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第19話 もう帳場の影には戻らない
王都から、迎賓館へ戻らないかという打診が来たのはその一週間後だった。
離任処分の取り消し、帳場主任への復帰、体面の回復。書面だけ見れば、以前の私なら迷ったかもしれない。
けれど、返事を書く手は止まらなかった。
「謹んで辞退いたします」
私は宿場の帳場机で、その一文を静かに書き切る。
ノイパスでは、朝便の時刻を問う旅人がいて、湯沸かし場の薪数を確かめるイルゼがいて、厩舎番が新しい馬の癖を記録し、ヨナスが毎朝路線表を持ってくる。
ここでは、帳場が影ではない。
人を通し、食べ物を届け、無事に眠らせるための、宿場の真ん中だ。
「王都へは戻らないのか」
夕刻、ヨナスが書面を見て聞いた。
「戻りません」
「惜しくないか」
「ええ。席を惜しむより、失わずに済んだものの方が多いとわかったので」
私は宿帳を閉じる。
「仕事も、居場所も、自分で選び直せます」
ヨナスは短く頷いた。
「なら、次は肩書きも選び直せ」
「肩書き?」
「宿場運営統括。補佐は外す」
思わず言葉を失うと、彼はいつもの調子で続けた。
「異論があるなら、明日の帳場で聞く」
異論なんて、もうどこにもなかった。




