第62話 神技山の泉
奥の木箱からサスケ頭領が
恭しく取り出したのは、
一枚の古びた符印であった。
表面には細かな黄金の術式が
隙間なく刻まれ、禍々しくも
神聖な光を放つ『朱色の符印』である。
「神技山を覆う結界は、
常夏衆の祖が張り巡らせた絶対の障壁。
いかにカゲロウとて、
手ぶらでは入山すら叶わん。
……これを持っていけ」
「この『朱色の符印』が
……最高聖域の結界を開く鍵でござるか」
カゲロウは背筋を正し、
両手で慎重に符印を受け取ると、
大切に懐へと収めた。
「うむ。それを携え、
真実の泉を目指すがよい。
……だが気をつけよ。
いつどこでいかなる試練が
待ち受けているか誰も知らん」
「謹んでお引き受けいたす!
……シルエッタ殿、レイス殿、
ナツ殿、参るでござる!」
サスケ頭領からの重大な任を受け、
カゲロウ一行——
カゲロウ、シルエッタ、
レイス、ナツ、ラーズの
四名と一匹は、朱夏の里の最奥、
最高聖域『神技山』の
麓へと向けて出陣した。
一方その頃——
頭領屋敷の天井裏や庭の影には、
密かに気配を殺す二つの影があった。
里の跡目争いを繰り広げる有力候補——
ハヤテとミズキの忍びたちである。
「(……くそっ、サスケ様はかなり
カゲロウを評価しておられる!)」
「(それどころか、最高聖域を開く
『朱色の符印』まであいつに預けるとは……!)」
サスケの部屋を盗み聞きしていた二人は、
歯噛みしながら顔を見合わせる。
カゲロウ本人がどれほど固辞していようが、
サスケ頭領の信頼は明らかな『カゲロウ推し』
このままではカゲロウが
『真実の泉』から戻った瞬間に、
次期頭領へ指名されてしまう……!
「「(……ならば、カゲロウを始末し、
『朱色の符印』を奪った者が次の頭領だ!!!)」」
あらぬ勘違いと焦りに焦った二人は、
暗黙の了解のもと、サスケの屋敷を抜け出して
カゲロウたちの後を追うのだった。
「(…カゲロウに一矢でも報えたなら
考えてやらんでもないがの…
しかし、二人とも思慮がまったく足らん!)」
さすが頭領。
二人の行動はサスケには筒抜けだった。
神技山・中腹。
『朱色の符印』で神聖な結界を
突破したカゲロウ一行は、
明日の『真実の泉』での本格的な調査に備え、
中腹の開けた岩場で野営の準備を進めていた。
「ふぅ……! それでは皆様、
明日の試練に向け、まずは今夜の
『整い』の準備に入るとするでござる!」
カゲロウは手際よく自家製の
『携帯式サウナテント』を設営。
さらに熱々のサウナストーンを用意するが、
ここで一つ問題が発生した。
「ぬ……しまった、
水を汲み忘れておったでござる。
……まあ良い、この上の小川から
少し水を拝借するとしよう!」
軽率にも聖地の小川から汲み上げてきた
『真実の泉』の源泉となる清らかな水を、
カゲロウは熱せられたストーンへと
勢いよく回しかけた。
ジュワァァァァァッ……!!
「おお、良い蒸気でござる!」
カゲロウは何も知らず、
いい具合に『整う』体制に入る。
…充満したのはただの蒸気ではなかった。
万物の偽りを剥ぎ取り、
隠された真実を露わにする
『真実の泉』の成分が、
極上のロウリュ(水蒸気)となって
サウナ幕の中に広がっていく!
「ふぅぅ……効くでござる……。
ん? ……うん?あれ?
急に疑問がわいてきたでござる……?」
サウナハットをかぶったカゲロウの脳細胞が、
蒸気を吸い込んだ瞬間に
爆発的なスピードで回転を始めた。
思考がどこまでもクリアになり、
これまでの旅で抱いていた
「ある違和感」がカチリと噛み合っていく。
「(……? シルエッタ殿が無意識に
時空魔法を使っているのは知っておったが……
あの時の現象は、どう考えても説明が
つかぬでござる……!)」
覚醒したカゲロウの脳裏に、
シルエッタの『最後の試練』、
——崩落の光景が鮮明に再生される。
「(あの時、シルエッタ殿はパニックになり、
範囲の制限なんぞハナから気にせず
洞窟全体に無意識で時空魔法をぶっ放して
崩落そのものを巻き戻したはず……!」
「 現に、瓦礫の下敷きになっていた
ナツ殿の重傷も、時間の巻き戻しによって
一瞬で綺麗に癒えておった!)」
——真実の蒸気が、
さらなる矛盾を突きつける。
「(ナツ殿の傷は巻き戻って癒えた……。
ならば……なぜ拙者には、
時間の巻き戻しが一切起きなかったのだ……!?)」
同じ洞窟の空間にいて、
同じ時空魔法の波動を全身に
浴びていたはずなのだ。
真実の蒸気が、
カゲロウ自身の深層に眠る
『真の姿』を照らし出す。
「(シルエッタ殿の魔法のせいではない……!
拙者……拙者自身が……
『時空魔法の影響を一切受けない』
という能力を持っておる……ッ!!??)
己の能力の真実に呆然としながら、
カゲロウは蒸気の上がる木桶と
手に持った柄杓を見つめた。
「(……待つでござる。
この恐ろしいほどに頭が冴え渡る蒸気……
まさか……)」
カゲロウはハッと息を呑み、
己の頭脳を強制覚醒させた蒸気の源——
聖なる水を震える手で見つめた。
「これが……
『真実の泉』でござるか……!」
試練の泉にまで登らずとも、
その水を蒸気にして吸い込んだだけで、
隠された己の真実が暴かれてしまったのだ。
「な、なんという効能……!
拙者自身に隠れた能力があったとは!
——ぶはっ!?」
カゲロウが衝撃に打ち震えた、
まさにその瞬間!
「——問答無用! カゲロウ、
その首もらったぁぁぁッ!!!」
ハヤテを出し抜き、
単独で先回りをしていた刺客のミズキが、
サウナ幕のシートをバリッと破ってクナイを構え、
勢いよく突入してきた!
「なっ……ミズキ!? なぜここに——」
「言い訳は無用! 『朱色の符印』は
このミズキが——……っ!?」
一撃を見舞おうと勢いよく踏み込んだ
ミズキの瞳に飛び込んできたのは……
サウナハットを目深にかぶり、
汗だくの全裸姿で佇むカゲロウの姿であった。
「……え?」
「……ミズキ?」
サウナ幕の中にしばしの沈黙が流れる。
ミズキの顔がみるみるうちに
真っ赤に染まり、かっと目を見開いた。
「きゃああああああっ!!??
な、何をやっているんだ貴様ぁぁぁッ!!
変態! 犯罪者ッ!!」
「人がサウナで整っておる最中に
突っ込んでくるからでござる!!
そっちが犯罪者でござるぞ!!」
真っ赤な顔で絶叫するミズキは、
あまりの衝撃にクナイを放り出し、
脱兎のような猛スピードで
山の下へと逃げ出していった。
「(カゲロウ…いえ、カゲロウ様…
私、あんな姿を見てしまったら……ポッ♡)」
ミズキのややこしい想いが重い。
…結局、
カゲロウの『全裸』に何度救われてきたか。
もう認めざるを得ない…
ゲートランド城のルナは、念視を一旦やめた。
「……えっと、カゲロウさん。
お知り合いの方が叫びながら
走っていかれましたよ……?」
サウナ幕の外でおっとりと呟く
シルエッタの声が虚しく響くが、
カゲロウはのぼせた顔で
「あ、何か忘れ物を取りに
行ったみたいでござった!ハハハ!」
と、訳の分からない説明をするカゲロウ。
いろいろと戸惑いを隠せない様子であった。
翌朝。
サウナテントを撤収し、
服を着直して神技山の険しい山道を
登り始めたカゲロウ一行。
その少し先、見通しの悪い曲がり角の陰には、
速度自慢の忍び・ハヤテが潜んでいた。
「ふっ、ミズキの奴め、
不覚を取って逃げ出すとは忍びの面汚しめ!
手柄は拙者がいただく……!」
ハヤテが自信満々に仕掛けた作戦——
それは、山道に掘った古典的すぎる
『落とし穴』であった。
かつてサスケ頭領から
「忍者が落とし穴などに頼るな! 思考が浅すぎる!」と、
頭を抱えて激怒された代物であるが、
ハヤテは「これぞ必殺の罠!」とほくそ笑む。
なにせ成功したとき、
その後の展開が圧倒的に有利だ。
「フフフ……そろそろ来るぞ……。
もうすぐ……もうすぐ……よしっ!」
ズサッ!!
カゲロウたちの足が穴の上へと差し掛かった瞬間、
ハヤテは物かげで拳を握りしめた。
……しかし、
足を踏み入れた先頭のシルエッタは
「あ、今日の朝ごはんも美味しかったですね〜」
などと完全無意識に談笑しながら
そのまま穴の上を通過していく。
彼女の本能(魔力)は、脚が土を
踏み抜こうとしたミクロ単位の瞬間を察知し、
穴の上の土だけに
「時間を過去へ巻き戻す」処理を
超高速で連続ループさせていた。
崩れ落ちようとする土の時間が
常に元の状態へ戻され続けるため、
そこは実質的に
『時間が停止した土の床』
と化していたのだ。
シルエッタ本人は罠の存在すら知らぬまま、
おっとりと会話を弾ませて穴の上を踏みしめ、
何事もなく渡り切っていく。
「……あれ?」
潜んでいたハヤテは目を丸くした。
確かに土が崩れる音がしたように感じたが…
全員が空中を歩くようにして
何食わぬ顔で通り過ぎていく。
「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
確実に落とし穴に落ちた!と思ったら
まるで空中を歩いているようだった…」
「な… 何を言っているのか わからねーと思うが
おれも 何が起こったかわからなかった…
頭がどうにかなりそうだった…」
「超スピードだとか、催眠術だとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…」
長い独り言だ。
焦ったハヤテは確認のため、
勢いよく自分の仕掛けた
罠の場所へと駆け寄り、足を踏み入れた。
当然、一行が通過したことで
シルエッタの完全無意識な時空魔法は
すでに解除されている。
ドスッッッッ!!!!
「ぶはぁッッッ!!!?????」
案の定、
ハヤテ自身が深さ約3メートルの
穴の底へまっ逆さまに落ちる。
穴の底に仕込んでおいた
小麦粉まみれになりながら、
穴の底で激しい混乱に陥るハヤテ。
「??????」
「な、何が起きた……!?
なぜあいつらは落ちない……!?
落ちないどころか、
まるで空中に留まっていたぞ……!?
拙者の穴が……拙者だけに反応して
底が抜けたというのか……ッ!!??」
忍術でも何でも説明がつかない。
不気味な怪現象が目の前で起こったハヤテは、
「フッ……やはり世の中は不平等…フフッ
いつも、いつもそうだ…世の中は不平等…」
何を悟ったのか……
もしくは、彼の過去に何があったのか……
彼はゆっくり穴からはい出し
そのまま姿をくらました。
その後の彼を見た者はいない。
『過去へ時間を巻き戻す』
という概念の先にある、
あまりにも理外の絶対能力。
『時間停止』
「(……いま、シルエッタ殿の魔法……
穴の崩落を連続で巻き戻すことで、
一時的に『その場所の時間を停止』
させておったな……)」
本人が完全無意識のまま繰り出した
その現象の恐ろしい本質に気づき、
カゲロウは一瞬背筋を凍らせた。
……だが、
カゲロウはすぐさま己の頬を叩き、
思考を切り替えた。
「(今は全部後回しでござる!)」
カゲロウの視線は、シルエッタに抱き抱えられ、
「キュイ〜?」と愛らしく首をかしげている幼龍
——ラーズへと注がれる。
サスケ頭領から告げられた言葉が、
カゲロウの胸に重く響いていた。
『冬の軍勢』が重厚な封印術式で
厳重に閉じ込めていた卵。そして、
サスケがラーズから感じ取ったという
『夏の息吹』
「(サスケ様のおっしゃる通り、
冬の軍が隠し、ニノ殿の星脈調律に
反応して目覚めたラーズには……
間違いなく世界を左右する
『真実』が隠されておる……!)」
「真実の泉」の水を使った昨夜のロウリュだけで、
己の隠された体質という真実が露わになったのだ。
本物の泉へと向かえば、
ラーズに秘められた真の姿、
そして冬の軍勢の意図が
確実に暴かれるはずである。
「皆様! 余計な雑念は捨て、
山頂を目指すでござる!
『真実の泉』で、ラーズの
真実を解き明かすのでござる!!」
「はいっ! ガンバローねー
ラーズくん!」
「キュイ〜〜ッ!!」
ラーズの真実を確かめるため、
カゲロウは再び凛とした表情で
神技山の山頂を目指して
力強く歩みを進めるのだった。
次の話からいつものノリ復活です。
楽しみにしていてくださいね!





