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『百升ノ音(ひゃくしょうのおと)』  作者: こうた
第一章 印を押した夜

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第十八話 逃げ道の先

酒蔵の奥へ続く細い通路。


神谷透たちは、必死に走っていた。


背後から聞こえる足音。


一つではない。


村長のもの。


そして――


何十人もの、濡れた足音。


ペタ……。


ペタ……。


まるで酒蔵に閉じ込められていた亡霊たちが、追いかけてくるようだった。


「急いで!」


佐伯ミオが叫ぶ。


「ここが崩れたら戻れなくなる!」


透は前を見る。


暗闇の先に、小さな木の扉があった。


少年が言っていた逃げ道。


しかし、その扉には文字が刻まれていた。


> 逃げた者、忘れられた者




黒田蓮が立ち止まる。


「……嫌な予感しかしない。」



---


透が扉に手をかける。


冷たい。


氷のような感触。


その瞬間、頭の中に声が響いた。


> 「帰りたい。」




知らない女性の声。


> 「助けて。」




子どもの声。


> 「誰か気付いて。」




老人の声。


無数の声が重なっていく。


透は歯を食いしばる。


「開けるぞ。」


扉を押す。


ギィィィ……。


中には、小さな部屋があった。


そこには古い木箱が一つ。


そして壁一面に写真が貼られている。



---


写真。


写真。


写真。


年代はバラバラだった。


明治。


昭和。


平成。


令和。


すべて同じ場所。


同じ机。


同じ黒い模様。


そして――


写真に写った人間は、全員同じ表情をしていた。


笑顔。


しかし、その目は死んでいる。


ミオが一枚の写真を手に取る。


「これ……。」


そこには昭和時代の若者たち。


中央に座る男性。


その横に、小さな文字。


> 「三十七日目で停止」




「この人……。」


透が見る。


写真の男性は酒を飲んでいる。


しかし机の模様が途中で消えている。


「途中でやめた人?」


ミオは頷く。


「でも……。」


写真の裏を見る。


そこには震える文字。


> 「止めても、終わらない。」





---


突然。


部屋の隅に置かれていたラジオが鳴った。


古いラジオ。


電源は繋がっていない。


ザー……。


ノイズ。


そして、男性の声。


> 『昭和二十七年、記録開始。』




三人は動けなくなる。


ラジオから流れるのは、過去の記録だった。


> 『参加者十名。全員、模様を使用。』




> 『三十日目、異常発生。』




> 『四十五日目、幻覚報告。』




> 『六十日目、三名失踪。』




> 『九十日目、残り二名。』




しばらく沈黙。


そして最後。


> 『百日目――』




ザーッ。


音が途切れる。



---


透はラジオを見る。


「最後は……?」


その時。


背後から声がした。


「最後は、誰も記録できなかった。」


振り返る。


そこに立っていたのは――


一人の老人。


白い髪。


古い作業着。


しかし生きている。


透は驚く。


「あなたは……?」


老人は三人を見る。


そして小さく呟いた。


「私は、逃げた人間だ。」


「昭和のチャレンジから。」



---


老人は震える手で酒蔵の奥を見る。


「百日目の前にやめた。」


「だから生き残った。」


「でも……。」


老人は自分の耳を指差す。


「死んだ人間の声が、毎日聞こえる。」


「酒を見るだけで吐き気がする。」


「眠ると、あの日の続きを見る。」


透は息を呑む。


チャレンジをやめた者。


死なない。


しかし――


呪いから完全には逃げられない。



---


老人は透を見る。


「君はまだ五日目だな。」


透は驚く。


「なぜ分かる?」


老人は、透の手を見る。


黒い染み。


「印が浅い。」


「でも……。」


老人の表情が変わる。


「君は危険だ。」


「なぜ?」


老人は答えた。


「昔の挑戦者は、酒に負けた。」


「でも君は違う。」


「君は……。」


一拍置く。


「死者のことを知ろうとしている。」


その瞬間。


酒蔵全体に響く声。


村長。


> 「余計なことを教えるな。」




老人の顔から血の気が引く。


「来た……。」


「村長だ。」


そして暗闇の奥。


ゆっくりと影が伸びる。


しかし、その影は一つではなかった。


村長の後ろに――


無数の亡霊が立っていた。


老人が震える声で言う。


「逃げろ。」


「今度は……。」


「村長だけじゃない。」


「過去の挑戦者全員が来る。」

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