↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/16

第9話 森の主は、強すぎた

「木野係長ー! 聞こえますかー!」


夢の中で、聞き慣れた声がした。冥界のあの若い部下だ。


「聞こえてる。……どうした、そんなに小声で」


「実は部長が、係長は出張中ってことにしてごまかしているんですけど、出張の書類が見当たらないって他の課から突っ込まれていて……。監査が入るかもしれません。あ、部長には内緒で連絡しています……」


「監査?」


「はい。出張がでっち上げだと上にバレたら、部長、降格どころじゃ済まないかもって。取消の届出を出しても、どのみち監査が入りますし」


「……なるほど。それで部長は取消に前向きじゃないのか」


「たぶん……あ、いえ、僕の口からは!」


部下の声がだんだん震えていく。


「僕、少しずつ係長の仕事を片付けてるんですけど……。係長、こんなに仕事抱えてたんですね」


「…………」

 

 胸がきゅっと縮んだ。俺が突然いなくなって、一番しわ寄せを受けているのはこの子だ。


「……すまない」


「え?」


「迷惑をかけた。ずっと気になってた。無理はしないでくれ」


「め、迷惑なんかじゃないです! 僕、係長にずっと助けられてきたので……! あ、部長が来ました! 切ります!」


 ぷつん、と夢が途切れた。

目を覚ますと胸の奥に重いものが残っていた。早く何かを成し遂げなければ。そんな焦りがうっすらと芽生えていた。




「昇格依頼、ですか?」


翌朝のギルドで、バルトが三人を呼び止めた。


「ああ。お前たちの噂が広まってる。小鬼討伐の評価も高い。そこで一気にDランクへの昇格依頼だ」


掲示板に一枚の紙が貼られていた。


【昇格依頼:森の主・大角鹿の討伐 推奨ランク:D以上】


「大角鹿……」


リッカが息をのんだ。


「森の奥にいる主みたいな魔物だ。角が大きくて、突進が危険だ。……正直、Fランクに出す依頼じゃない。ただお前たちならいけると思う」


バルトは少し迷うように無精ひげを撫でた。


「ただし無理はするな。情報を集めてから行け。突進の速さとかな」


リッカが小さくつぶやいた。


「……Eランクになったら報酬が増えますよね。そしたら母に仕送りが」


 その声があまりに小さくて、あまりに切実だった。

俺はネクタイに触れた。「念のため」の準備をする性格のはずだった。でも小鬼の成功と、夢で聞いた部下の声が、頭の中で焦りを押し出していた。


「……準備は十分だと思います。現地で様子を見てから決めましょう」


 バルトが一瞬、何か言いたそうな顔をした。でも結局「そうか」とだけ言った。

ルカは黙ってうなずいた。




 森の奥へ入る。奥に進むほど木が太く、空気が重くなる。鳥の声も少しずつ遠ざかっていく。


「……いますね」


 ルカが杖を構えた。

 開けた場所の中央に、一頭の鹿が立っていた。巨大だった。馬ほどの体。枝分かれした角は木の枝のように広がっている。赤い目がこちらを見据えていた。


「あれが森の主……」


ごくり、と誰かの喉が鳴った。


「リッカ、ルカ。合図は覚えていますね」


「はい」


「分かっています」


「まずルカが足元を水で固めて動きを止める。リッカは横から入って後ろ足を狙ってください。角には絶対に正面から当たらないでください」


「はい!」


 三人でそっと茂みから出る。

大角鹿が鼻を鳴らした。

 その瞬間、地面が爆ぜた。

突進だった。


「速い!」


 想像の倍は速い。ルカの水が間に合わない。巨大な角がリッカの目の前に迫る。


「行きます!」


 リッカが木槌を構えて、角を受け止めた。

ガキィィン!

衝撃でリッカの足が地面に沈む。


「っ……重い……!」


「リッカ、耐えて! ルカ、今です!」


「水よ! 大地を捕らえ、その蹄を縛れ!」


ルカの杖から水が溢れた。大角鹿の足元が泥の沼に変わる。蹄がずぶりと沈む。


「いまだ、リッカ!」


「うりゃあああああ!」


リッカが木槌を全力で振り上げた。

しかしその時。

木槌の柄から嫌な音がした。

ミシッ。


「あ……」


リッカの顔が青ざめる。木槌が限界を迎えていた。このまま振り下ろしたら折れる。


「リッカ、待って! それ以上振らないで下さい!」


だが遅かった。

バキィィン!

木槌の柄が真ん中から折れた。振り抜いた勢いのまま、リッカの体が前のめりに崩れる。


「あっ――」


 泥から足を引き抜いた大角鹿が、その背中に角を叩きつけた。

ドガッ!


「リッカ!!」


 小さな体が宙を舞った。地面を二度、三度と転がって、木の根元で止まる。


「う……っ」


 生きている。鎧のおかげだ。でも右肩を押さえて顔を歪めている。

頭が真っ白になった。

足が動かない。喉が凍りついている。冥界の書類は、どれだけ間違えても誰かが血を流すことはなかった。


「キノさん!」


ルカの声で我に返った。


「撤退を! 指示を!」


「…………っ、撤退です! ルカ、水で目くらましを!」


「……っ、水よ!」


 ルカが杖を振る。霧のような水が広がって、大角鹿の視界を覆った。

 その隙に俺はリッカを抱え起こして走った。小柄なのに、鎧のせいでずっしり重い。腕ががたがたと震えていた。


「キノさん、ごめんなさい……私が、武器を……」


「喋らないで! 走って!」


 強い声が出た。出してしまってから後悔した。リッカはぎゅっと口を結んで、何も言わなくなった。




 ギルドの医務室で、リッカの右肩に包帯が巻かれた。


「骨は大丈夫だ。二日も安静にしてれば動かせるようになる」


 治療師はそう言って部屋を出ていった。


「よかった……」


 リッカがベッドの上でほっと息をついた。それから俺を見て、困ったように笑った。


「キノさん、そんな顔しないでください。私、ほんとに大丈夫ですから。えへへ」


「…………」


 笑って気遣われた。彼女のほうが年下なのに。


「……リッカ。すみませんでした」


「え?」


「私の判断ミスでした。バルトさんに情報を集めてから行けと言われて。それを聞かなかった。焦っていました。……全部、私の判断です」


 声がかすれた。言ってしまうと少しだけ楽になった。でも胸の奥の重さは消えなかった。

部屋の隅で、ルカが壁にもたれて立っていた。


「……私の水が遅かったんです」


「ルカ」


「足止めが間に合っていれば。あの突進を止められていれば」


 ルカはこちらを見ずに言った。


「言っておきますが、悪いのは私です。あなたの判断が、とか、そういう話じゃありません。私が遅かった。それだけです」


 毒舌のルカが、自分に毒を向けている。

その横顔は、いつもの冷たさとは少し違って見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。