3. 訪問者
午後七時前。お父さんの帰宅と夕飯の準備を待ちながら、テレビから雑音がなるリビングでソファに横になりスマホをいじっていた。たまに来るLIMEに返信したり、MeTubeやイムスタを適当に回しながら時間を潰す。お母さんは台所で料理をしており、仄かに香るハンバーグの匂いが腹の虫を刺激する。
「千尋。最近、宿題頑張って進めてるわね」
料理中のお母さんが台所から話しかけてくる。
「んー?まあねー」
ただの雑談だろう、とスマホを触りながら返事をする。
「どのくらい終わったの?」
「もうほとんど終わってるよ。今週中には終わるかな」
「あら!ほんとに?凄いじゃない。中学の時とは大違い」
お母さん的には意外だったのか、驚いた様子で声をあげる。
「まあアタシももう子供じゃないからね。これくらい計画的にできないと」
少しドヤり気味に、ソファに横になりながらお母さんを見て言った。実のところ、アタシがというより佐奈が課題を早めに終わらせたいらしいので、それに便乗しているという形だ。佐奈がやらない日はアタシもやらないし、佐奈がやる日は不本意ながらもやるようにしている。そうした方が予定を立てる時になにかと都合が良いのだ。
「言うようになったね。だけどまあ、中学の夏休みなんていっつもギリギリにやってたのにね。佐奈ちゃんの影響がここまでとは…」
と、お母さんはそんなことお見通しのようだ。
「…でもアタシ自身が成長したから、ここまで宿題を終わらせられてるんだよ」
否定はできなかったため、ささやかな抵抗をしてみる。
「ふふ、そうね。千尋自身が頑張った結果よね。昔は先のことは考えず目の前のことを全力で楽しむって感じだったのにね。ちゃんと大人になってきてるのね~」
なんか少し気になる言い方だが、まあ別に悪い気はしないので良しとする。
「そういえば、佐奈ちゃんとどっか遊びに行ったりはしないの?」
「え?」
「勉強も大事だけど、せっかくの夏休みなんだしちょっと遠くに出かけたりとかしたら?遊園地とか、お泊まり旅行とか」
先週心霊スポットに行ったきり、他の外出の予定は考えてなかった。しかし言われてみれば、確かに惹かれるものはある。
「お泊まり…」
ピンポーン────
と、突然インターホンが鳴る。
「あらお父さんかしら?鍵忘れたとか…はーい!」
お母さんは料理の手を止め、玄関へ向かった。
佐奈とどこか遠くへ遊びにいく、か。勉強という形であれ、佐奈と会って話す時点で既に十分である上、今年の夏はなかなか暑い。これ以上の外出の予定は特に考えてなかった。でもこのペースだと宿題が終わってから夏休みの予定は二週間ほど空くため、その期間中に一度くらいならアリなのか。いや本来、せっかくの夏休みなのだからもっと外出はするべきなのかもしれない。佐奈に聞いてみるか────
「千尋ー!ちょっと来てー!」
玄関の方からお母さんの声がする。わざわざアタシを呼ぶって…さっきのインターホン、お父さんじゃなかったの?一体誰が────
全く心当たりが無いまま玄関へ向かうとそこには、硯をなぞったかのような艶やかな髪を腰まで伸ばし、時の流れを漂わせる着物を纏った八歳ほどの少女が立っていた。所々糸がほつれ、とてもじゃないが清潔な状態とは言えない。俯いていた少女はアタシに気づくと顔を上げ、じっとアタシの目を見つめる。
「千尋、この子のこと知ってるの?」
少女の目線まで屈んだままのお母さんが尋ねる。
「いや、知らないけど…なんで?」
「この子、千尋のこと知ってるみたいよ」
「は?」
黙ったままだった少女が口を開いた。
「おねえさま…」
そう言いながらたたきに足を踏み入れ、アタシの傍へ歩み寄る。
「え?え?どういうこと?」
「ねえねえ、ママはどこにいるか分かる?このお姉ちゃんのことはどうして知ってるの?」
お母さんの問いかけに少女の目線がお母さんを向くが、少し俯いた後にまたアタシを見る。
「…おねえさまが助けてくれる、と言っていました」
少女が話す言葉は現状を理解することに全く協力的ではない。お母さんは家の前に出て辺りを見渡し、戻ってきては玄関のドアを閉めた。
「…周りにこの子の保護者っぽい人は居ないし、虫も入るからちょっとだけ玄関に入れましょうか」
お母さんは玄関に少女を座らせ、正面で屈む。懐かしさを感じる優しい声色でお母さんは問いかけた。
「お名前は何て言うの?」
最初はアタシを見ていた少女だったが、お母さんが話しかけるとそちらを見て答える。
「かぐやです」
「そう、かぐやちゃんね。今何歳?」
かぐやと名乗る少女はその問いかけに対し、少し間を空けて答えた。
「…分かりません」
「そう。それじゃあパパとママはどこにいるの?」
「父上と母上はお月様にいます」
かぐやは曇りなき目ではっきりと答えた。お母さんは少し困った様子で再び問いかける。
「えっと、お家はどこか分かる?」
「…分かりません。最近はずっとお外で過ごしていました」
マジか。両親が月にいるって答えて、この歳で野宿しているなんて絶対訳アリだ。どうしよう…と思ってお母さんを見るが、お母さんはそれを聞いてより穏やかな表情で続ける。
「そっか、頑張ったんだね。ところで、後ろのお姉ちゃんのことはどこで知ったの?」
そう言いながらお母さんはかぐやの後ろに立つアタシにも問いかけるように目線を送ってくる。全く身に覚えがないのだ、やめてくれと訴えるようにアタシは無言で小刻みに首を横に振る。
「…分かりません。でもおねえさまが助けてくれると、教えてくれたのです」
存在しない記憶を語られるかと思ったが、意外な返答が帰って来た。かぐや自身も知らないらしい。
「誰から教えてもらったの?このお姉ちゃんから?」
かぐやは自らの手元に目線を落とし、少し考えた様子で答えた。
「…分かりません」
この答えは流石に予想外だったのか、お母さんも言葉に詰まる。そりゃ無理もない。いきなり訪れてきた名前しか分からない訳アリ少女が、何故ここに居るのか分からないのだ。それに誰かに教えてもらったと言っているのだから、変なことに巻き込まれる可能性だってある。この子には悪いが、正直これ以上は関わりたくない。
お母さんは靴を脱いでリビングへ戻っていくと、出掛ける用のハンドバッグを持ってきた。
「千尋。ちょっと留守番してて。この子を交番に送ってくるね」
「あ、うん。分かった」
お母さんも同じことを思ったのか、すぐに出掛ける準備をする。
「あの、どこへ向かうのですか?」
不安そうな表情のかぐやに、お母さんは再び穏やかな表情で語りかける。
「大丈夫。かぐやちゃんを守ってくれるところに行くの」
「でも、かぐやはおねえさまの傍にいたいです」
いやいやいや、勘弁してくれ。確かにこんな小さな子がアタシと一緒に居たいって言ってて可愛いとは思うけど、それにしても謎が多すぎて怖いが勝つわ。大人しく警察のところへ行ってくれ…。
「じゃあ、また今度来たら一緒に居てもいいから、今はおばさんと一緒にいこ?」
そう言ってお母さんは手を差し出す。かぐやは少し考えたのち、お母さんの手を取った。
「次は一緒にいてもいいのですか?」
「うん、もちろん」
アタシが断る隙もなく、お母さんは即答する。それを聞いた後、かぐやは大人しくお母さんと共に交番へ向かった。
結局何が何だか分からないまま、かぐやと名乗る謎の少女は立ち去っていった。とても長い時間立っていたかのような疲労だけが残ったが、実際には五分ほどしか経っていなかった。
【2025/8/15】
午後三時頃。例のごとくアタシの部屋で佐奈と夏休みの課題を片づけていた。佐奈はいつものように黒縁のメガネを付けて勉強している。この前、勉強の時だけそのメガネを付ける理由を聞いたのだが、別に勉強の時だけじゃなく家でも付けているらしい。普段外しているのはちょっとした高校デビューのつもりだとか。
「そういえば佐奈」
少し飽きてきたので佐奈に話しかけてみる。
「どうしたの?」
「この前さ、夜に知らない女の子が家に来たんだよね」
佐奈は勉強していた手を止めてアタシを見る。
「どういうこと?」
「八歳くらいの女の子が、一人で突然家に来たんだよ」
「…ふーん?そうなんだ」
微妙な間ができ、目を合わせたまま沈黙が訪れる。よく考えたら、知らない女の子が来ただけでそれ以上でもそれ以下でもない。でもアタシはそれが何だったのか分からないことを共有したいため、より詳しく説明を加える。
「えっと、実はアタシもよく分かってなくて、その日はいつも通りリビングで過ごしてたんだよね。そしたら突然インターホンが鳴って、出てみたらお母さんもアタシも全く知らない小さな女の子が居たの。その子はかぐやちゃんって言うらしいんだけど、家も両親の場所もここに居る理由も分からないって言ってたんだよ」
頑張って説明をしていると部屋のドアをノックする音が聞こえた。お母さんが間食を持ってきてくれたらしく、一度話を止めてお母さんを部屋に入れる。
「それで、色々謎すぎてその子が心配になるというよりもはや怖くなってきてさ、とりあえずお母さんが交番に連れていってた。結局あの子は何だったのか今でも分かってないんだよね」
ワンテンポ置いて佐奈は理解したような返事と反応をした。分からなかったことを伝えたつもりだが、この反応だと本質は伝わってないような気がする。もっと説明してもいいのかな…と考えてると、お菓子とグラスをテーブルに置きながらお母さんが介入してきた。
「それ、この前のかぐやちゃんの話?」
「うん、そう。そういえば佐奈に話してなかったなと思って」
お母さんは空いたグラスをプレートに乗せると、脇に置いて正座をした。
「ちょうど休憩中だっただろうし、かぐやちゃんについて少し話をしてもいいかしら?」
少し真面目な表情で聞いてきた。少し戸惑いながらもアタシと佐奈が承諾するとお母さんは話し始める。
「かぐやちゃんのこと、うちで引き取ろうかと思ってて」
「────はい?」
突然の告白に肝を抜かれた。詳細が分からなくても、子供を引き取るという事には流石に佐奈も驚いていた。
「交番に送ったんだよね?両親とか見つかってないの?」
「それが、あの後児童相談所に引き取られてかぐやちゃんの身元の調査をしたらしいんだけど、家と親族に関しての情報は全く無かったって。だから施設で保護することになったんだけど、かぐやちゃんがそれを嫌がって二日何も食べてないらしいの。千尋が一緒じゃないとご飯も食べないって言ってて、このまま放置は出来ないからこの家で一時的に委託させてくれないかってお願いが来たの。養育費や生活費の援助もあるらしいから、見過ごすわけにもいかないし私とお父さんは引き取ろうかと考えているわ。千尋も大丈夫なら、児童相談所に連絡しようと思っているけど、どうかしら?」
そんな話があっていたとは。というかアタシが結構関わってるのに、お父さんに相談する段階でアタシにはその話をしないんだ…。まあ経済面の問題が大きいだろうし無理もないか。
「かぐやちゃんにヤバい人達が関わってたりとかは無いの?後で拉致とかで訴えられたりとか」
「その辺は大丈夫らしいわ。児童相談所からの委託という形だし、うちに居る間もかぐやちゃんは管理下にあるという扱いだから、もし何かがあったときは警察も味方してくれるはずよ」
となると純粋にうちで預かるだけということになるのか。うちにいることが正式に認められているのなら、少し怖いところはあるがアタシ的には全然問題はない。かぐやちゃんのことは一緒に過ごすうちに分かっていくだろうし、あれだけアタシに懐いてくれているのならむしろかわいい妹が出来たみたいで嬉しい。快諾の意を示すと、お母さんはプレートを持って立ち上がった。
「それじゃあ、引き取るということを児童相談所に連絡するわね。ちょっとした家庭訪問や面談があるらしいから、実際にかぐやちゃんが来るのは明後日とかになると思うわ。その時はかぐやちゃんのお世話をよろしくね」
お母さんはそのまま部屋を後にした。気のせいかもしれないが、アタシが引き取ってもいいと言ってからお母さんの表情が少し柔らかくなった気がする。でもかぐやちゃんの心配をするのは無理もないことだし、うちで面倒を見れることに安心したのかもしれない。まだ家に来てるわけでもないのに、引き取ると言って良かったなと思った。
「ねぇちーちゃん、その子とは何処で知ったの?」
お母さんの話を聞いて興味が湧いたのか、佐奈から質問がきた。ただ、さっきのアタシの説明は覚えていないと思われる。お母さんの話を聞いていたのなら、別にアタシの説明をもう一度する必要はないだろう。
「三日前とかに突然家に来たのが初めてだけど…まあお母さんが言ってたことが全部だよ。アタシもお母さんから言われたこと以外分かってないしね」
「なんかすごいことになってるんだね…」
「今の生活でも満足だけど、家に新しい人が増えるって思うとちょっと楽しみになってきたなぁ」
あまり変わり映えのしない毎日に新しい刺激があるのは悪いことではない。佐奈と会わない日は特に、何かやることは無いかと探すことがしょっちゅうだったため、それをする必要も無くなるだろう。
「あ、新しいで思い出した。佐奈さ、来週とかにどっか泊まりに行ったりとか、遊園地とか行ったりしない?来週じゃなくても、夏休み中ならアタシはいつでもおっけーだけど。他にも…あ、アタシが佐奈の家に遊びに行ったりとか!」
ほぼ毎日佐奈とは会っているが、よく考えてみればアタシが、引っ越した後の佐奈の家に遊びに行った事は無かった。わざわざ遠くに行かずともそれだけで新しい刺激になるし、実際行ってみたい。
「あー…えっと…」
佐奈の視線は段々とアタシの目から手元に移され、歯切れが悪くなる。
「えっと、お泊まりとか、私も良いと思う。良いと思う、んだけど…」
佐奈は返答に困っているような様子だ。アタシはいつも通り、遊べる日を聞くくらいのノリで聞いたつもりだったのだが、何か都合の悪いことがあるのだろうか。
「あーごめん。もしかして既に旅行とかの予定が入っちゃってる?それなら無理して遠出しなくてもアタシは大丈夫なんだけど」
「あ、いや、その…そ、そうなの!ちょっとタイミングが合わなくて、夏休み中はちょっと厳しいかな…それと、私の家も…ごめんね、ちーちゃん」
佐奈は申し訳なさそうにアタシを見る。アタシは、佐奈をそんな顔にさせたくて聞いたわけじゃない。
「そんな顔しないでよ。アタシは佐奈と会えるだけで十分幸せなんだから。佐奈が良かったら、これからもアタシの家に遊びに来てよ」
それを聞いた佐奈は安心したように再び自然な笑顔に戻った。
「うん!ありがとう、ちーちゃん」
その笑顔にアタシもつられて笑顔になる。やはり、佐奈は笑っている時が一番可愛い。




