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『百升ノ音(ひゃくしょうのおと)』  作者: こうた
第二章 増殖する印

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第24話 酒が怖くなる

九日目。


神谷透は、朝から何も食べられなかった。


昨夜見た酒瓶の文字が頭から離れない。


生贄酒。


もちろん、そんな酒が実在するとは限らない。


ラベルが変わったことだって、呪いによる幻覚かもしれない。


それでも――。


冷蔵庫を開けた瞬間、


吐き気がした。


中に入っていたのは、水と麦茶だけ。


酒は一本もない。


なのに、酒の匂いがした。


透は冷蔵庫を閉めた。


「……なんなんだよ。」


---


午前十一時。


ミオから電話が来る。


「今日、飲めますか?」


透は答えられなかった。


「……分からない。」


「それなら無理をしないでください。」


「でも、チャレンジをやめたら……。」


「死ぬわけじゃありません。」


ミオの声が強くなる。


「前に確認した記録では、途中でやめた人は死亡していません。」


「ただし――。」


「一生、酒を恐れるようになる。」


透は黙った。


それなら、やめればいい。


そう思った。


しかし、その瞬間。


胸の奥から、別の声がした。


続けろ。


透は額を押さえる。


「……まただ。」


「何が?」


「やめようとすると、頭の中で……。」


「続けろって?」


「……ああ。」


電話の向こうでミオが黙る。


「それが、この呪いの最初の症状かもしれません。」


---


午後。


三人は図書館で古い民俗資料を調べていた。


ミオが見つけたのは、


酒を恐れるようになった元参加者


についての記録だった。


昭和の新聞記事。


«「若者数名、奇妙な酒宴の後に失踪」»


記事の最後には、


一人だけ生還した男性の証言が載っていた。


«「酒を見ると、死んだ仲間がこちらを見ている。」»


透はその文章を何度も読み返す。


「これ……。」


「俺と同じだ。」


ミオは頷く。


「この人は途中でやめています。」


「だから生き残った。」


「でも……。」


ミオは別の資料を出した。


男性はその後、


酒造会社を退職。


結婚式にも出席しなくなり、


料理に酒が使われているだけで席を立つようになった。


最後には、


「酒を飲む人間を見るだけで死者の声が聞こえる」


と話していた。


蓮が呟く。


「生きてるのに……。」


「逃げ切ったとは言えない。」


透は答えた。


「それでも、死ぬよりはいい。」


---


その日の夕方。


透は配信準備を始めた。


机。


黒い模様。


酒。


カメラ。


手が震える。


酒瓶の蓋を開ける。


ポン。


その瞬間。


部屋の照明が消えた。


暗闇。


透は息を止める。


そして耳元で声がする。


«「怖い?」»


透は振り返らない。


「……怖い。」


«「じゃあ、やめればいい。」»


透は目を閉じる。


「そうする。」


その瞬間。


声が変わった。


«「本当に?」»


透の目が開く。


鏡の中に、


昨日の「もう一人の透」が立っていた。


鏡の中の透は笑っている。


«「やめたら、また逃げたって言われるよ。」»


過去の炎上。


コメント。


嘲笑。


「根性なし」


「男なら飲め」


「逃げるな」


その言葉が頭の中に次々と蘇る。


透の手が酒瓶へ伸びる。


「……俺は。」


「もう逃げない。」


酒を注ぐ。


---


しかし、


一口飲んだ瞬間。


透は激しくむせた。


酒の味がしない。


代わりに――


大量の声が聞こえた。


«「寒い。」»


«「苦しい。」»


«「帰りたい。」»


«「助けて。」»


透は酒杯を落とした。


床に酒が広がる。


その液体の中に、


無数の顔が浮かび上がる。


明治の生贄一家。


昭和の参加者。


失踪した配信者。


そして――


朝倉カナ。


カナが透を見る。


唇が動く。


«「鏡の中にいるのは、私じゃない。」»


透は息を止めた。


「……じゃあ、誰なんだ?」


カナは震えながら答える。


«「あなたの中に入ろうとしているもの。」»


画面が暗転。


配信は強制終了した。


---


翌朝。


透の右手に、


新しい黒い線が一本増えていた。


これまでの模様は手首の近くだった。


しかし今度は――


腕を上へ向かって伸びている。


まるで、


何かが身体の中へ入り込もうとしているように。


そしてスマートフォンには、


一件の新着メッセージ。


送り主は――


朝倉カナ。


«「九日目。」»


«「まだ私を見つけないで。」»

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