなく抜き放たれた、玲玉の短いダガー(暗器)がピタリと差し込まれていた。


「残念だったね」

玲玉は、首筋に刃を突きつけられながらも、瞬き一つしていなかった。

彼は、自らの手のひらに刻まれた無数の剣ダコを隠すこともなく、骸の凶刃をギリギリの力学で受け流している。


「僕はもう、凛華の背中で震えて、ただ指示を出すだけの『王の駒』じゃないんだ」


玲玉の紫水晶の瞳が、至近距離で骸の目を射抜く。

彼は自らの動体視力で暗殺者の神速の軌道を完璧に『視て』、最小限の動きで死線を逸らしたのだ。


「ハッ! 傑作だ!!」

煌雷が、自らの甥が隠し持っていた牙を目の当たりにし、狂ったように高笑いを上げた。

「自らの手も血と泥で染め上げていたか! 兄上の温室の最高傑作が、見事な修羅に育ちおって!!」


「凛華!!」

玲玉が、骸の双剣をダガーで弾き返しながら、鋭く私の名を呼ぶ。


「はいッ!!」

私は煌雷の正面へと踏み込み、父の直剣を正眼に構え直した。


もはや、一方が守り、一方が指示を出すだけの関係ではない。

玲玉が暗殺者・骸の凶刃と凄絶な近接戦を繰り広げながら盤面を支配し、私が煌雷の圧倒的な武と真っ向から殺し合う。


「来い、ネズミども!! この天青の玉座は、力なき者には決して座れぬ呪いの祭壇だということを、その身で味わえ!!」

煌雷の咆哮と共に、玉座の間は、四人の命と誇りが激突する、完全なる死闘の坩堝るつぼへと化していった。




* * *  




玲玉と凛華が玉座の間で死闘を繰り広げている、まさにその裏側。


皇宮の正門へと続く幅広の大通りでは、煌雷に狂信的な忠誠を誓う近衛の精鋭部隊が、分厚い鋼の大盾を並べて鉄壁の陣を敷いていた。


「一歩も退くな! 反乱軍を玉座へ近づかせるな!」


重装甲に身を包んだ精鋭たちの圧力は凄まじく、真正面からぶつかり合った魏老将軍率いる旧体制の兵士たちは、ジリジリと押し返されつつあった。


「くっ……さすがは煌雷が莫大な金と血で鍛え上げた精鋭か。だが、ここで引くわけにはいかん!」

魏老将軍は血に濡れた長戟ちょうげきを振るい、老骨に鞭打って自ら陣頭に立っていた。しかし、狭い大通りでの正面衝突は、確実に反乱軍の体力を削り取っていく。


だが、それこそが――『影王』玲玉の描いた盤面通りの展開だった。

『正面の盾列には牽制だけ行い、大通りに釘付けにしろ』という玲玉の冷徹な指示。


「おらァ! 下ばかり見てんじゃねえぞ、天青の猟犬ども!!」


突如、大通りを囲む建物の屋根の上から、野卑な怒号が降り注いだ。

見上げた精鋭部隊の頭上に落ちてきたのは、雨あられのような黒い陶器の壺だった。ガシャンと石畳や盾の上で砕け散った壺から、鼻を突く独特の臭いを放つ黒い液体がぶちまけられる。


「な、油だと!?」


精鋭たちが驚愕に目を見開いた瞬間、屋根の上に陣取っていた隻腕のザウルが、獰猛な笑みを浮かべて火の点いた松明を掲げた。


「力押しじゃなく、炙り出して削り殺す。相変わらずエゲツねえ采配だ。……野郎ども、燃やせェッ!!」


シャフルードのならず者たちが、一斉に火矢を放つ。

ヒュンッという風切り音と共に油に引火した炎は、瞬く間に大通りを舐め尽くし、煌雷の精鋭部隊を巨大な「火の檻」へと閉じ込めた。


「ぎ、ぎゃあぁぁっ!!」


分厚い鋼鉄の甲冑が、今度は彼ら自身を焼き焦がすオーブンと化す。鉄壁の陣形は一瞬にして崩壊し、熱さに耐えかねて火の檻から飛び出してきた者たちを、裏路地や水路に潜んでいたザウルの手下たちが、容赦のない泥臭い手口で次々と狩っていく。


「……なんという容赦のない手口だ」

炎の熱風を顔に受けながら、魏老将軍は呆然とその凄惨な光景を見つめていた。名誉を重んじる正規の軍人である彼らには、決して発想すらできない完全な裏社会の殺し方。


屋根から身軽に飛び降りてきたザウルが、鉄の義手を肩で鳴らしながら魏老将軍の隣へと歩み寄る。


「へっ、堅物のジジイも随分と派手にやるじゃねえか。あんたらの兵が正面でしっかりヘイトを稼いでくれたおかげで、裏から綺麗に炙り出せたぜ」

血と油の匂いを漂わせながら下品に笑う裏社会の元締めに、魏老将軍は短く鼻を鳴らした。


「フン。誇り高き天青の武官が、裏社会の小悪党に背中を預ける日が来るとはな。……世も末だ」


言葉とは裏腹に、魏老将軍の口元には微かな笑みが浮かんでいた。

決して交わるはずのなかった「水」と「油」。

誇りを重んじる正規の老将軍と、金と暴力で泥水を這いずってきた砂漠の悪党。この全く相反する二つの勢力を、ただの力や金ではなく、絶対的な「知略」と「カリスマ」によって一つの軍として完璧に噛み合わせている。


(あの若き王は、光も闇も、すべてを己の覇道のための盤上の駒として使いこなしておられる……。恐ろしくも、頼もしい主君を持ったものだ)


魏老将軍とザウルは、背後で燃え盛る火の檻を一瞥した後、同時に視線を高くそびえる黒曜石の宮殿――玉座の間へと向けた。


「表の掃除は終わったぜ、若君……」

「あとは、殿下とあの凛華の剣を信じるのみ。……我らの王の御武運を!」


炎と怒号が渦巻く帝都の夜空の下。

全く異なる人生を歩んできた二人の男は、同じ熱を帯びた瞳で、新たなる時代の幕開けを切り拓く若き共犯者たちの勝利を、静かに確信していた。

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