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『百升ノ音(ひゃくしょうのおと)』  作者: こうた
第一章 印を押した夜

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第十三話 村長の影

酒蔵の奥。


闇の中から、一人の老人がゆっくりと姿を現した。


年齢は六十を超えているように見える。


だが、その着物は明治時代の村長が着るような正装だった。


右手には古い徳利。


左手には黒く変色した木札。


顔は影に隠れ、目だけが異様に光っている。


「ようこそ。」


低く響く声。


「百日目を迎える者たちよ。」


神谷透は一歩後ろへ下がった。


「お前が……村長なのか。」


老人は答えない。


代わりに、酒蔵の床をゆっくり見渡した。


「席が足りぬ。」


その一言で、空気が凍りつく。



---


突然。


ゴゴゴゴ……。


酒蔵全体が揺れ始めた。


並んでいた酒樽が勝手に動き出す。


一つ。


また一つ。


樽が円を描くように並び替わっていく。


透はライトを向けた。


その配置は――


机に描かれた黒い模様と同じだった。


「まさか……。」


ミオが息を呑む。


「この模様は……酒蔵そのものの地図……?」


村長はゆっくり頷いた。


「ようやく気付いたか。」


「印ではない。」


「儀式そのものだ。」



---


黒田蓮は震える声で尋ねた。


「生贄一家を閉じ込めたのは……あんたなのか!」


老人は静かに徳利を撫でた。


「違う。」


「決めたのは、村だ。」


「わしは掟を守っただけ。」


その言葉を聞いた瞬間、


酒蔵の奥にいた少年が叫んだ。


「嘘だ!」


「お父さんは何度も謝った!」


「お母さんは助けてって泣いてた!」


「なのに!」


「誰も扉を開けてくれなかった!」


酒蔵中に子どもの叫び声が響き渡る。


その瞬間。


壁から無数の手が突き出した。


青白い腕。


細い指。


爪は割れ、血が滲んでいる。


壁一面から、亡霊たちが這い出そうとしていた。



---


「帰れ……。」


少年が透へ向かって叫ぶ。


「ここは来ちゃいけない!」


「まだ間に合う!」


その言葉と同時に、


村長が透を見つめた。


「帰れると思うか。」


徳利を傾ける。


中から酒が流れ出る。


しかし酒は床へ落ちない。


宙に浮いたまま、


一本の線になって伸びていく。


その線は透の足元まで届き、


黒い模様へ繋がった。


模様が赤黒く光る。


透の頭の中へ、


知らない記憶が流れ込んだ。



---


百年以上前。


酒蔵の外。


村人たちが酒杯を掲げている。


中央には村長。


その隣には縛られた一家。


小さな男の子が泣いている。


「帰りたい……。」


母親が抱き締める。


父親は村長を睨む。


「約束が違う!」


村長は静かに言った。


「百日耐えれば神は赦す。」


そして、


一家を酒蔵へ押し込めた。


重い扉が閉まる。


ドン。


鍵が掛けられる。


外から聞こえるのは、


村人たちの乾杯だけだった。



---


透は現実へ引き戻される。


涙が頬を伝っていた。


「あの人たちは……。」


「最後まで待ってたんだ。」


少年は小さく頷く。


「毎日。」


「誰かが助けに来るって。」


酒蔵の中が静まり返る。


その静寂を破るように、


村長は不気味な笑みを浮かべた。


「だから今も待っている。」


「百日目を迎える、新しい家族を。」


その言葉と同時に、


酒蔵の一番奥で、


百個の酒樽が一斉に軋む音を立てた。

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