ローアンの黒銀会(その3)
豪奢な調度品と怪しげな魔導ネオンに彩られた、
黒銀会本部の一室。
地下都市の暗がりとは対照的な豪華な空間に、
『漆黒の勇者エルザ』が無表情で足を踏み入れた。
会長バルコフは豪華なソファに深く腰掛け、
高級酒のグラスを傾けながら、脚を机に投げ出している。
「お、氷の城の新四天王様直々にとは。
これは初めまして。
黒銀会会長の『バルコフ』と申します。
以後、お見知りおきを……プッ!ハハハハッ!」
柄にもない丁寧な挨拶に、
自ら吹き出してしまうバルコフ。
その瞳には敬意など微塵もなく、
ただ目の前の刺客を品定めするように見下していた。
エルザの青い瞳が冷たく光り、
柄に手をかけ——
一瞬で剣を半抜きの状態にする。
途端に部屋の温度が急激に低下し、
バルコフの持つグラスの酒が
パキパキと音を立てて凍りついた。
しかし、バルコフは眉ひとつ動かさず、
へらへらとした笑みを崩さない。
「おいおい。待てよ。
せっかちは嫌われるぜ?
お互い持ちつ持たれつの関係のはずだぜ?
教えてもらわなかったか?」
バルコフは凍りついたグラスを机に置き、
不敵な笑みを深める。
「この巨大な地下都市ローアンに、
冬の軍勢を丸ごと送り込めるか? 無理だろ?」
「地下には地上から逃げてきたお前らの
『お尋ね者』どもがごまんと潜んでる。
俺たち黒銀会が手綱を握ってなきゃ、
何人も取り逃がしてるところだぜ?」
エルザは静かに剣を鞘に納めたが、
部屋を包む氷の殺気は消さない。
「……主様からの命だ。
スノーフレークで三千の軍勢を打ち破った
『二人組の人間』がこのローアンに潜伏した。
黒銀会の全網を使い、捕らえて抹殺しろ」
「(三千の軍勢を二人で??
馬鹿かこいつ?)」
と、思いつつ、
バルコフはその依頼を鼻で笑う。
「フッ!…な? 結局今回も人探しだろ?
『持ちつ持たれつ』の意味が分かったか、
新四天王殿?……w」
エルザの瞳が一層冷たく冴え渡るが、
バルコフはどこ吹く風で脚を組み直す。
「まあいいさ。
うちの『ドブネズミ』どもを使えば、
人間二人なんぞ探し出すのは容易いことだ」
「……ただ、あんたが言うようなそんな危険な人物なら、
『報酬』はたっぷり上乗せさせてもらうがな?」
「成果を出せば望むだけの金を。
だが、
しくじればこの地下都市ごと氷漬けにされると思え」
「ククッ、交渉成立だ」
闇の深まるスラム街の入口。
崩れかけた門の周りには、
黒銀会の警備役と思われる下っ端10名が
暇そうにたむろしている。
地下都市ローアンの最下層——
普段から夜のように暗いこの貧民街は、
身寄りもなく逃げ場のない
『ドブネズミ』たちが吹き溜まる場所だ。
このスラム街において、
黒銀会は単なる治安悪化の元凶ではない。
国や都市の『国防騎士』たちによる
スラムの強制撤去や一斉掃討から、
この場所を裏で守っているのが黒銀会なのだ。
逃げ場のない弱者たちに
「最低限の居場所」と
「一定の自由」を与える見返りに、
黒銀会はここを大事な上納金の
回収拠点の一つとしている。
住人たちにとっても、
黒銀会の存在は理不尽で厄介な影でありながら、
同時に彼らがいなければ立ち行かなくなるという、
歪んだ依存関係の上にこのスラムは成り立っていた。
足早にスラムへ入ろうとする照紅とニノの前に、
ガラ悪くニヤついた男たちが立ちふさがる。
「はーい。お二人さん、旅人?
ここから先は立ち入り禁止なんだよねぇ」
ニノは冷ややかな目を向け、短く告げた。
「このスラム街に用がある」
すると、男たちは顔を見合わせ、
大げさに肩をすくめてみせた。
「じゃ、通行料。100億ゴールド」
(※1ゴールド=1円=10ペリカ)
「「「がははははははっ!!!!」」」
10人全員で腹を抱えて
下品に大笑いする下っ端たち。
その中の一人が、
舌なめずりをしながら照紅の身体を
猥雑な視線で舐め回すように見つめ、ニヤついた。
「おいおい、上等な女じゃねえか! どうだぁ?
ここらで俺たちと極楽気分味わっていかねえか?
俺たちがたっぷり可愛がって満足させてやるよ!!」
「「「がははははははっ!!!!」」」
下衆な笑い声を響かせ、
男は汚い手を伸ばして照紅の手首を掴もうとした。
その手を、ニノが割り込むようにしてすかさず払い退け、
照紅の前に立ちはだかる。
「彼氏、かっこいいじゃん!
俺が女だったら惚れてるぜぇ!」
男たちの一人がニノを茶化す。
「「「がははははははっ!!!!」」」
またもや下品に大笑いする下っ端たち。
照紅に、あまりにも下品な言葉を投げかけられ、
ニノは静かに呟く。
「……お前ら、照紅師匠に向かって……
ただじゃ済まさん」
それを聞いて下っ端たちは
鼻で笑って肩をすくめた。
「はいはい。毎度のことで飽きたよ。
『自分強い』と過信する奴ばっか。
そういう奴は痛い目を見ないと——」
——バタリ。
言い終わるより早く、
男は白目を剥いて崩れ落ちた。
「……え?」
他の者たちには、
何が起こったのか全く分からない。
ニノは静かに地脈からの魔力をわざと
おしゃべりな一人だけに送り込んだのだ。
魔力とは、
それを持たない一般の人間にとっては
過剰な負荷——いわば『毒』だ。
「お、おい大丈夫か……!? ——ッ!?」
——バタリ。
助け起こそうとした二人目も
突然泡を吹いて倒れる。
「な、なんだ!? 何が起きて——」
——バタリ。
「ひっ、うわああ——」
——バタリ。
わけも分からぬ恐怖の中、
一人、また一人と順番に崩れ落ちていく。
最後の一人がパニックを起こして
逃げ出そうとした瞬間、
その足元も崩れ、静寂が訪れた。
無残に転がる10人の男たちを一瞥し、
照紅がニヤリと口元を緩める。
「ニノ、
『魔力の供給』もうまくなったな」
ふたりは何も言わず目で合図すると、
倒れた下っ端どもを踏み越えてスラムの
奥へと進んでいった。
荒れ果てたスラムの中で、
乱暴に蹴破られ歪んだ扉の奥から、
かすかな泣き声が漏れ聞こえる小屋があった。
気になって覗き込むと——
思いのほかあっさりと、
例のスリの少年が見つかった。
しかし、足を踏み入れた瞬間に息を呑む。
そこは、凄惨な荒らされようを残す
痛々しい現場だった。
薄い壁にはめ込まれていた
防寒用の木材は無残に蹴破られ、
寒風が無情に吹き込んでいる。
わずかな家具は叩き割られて床に乱雑に散乱し、
生活に必要な備品や食べ物の類は
一切残されず根こそぎ奪い去られていた。
床のそこかしこには、
荒々しく踏み荒らされた複数人の
汚い靴跡が泥のようにくっきりと残されている。
その惨状の渦中で、
先ほどぶつかった少年が
血だらけになって床に膝をついていた。
顔からは血が滴り、
腫れ上がった瞼の奥で悔しさに身を震わせている。
その傍らでは、妹らしき少女が激しく
胸を上下させて咳き込み、
まともに声も出せない状態で涙を流していた。
「君……っ!?」
最初こそ『俺たちの全財産をスった犯人』
として追ってきたニノだったが、
あまりに酷い現場とふたりの姿に言葉を失う。
足音に気づいたアルが弾かれたように顔を上げた。
照紅とニノの姿を認識した瞬間、
アルの顔がサッと青ざめる。
「……あ、あんたら……ッ!?
追、追いかけてきやがったのかよ……!
(まずい……!)」
アルは慌ててボロボロと流れる涙を拭い、
血に濡れた痛々しい拳を握りしめて
立ち塞がろうとするが、その声は震えていた。
「な、なんだよ! 俺は何も知らねぇぞ!
あんたらから何も盗んでなんかねぇ!
知らない……何も知らないッ!」
必死にしらを切りながら、
ボロボロと涙を流して
「知らない」を連呼するアル。
だが、何も聞く必要はなかった。
嵐のように荒らされた部屋、
蹴破られた木材、
踏み荒らされた足跡、
呼吸すら苦しそうな少女、
現場の惨状を見れば何が起きたかは一目瞭然だった。
照紅は静かに歩み寄ると、
重みのある声で語りかけた。
「で、全部奪っていった奴らのことを
教えてくれんかのぅ?」
責め立てられると覚悟していたアルは言葉を失い、
腫れ上がった瞼の奥から呆然と照紅を見上げた。
「……行くぞ、ニノ」
照紅が踵を返し、静かに告げた。
「ワシらの物を取り戻すついでに、
ちょっぴり本気出しちゃおうかな♪♪♪」
ニノは一瞬にして、顔が青ざめる。
照紅のお茶目な口調と語尾の「♪♪♪」
だが、これこそが照紅という存在が
『鬼の化身』
へと変貌する凄惨な前兆であることを、
ニノは痛いほど知っていた。
修行時代、
わがままを言ったニノに対して一度だけ向けられた、
あの悪夢のような笑顔と軽い口調と「♪♪♪」
——その後の記憶は途切れており、
気づいた時には、
紅葉に看病されていたことしか覚えていない。
「……っ! は、はいっ……!!」
一瞬背筋を凍らせながらも、
ニノは直立不動で力強く頷いた。
ふたりはスラムの闇へと歩み出したのだった。
ペリカって。





