夜明けの決闘、謎もきわまる(1)
アルジーと、アルジーの近くに居た面々は、まとめて異次元の空間へと放り込まれていた。
いつかも見たような気がする、夜よりも深い藍色をした虚空。
伝説となっている精霊魔法《超転移》が発生したらしい、というのは判る。
精霊でも邪霊でも無い不思議な存在――気まぐれにポツリポツリと月下を浮遊する、毛玉ケサランパサランの、なんらかの巨大な誤作動。
毛玉ケサランパサラン現象の機序は、人類の知識体系の外側のもの。人類のあらゆる言語をもってしても、説明できる範囲を超えている。
近くのどこかで、老魔導士フィーボルが、魔導士ならではの学識でもって、《精霊語》論述を叫んでいた。
人類史上最高の天才とかますほどの非凡な『毛深族』老人は、この異様な空間において「人類の言語ではラチが明かぬ」と早くも理解した様子。脳内で論文を執筆しているに違いない……
…………
……
アルジーの理解する限り、こういった事象は稀な筈であり……人生に2回も3回も遭遇するというのは、よほどのことだ。
――精霊たちは、《怪物王ジャバ》が復活しかねない、と危惧している。
――世界が不安定になって来て、《怪物王ジャバ》封印もグラついているのだろうか。
――前回、この異様な現象が発生したのも、銀髪の双子の妖女と接近した時だった……!?
前後の様々な記憶が、グルグルと回る。走馬灯のように。
『ご照覧あれ、ジャバ、来たるべき世界の王の中の王』
『いまこそ、偉大なる世界の王の中の王よみがえらん、千人と一人の《銀月》の封印は解かれた、ジャバ=シャーハンシャー!』
……バカげた、恐ろしい思いつきが湧きあがる……
アルジー=アリージュ姫と、銀髪の双子の妖女との接近が、《魔法の鍵》なのか。
かの恐怖の《怪物王ジャバ》復活のための、時代の扉を開く《魔法の鍵》なのか。
目下、アルジーには何もわからない。
ただ《銀月の三相》という言葉は気になる――そんな曖昧な直感のみだ。《鳥使い》直感から来るものかも知れないけど。
銀月のジン=アルシェラト。
その名を聞くのみの、太古の精霊。聖性と魔性の間を揺らぐ《逆しまの石の女》……
…………
……
距離的に遠いのか近いのか、この恐るべき藍色の空間のなかでは判然としないが……同じ空間に、あの忌まわしき銀髪妖女・偽アリージュ姫の存在を感じる。
そして、アルジー自身の声質とよく似た、しかし、金属的に歪んだ声が、繰り返し呼びかけて来ている。
『銀月の……銀月の三相《三ツ辻》のなかの、まさに忌々しき《逆しま》よ!』
『……《逆しまのジン=アルシェラト》よ、時代の反逆者よ……!』
『われら手を取り完璧な三位一体と融合して人類の帝国を滅ぼし、とこしえに変わらぬ我らの夜と昼を、かの歓喜の時代へと、ともに原状復帰しようではないか』
純白の流星群に満ちた藍色の空間のなかで、その呪詛は、暗くぎらつく黄金のようだ。あるいは、もしかしたら、甘い蜂蜜。
手を触れてみよう……というくらいには、逆らいがたく……甘い誘惑の力。
アルジーの中にも、「ちょっとだけでも自分の思いどおりになれば」という思いはあるのだ。
――問題は、その「ちょっと……」の結果が、どうなるか判らないということだ。
判断を間違える。たいていは回避できるかも知れないが、ほんのちょっとの掛け違いが、とんでもない災厄を生み出してしまう。
恩師オババ殿に、10年以上かけて、何度も何度も戒められた部分。
――シュクラ王国の第一王女アリージュ姫として。
城砦としては小国といえど、国運を背負い、代々の権力をあずかる王統ゆえの責任。
アルジーの肩先では、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが激怒している様子で、とても難しい《精霊語》をさえずり返していた。
今ひとたび、あの悪夢の対決の場――太古の畏怖すべき存在の顕現の様式《三ツ辻》と指摘された――を思い返してみる。
邪霊の種族の面々のなかで、なにかが不完全だ。
実際に、アルジーの目の前に出て来たのは、《人食鬼》3体と、銀髪妖女・2体。
不均衡なのだ。
なんらかの、三相だの《三つ辻》だの、というような完全な形式では無い。
代筆屋としての経験が告げている。《精霊文字》としても「不均衡」だ、と。
誤字脱字だらけで書式の崩れた文章が、いつまでもガタガタ続いている時のような、不安定感。
思わず、その「不均衡」へ手を伸ばしたくなるが……
鈴の音のような、つかみどころの無い「ささやき」が、耳元へふれて来る。
――いま《孔雀・玉座》精霊文字は、《王の中の王・玉座》精霊文字と、不一致である。アル・アーラーフ白孔雀《魔法の鍵》と《鍵穴》は、不一致である。
耳元で、耳飾りとしている純白のドリームキャッチャー護符が、警戒しているかのように、かすかに震えていた。
アルジーのなかで不思議な直感が閃き、ためらいながらも手を引っ込める……
…………
……
とにかく、背中が熱い。
この熱を感じているのは、生身の身体なのだろうか、それとも霊魂のほうだろうか?
もうひとつ、以前の経験と大きく異なるのは……
その背中の異様な熱が、左右の腕の先まで延びている――という感覚だ。
左右の腕に、ハッキリとした違和感を覚える。長大な振袖が付いているかのような……
かつてのシュクラ王国の王女として、大きな振袖のついている儀礼服には慣れていたから、自然に取り扱いはできるが……
(急に着衣を取り換えた筈は無い……)
アルジー=アリージュ姫が訝しく思っているうちに……
不意に、夜よりも深い藍色の虚空が終わった。
*****
空間が変換する時の衝撃は、落雷の閃光と震動に似ている。
ゴロリと、放り出される身体感覚。
馴染み深い重力感覚と――その方向に、馴染み深い大地が触れるのを感じる。
同時に、藍色の空間が晴れ上がったような印象。
あたりが焦げくさい。
足元にあるのは、幾つもの焼け焦げが見える芝生だ。
まだジュウジュウと煙が立ち上がっているのが、数か所。精霊魔法《超転移》に伴う余剰のナニカで、焼け焦げたのだろうか、と思えるところ。
どこかへ移動したのは確かである。
今まで居た東帝城砦オアシス湖畔の、乾いた工事現場の土では無い。それどころか、じっとりと湿っている。空気も湿度が高い。煙が立つほどの高温が、芝生を焼くような火事を生み出せていないのは、そのせいだ。
面積のある広場のような場所。
ところどころ芝生が生えていない箇所には、岩塊が転がっている。寄り添うように生えている、見慣れない灌木。濃い緑の葉っぱが大きく、テラテラとしていて、明らかに砂漠性の植物では無い。
――パッと見には、無人祠の広場のような印象。
少し先に、スッと立ち上がる道標――オベリスク灯台の影。
肩先にしっかり取り付いていた相棒・白文鳥《精霊鳥》パルが、高速で警戒をさえずった。
『気を付けて、アリージュ! 毛玉の超転移は気まぐれで、皆バラバラ到着ピッ! 白タカ・ノジュムとシャールを緊急呼び出してるけど少し間が空くピッ!』
その方向を振り返ると。
禍々しい気配が、振りあおいだ先にある。
――距離が近い!
夜明け前なのだろう、藍色よりもずっと明るく見える――薄明の空の色を背に、暗くぎらつく黄金の、超大型の、ぬーっと立ちはだかる……
「……《人食鬼》!」
地べたで、もがきながらも、ギョッとする。
いずことも知れぬ、夜明け前の無人の空き地。
たった一人で、超大型《人食鬼》と対峙している。
人類だれもが考えたくない最悪の状況だ。
超大型の三つ首《人食鬼》巨体は、いま不完全な三つ首……双頭の状態。此処へ来る前に、左端が燃え落ちていたせいだ。同じ個体。
見ていると、超大型の三つ首《人食鬼》肩先に、あの銀髪妖女が立ち上がった。双子の片方は焼け落ちたから、いま、1体のみ――
『『かえすがえすも、ジン=パユール契約せり《逆しま》めが』』
銀髪妖女の頭部は、2つ、生えていた。
気まぐれな毛玉の魔法《超転移》が稼働していた間に、異形の変身を遂げたのだ。
絶世の美女の顔立ちなれど、そのグラマー体格の上に、顔がふたつある。
美しくも、おぞましき化け物――そのものの姿。
邪霊キノコ・アマニータの、キノコゆえの成長の速度などが寄与しているのは間違いない。




