第89話 反撃開始(その1)
吹雪の音も、氷屑が舞う音も
消え去った、絶対の静寂。
ノルドヴァルクの「冬の城」から
血の涙とともに影へと潜み、
辛うじて脱出した忍びのカゲロウは、
体力の限界まで駆使して
ゲートランドの城下街へと辿り着いていた。
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
物陰から身を乗り出した
カゲロウの視界に飛び込んできたのは、
あまりにも異様で不気味な光景であった。
風に揺れていた旗も、
空中で羽ばたいていた鳥も、
荷車を押す町人も、
店頭で声を張り上げていたパン屋店主も——
街の全てが、
寸分違わず「ピタリ」と固まっている。
「(ノルドヴァルクだけではない……!
シルエッタの時空凍結は、
世界全体へと及んでいるというのか……ッ!)」
絶望的な全滅感と冷や汗が
カゲロウの背筋を伝う。
だが、その時であった。
静まり返った街のただ中央、
異様な存在感を放つ冒険者ギルドの建物——
その敷地全体を、かすかな透明の
魔力障壁が包み込んでいることに
カゲロウは気づいた。
シュッと影を滑らせ、
ギルドの扉をすり抜けて
内部へと潜入するカゲロウ。
「……むッ!?」
ギルド内に足を踏み入れた瞬間、
肌を刺す時空凍結の
異様な圧力がフッと和らいだ。
ギルド内を見渡すと、
受付や酒場の利用客たちの
動きはにぶいが、確かに動いているっ!
空間そのものが確かに動いてる!
時間が動いているのだ!
しかも、奥のギルド長室から、
漂ってくる豊かな葉巻の香り。
カゲロウは走って二階に駆け上がり、
ギルド長室の扉を押し開けると、
そこにはソファーに深く腰掛け、
紫煙をゆったりとくゆらせている
ギルド長オーウェンの姿があった。
「あーあ、やっぱり
あのおっとりお嬢ちゃんも、
自分の力が最強と知ると
こうなるんだなぁ……」
オーウェンは深いため息をつくと、
優雅に葉巻を灰皿の縁で叩いた。
「ギルド長オーウェン殿っ!?」
いきなり姿を現したカゲロウをに驚き
イスから転げ落ちそうになるオーウェン。
「……カゲロウ!
お前、なんで動けるんだ?? 」
「拙者は時空の歪みをすり抜ける
特異体質でござる……!
だが、ギルド長殿こそ、
なぜこの空間を
保持できているのでござるか!?」
「俺はこのギルド全体に、
時空魔法遮断の特殊結界を
張っておいたのさ。
正確には張ってもらったんだが。
あのお嬢ちゃんがうちに来たときから
いつ暴走してもいいようにな」
オーウェンがそう語った
まさにその時、
パタパタと足音を響かせ、
ギルドの重厚な扉を開けて
一人の少女が部屋へと戻ってきた。
頭部に生えた気品ある漆黒の角、
腰から覗くしなやかな竜の尾、
そして腰に差した美しき魔剣。
竜族の魔法剣士——ラトレアであった。
「ギルド長! おっしゃった通り、
外は時間が止まってます!」
凛とした、
どこまでも冷静で聡明な声。
ラトレアは整った眉をわずかにひそめ、
街の状況を迅速に報告する。
「街の人たちも完全に静止していました。
このギルドの結界内は
時は動いておりますが…若干
時空魔法の影響を受けているようです。
まだまだ未熟な結界でした。
ギルド長、申し訳ございません」
「いやいや、十分だ。
ちゃんと動ける奴もいるしな。
とにかく雇ったかいがあったよ」
オーウェンは不敵に口元を吊り上げると、
ラトレアをカゲロウへと引き合わせた。
「紹介するぜ。竜族のラトレアだ。
人類の時空魔法なんて代物、
龍脈の血を引くこいつの
圧倒的な生物規格の前じゃ
そのまま通り抜けちまうのさ。
ギルドの結界を張ってくれたのも彼女だ。」
「初めまして、忍びの方。
状況は概ね理解しています」
ラトレアは静かに一礼すると、
鋭い眼光をカゲロウへと向けた。
その頼もしさに、
カゲロウの胸に小さな希望の灯が点る。
その時——ギルドのフロアで
「時間停止に巻き込まれて倒れている」はずの、
レイスの身体から、オーウェンの脳内へと
直接念話が響き渡った。
『(……ギルド長。聞こえるかい?)』
『(……レイスか。
冥界からの覗き見具合はどうだ?)』
オーウェンは表情一つ変えず、
脳内で念話を返した。
『(四大精霊は完全に
魔剣へ吸い上げられたよ)』
『(……厄介な悪い話だな。
反撃の芽はあるか?)』
『(あるよ。シルエッタは油断している)』
レイスは話を続ける。
「ノルドヴァルクの冬の城」の玉座の間には、
時間が止まったまま放置された異端……
ニノが転がっている。
あの少年の持つ『参陣奏環』が、
この時空凍結を粉砕できる唯一の絶対権能だ。
レイスからの冥界念話を聞き終えたオーウェンは、
葉巻を深く吸い込み、吐き出した。
「作戦は決まった。協力してくれるか?
カゲロウ、ラトレア」
「当然です!」「もちろんでござる!」
オーウェンは机を叩き、二人を強く見据えた、
作戦を話し始める。
「まずは『ノルドヴァルクの冬の城』へ潜入し、
固まっているニノの身柄を奪還する。
お嬢ちゃんの手から世界を取り戻すぞ!」
「承知いたしました。確実に成功させます」
「御意……ッ!!」
静止した世界の中、
反撃の誓いが固く交わされた——。
時間が止まり、
凍てつく風すらも空中に固まった
ノルドヴァルクの冬の城。
王座の間の前に佇むシルエッタは、
従者ロドンが携える大剣——
紫の怨念を纏うその凶刃を
愛おしそうに眺めていた。
かつて世界を分かつほど狂い咲いた
「春妃」「炎夏」「秋華」、
そしてこの地を統べていた「氷夜」——
四大精霊のすべての魂が、
いまやロドンの持つこの一刃の中に
封印されているのだ。
「ふふ……いい色ですねぇ。
こんな綺麗な紫色に輝く剣を
見たことありません」
シルエッタは氷のように冷たい笑みを浮かべ、
ロドンへ頷いてみせた。
「行きましょう、ロドン。
こんな僻地に用はありません。
目指すは世界の中心、ゲートランド王城です。
あそこの大広場であれば、
全次元へ向けて時間再展開の儀式を行うのに
最高の舞台となりますわ」
時間を止めたまま、星脈で人々を動かす。
そして己に従う者だけの時間を動かし、
刃向かう愚民どもは、
星脈のみで動く意思のない
労働力だけの存在となる——
これが世界の絶対的な女王として
降臨する算段であった。
だが、シルエッタはふと足を止め、
王座の間の奥——
時間が止められたまま
人形のように固まっている
ニノ、照紅、ジゼルの三人へと視線を向けた。
「念には念を……ですね。
この三人は対策しておきましょうか」
シルエッタは
夏の星脈調律『壱陣奏環「土・水」』を解放した。
「ふふ……ロドン。
あなたのその剣には、
いまや精霊が4人も封印されていますぅ。
誰も逆らえるはずもありませんし、
大丈夫だとは思いますが……念のため」
微かなハミングとともに、
地面の凍土と巨大な氷塊が蠢き始める。
ズズズ……と地響きを立てて組み上がったのは、
身の丈三メートルを超える巨躯を誇る
100体もの『氷のゴーレム』であった。
「この子たちに城内と、
あの三人を見張らせておけば完璧ですわ。
さあ、行きましょう~」
溢れ出る絶対の全能感に満たされたシルエッタは、
三人を取り囲むように100体の氷ゴーレムを
巡回・警備させ、ロドンとともに
堂々とゲートランドへ向けて旅立っていった。
フロアの床で、時間停止に巻き込まれた振りをし、
自ら仮死状態にして、床に横たわっていたレイスは
冥界からシルエッタを見張っていた。
『ゴーレムかぁ……
それは正しい選択だね』
レイスは冥界から
シルエッタの背中を見送りながら、
くすりと薄く微笑んだ。
『ただ……そのゴーレムでは、
役不足すぎるかな』
次の瞬間——
死体のように固まっていたレイスの肉体が、
フッと息を吹き返し、ゆっくりと起き上がった。
「ふぅ……さて、と」
首をコキリと鳴らすと、
レイスは虚空へ向けて
青色の魔法陣を展開する。
「(こういう展開って面倒なんだよね。
単純に敵の数が多いから。
だから、僕も同じにするよ)」
そう言うレイスにより
冥界の深淵から引きずり出されたのは、
途方もない古代の英知と
死の魔力を身に纏う高位存在——
『冥界の賢者』であった。
しかも100体…
レイスの命令で城内に散った
『冥界の賢者』が杖を掲げる。
虚空に眩いばかりの擬似太陽が顕現し、
極大の神話級・日の魔術——
絶対熱線の束が城中を貫いた!
ガァァァァァァンッ——!!!!
次の瞬間、ノルドヴァルクの絶対零度が
一瞬にして灼熱の炉へと変貌した。
100体の氷ゴーレムたちは、
武器を振るうことすら、
水になって溶ける時間すら与えられず——
バシューーーーッ……!!!!
白煙と凄まじい蒸気波を残し、
文字通り一瞬で全滅・蒸発した。
荒れ狂う白い蒸気がゆっくりと晴れていく。
その奥で、
静止した刻の中に囚われたままの
ニノ、照紅、ジゼルの三人が、
無傷のまま静かに佇んでいた。
「ふう……お掃除完了、だね」
レイスが満足そうに微笑み、
静かにニノの元へと歩み寄る。
「待たせたね、ニノさん……
さあ、シルエッタを追いかけるよ」
小説書くのって本当にシンドイです。
思ってた以上でしたね。





