第三話 乾杯の声
「……気のせいだ。」
神谷透は自分に言い聞かせた。
酒を注ぐ音は止んでいる。
部屋にも誰もいない。
それでも胸の鼓動だけは収まらなかった。
スマートフォンの画面には、配信開始まで残り三秒と表示されている。
3。
2。
1。
配信が始まった。
「こんばんは、神谷です。」
無理に笑顔を作る。
視聴者は昨日よりはるかに多い。
開始一分で一万人。
コメントが滝のように流れる。
> 「待ってました!」
> 「今日も飲むぞ!」
> 「一緒に乾杯!」
透はグラスを持ち上げた。
「二日目……乾杯。」
酒を口へ運ぶ。
その瞬間だった。
イヤホンから、自分の声とは違う声が聞こえた。
「乾杯。」
低く、かすれた男の声。
透は思わずグラスを止めた。
「……今、誰かしゃべった?」
コメント欄は普通に流れている。
> 「何が?」
> 「酒うまそう。」
> 「顔色悪くない?」
誰も気付いていない。
聞こえたのは自分だけだった。
配信を続けるしかない。
二杯。
三杯。
四杯。
酒が進むにつれ、部屋の空気が冷たくなっていく。
配信終了まで残り十分。
ふと視線が机へ落ちた。
黒い模様。
昨日より、確かに線が増えている。
「……最初からこんな形だったか?」
思い出せない。
配信を終え、録画データを確認する。
異常はない。
そう思った矢先。
最後の数秒。
透がカメラへ向かって頭を下げた、その背後。
「乾杯。」
今度ははっきりと聞こえた。
そして画面の奥から、五つのグラスが持ち上がる。
誰も映っていない。
だが、グラスだけが宙に浮かび、一斉に傾いた。
「……嘘だろ。」
透は何度も再生する。
そのたびに、
カチン。
ガラス同士が触れ合う音だけが、静かな部屋に響いた。
その夜。
眠れないままSNSを眺めていると、一件のダイレクトメッセージが届いた。
送信者名は、
「S_1908」
プロフィール画像も自己紹介もない。
本文は一行だけだった。
> 「五人いるのに、一人しか見えていない。」
透の背筋に冷たいものが走る。
五人。
なぜ、その数字が分かった?
昨日の動画で見えた人影は一人だけだったはずだ。
震える指で返信を打つ。
> 「あなたは誰ですか?」
送信。
しかし既読は付かない。
数秒後。
そのアカウントは、存在ごと消えていた。
スマートフォンの画面が突然暗くなる。
真っ黒な画面に映った自分の顔。
その後ろには──
濡れた着物姿の五人が、無言で立っていた。
透は悲鳴を上げ、スマートフォンを床へ落とした。
画面が割れる音が、静まり返った部屋に響く。
だが、もう一度画面を見ると、
そこに映っていたのは、怯えた自分一人だけだった。
部屋の隅から、誰かが小さく囁く。
「あと、九十七日。」




