第10話 負け方の勉強
二日後の夜。ギルドの酒場の隅のテーブルに、俺とルカ、そして包帯の取れたリッカが座っていた。
「リッカ、右肩、本当に大丈夫ですか」
「大丈夫です! 見ててください! えいっ!」
リッカが右肩をぐるんぐるんと回した。回しすぎて、隣のテーブルのジョッキが飛んでいった。
「あっ、すみません!」
「……あなたは安静という言葉を知らないんですか」
ルカが冷たく言いながら、飛んだジョッキをそっと水魔法で受け止めた。さすがだ。
笑いが、ほんの少しだけこぼれた。
二日間、俺はほとんど眠れていなかった。目を閉じると、リッカが宙を舞う光景が浮かぶ。
「で、惨敗か」
バルトがジョッキを置いた。
「大角鹿はEランクの中でも上位だ。いきなり挑ませたのは俺の判断ミスでもある。すまん」
「いえ。止められたのに聞かなかったのは私です」
俺はテーブルの上に紙を広げた。あの日の戦闘を、思い出せる限り書き出したものだ。
「前の仕事で、失敗したら必ず振り返りをやっていました。何がまずかったか、原因を一つずつ潰す。……自分を責めるのはそのあとでいいと、昔、教わったので」
そう言ったものの、教わったのは部下に対してだけで、自分にそれができたことは一度もなかった。
「振り返り、ですか」
「はい。まず事実。突進が想像より速かった。次に足止めが遅れた。そして木槌が壊れた」
「……全部、私のせいですね」
ルカが冷たい声で言った。
「足止めが遅れたのは私です」
「ルカ。原因を探しているんです。犯人探しじゃない」
「同じことです」
「違います。突進の速さを、私たちは事前に知りませんでした。それは情報不足で、私の責任です。ルカの責任じゃない」
「……それでも、私が回復魔法を使えれば、リッカさんはもっと早く立てた」
「それは、関係ないです!」
リッカが思わず声を上げた。
「ルカさんの水があったから、私、逃げられたんです! あの霧がなかったら、私、きっと……!」
「……あなたは黙って飲み物でも飲んでいなさい」
ルカはそっぽを向いた。でもその耳が少し赤かった。
俺は静かに言った。
「ルカ。回復は、いらない」
「…………え?」
「私たちに必要なのはルカの水魔法です。それと撤退を決める力。あの日ルカが目くらましを出してくれたから、全員生きて帰れた。逃げるのも立派な戦力です」
「…………」
ルカは何も言わなかった。ただ、杖を握った手が膝の上でゆっくりほどけていった。
バルトがにやりと笑った。
「いい上司だな、キノ」
「上司じゃないですよ。……いや、前は上司でしたけど」
その時だった。
ギルドの扉が乱暴に開かれた。
「バルトさん! 大変です!」
息を切らした職員が駆け込んできた。
「Cランクのパーティーが、朝から大角鹿の討伐に向かって、戻ってこないんです! 日没までに戻る約束だったのに!」
「Cランクだと? どこのパーティーだ」
「……『鉄の牙』です!」
その名前を聞いて、ルカの肩がぴくりと震えた。
「ルカ、ご存じなんですか」
「…………私を追い出した人たちです」
低い声だった。
「回復役がいないと言って私を切りました。自分たちの実力を過信して、大角鹿くらい余裕だと」
「……」
「いい気味、とまでは言いません。でも助ける義理はありません」
ルカは冷たく言い切った。
けれど。
テーブルの下で、握りしめた拳が小さく震えているのが見えた。
俺はゆっくり立ち上がった。
足がわずかにすくんだ。また判断を間違えたら。また誰かが傷ついたら。
それでも、行かないという選択肢はなかった。
「バルトさん。大角鹿について、分かっていることを全部教えてください。突進の予備動作、弱点、何でも」
バルトの目が少し見開かれた。それからにやりと笑った。
「……いい顔になったな。紙を貸せ」
バルトがさらさらと書き始める。その間に俺はリッカを見た。
「リッカ。腕は?」
「もう、大丈夫です! 行けます!」
声が少しだけ硬かった。怖いのだと思う。それでも彼女は行くと言った。
「ルカ」
「……行きませんよ」
「無理にとは言いません」
「…………見殺しは寝覚めが悪いだけです。私のためです。勘違いしないでください」
ルカは杖を握って立ち上がった。
「準備するなら、さっさとしてください。時間がありません」
その言葉はいつものように冷たかった。
けれどその足取りは、どこか早かった。
三人分の足音が、夜のギルドを駆け抜けていった。




