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『百升ノ音(ひゃくしょうのおと)』  作者: こうた
第二章 増殖する印

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第22話 鏡の中の女

朝倉カナが行方不明になってから、三時間。


ニュースサイトには、まだ小さな記事しか出ていなかった。


«人気インフルエンサー・朝倉カナさんと連絡取れず»


しかしSNSでは、すでに別の噂が広がっていた。


「チャレンジの呪いじゃないか」


「昨日の配信を見た人なら分かる」


「鏡に何か映ってた」


「動画を保存した人いる?」


そして何より恐ろしいのは――


朝倉カナの最後の配信が、削除されていなかったことだった。


むしろ再生数は増え続けていた。


---


透、ミオ、蓮の三人は、カナの自宅へ向かった。


玄関には警察がいた。


ミオが事情を説明すると、警察官が首を振った。


「室内を確認しましたが、本人はいません。」


「争った形跡もありません。」


「ただ……。」


警察官が言葉を濁す。


「浴室の鏡だけ、妙なんです。」


---


浴室。


鏡は普通だった。


白い洗面台。


蛇口。


化粧品。


そして、鏡。


ミオが近づく。


「これ……昨日の配信と同じです。」


透も鏡を見る。


何もない。


「普通の鏡じゃないか?」


「違います。」


ミオはスマートフォンを取り出した。


昨日の配信映像を再生する。


現実の浴室と動画を見比べる。


「ここ。」


鏡の右下。


昨日の配信では、小さな水滴が一つ付いていた。


しかし現在は何もない。


「それがどうした?」


「水滴の形です。」


ミオが画像を拡大する。


水滴は偶然とは思えない形をしていた。


黒い模様。


あの机に描かれているものと同じだった。


---


蓮が洗面台の下を調べる。


「これ、見てください。」


古い木箱。


中には酒瓶が数本入っていた。


ラベルは剥がれている。


一番古い瓶には、


「奉納用」


とだけ書かれていた。


ミオが驚く。


「これ……普通の日本酒じゃない。」


「何が違う?」


「昔の奉納酒です。」


ミオは慎重に瓶を眺める。


「昔は、神社や祭礼に酒を供える習慣が広くありました。」


「酒は神様に捧げ、その後に人が飲む。」


「つまり――。」


透が言う。


「神と人間で酒を分ける?」


「そうです。」


ミオは頷く。


「酒を介して、人間と神聖な世界をつなぐ。」


三人の間に沈黙が落ちた。


昨日見た古文書の言葉が蘇る。


«酒は、此岸と彼岸を結ぶもの。»


---


その時。


浴室から音がした。


ポタッ。


水滴。


三人が振り向く。


鏡に、一滴の水が浮かんでいる。


ゆっくり下へ流れる。


その軌跡が――


黒い模様を描いた。


蓮が後ずさる。


「……誰かいる。」


鏡の中。


三人の後ろに、女性が立っていた。


朝倉カナ。


透が振り返る。


誰もいない。


もう一度鏡を見る。


いる。


カナが立っている。


髪が濡れている。


白い服。


そして、口を動かしている。


«「見つけて。」»


透が鏡に近づく。


「どこにいる!」


カナが指を差す。


鏡の奥。


浴室ではない。


古い酒蔵。


その中央に、一つの机。


黒い模様。


その前にカナが座っている。


そして彼女の正面には――


透がいた。


---


「……俺?」


鏡の中の透が酒を飲む。


カナが怯えている。


すると、鏡の中の透がゆっくり顔を上げた。


こちら側の透を見る。


笑った。


そして口を動かす。


«「あと八十七日。」»


鏡が突然ひび割れた。


パキッ。


ミオが叫ぶ。


「離れて!」


ひびは一瞬で鏡全体へ広がった。


そして――


鏡の中から一本の手が突き出した。


濡れた女の手。


透の腕を掴もうとする。


透は咄嗟に後ろへ下がった。


手は空を掴み、


ゆっくり鏡の中へ戻っていく。


最後に聞こえた声。


«「飲まないで。」»


鏡が静かになる。


---


帰りの車。


誰も話さなかった。


やがてミオが口を開く。


「分かりました。」


「何が?」


「呪われ方です。」


ミオはスマートフォンに記録した。


朝倉カナ――鏡。


「彼女の場合、呪いは自分自身の『もう一人』を鏡に作る。」


「本当の自分は酒を拒否している。」


「でも、鏡の中の自分は飲み続ける。」


透は黙って聞いていた。


「つまり……。」


「呪いは、その人間が一番強く持っているものを利用している。」


ミオは答えた。


「カナさんの場合は――」


「自分を美しく見せること。」


透はバックミラーを見る。


後部座席には蓮。


その隣に――


誰もいない。


はずだった。


しかし一瞬だけ。


鏡の中に、見知らぬ配信者の姿が映った。


その人物は机の前で酒を飲んでいる。


透が振り返る。


誰もいない。


もう一度ミラーを見る。


その人物は消えていた。


代わりに、黒い文字が浮かんでいる。


«八日目»


«次の席を探しています。»


透は初めて、


「自分たちが調査している」のではなく、


何者かに調査させられているのではないか


という疑念を抱いた。

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