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『百升ノ音(ひゃくしょうのおと)』  作者: こうた
第二章 増殖する印

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第21話 七日目の酒

七日目。


神谷透は、目を覚ました瞬間、自分の喉に違和感を覚えた。


ひどく乾いている。


水を飲もうと、ベッド脇のペットボトルへ手を伸ばす。


だが――。


口に含んだ瞬間、吐き出した。


「……酒?」


透明な水のはずだった。


なのに舌に残ったのは、日本酒のような香り。


透はペットボトルを見つめる。


ラベルには確かに、


「天然水」


と書かれている。


「……気のせいだ。」


そう言い聞かせた。


しかし、洗面所へ行っても同じだった。


蛇口から出る水。


歯磨きの際の水。


すべてが、酒のような匂いをしている。


---


午前九時。


佐伯ミオから電話が入った。


「起きていますか?」


「ああ。」


「昨日の動画、見ました?」


透は黙った。


「……俺が映っていたやつか。」


「はい。」


ミオの声が重い。


「今朝、さらに増えています。」


「何が?」


「偽物の神谷さんです。」


透の背筋が冷たくなる。


ミオによれば、昨夜からSNS上に大量の動画が投稿されていた。


どれも透本人が撮影したものではない。


しかし画面には、透が映っている。


酒を飲み、


笑い、


「今日も限界までいきます」


と話している。


そして動画の最後には必ず、同じ言葉。


«「八日目も、一緒に飲もう。」»


透はスマートフォンを握り締めた。


「俺は、そんな動画撮ってない。」


「分かっています。」


「でも……。」


ミオが続ける。


「視聴者は、信じ始めています。」


---


午後。


三人は再び集まった。


今回は酒見村へ戻るのではない。


ミオが見つけた、古い酒造会社の資料を調べるためだった。


明治時代。


酒見村周辺では、日本酒が神社への奉納品として大量に使われていた。


特に祭礼の日には、酒を神へ捧げる風習があった。


ミオは一冊の資料を机に置いた。


「ここを見てください。」


そこには、


御神酒


という言葉が記されている。


「昔の人にとって酒は、単なる飲み物ではありません。」


「神様に捧げるものでもあった。」


透は昨日の酒蔵を思い出した。


「だから……酒が、この呪いに使われている?」


「まだ断定できません。」


ミオは首を振る。


「でも、気になる記録があります。」


古文書の一文。


«酒は、此岸と彼岸を結ぶもの。»


透はその文字を見つめた。


「彼岸……。」


「死者の世界です。」


---


その時。


黒田蓮が突然スマートフォンを落とした。


「……嘘だろ。」


画面には、新しい配信。


人気インフルエンサー、


朝倉カナ。


美容系の配信者で、今回のチャレンジ参加者の一人だった。


彼女は自宅の洗面台の前に座っている。


机には黒い模様。


日本酒。


そして、いつもの笑顔。


「七日目です。」


「今日も頑張ります。」


彼女が酒を口にする。


コメント欄が盛り上がる。


しかし――。


カナの背後にある鏡。


そこだけがおかしい。


鏡の中のカナは、


酒を飲んでいなかった。


じっとこちらを見つめている。


現実のカナが笑う。


鏡の中のカナは泣いている。


透が画面を拡大する。


鏡の中のカナが、口を動かした。


音声はない。


しかし読唇できた。


«「飲まないで。」»


次の瞬間。


鏡の中のカナが、こちら側へ一歩近づいた。


画面が暗転。


配信終了。


---


蓮が震える。


「……今の。」


ミオは答えない。


代わりに資料をめくった。


そして、別の記録を見つけた。


昭和期の酒蔵に関する民俗調査。


そこにはこう書かれていた。


«「酒を飲む者には、己とよく似た影が現れることがある。」»


«「影は本人の欲望を真似る。」»


透は息を止めた。


昨夜の「もう一人の自分」。


あれは単なる亡霊ではない。


自分の欲望を映した存在なのかもしれない。


---


その日の夜。


透は机の前に座った。


黒い模様。


酒。


カメラ。


七日目。


手が震える。


「……やるしかない。」


酒杯を持つ。


しかし、今までと違った。


酒の香りがすると――


背後から声が聞こえた。


«「飲みたくない。」»


透が振り返る。


誰もいない。


もう一度。


«「飲みたくない。」»


今度は、はっきり聞こえた。


それは透自身の声だった。


鏡を見る。


そこには透がいる。


しかし鏡の中の透は、酒杯を持っていない。


そして――


口元だけが笑っていた。


«「飲めば、もっと人気者になれるよ。」»


透は酒杯を握り締める。


以前なら、その言葉に抗えなかった。


だが今は違う。


「……違う。」


「俺はもう、再生数のために飲んでるんじゃない。」


鏡の中の透の笑顔が消える。


その瞬間。


スマートフォンが震えた。


通知は一件。


朝倉カナが行方不明になりました。


透は画面を見つめる。


そして、その下に新しい通知が表示された。


«「百日限界チャレンジ 参加者 18万7,421人」»


数字が一秒ごとに増えている。


18万7,422。


18万7,423。


18万7,424――。


透は悟った。


これはもう、


自分たち数人だけの呪いではない。


SNSそのものが、呪いの器になり始めている。


そして画面の隅に、誰にも送っていないはずのコメントが一つ表示された。


投稿者名――


百升ノ音


«「七日目、席が増えた。」»

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