第88話 暗闇の檻
光も時間も存在しない、
ただ禍々しい紫の怨念が渦巻く
魔剣の胎内。
そこは肉体を剥ぎ取られた魂が、
互いの存在の残滓を揺らめかせるだけの
静寂の牢獄であった。
「くっそがあぁぁぁッ!!
シルエッタのあのクソ女ッ!!
まんまと騙しよってからに!!
外に出たら真っ先に丸焼きにして
灰にしたるからなっ!!」
暗闇の中で狂ったように吠え、
怨念の障壁へ爆炎の魂をぶつけているのは、
炎夏であった。
「無駄ですよ、炎夏様。
魂を摩耗させるだけです。
少し落ち着きなさい」
その横で静かに揺らめく黄金の光——
秋華が溜め息を吐きながら制する。
「落ち着いていられるかいなッ!
チート調律師のニノも、
他の奴らも全員、
時間を止められて放置やぞ!?
ウチたちがこんなところで
指くわえててどうすんねんッ!」
「……騒々しいですね。
相変わらず頭の不自由な
燃えカスですこと」
漆黒の暗闇の奥深くから、
凛として澄み渡る冷ややかな声が響いた。
闇を割り、ゆったりと姿を現したのは——
蒼銀の光を纏う冬の精霊。
真名『氷夜』であった。
「あァ!!?
何だと氷夜ぉッ!!
誰が燃えカスやッ!
元はと言えばテメェがうだうだやってたから、
あの女につけ入れられたんちゃうんかいッ!!」
炎夏の魂が途端に跳ね上がり、
激しい紅蓮の業火となって
氷夜へ威嚇するように燃え盛る。
だが、氷夜は眉ひとつ動かさず、
冷ややかな瞳で炎夏を見下ろすだけであった。
「私のせい?ですか? 3000年も眠りこけて
情勢の移り変わりにすら気付けず、
人間の小娘の手のひらで踊らされて
回収されたあなた方が何を言うのです。
滑稽を通り越して哀れですね」
「何やと!?この野郎……ッ!?
言わせておけばッ!!
ここから出たら真っ先に
自分を溶かしたるからなッ!!」
「どうぞ。ですが、
この魔剣の結界すら破れぬ
あなたの貧弱な火力で、
私の氷を溶かすのに何百年かかりますことやら。
精々、不発の種火らしくそこで
くすぶっていればいいでしょう」
「氷夜ぉぉぉッ!!!!」
ピシャリと言い捨て、
完璧に受け流す氷夜。
どれほど炎夏が怒号を上げようと、
氷夜は感情の欠片も見せず、
まるで羽虫の羽音でも聞くかのように
静かに目を閉じる。
「……ふふ。炎夏様も氷夜様も、
喧嘩できるくらい元気でよかった☆」
その殺伐としたやり取りの隙間に、
ぽつりと落とされた温かな声。
桃色の柔らかな光を揺らめかせ、
歩み寄ってきたのは春の精霊——
春妃であった。
「笑い事じゃないねん!
春妃ッ! このすまし顔のヒエヒエ女、
一回殴らないと気が済まへんねんけど!」
「いいんだよ炎夏様。
……ねえ、氷夜様」
春妃は炎夏様の肩を優しくなだめると、
一人佇む蒼銀の光へ、そっと歩み寄った。
「……何です、春妃様。
気安く話しかけないでいただけますか」
「氷夜様。……ずっと、
一人で寒かったでしょ?」
「……は?」
氷夜の冷徹な仮面に、
わずかな亀裂が入る。
春妃は悲しそうに目を細め、
氷夜の刺さるような視線を
まっすぐに見つめ返した。
「3000年前……
私たちが戦うことになっちゃった理由。
……氷夜様、ずっと寂しかったんだよね?」
「……馬鹿馬鹿しい。
何を今更——」
「言わんかいっ!!」
思わず割り込んだのは炎夏だった。
拳を握り締め、悔しそうに
氷夜を睨みつける。
「言わなきゃわからへんやろッ!
あたしたちは仲間やったはずちゃうんかいッ!
なんで急に世界を凍らせて、
あたしたちと戦わなきゃ
ならんかったんやッ!?」
「……」
炎夏の真っ直ぐな怒りと、
春妃の包み込むような眼差し。
そして無言で寄り添う秋華。
三人の真名が響く空間で、
氷夜は長く、深く……
凍てつくような息を吐き出した。
「……理由、ですか」
氷夜は己の手元を見つめる。
そこには何も残っていない。
ただ冷たい闇があるだけだ。
「もう……はるか昔の話です。
詳細など、とっくに忘れました」
ぽつり、と吐き捨てられた言葉には、
刺々しさではなく、
果てしない虚無が滲んでいた。
「ただ……私だけが、
忌み嫌われる存在だった。
……それだけのことです」
「忌み嫌われる……?」
「春妃様、
あなた方の季節は人々に愛されていた。
花が咲き、命が芽吹き、実りが訪れ、
誰もがあなた方を讃え、待ち望んでいた。
……ですが、私は違った」
氷夜の蒼い瞳に、
遠い記憶の影が揺れる。
「寒く、命を奪い、
作物を枯らすだけの季節。
人々は私を恐れ、呪い、
早く去ることだけを祈っていた。
……なぜ私だけが、存在するだけで
拒絶されねばならないのか。
なぜ私だけが……
孤独でなければならないのか」
氷夜は自嘲気味に微笑んだ。
「……些細なことです。
本当に、くだらない嫉妬と絶望の
積み重ねだったのでしょう。
気付けば私は、
世界を凍らせようとしていた。
私を受け入れぬ世界なら、
いっそ全て止めてしまえばいいと。
……ただ、それだけのことですよ」
静寂が降り積もる。
炎夏は二の句が継げず、
固まっていた。
秋華は痛ましそうに胸を押さえ、
そっと目を伏せる。
「……ごめんね」
春妃が、そっと氷夜の冷たい手に
己の光を重ねた。
「ごめんね、氷夜様。
私達……氷夜様が耐えてた寒さに、
全然気づいてあげられなかった。
冬があるから、春の芽吹きが愛おしいのに。
氷夜様が季節を紡いでいてくれてたから、
命が繋がっていたのに……」
「……何を……今更……」
「今更じゃないよ。……
だって私たち、
四人で『四季』なんだもん……
つーかさ、もう何万年…いや何十万年も
ずっと一緒にいる仲間っしょ?
たった3000年間の喧嘩なんて
仲直りして『しゅうりょー』っしょ?☆」
「ッ……」
春妃の温かな熱が、氷夜の手に伝わる。
続いて、秋華が静かに寄り添い、
その手を包み込んだ。
「そなたのもたらす静寂と休息がなければ、
秋の実りも生まれませぬ。
……寂しい思いをさせましたね、氷夜様」
「チッ……」
炎夏は乱暴に頭をかくと、
顔を背けながらも、
ドスンとその輪の中へ割り込んできた。
「……あたしは暑っくるしいのが取り柄なんや。
冷え切ってんなら、
あたしの炎でいくらでも温めたるわ。
……せやから、
二度と一人で抱え込むんじゃねぇぞ、バカ氷」
炎夏の熱い手が、
上から重ねられる。
「あ……」
氷夜の蒼銀の瞳から、
一筋の透明な雫がこぼれ落ちた。
時間すら凍りついた魔剣の胎内で、
3000年分の氷が、静かに溶けていく。
「……おめでたい人たち。
本当に……
救いようのないお人好しですね、
あなた方は……」
氷夜は溢れる涙を拭いもせず、
生まれて初めて、温かな笑みを浮かべた。
その瞬間——。
春妃、炎夏、秋華、氷夜。
四大精霊の真名がひとつに共鳴し、
魔剣の胎内に黄金と桃色と紅蓮と蒼銀の
『絶対の環』が芽生えた。
「感じます……外で、
あの少年が足掻いているのを」
氷夜は光の向こう、
静止した世界を見つめた。
「彼がこの剣に辿り着いた時……
私の冬の力も、全てあの少年に預けましょう。
それがせめてもの罪滅ぼしです」
「しかし…春妃様は変なしゃべり方になられましたね」
「『コギャル用語』とか言うらしいで」
「趣があってよいですねぇ」
「「えっ???」」





