21-2 無意識の強者たち(その2)
――その時だった。
マリーのドジな手元が、わずかに狂った。
「――きゃっ!?」
指先から滑り落ちた木製のスプーンが、
クルリと回転しながら床に向かって真っ逆さまに落下していく。
(……おっと)
カゲロウの忍びとしての本能が、反射的に動作する。
いくら傷ついているとはいえ、彼は常夏衆の筆頭として
修羅場を潜り抜けてきた男だ。
落ちていくスプーンの軌道を瞬時に計算し、
神速の領域へと意識を集中させる。
カゲロウの右手が、
まるで空間をスキップするように滑らかに伸び、
落ち切る前にスプーンを空中で完璧に掴み取る
――はずだった。
カゲロウの指先が捉えたのは、
虚無の空気だけだった。
「――え?」
カゲロウの思考が、一瞬完全にフリーズした。
自分の手の中に、スプーンはない。
驚愕して目を見開いたカゲロウの視界に映ったのは、
すでに何事もなかったかのようにスプーンを持ち直し、
お茶目に首を傾げているマリーの姿だった。
「おほほほ! わたしとしたことが、
うっかり滑らせちゃいましたわ~!
あぶないあぶない♪」
何気なく笑うマリー。
だが、カゲロウの背筋には猛烈な戦慄が走っていた。
(な……なにが起きたのでござる……!?)
カゲロウの眼は、
忍びの最高峰の動体視力を誇る。
その彼ですら、今のマリーの動きを
「視認」できなかったのだ。
カゲロウが神速で手を伸ばしたそのコンマ数秒の隙の間に、
マリーは超音波すら置き去りにするほどの「超光速」で体を滑り込ませ、
落ちゆくスプーンを完璧にキャッチし、元の体勢へと戻っていた。
(な、なんでござる……!?
今のマリー殿のスピードは……!?
常夏衆の最高幹部すら超える領域でござるぞ……!?)
目の前でおかゆを「はい、あーん♪」と
無邪気に差し出してくるマリーの光速の動きに、
カゲロウが冷や汗を流して固まっていた
まさにその時だった――。
――ズ、ズズズズズズズズズッ……!!!!!
突如として、王都ゲートランド全体の空間が、
激しい地響きとともにガタガタと震え始めた。
病室の窓ガラスが割れんばかりに悲鳴を上げ、
大気が激しくきしみ出す。城の回廊からは
「な、なんだ!?」
「北の空を見ろ!!」
と近衛兵たちの凄まじい悲鳴と狼狽の声が響いてくる。
カゲロウは瞬時に印を結び、両目をカッと見開いた。
「忍法・鷹の眼! 遠視の術……っ!!」
忍術によって強化された視界が、
極北の遥か上空――
四天王ヨルダが解き放った冬の力の極大光線が、
王都を包む防衛障壁『陽だまりの残響レゾナンス・サンシャイン』に
向かって一直線に突進してくる光景を捉えた。
「な……ッ!? 天災規模の極大光線が
こちらへ向かってくるでござる!
王都が消し飛ばされるーーっ!!」
カゲロウの顔から血の気が完全に引く。
回避も防ぐことも不可能な、絶対的な破壊の濁流。
その時、バルコニーには異変に気づいた
新摂政グラッドや近衛騎士団長アルバドをはじめ、
重臣たちが顔を蒼白にして駆け込んできていた。
「くっ……防衛結界を展開しろ!
間に合わせるのだ!!」
とグラッドが叫ぶが、
到底間に合う速度ではない。
「おっと、危ねえな!」
そんな絶望的な空気の中、
大きな盾を担いだザードが
少し不機嫌そうな顔でバルコニーのフチへと歩み出た。
「誰だよっ!?こんなことするのは!?
こっちはけが人がいるんだぞ!」
ザードは背中の大盾をサッと地面に置くと、
あろうことか――その盾の裏側にくくり付けられていた
『何の変哲もないただの木の棒』をひょいと取り出したのだ。
「……は? 木の棒……!?」
絶句する近衛兵一同。
ザードは野球のバッターのように
腰を落とし、深く構えをとる。
その瞬間、
カゲロウの目が信じられないものをまた捉えた。
ザード自身はまったく無自覚なまま、
彼の手にする「ただの木の棒」に向かって、
神話級の極大強化魔法が重なり合うように
高速で連続術式詠唱され続けているのだ。
木の棒の周囲の空間が、
密度の高すぎる魔力によって歪み始めている!
「この棒で跳ね返せない物なんてないんだよ!
森で拾った『魔法の棒』だぜ!」
迫りくる直径100メートルの極大光線を引きつけ、
ザードは屈強な身体をしならせると、
その極大強化された木の棒を豪快にフルスイングした!
「どりゅあーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」
――ッッッッガァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!!!!!!
世界が真っ白に染まるほどの凄まじい打撃音。
王都を丸ごと削り取って消滅させるはずだったヨルダの
冬の極大光線は、ザードが振り抜いた「ただの木の棒」に真芯で捉えられ、
物理法則を完全に無視してそのまま来た方向へと
綺麗に跳ね返されて飛んで行った。
「「「「………………は??????」」」」
王都の空に、北へ向かってカキーン!
と飛んでいく光線の残光。
バルコニーでそれを見ていた新摂政グラッド、
近衛騎士団長アルバド、そして城の重臣たち全員が、
目玉が飛び出さんばかりに目を剥き、
完全にフリーズしていた。
「よし、ナイスホームラン♪」
ザードは満足そうに木の棒を肩に担ぎ、
ニコッと笑って親指を立てている。
「な……な……」
カゲロウは開いた口が塞がらなかった。
忍術をもってしても捉えきれなかったマリーの超光速。
そして、国家滅亡級の極大光線を「ただの木の棒」で
ホームランのように跳ね返してみせたザードの
理解不能なチート打撃。
(な、なにでござるとぉぉぉぉーーーっっ!!??
この者たち、一体何者でござるかぁぁぁ!!??)
カゲロウの悲鳴のような心のツッコミと、
グラッドたちの深すぎる引きつった静寂が、
王都の空に響き渡るのだった。
……その頃。
遥か遠く離れた別の世界――日本の京都の街角。
照紅しょうく師匠による容赦なき特訓の果てに、
京都の地下水脈どころか「琵琶湖全体」の環流まで
丸ごとひっくり返してしまったニノは、
泥まみれになりながら「次は全国バグ地脈ツアーだ」と告げられ、
紅葉と共に悲痛な絶叫を上げていたのだった。





