第64話 冥界の王
遥か北の果て——
永久凍土に覆われた果てしな
き銀世界の中央に、その城は佇んでいた。
天を突くようにそびえ立つ氷の城『冬の城』
舞い散る鋭い氷の結晶が寒風に狂い咲き、
城内には生き物の呼吸音すら途絶えた
死の静寂が支配している。
最奥に位置する玉座の間。
透きとおる薄氷で削り出された玉座に
身を預けていた美しい女性——
『冬の精霊』は、静かにその目を細めた。
氷のように白く美しい肌と、
冷酷な光をたたえた瞳。
その圧倒的な美貌は、
見る者を凍てつかせるほどの
神々しさを放っている。
スッと息を吸い込んだ冬の精霊は、
遥か南の空から漂う圧倒的な
熱気の脈動に口元を緩めた。
目に見えずともわかる。
大気を揺らし、世界を灼くほどの強烈な熱波。
——明らかに『夏の精霊』の気配であり、
間違いようのない復活の証であった。
冬の精霊の白銀の美しい唇が、
滑らかに、そして獰猛に吊り上がっていく。
「……ほう。
夏の精霊が復活したようですね。
ククク……よい暇つぶしになりそうです」
その呟きは、
冷気を含んで玉座の間に低く響き渡った。
玉座の傍らに控えていた四天王の一人・ヨルダは、
主の言葉にハッと顔を上げ、
驚きを隠せない様子で目を見開いた。
「えっ……?
主様の封印で幽閉されていたって
聞いていたけれど……それを解除したっていうの?
解放した奴ら、相当ヤバいんじゃないかしら……?」
ヨルダの焦りを含んだ声が響くが、
主である冬の精霊は気にした風もない。
そして、ヨルダの反対側に立つもう一人の四天王——
ジゼルに視線の針を向けた。
ジゼルは
深くかぶった黒いフードの奥に
素顔を隠したまま、不気味なほどに
ピクリとも動かず、ただ深い無言を貫いている。
美しい冬の精霊は、
遠く南の空を見つめたまま、
愉しげに氷の指先を鳴らした。
「ちょうど頃合いでしょうね。
……ゲートランドの結界『陽だまりの残響』も
邪魔になってきましたし……
完全に抹殺してさしあげます」
その美貌に浮かぶのは、
氷よりも冷たく、残酷な悦び。
傍らに立つヨルダは、
己の身体を包む凍てつく空気よりもなお
冷たい戦慄を背筋に感じていた。
こんなにも愉しそうに笑う
冬の精霊の姿を見るのは、
出会って以来、初めてのことであった——。
一方その頃——
遥か南に位置する、
常夏衆の本拠『朱夏の里』。
「全員、総員で宴の支度をせよぉぉぉッ!!
精霊様が空腹でブチギレておられるッ!!
制限時間は今すぐでござる!!」
神技山の山道から、
音速を置き去りにするほどの勢いで
駆け下りてきたカゲロウの絶叫が、
のどかな里の空気を極限のパニックへと
叩き落とした!
「な、何事だ!?」
「敵襲か!?」
「宴の支度だと!?」
一瞬で蜂の巣をつついたような騒ぎになる里内。
……しかし、息を荒らげるカゲロウの背後から、
溢れんばかりの神威とギラギラとした
熱気を全身から放ちながら降り立った、
美しくも豪快な姿の『夏の精霊』の姿を目にした瞬間、
忍びたちの動きがピタリと止まった。
彼らは全員が、
古よりこの里で伝承を語り継いできた
『夏の精霊』の熱烈な信仰者たちである。
一瞬にして全てを悟る。
「「「お、おおお……! 精霊様……!
伝承に聞こえし、真の精霊様が
お戻りになられた……ッ!!」」」
包丁を持った料理番も、
薪を抱えた忍びも、
手の空いている者は全員が
溢れ出る涙と鼻水を拭おうともせず、
その場に一斉に膝をついた。
感涙にむせびながら尊い祈りを捧げ始める。
3000年の時を超えて目の前に顕現した、
あまりにも神々しく美しい主の姿。
信者たちが感極まる様子を、
空中で腕を組んだ夏の精霊は、
満足げに鼻を鳴らして見下ろした。
「ほう……3000年経っても
信仰心を忘れぬとは、そこは褒めたる!」
「あ、ありがたき幸せえぇぇっ!!」
精霊様からのお褒めの言葉に、
忍びたちは「おおおん!」と声をあげて号泣した。
しかし、その横で一人だけ顔面を
蒼白にさせている男がいた。
カゲロウである。
「ひ、ひえぇぇっ!
祈ってる場合じゃないでござる!
手を動かすでござるぅ!!
メシを作らんと精霊様の
逆鱗に触れるでござるッ!!」
カゲロウの悲痛すぎる叫びに弾かれた常夏衆は、
「ハッ!」「料理だ!」「酒を持ってまいれ!」と
狂乱状態で厨房へと飛び込んでいった。
熟練の忍びたちが術をフル活用し、
肉を焼き、魚をさばき、酒樽を運び込む。
そうして里の総力が結集され、
常識では考えられないほどの超スピードで、
広場に特大の豪華宴席が組み上げられた!
「うむ!
3000年ぶりのメシや!
合格点あげたるわ!!」
組み上がった宴席のど真ん中に
ドカリと座り込んだ美しい夏の精霊は、
山盛りの肉を豪快に喰らい、
酒樽から直接酒を煽って
ガハハと豪快な笑い声をあげる。
「た、助かった……
命拾いしたでござる……」
その横で、
先ほど叩かれた頬を真っ赤に腫らしたカゲロウと
常夏衆の忍びたちが、胸を撫で下ろして
安堵の吐息を漏らしていた。
「(3000年も幽閉されていたのだ……
この程度の横暴さや暴れっぷりは、
精霊様として当然のこと……)」
常夏衆の者たちはそう自分に言い聞かせ、
覚悟を決めて精霊様をひたすら
手厚くもてなし続けた。
サスケ頭領をはじめとする里の幹部たちが
順々に夏の精霊の前へと進み出で、
恭しく平伏しながら至高の酒を注ぎ、
復活を祝う言葉を奉納していく。
「精霊様、長きにわたる不遇の時、
真においたわしや……。
常夏衆一同、この日をどれほど
待ち望んだことか!」
「うむ! 苦労かけたな!
酒が美味いからそない気にするな!」
豪快に杯を干す夏の精霊の元へ、
今度は里の幼い子ども忍びたちが
「精霊さまー!」「本物の神様だー!」と
目を輝かせながらワラワラと集まってきた。
「おお、なんやなんや!
威勢のええガキどもやな!
ほら、肉食え肉!」
夏の精霊は豪快に笑いながら、
子どもたちの頭を大きな手でガシガシと撫で回し、
山盛りのご馳走をちぎっては分け与えていく。
豪快ではあるがどこか世話焼きな
姉御肌を見せる精霊様に、
子どもたちも大喜びで歓声をあげた。
大人も子どもも入り乱れ、
常夏衆の長年の祈りが結実した
宴会場の熱気は、最高潮へと達していく。
そうして宴もたけなわ、
酒を何樽も空けてすこぶる機嫌を良くした夏の精霊が、
豪快に己の太ももをパチンと叩いて声を張り上げた。
「おい! 芸のある奴はいてへんのか???
宴会を盛り上げる芸や!!」
精霊様からの唐突すぎる「宴会芸」の要求。
広場を埋め尽くす忍びたちが
「えっ……宴会芸……?」と顔を見合わせ、
場が一瞬でシーーーンと静まり返った。
「誰も出んのか?
気が利かぬ奴らやなぁ……」
夏の精霊の機嫌が再び斜めに
傾きかけた、その時である。
「……ふぅ。まあ、
仕方ないでござるな」
カゲロウが小さく息を吐き、
どこか妙に腹を括ったような、
(そしてそれほど嫌そうでもない)
真剣な面持ちで、すっと前に躍り出た。
「拙者の秘技・影脱ぎを見せる時が
来たようでござる……!」
「カゲロウさん!?
何をする気ですか!?」
焦るシルエッタの制止も聞かず、
カゲロウは無駄にかっこいい溜め動作とともに、
忍び装束の帯を緩めた。
一枚、また一枚と装束を順番に脱ぎ捨てていく。
最前列にいるミズキは目が♡になっている。
ついには全裸になろうと最後の布地に手をかけた——
まさにその瞬間!
ポムッ……。
広場の隅、レイスのすぐ隣の空間に、
もくもくと黒くてかわいらしい
小さな雲がふわりと顕現した。
その雲は不思議な手触り感を残したまま膨らむと、
みるみるうちに形を変え、愛らしくもどこか
この世の理を超越した神聖な美しさを纏う、
一人の少女の姿へと変わっていく。
少女は、全裸になりかけているカゲロウと、
大酒を食らう夏の精霊を
冷ややかな目で見つめると、静かに口を開いた。
「おい、炎夏……いいかげんにせぬか」
それは、
鈴を転がすように可憐でありながら、
世界の底から響くような
絶対的な威厳を秘めた声であった。
「……ん?」
全裸になりかけていた
カゲロウがピタリと動きを止め、
大杯を掲げていた夏の精霊の身体が、
ビクッと硬直する。
「えっ……? ……ウチの真の名
……真名を知っている……とは?
もしかして……」
夏の精霊の額から、
一筋の汗がツッと伝い落ちた。
黒い雲から現れた少女は、
華奢な身体でちょこんと小さく腕を組み、
フッと静かに目を細めてみせる。
「そうじゃ、宵咲じゃ」
その正体が告げられた、
まさにその瞬間!
夏の精霊——炎夏の顔面から、
滝のような大量の冷や汗が吹き出した!
さっきまでの横暴で横柄な態度は
綺麗サッパリ消え去り、
顔色を失った炎夏は、
ギギギ……と壊れたカラクリ人形のように
恐怖で震えながらゆっくりと振り返る。
そこに佇む『宵咲』の美しくも恐ろしい姿を
その目でしっかりと確認した瞬間——!!
「すみまへん!!!!
調子に乗っておりましたぁぁっっ!!!!!」
ドサァァァッ!!
朱夏の里の地面が揺れるほどの勢いと音を立て、
炎夏は豪快に床へ額を叩きつけ、
綺麗な爆速土下座を決めるのだった。
あっけに取られる常夏衆の忍たち。
全員の思いは同じであった。
『あの少女、誰やねん!?』
あ、ちなみに挿絵も自分で描いてますよ。





