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『百升ノ音(ひゃくしょうのおと)』  作者: こうた
第一章 印を押した夜

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第八話 酒が描く印

「……見えるか?」


神谷透は震える声で黒田蓮に尋ねた。


蓮は床を見つめたまま、小さく頷く。


「見えます。」


店主は首をかしげる。


「何を見てるんです?」


床には、日本酒がこぼれているだけ。


店主には黒い模様は見えていない。


しかし透と蓮には、酒がまるで意思を持つように流れ、あの模様を描いているのがはっきり見えていた。


最後の一本の線が完成した瞬間。


酒は何事もなかったかのように四方へ広がり、普通の染みになった。


「今の……。」


蓮は顔色を失っていた。


「俺だけじゃなかったんですね。」



---


店を出ると、二人は近くの公園へ移動した。


人気のないベンチに腰を下ろす。


蓮は缶コーヒーを開け、一口飲んでから話し始めた。


「三日前からです。」


「酒の味が変わったんです。」


「変わった?」


「全部、同じ味なんですよ。」


「日本酒も、焼酎も、ワインも……。」


蓮は苦しそうに言葉を続ける。


「全部、鉄の味がする。」


透は何も言えなかった。


酒の専門家である蓮が、味の違いが分からなくなる。


それは異常だった。


「昨日なんて。」


蓮は声を潜める。


「酒瓶の中から、子どもの笑い声が聞こえました。」


その話を聞いた瞬間、透のスマートフォンが震えた。


通知。


送り主は佐伯ミオ。


> 『見つけました。村の名前です。』




その下には、一枚の写真が添付されていた。


古い地図。


山奥に小さく記された集落。


――酒見村さかみむら


現在の地図には存在しない村だった。



---


さらにミオから続けてメッセージが届く。


> 『村長の日記も見つかりました。』




> 『読んでください。』




添付された写真には、古い和綴じの日記が写っている。


最初のページ。


> 明治三十八年 六月十日




> 今年も神への酒を捧ぐ。




ページをめくる。


> 六月十五日




> 掟を破る者あり。




さらにめくる。


> 六月十八日




> 一家を生贄と決める。




透は息を止めた。


その次のページには、


乱れた文字でこう書かれていた。


> 「酒は神へ返すもの。」




> 「人もまた、酒と共に返すもの。」




最後のページだけは、文字ではなかった。


紙いっぱいに、


あの黒い模様が描かれている。


そして、その中央には血のような赤い文字で一文だけ。


> 「百日後、席は埋まる。」





---


透はスマートフォンを握る手に力が入った。


「席……。」


住職が言っていた言葉が頭をよぎる。


「これは印ではない。席だ。」


誰の席なのか。


百日後、誰が座るのか。


考えたくなかった。


その時だった。


公園の時計が午後六時を告げる。


ゴーン……。


鐘の音と同時に、透の胸が締め付けられた。


息苦しい。


手が勝手に震える。


頭の中に声が響く。


> 「今日は四日目。」




> 「酒を飲め。」




透は耳を塞ぐ。


「嫌だ……。」


しかし、足は勝手に家の方向へ歩き始める。


その後ろを、黒田蓮が青ざめた顔で見つめていた。


「神谷さん……。」


「俺もです。」


「俺も、帰って飲まないといけない気がする。」

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