ローアンの黒銀会(その5)
「エルザ……なんで……
なんでお前がこんなところに……!?
なんでそんな姿に……!?」
「……ニノか?
……なるほど、そういうことか。
主様の命……邪魔者は抹殺する」
ニノが絶望とショックのあまり言葉を失い、
目を見開いた——
まさにその一瞬であった。
ドッ!!
凄まじい踏み込みの破砕音とともに、
照紅の姿が消えた。
次の瞬間にはエルザの眼前に肉薄し、
キセルを大上段から振り下ろしていた。
一切の容赦も問答もない。
完璧な奇襲の一撃。
ガンッッ!!!
火花が激しく散り散りにはじけ飛ぶ。
エルザは冷徹な眼光のまま、
間一髪で漆黒の剣を抜刀し、
照紅のキセルを受け止めていた。
噛み合う鉄と鉄。二人の周囲の地面が、
激圧に耐えかねて蜘蛛の巣状に亀裂を走らせる。
「し、照紅師匠!? やめてくださいっ!!
エルザは元々仲間なんです!
闇落ちの禁呪で操られて、
こうなっているだけで——っ!」
慌てて叫ぶニノの言葉を、照紅は一蹴した。
「昔のことなんか知ったこっちゃないわ!
今、目の前におるのは、わしらに牙を剥く
敵じゃろうがっ!!!」
「くっ……!」
照紅が腕力を込めて押し込み、
エルザ対照紅の凄絶な死闘が始まる——かに見えた、
その時…
「師匠やめてください!!
エルザも……目を覚ますんだ!!!」
ニノが二人を強引に引き剥がすように、
照紅とエルザの間へ必死の様相で割り込んだ。
両手を大きく広げ、
その身に魔術の息吹すら一切まとわない、
——無防備極まる身体のまま、
ただまっすぐにエルザの冷徹な瞳を見つめる。
「ふっ……」
目の前に割り込んできた情けない元仲間に対し、
エルザは感情を削ぎ落とした冷たい鼻笑いを漏らす。
迷いなく漆黒の剣を掲げ、
ニノの首元へ突きつけようとした——
その時だった。
「……え?」
ニノの視線が、エルザの顔に釘付けになる。
「……涙……?」
エルザの冷たい青い瞳から、
一筋の透明な雫が頬を伝って零れ落ちていた。
「なぜ……私が……涙を……?」
エルザ自身の口から、
困惑の混じった呟きが漏れ出る。
感情はすべて削ぎ落されたはずだった。
主様への絶対の忠誠以外の心など、
疾くに破棄されたはずだった。
なのに、
胸の奥底が狂おしいほどに痛み、視界が滲む。
瞬間——エルザの脳裏を、
封印されていたはずの記憶の激流が
破滅的な速度で駆け抜けた。
(……これは……なんだ……?)
真っ白な閃光の向こう側に浮かび上がったのは、
他愛もなく、温かい「日常」の光景だった。
旅の途中の焚き火を囲み、
馬鹿げた冗談に腹を抱えて
笑い合うニノたちの姿。
湯気の立ち込める温かな湯船で、
赤くなった頬を寄せて、
無邪気に笑いかけてくるコハルとの
入浴のひととき。
——愛おしく、
守りたいと切願していた、
確かに自分が存在していた
優しく愛おしい居場所。
だが、甘やかな記憶は、
唐突に黒い血の海へと塗りつぶされる。
最後に焼き付いたのは、
あまりにも残酷な光景だった。
——ザシュッ!!!
自身の手に握られた漆黒の刃。
その鋭利な剣先が、
優しく微笑むコハルの思念体の胸を、
容赦なく深く貫き刺していた。
飛び散る光の粒子。崩れ落ちていくコハル。
だが、その消えゆく間際、
コハルは刃を突き立てたエルザへ向けて悲しみではなく、
温かく穏やかな笑みを浮かべ、優しく囁いたのだ。
『大丈夫だよ 、エルザ』
「ぁ……あぁぁぁあぁぁッッ!!!??」
絶大な優しさと己の犯した罪、
そして禁呪の絶対強制力が激突した。
精神の均衡が音を立てて崩壊していく。
あまりのショックと狂乱に、
エルザは自らの頭を両手で強く抱え込み、
頭蓋が割れんばかりの激痛に悲鳴を上げた。
その破綻していく視界の渦中——
エルザの脳裏に、さらに強く
一人の人物の姿が浮かび上がる。
(次は……誰だ……)
霞む視界の中で、
自分に向かって必死に手を伸ばし、
叫んでいる男性の姿。
『大丈夫だっ! エルザ!
俺が絶対助けてやるっ!』
重なるコハルの声と、
目の前で命を賭して自分をかばう、
そう、『愛おしい人』の叫び。
(……ッ! ニ、ニノ………ど、の……!)
消されたはずの呼び名が、
血を吐くような呟きとなって
エルザの口から零れ落ちる。
絶大な優しさと己の犯した罪、
そして仲間との断ち切れぬ絆が、
禁呪の呪縛を内側から破滅的に引き裂いていく。
「ぐっ……あぁぁぁ……!
うわぁぁぁぁぁッッ!!!!」
破綻していく思考と
溢れ出す狂乱の苦悶に耐えかね、
エルザは悲痛な叫びを残したまま、
ドサリと膝から崩れ落ち、
そのまま深い意識の闇へと沈んでいった。
一方その頃
——ゲートランド城、王の間。
「……っ! ニノさんは無事です!」
玉座の脇で静かに目を閉じ、
姉であるエルザの動向を念視していた
ルナが、勢いよく目を開けて叫んだ。
「なに……!? 本当か、ルナ!!」
その言葉を聞いた瞬間、
王の間全体を包んでいた重苦しい空気が一変する。
立ち並ぶ近衛兵や高官たちの前で、
国王グラッドが力強く立ち上がった。
豪快な笑顔を浮かべ、歓喜の声を張り上げる。
「あの凶悪な禁呪『異世界追放』を喰らっても
死なないどころか、またここへ戻ってくるとは!
見事だ!さすがはニノだ!!」
安堵のあまり涙を零すルナ。
涙のまますぐに再び深く目を閉じると、
意識を遥か遠くへ研ぎ澄ませた。
『(——お、おい、ニノ虫。久しぶりだな!
今まで何やってたんだ!?…グスッ、
サ、サボってたならすりおろすぞ!)』
ルナからの直接念話が、
ローアンにいるニノの脳内に響き渡る。
あまりに久々で、
相変わらず物騒すぎる暴言に、
ニノは苦笑いを浮かべながら心の中で返答した。
『(ルナ、心配かけたな。戻ってきたぜ!
……ところで、
泣きながらもその口調じゃないとダメか?w)』
『暴言』という精一杯の
照れ隠しを見抜かれたルナは、
王の間であることも忘れ、
念話越しでもわかるほど
顔を真っ赤にしてキーキーと声を張り上げた。
『(うるせー! 今すぐにパンチするぞ!!
……でも、今はそれは置いといて、
……それよりお姉さまはどうなったの?)』
『(気絶みたいだな。理由は…わからん。
ただ、命に別状はない。呼吸はしている)』
とりあえずよかった。
ルナはほっとする。
『(ところでルナ、
俺たちが今どこにいるかわかるか?)』
『(地下都市ローアンでしょ?) 』
『(エルザをこのまま眠らせて捕縛したいんだ。
ゲートランドから応援を頼めるか?)』
『(グラッド様にすぐに報告するわ!)』
『(あと…エルザの行動の
一部始終を見てたか?)』
『(見てたわ!)』
『(じゃ、ルナも見ていたその胸糞悪い組織を
完全にぶっ潰すから。後処理もよろしくって
グラッドに伝えといて)』
『(わかった!)』
ルナが念話を終え、
勢いよくグラッドへと向き直る。
「グラッド様!
ニノさんからの援助要請です!
ローアンでエルザお姉さまを捕縛したとのこと!」
さらに息をのむ周囲を余所に、
ルナはフンと鼻を鳴らして言葉を付け足した。
「あと『黒銀会』を
完全にぎったんぎったんに一人残らずぶっ潰し、
一寸の欠片すら残さないとのことなので、
『後処理よろしく!』とっ!!」
——と、ルナはニノのセリフを
かなり盛って伝えた。
ルナの報告を受けた瞬間、
王の間を包んだざわつきは尋常ではなくなった。
近衛兵も高官たちも顔を見合わせ、
あまりの過激な発言に血の気が引いている。
「何でござると? ニノ殿が!?
……やはり!やはり!やはり!!!
死んではいなかったかっ!!!
うっ……ぐすっ(泣)」
忍者カゲロウ率いる
『ノホホンブレイク』の面々にも、
ニノ無事の報せが届いていた。
カゲロウは涙をボロホロと流して
歓喜に打ち震えると、
すぐさま印を結んで鼻息荒く立ち上がる。
「さらに『炎上要請』とは!?
炎上ならサウナ忍者の拙者しかおらん!
今すぐに出立する!最高の炎を…グフッ!」
「……『援助』要請ね」
横からマリーが冷ややかなツッコミ。
ハリセンでカゲロウの頭を叩く。
だが、歓喜に沸く王城の裏で、
あまりに深刻な現実が横たわっていた。
冬の軍勢との激戦が続く中、
王城も深刻な兵器・人手不足に
喘いでおり、すぐさま現地へ救援を
派遣する余裕など皆無だったのだ。
さらに『黒銀会』は、組織の規模も、
どの貴族と繋がっているのかすら
一切不明な不気味な存在。
正体不明の地下組織を不用意に刺激することは、
王国にとっても極力避けたいのが本音であった。
「……再度、
ギルド長のオーフェンに頼むしかないな。
夏の星脈調律師の件も、まだ言えてないんだが……」
グラッドは重々しく頭をかかえ、
痛恨の表情を浮かべる。
「さすがに今回は私が直々に行かねばなるまい」
「では護衛を」
即断したグラッドに応じ、
近衛騎士長アルバドが馬を走らせるのだった。
——冒険者ギルド本部。
「断る!!!!」
ギルド本部の2階奥深くに位置するギルド長室。
重厚な扉が開いた瞬間、中にいたオーフェンが
開口一番に放った雷のような叫びは、
執務フロアはおろか1階酒場にまで
漏れなく響き渡った。
「いきなり断るとはなんだ!?
まだ何も言っておらんわ!!」
汗びっしょりのグラッドが慌てて部屋に押し入り、
大きな両手を前に出していきなり食ってかかる。
「ふんっ! !国王がわざわざ出張ってきた時点で、
ロクでもねぇ面倒事の依頼と決まっとるわ!」
「ええい、話を聞けオーフェン!
まずは…えっと、シルエッタが
『夏の星脈調律師』になったのだが……」
「なにっ!? あの神官の小娘が調律師だと!?
おいっ!!!なんでそうなった!!???」
「声が大きい!
これは極秘事項だぞ!?」
思わず声を張り上げてしまったオーフェンは、
ゴホンと小さく咳払いをして身を乗り出し、
声を低く潜めた。
だが、
その瞳には隠しきれない驚愕が走っている。
「……あのおとなしい神官が……? 」
「ああ……報告が遅れてすまん、オーフェン。
冬の軍勢との戦況が目まぐるしすぎてな……」
「(……奴は時空魔導士だぜ……)」
オーフェンは表に出さず、
心の中で静かに呟いた。
シルエッタが秘める『時空魔導士』という
規格外の真の素質——
それだけは、このギルド長であるオーフェンしか
知らない絶対の極秘事項であった。
(カゲロウは気付いているが)
まさかあの小娘が夏の音叉に選ばれるとは…
『夏の音叉』も見る目があるってことか……
「ったく、お前さんはいつも
一番肝心なことを後回しにしやがる……!
普通、先に俺に断ってからだろ!?」
オーフェンは豪快に頭を掻きむしりながら、
深く溜め息をついた。
しかし、すぐに眼光を鋭く引き締め、
デスクにドンと拳を置く。
「……で?
王城から直々に馬を走らせてきたってことは、
それだけじゃねぇな? 次が本題だろ?」
「……ニノのことだ。奴は生きている。
そして今、地下都市ローアンにおる」
「なに……!?
あの『異世界追放』を食らったヤツだったな、確か!?
生きて……また戻ってきたってのか!?」
度重なる規格外の事実に、
オーフェンは呆れ混じりの
驚きの表情を浮かべながら身を乗り出す。
グラッドは重々しく頷き、
ニノから託された最大の要請を口にした。
「ああ。ローアンで闇落ちしたエルザの捕縛、
そして『冬の精霊』と密通しローアンを支配する
『黒銀会』の壊滅……。
後処理を含めて手を貸してほしい」
「『黒銀会』の壊滅に『闇落ち』の捕縛か……。
まず、黒銀会は利権が絡みすぎだな。
貴族同士のいざこざや、
利権争いの内乱も考えられるぞ……」
誰も、そう、国王のグラッドですら
『黒銀会』には関わりたくない。これが本音だ。
オーフェンもその後に自分がおかれる立場を
考えると、協力できないのが当然である。
しかし、
オーフェンが静かに返した答えは、
その場にいた誰もが想像しなかった
真逆のものだった。
「で、またザードたちを貸せってか?
いいよ。もう。好きに使えや!」
「…え?いいのか?…この恩は…」
グラッドの言葉を遮り、オーフェンが続ける。
「で、伝言をひとつザード達に伝えてくれよ。
『ゲートランド城下街のギルドが黒銀会をぶっつぶしたぜ!』
って、ローアン中に響くように思い切り叫んで来いとなっ!!」
かっこいいですね。こうありたいもんです。





